長野県立科町山部にある津金寺は、中仙道芦田宿にほど近い場所にあり、大宝2年(702年)に行基が創建した天台寺院です。青木村にある「見返りの塔」大法寺の創建と同じ時代にあたります。この寺院もかつては末寺48寺を持つ大寺院でした。また真田幸隆の本家筋にあたる小県地方の豪族滋野氏の菩提寺として隆盛し、また戦国時代にあっては武田信玄の庇護を受けますが、織田信長により一度燃やされています。滋野氏は平安時代より信濃の有力者として君臨していましたが、その後、海野氏・禰津氏、望月氏の3家に別れ東信濃を統治していました。真田幸隆はその海野氏の出身です。現在も海野宿、東御市禰津、望月町などの地名が残っています。
さて、先週の土曜日の夜、立科の山で泊まり(今年4回目)翌朝雨境峠を下るとちょうど落葉松の黄色が見事でしたが、霧が立ち込めていました。途中芦田宿を通り抜け上田方面に向うと、左側に見える津金寺の紅葉が見事で、駐車場に車を入れ、しばらく眺めてきました。霧はいつしか雨に変わりましたが、それほど強くなく、もじみの赤が水を含み更に輝いています。また境内の裏手の巨大な楓がちょうど見頃となっていました(写真)。最近は自分で何か感動した光景しか撮りませんが、町撮りのスナップなどは昼間がいいですが、景色や風景は早朝、夕方、時として深夜、また雨の日などが良く、同じ趣味でも出没時間は釣りの世界と同じ(笑)です。釣りについては素人から名人級までレベルが様々ですが、名人の中にも私のように自称名人から職業釣師以上の人もいます。これはなんの世界でもそうですが、だれもが努力次第で達成できるあるレベルを一段超えた所に名人域があり、その世界はたとえ釣りでも深遠な世界です。
さて、先週の土曜日の夜、立科の山で泊まり(今年4回目)翌朝雨境峠を下るとちょうど落葉松の黄色が見事でしたが、霧が立ち込めていました。途中芦田宿を通り抜け上田方面に向うと、左側に見える津金寺の紅葉が見事で、駐車場に車を入れ、しばらく眺めてきました。霧はいつしか雨に変わりましたが、それほど強くなく、もじみの赤が水を含み更に輝いています。また境内の裏手の巨大な楓がちょうど見頃となっていました(写真)。最近は自分で何か感動した光景しか撮りませんが、町撮りのスナップなどは昼間がいいですが、景色や風景は早朝、夕方、時として深夜、また雨の日などが良く、同じ趣味でも出没時間は釣りの世界と同じ(笑)です。釣りについては素人から名人級までレベルが様々ですが、名人の中にも私のように自称名人から職業釣師以上の人もいます。これはなんの世界でもそうですが、だれもが努力次第で達成できるあるレベルを一段超えた所に名人域があり、その世界はたとえ釣りでも深遠な世界です。