感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

「日本中世の民衆像」 から

2007年11月06日 | 雑記

 網野善彦の「日本中世の民衆像」-平民と職人-(岩波新書)を読む。
 網野さんの事は、『宮本常一の「忘れられた日本人」を読む』の著者ということくらいしか知りませんでしたが、宮本も所属していた日本常民文化研究所出身の中世史家で、独自の中世史観を展開した方です。
網野さんの説によると、平安時代後期から戦国時代までの中世は南北朝の動乱の前・後で大きく分けて考えることができ、日本の伝統文化は後期にあたる、この室町時代から出発したものが多く、文化以外にも生活習慣、生活様式、言葉など現在の常識に通じるものが室町から出来上がってきたのではないかという考えですが、その生活様式は第二次世界大戦以後の高度成長の中でまた大きく変化して行きます。言い換えると、昭和30年前後までは、室町時代に出来上がった風習、文化、生活の規範などの日本的と思われる考え方が続いていたということです。又、南北朝動乱前から平安後期の時代は、現在の常識では理解のできない、やや呪術的な色合いのある時代で、どちらかというと古代の影響が色濃く生活の中に存在している時代、陰陽師や傀儡子が生活の中に違和感無く溶け込んでいた時代でありました。網野さんは特にこの中世前期についての論考を行っているのですが、論点は租庸調に始まった、税制が中世の荘園制度の中、主として負担を担った平民と租税免除となった職人集団についての考証です。網野さんの考えのバックボーンには、本書の中では詳しく述べてはいませんが、一般的に理解されている米を納めるという税制についての考え方と稲作文化と天皇制というものの繋がりを考えることが背景にあるようです。年貢といえば、米を納めるのが通例ですが、実際に庶民が食べていたのは、近年まで粟や稗などの穀物が主流で、大和朝廷以降、日本人は明治に至るまで、米は主として自ら食べるためではなく、税として納めるために作られていた農作物で、支配者の象徴が米であったという説です。さて網野さんはこの税を納める人々を広く平民という言葉を使い説明していますが、米を納めるのは米を作る農民だけではなく、それ以外の人も当然租税を納める義務があるのは現在も同様で、かつての「百姓」という言葉は、現在の農業を行っている人という狭義の意味ではなく、もっと広い意味においての租税義務を負った人々という意味で使われた言葉でした。網野さんは述べていませんが、百姓は「ひゃくしょう」ではなく、中国の古典に度々出てくる「ひゃくせい」と読むのが本来は正しい読み方です。あらゆる階層の人々という意味で使われた言葉です。さて、この百姓ないし平民の人々は、喜んで税を納めていたのではなく、当然何がしかの見返りを領主に求めていたということ、また領主も地位を保つ為に求めに応じていたことが推測されます。平民は移動の自由が認められた人々です。現在の考え方ですと、当時は封建社会で常に庶民は抑圧されたというイメージがありますが、それはある意味誤ったイメージなのかも知れません。また、もう一つの論点である、職人集団ですが、彼らは租税を免除された集団です。おもしろいのは、その特権の根拠となる免状のようなものは、ほとんどが現在残っているものは贋作らしいですが、西日本では天皇のお墨付きで、東日本では頼朝のお墨付きといった具合に国内は二分されているということ。また職人集団の中に、前述の傀儡子(当初はあやしい呪術を使い、水草を求めて移動生活をしていた集団)や唐人(中国からの渡来人)も入っていることです。先日湯の丸高原を登り下りする地蔵峠の石仏を見てきましたが、こちらを作った石工は高遠石工であったと伝えれていますが、かれらの先祖は唐人集団であったとの口伝書が残されています。
現在の日本人の生活上の価値観というものは、良きにつけ悪しきにつけ室町時代以降に成立したものですが、それ以前はもっと精神的にも自由な世界が広がっていたようです。
 網野さんは当初はマルクス主義であったようですので、ある程度割り引いて見る必要もありますが、網野さんが提起した、日本は古より天皇を中心とした単一民族の中央集権国家という常識が本当にそうであったのかという疑問。網野さんは中世前期には東国には東国の国家があったのではないかと述べていますが、日本の歴史というと日本書紀、古事記の神話時代から大和朝廷へと繋がっており長い間その教育を日本人は受けていました。実際に日本人には氷河期を含む旧石器時代からの長い歴史があり、紀元以降の歴史などは、その流れの中では極めて短い時間です。ただそこまで遡らずとも、米が大陸から伝わってきた過程とそれを司る支配者の歴史のみを我々が教えらていますが、古代より、東国には東国の大王がおり、東北には東北の大王、蝦夷には蝦夷の大王がおり、沖縄と同様の独立国家が存在したと考えることは別段不思議なことではありません。

11月23日は今は勤労感謝の日ということになっていますが、元々この日は新嘗祭という宮中行事が行われる日です。これは天皇陛下が新しい米を神々に奉納する儀式で、宮中の神嘉殿にて執り行われます。この儀式は非公開で、陛下はお一人でお籠りになります。中でどのようなことが行われているかは、歴代の天皇以外に知る人はいません。


(写真は本文と関係がないですが美ヶ原高原山頂付近です)

コメント (2)
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ポール・ボキューズ

2007年11月06日 | My Garden
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