あんまの新あそび日記

平凡ではない50代リーマンです
育児に奮闘しマネーの勉強を続け
家庭生活全般の事を書き綴っております

思い出

2007年05月22日 | 仲間・友人
中学時のクラスメートで卒業してから親しくなった奴がいる。19年も前になるか。
皿洗いのバイトで一緒にガシャガシャと洗ったり、ヤツの家に泊まって永遠と24時間ファミコンをしたり、スクーターで錦糸町に馬券を買いに行ったり、
ヤツが働いていた洋服屋に入り浸ったりしていた。夜中に家を抜け出してバイクで走り回ったりした。
俺等は、まわりの大人から見ると決して『好青年』ではなくチョッと『悪そうなガキ』と言う感じだった。

18歳になるとヤツは新車を買った。
まわりの同年代達は受験やら予備校やらで勉強に励んでいた頃、いきなりバーーンと新車を買ったのだ。
受験勉強に縁が無かった俺は、ここでもやはりつるんで夜中にドライブしまくった。
お互いにどちらかが『帰ろうぜ』と言わないと、何処までも車を走らせるのだ。
気がついたら、エレー遠くまで走ってしまう事もあった。
そこは房総半島の先っぽ白浜町であったり、山梨の富士急ハイランドのスケート場であったりした。
とにもかくにもバイトや仕事で稼いだお金を使って馬鹿げた遊びをしまくって遊んでいた。

22歳になると俺は実家を出て一人暮らしを始めた。
安いスーパーで、キャベツを買ってきて、豚肉と葫の芽と一緒にして適当に炒めるとなかなかのツマミになった。
ヤツは酒が苦手だ。その代わり米をたくさん食べる。ヤツは適当キャベツ炒めをおかずにしてで米2合をペロリと食べた。
とにもかくににも、『たくさんの肉とたくさんの米があればワシャもう何も要らんけん。』
と言う様な事を貫いて、しょっちゅう食事を共にしたのだった。

26歳頃になると、俺はちょいとボロくてちょいと広い所に引っ越した。
この頃、俺は仕事やら、人生やら、何やら色々と悩んでいた時期でもあった。
4~5人で集まっては、飲んで食べて笑って泣いて語ってと言う様な生活をしていた。
この頃になると、ヤツは若かりし頃のヤンチャな性格はすっかりと消えていて、
笑わせるのが得意な陽気なお兄さんになっていた。
仲間の子供が遊びに来てもヤツに一番なついていた。
また、相談や悩みがあった時、皆で『ああだ!こうだ!云々・・』と話し合ったりするのだが、
ヤツの意見はいつも説得力があり、大人な意見を述べていた。
学業に励んだ期間は少ないのだが、その分色々な経験をしている。
だもんだから、同い年の中では一歩も二歩も大人でいたので非常に頼もしいヤツであった。

今から5年前、ヤツは運送会社に勤めて、トラックを転がしていたが、成績が良いらしく営業に移る事になった。
役職はなんと課長であった。『今度からネクタイで出勤だぁ。面倒だなぁ』と照れくさそうに言った。
俺は凄く嬉しかった。二人でキャベツ炒めを食いながら乾杯した事を覚えている。

そのスグ後5/21、ヤツはバイクの事故で亡くなった。
事故が起きて速攻で病院に駆けつけたが、警察の者が来て死んだ事を冷静に告げた。
悲しい気持ちはあんまり出なかった。状況が理解できなくて怒りが湧き出てきた事を良く覚えている。

5年前から俺の生活は一変した。
葬式で出あった仲間が出来て、山に登るようになった。
山仲間で親しくなったヒトと付き合うようになり、そして結婚した。
これはヤツに引き合わせてもらったんだろうなぁ。

ざーーーっとヤツとの思い出を簡単に書いたけど、詳細を書いたらそれこそ一冊本が出来てしまうな。
まぁそれはそれで実際本は出せないけど、オモシロエピソードを今度書こう。

俺自身が平和に生活出来ているのは、当たり前の事じゃないと思っている。
色んな事が複雑に絡み合って、今生きているんだよなぁ。
俺はヤツを兄弟だと思っている。絶対に忘れたくないのだ。俺等のドタバタ生活を見守っていてほしいのだ。
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