わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

豊かに始まります

2012年11月30日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
震災後、20回目の被災地訪問です。

今回は泰阜村議会の被災地視察に同行です。

というか、視察先が福島県ということで、議長さんから「村の中で福島の事情を一番知っている君が案内しろ」ということになりました。

20回も行っていれば、確かに村で一番知っているのかもしれませんね。


いろいろと考え、被災地の人々もやりとりを重ねた結果、福島県飯舘村の長泥地区の鴫原区長さんにお話を伺うことになりました。

そうはいっても被災地は遠い。13時に福島市の吉倉避難宿舎に伺うために、泰阜村を朝4時半にマイクロバスで出発です。

中央道、上信越道、北関東道、東北道と、一路福島を目指すマイクロの中で、議員の皆さんは、文句ひとつ言いませんでした(当たり前か 笑)


現在、鴫原区長さんが居住する吉倉避難宿舎は、避難が遅れた飯舘村の子どもを持つ世帯が集められた宿舎。

鴫原区長さんは、この吉倉宿舎の自治会長も兼任しています。

「俺は話はうまくねえからな~」とおっしゃる鴫原区長さん。

マスコミや各種会議でも駆り出されてハラが座っているのでしょうね、議員が立ち並ぶ前でも顔色ひとつ変えずに、淡々と、訥々と、飯舘村の現状と、内に秘めたる怒りを語ってくれました。

その話を聞いて、議員一同、絶句です。

▼鴫原区長さん(中央)が泰阜村議会を迎える。




今、村議会議長は、お馴染みの「わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」と口にした木下藤恒さんです。

木下さんは、泰阜村最奥の集落で、「何もない」環境を逆手にとって、集落あげての産業づくりに命をかけてきた人。

今は、議長として泰阜村の生き残りをかけて身体をはっていますし、村のこどもの未来のために常に力を注いでくれています。

そんな木下さんは、飼っていた牛を殺処分せざるを得ず、マスコミは嫌いだけれど「黙っていたら間違ったメッセージが伝わってしまう」とテレビや新聞の取材を一手に引き受け、利便性と安全性のはざまで飯舘村に帰ることをあきらめようとする若者が居住する自治会の会長を務める鴫原さんのことを、本能的に同志と感じたのかもしれません。


泰阜村もまた、満蒙開拓、自治体合併等で常に国策に翻弄されています。

木下さんは最後に、国に苦言を呈したい気持ちをひとまず押さえ、「国策に翻弄された小さな村同士、これから交流していこう」と、鴫原さんと固く握手を交わしていました。

▼みんなで記念撮影。中央右が木下議長さん。




そして実は、この鴫原さんを年明けに泰阜村にお招きすることになりました~!

詳しくはまたお知らせします。


この1年9か月に被災地の人々と築いてきた信頼関係、そして26年間に泰阜村の人々と築いてきた関係が、20回の訪問を経て、このような形にまで発展しました。

小さな地域同士の「支え合い」、豊かに始まります。


代表 辻だいち


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