あんまの新あそび日記

平凡ではない50代リーマンです
育児に奮闘しマネーの勉強を続け
家庭生活全般の事を書き綴っております

新幹線を見に行こう

2010年03月30日 | 子供
以前から子供が『新幹線見たい!』と言っており、新幹線を見に行く約束をしていたのだ。

以前の通勤先は秋葉原近辺のビルであったので、新幹線が行ったり来たりしているのが見えた。
あそこに行けばバンバン見れる。
しかし秋葉原あたりの新幹線は遅い。眠たげにやる気の無い走りだ。
どれだけ速いのか?分からないのだ。

そこでエイヤ!っと栃木方面に向かった。
栃木方面に行くと新幹線はスピードを出して走っているだろう。

千葉県から茨城県の田園風景を楽しみながら利根川沿いを北上する。
野田あたりを越えるとグッと田舎風景になり走りが楽しい。

さてさてそんなこんなで古河あたりに目標を定めた。
古河は茨城,栃木,埼玉,3県の県境がある場所だ。
栃木だと思っていたけど、茨城県なんだね。

古賀駅に向かう手前に新幹線の路線がある。
どっかの田園脇の側道に車を止めた。誰も来ないような場所だ。

新幹線が通ると轟音が響いて物凄いスピードで通り過ぎる。
ただ凄いスピードの為、通る過ぎるのが一瞬なんですな。
東北新幹線は短いし。
大人からすると遠くまで来たけど若干期待はずれだ。

子供も喜んでいるのか?ビビッているのか?
よく分からないけど凝視して固まっている。

10分に1回通過する感じだけど7~8台位見たかな。
帰りの車の中で子供が言った。
『シンカンセン。ミタヨォ。ハヤカッタ。ネェ。』子供は満足そうだった(笑)

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野田よしひこ

2010年03月29日 | Weblog
先日、駅前で国会議員の野田佳彦がビラを配っていた。
俺が歩いていたら、突然テレビで見た事あるオジサンが現れたのだ。
確か財務副大臣だったような気がする。
顔は怖い。悪代官みたいな顔している。俳優なら絶対に悪役だ。
以前、東陽町でレンホウさんに会った事がある。
彼女は綺麗なオバチャンであったネ。

野田氏の前を通り過ぎた時に『ハッ!』と声を出してしまった。
野田さんとも目が合った!
2歩戻って『ビラもらって良いですか。頑張ってください!』
と言ったら野田氏はニッコリ笑って
『ありがとうございます。頑張ります!』
と言った。悪代官ではない素晴らしい笑顔だった。

俺は民主党を強く推奨するわけではない。
政治にはあんまり期待していないっす。
ただ単にミーハーなんだなぁ。
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子供との時間

2010年03月24日 | 子供

椎名誠さんの本を読んで感銘を受けた。

人の一生のうちで、子供と一緒にいる時間は非常に少ない。
子供は小学校の中盤になるとドンドン親や家族から離れていって、大人(他人)になっていく。
身体も心も大人になって飛び立っていってしまうけど、それは子供にとって成長の証だ。

椎名さんの子供は二人ともアメリカに行ってしまって家族全員が揃うのは5年に1回位だそうだ。
5年に1回か。ウチも同じペースだ。

ビートたけしの本でも
子供が成長するに従って、いかに他人になることが、親にとって重要な事だ。
みたいな事が書いてあった。

最初、『親が他人』って言うフレーズの意味が分からなかったけど、最近は意味が分かるようになった。

俺も20歳を超えるまで、実家に住んでいて親の下で生活していた。
22歳位で実家を出て一人暮らしを始めた。これが一人前だとは思わない。
まだまだ半人前だった。(今でも1人前ではないが)

しかし20歳の時、生活基盤と言うか精神的な部分はとっくに親離れしていた。
と言うか、12~15歳位の時点で『1番大事なモノ』が親ではなく仲間になっていたネ。

小学校の頃、親がケンカして『実家に帰ります!』とか言っていると
自然に『ああ俺はオカンに付いて行くだろうから大阪(オカンの実家)に行かねばならんのだんろうなぁ』と考えていた。
しかし中学生で同じ状況が発生した時
『オカンは大阪に帰るかも知れんけど、俺は浦安に残って生活するわ』
と考えるようになっていた。
父親と一緒に生活したかったわけではなく、仲間との絆が親より深くなっていた証拠だと思う。
俺の親も良い具合に子供を自由にさせてくれたし、子供にベッタリとはしていなかった。
ただ単にほったらかしではなく助けが必要な時には助けてもらった。
お陰で15歳くらいには精神的に親離れしていたし、親も子離れしていた。良い意味で他人になった。

そんな記憶からも、いつか我が子も自宅に居ながらもスパーンと離れていくんだろうな。と思う。
俺も子供とは上手に他人になってやるべきだと思うし、助けられる範囲で助けたい。
考えると、まともに会話する様になるのが、3歳くらいか。。。。
それから10年もすると13歳。中学生だ。
そこら辺まで来ると、子供は他の事に忙しくて父親なんて眼中に無いはずだ。
一生のウチでガッツリと一緒に生活するのは10年位なもんだ。
今は子供の育児が大変だけど、そんな事も実は貴重な時間だと思う。

俺は子供が産まれてから『親って大変だったんだな。親ってありがたいなぁ』と改めて思った。子供が自分を成長させてくれる。
俺にも孫ができたら、我が子も親(俺やカミサン)の苦労を理解するかも知れんなぁ。

とにかくまぁ、今は大変だけど実は幸せな時間かも知れない。
子供との貴重な時間を大切にしたいね。
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仲間と飲んだ

2010年03月22日 | 仲間・友人
夕方に友人が来るので、急いで準備をした。
親が掃除をしながら、その横で子供が散らかす。
まったく捗らない。
しかしまぁ
旧来の仲間で、『昔は一緒に料理を準備したりしたんだよなぁ。』
と言う若干の甘え精神が強烈に働き、集合時間になってから料理を開始。
適当な鍋と適当なツマミを作っていたら、友人が更に手作りツマミを差し入れてくれた。
豪勢な料理になって、昔話と近況の話題で盛り上がる。

昔はよく
『会社辞めたい!』
『俺、ラーメン屋を目指す!』
『人生とはなんぞや!』
『ファミコン大会をするぞ!』
『海に行くぞ!』
『有名ラーメン店に行こう!』
『インディアンポーカーするぞ!』
『やっぱり仕事頑張る!』
なんて言いながらワイワイと生活していた。
同時に悩みを打ち明けたり相談したもんだ。
時にはケンカみたい熱く語って夜を明かしたね。

ある時の年末。
『大晦日はウマいもん食って飲み明かす!大量にカルビを買ってくるぞ!』
と企画したのは良いけど、牛肉を買ったら待ちきれなくなって、
12/30に牛肉パーチーをしてしまった。
大晦日は二日酔いで大した料理を食わなかった思い出がある。

ある時、突然、悲しい事件が起こった。
仲間の1人がバイクで亡くなった。
みんな強烈に悲しく苦しかった。
けど皆で助け合って励ましあって、なんとか生活を続けられたのだ。
なんだかもう俺の中では『親戚』みたいなモンである。
俺だけでなくカミサンも仲間のウチの一人だしね。

そんな忙しい日々も今から10年前の話ですわ。
イロイロ環境も変わったけど、自分も含めて仲間達の心意気は変わっていない。
非常に嬉しいし、ありがたい。
仕事の事で精神的に疲れていたけど、かなりの元気をもらった。
これからも仲間を大事にしたいね。

チョット今回は書いていたら、オジサン涙が出てきてしまったよ(笑)

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その続き

2010年03月18日 | Weblog
こないだ書いた牧師さんに再度出会えた。
俺は勇気を出して『○○ホテルの牧師さんですか?』
と聞いた。
彼は大きく手を振り『あー違う』と言った。
お礼を言いたかった。とても残念な気持ちになった。
でも彼は俺の日本語をヒヤリングしてたし、流暢な日本語だった。
未だに半分は彼が牧師さんだったと思っている。

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チャリンコ通勤

2010年03月15日 | Weblog
通勤時にイロイロ出会う人が居る。
こないだ、チャリでワシワシと走っていると原木中山あたりだろうか。
男前のサラリーマンを見た。誰だっけなぁ。と思い返すと・・・

神田のビルに勤めていた時の隣の会社の男前のサラリーマン氏であった。
どうも『の』が多くなって日本語がおかしいのだけど許して欲しい。

舞浜大橋では外国人に3回程会っている。
この外国人は大男でハンサムなおじさんだ。
外国人でも花粉症なのかね?マスクをしているね。どうでもイイっすね。

しかしどっかで見たことあるなぁ。。。閃いた!
結婚式を挙げてくれた牧師さん(役の人)だ。
因みにキリスト教ではカトリックは『神父』。プロテスタントは『牧師』だそうだね。
カトリックの方がイロイロと宗教規則が厳しいのだね。
結婚式の前にイロイロと儀式があるらしい。
あの時、どっかの結婚式場の本物の神父さんが教えてくれたのだ。
勉強になった。

そうだそうだ。
結婚式の時
『アナッタガッタハ イカナルトキモ アイシアウコトヲ チカイマスカ?』
と片言の日本語で言うあの例の外国人のおじさんだ。
あの牧師さんは皆の前では
『私は日本語があまり分からない牧師ですよ』
と言う感じで片言の日本語を喋っている。

んだけども段取りよくする為、新郎新婦に小声で指示を出すのですね。
『はい!向き合って下さい』
『はい!指輪を取り出して下さい』
『はい!宣言の署名をここに書いて下さい』
等と物凄く流暢な日本語を喋るのだ。
そんなオジサンなのでビックリした思い出がある。

そうかー。牧師さんもチャリンコ通勤なのだなぁ。
今度出会ったら『5年前あなたに結婚式を挙げてもらった者です。ありがとう!』
と礼を言いたいね。

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ピクニック

2010年03月14日 | 
晴れた土曜日に久々にピクニックに行く事にした。
朝、おにぎりとオカズを作って車に乗り込んだね。
房総半島か銚子方面に行きたかったが、アチコチ渋滞だ。
出発が10:00を過ぎるとダメだね。

しゃーないので、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして
知らない道を走りクネクネと行ったら印西の牧の原公園に到着。

ここは広い芝生と小高い人工的な山がある。しかも人が少ない!
早速、弁当を広げて食べた。ウマい!登山時の行動食を思い出す。
しかしまぁこの日は強風が凄かった。春一番ってヤツか?
おにぎりをチョット食べて車に退散して残りを食べた。

さてさて食事を取った後、せっかく来た公園で遊びたいじゃないか!
家族3人で広い芝生を散歩した。
所々にアスレチック的な健康器具があるので馬飛びとしたり懸垂をしたりしたね。
あたくしは例の肘痛の影響か?
右手の握力がほとんど無い事に改めて気がついた。

この公園にはチョットした小山標高20~30mがある。
この山に登るには階段があるので、娘でも簡単だ。
チョット登ろうか!と気持ちが高揚する。
ナカナカ楽しいピクニックではないか!
そういやお金も使っていないぞ!
素晴らしいぞ!よーしよしウンウン。

芝生の山ではダンボール尻に敷いて滑っている子供達が居た。
ウチの子供ももうチョット大きくなったら滑らせようと思う。

さて下山だ(笑)
階段を下りるのはつまらない。少しでも登山の雰囲気を味わう為、
斜面のジグザグに下る事にした。
これがナカナカの急斜面で子供には危ない。
俺が抱っこをしながらテクテク降りたね。
途中芝が濡れている所があった。日が当たらない場所で地面が乾いていない場所だった。
カミサンに『芝で濡れて危ないから、ブレーキをかけると転ぶから一気に歩こう!』と言った。
と言ったそばから、俺は脚を滑らせた。
通常なら脚を滑らせても両手で受身をして最大限の防御体制を取る。
しかし今は子供を抱いている。
こける瞬間がスローモーションになった。
子供の口がへの字になって引きつっている。
俺は子供が頭を打たないように、更に転がって落ちていかないように支えた。


ドッカーン!!!



俺は変な体制になり受身体制ZEROで後頭部と肘を強打。
子供は怯えているけど幸い負傷は無いようだ。
服の被害がデカイ。子供のジャンパーが泥だらけ。
俺もズボンの尻からシャツの背中まで派手に泥だらけ。
人に見られたらかなり恥ずかしい格好である。

まったく低山を舐めてはイカンね。
ズボンが泥だらけでどうしようも無いので、ジーンズを購入した。
お値段の高いピクニックになりましたとさ。
まぁイイ思い出になったね。

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結婚記念日

2010年03月09日 | Weblog
先日、結婚記念日であったので、イソイソと早く帰った。
内緒でケーキを買って帰宅すると、カミサンもケーキを買っていたので大量のケーキを食べた。
しかしまぁ、結婚してから5年経った。
本当に時が経つのは早いものだ。

5年前の夜中、役所に入籍届けを出しに行った。
なんと、カミサンとお二人で入籍届けシーンの写真が残っているのだ。
と言うのも仲間がカメラを持って写していたのだ。
その後、4人で夜な夜な祝杯を上げたのを覚えている。
思わず笑ってしまう楽しい思い出だ(笑)

5年間なんだかイロイロとイベントが起こった。
結婚式やら新婚旅行、新婚当時は色んな山にも登ったネ。
オウチも買った。住宅ローンで『ヒーヒー』言うようになった(笑)
更には子供の出産もあった。
あの時は仕事絡みで頭が混乱して、軽度の鬱病になって困ったもんだ。
出産後は時が経つのは早い早い。
子育てに頑張っていると、あっという間に時が過ぎる。
初めて笑った時や初めて立った時に感動をもらった。
子供の熱が2週間引かなくて焦った事もあたっけ。
ベッドからハイハイで動き回り、ベッドから落下。
頭を打ってしまった事もあった。ありゃ焦った。
そんなこんなも今では笑い話だね。

イロイロと振り返ると
 『なんだか俺の結婚は悪くないなぁ』
と思える。ありがたい。カミサンに感謝。

今後もイロイロとイベントが起こるだろうけど、
家族みんなでボチボチと頑張っていこう。
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