今日で東日本大震災から2年と3か月です。
もう27か月です。
でもまだ27か月。
2年前の今日、私はどこにいて、何を考えていたのか、このブログをさかのぼってみました。
いたいた、沖縄にいますね。
ぜひその日のブログにアクセスください。
今日、私は東京(正確には埼玉の新座キャンパス)の立教大学にいました。
私が受け持つ「自然と人間の共生」の授業です。
来週はいよいよ福島県飯舘村からゲストスピーカーを招きます。
このブログにもよく出てくる、飯舘村長泥区長の鴫原(しぎはら)良友氏です。
この授業にゲストで呼ぶにあたり、大学に申請した書類から抜粋で紹介します。
鴫原氏は、福島県飯舘村の長泥地区の区長だった。
飯舘村は、東日本大震災、特に原発事故災害の影響を強く受け、全村避難を余儀なくされた村である。
とりわけ長泥地区は、少なくとも5年は帰ることのできない「帰還困難地域」地域に指定されている。
福島市に避難した鴫原氏は、子供を持つ世帯が避難した吉倉住宅(福島市)の自治会長として、そして長泥区長として、現在飯舘村の復興に向けて奮闘しているとことである。
このたびの「自然と人間の共生」の授業において、これまで築き上げてきた自然と共生する飯舘村の人々の「までい」(丁寧)な飯舘村の暮らしの営みが、原発災害によって断ち切られていく中で、福島の将来への葛藤を憂う鴫原氏が、自然と人間の共生をどのように考えているのか、そして今後こどもや青年に何を伝えようとしているのかについて、その生の声を学生に届けることが、本授業の目標達成に大いに役立つと考える。
14時46分、その瞬間、私は講師控室で、目を閉じました。
来週、学生が何を感じてくれるのか、それが楽しみです。
もう27か月です。
でもまだ27か月。
2年前の今日、私はどこにいて、何を考えていたのか、このブログをさかのぼってみました。
いたいた、沖縄にいますね。
ぜひその日のブログにアクセスください。
今日、私は東京(正確には埼玉の新座キャンパス)の立教大学にいました。
私が受け持つ「自然と人間の共生」の授業です。
来週はいよいよ福島県飯舘村からゲストスピーカーを招きます。
このブログにもよく出てくる、飯舘村長泥区長の鴫原(しぎはら)良友氏です。
この授業にゲストで呼ぶにあたり、大学に申請した書類から抜粋で紹介します。
鴫原氏は、福島県飯舘村の長泥地区の区長だった。
飯舘村は、東日本大震災、特に原発事故災害の影響を強く受け、全村避難を余儀なくされた村である。
とりわけ長泥地区は、少なくとも5年は帰ることのできない「帰還困難地域」地域に指定されている。
福島市に避難した鴫原氏は、子供を持つ世帯が避難した吉倉住宅(福島市)の自治会長として、そして長泥区長として、現在飯舘村の復興に向けて奮闘しているとことである。
このたびの「自然と人間の共生」の授業において、これまで築き上げてきた自然と共生する飯舘村の人々の「までい」(丁寧)な飯舘村の暮らしの営みが、原発災害によって断ち切られていく中で、福島の将来への葛藤を憂う鴫原氏が、自然と人間の共生をどのように考えているのか、そして今後こどもや青年に何を伝えようとしているのかについて、その生の声を学生に届けることが、本授業の目標達成に大いに役立つと考える。
14時46分、その瞬間、私は講師控室で、目を閉じました。
来週、学生が何を感じてくれるのか、それが楽しみです。
代表 辻だいち