緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

一難去ってまた一難

2024-05-28 13:15:00 | 日記

 せっかく、ハイムとS氏への信頼が少しずつ戻り、食欲も出てきたし、眠れそうかなと思う状態になってきた。昨晩は、風雨の音に睡眠を妨害されたので、ぐっすり眠れるとは行かなかったが。パナソニックHOME'Sで20年前に新築した従兄弟の家に初めて行ったのは、叔父の初盆の時だった。叔父は新築した家に入れないままなくなってしまった。訪れた時は夏の雷雨が酷い時だったが、家の中に入ってしまうとその音が全く聞こえなかった。やはりロックウールの遮音性って優れているのだ。その後、結婚するのか?できるのか?と心配だった従兄弟は職場で見つけた派遣社員だった、20歳も年下だった女性を娶って結婚した。結婚式では、新郎の友人が「羨ましい。」という事のみが良く伝わってくるスピーチをしていた。お子さんも娘二人だけど、どちらも優秀で、長女は5芸大に匹敵する京都市立芸大に今年から入学し、次女はこの地域で誰もが進学校と認める歴史ある伝統校に塾にも行かず合格し通学している。なので、叔父さんは残念だったが、従兄弟は家を建てた後の人生展開は良かったわけだ。ただ、年取ってのお子さんだから娘さん達が社会人になるまでは大変だろう。

 話はずれてしまったが、昨年娘はやっと再婚できた。初婚はたしか21歳くらいだったと思う。高校時代にガラケー時代のメル友募集掲示板で知り合った人だ。専門学校中退してアルバイトしていた人と誕生日が同日って事でメル友になり、そのまま2番目の彼氏となった人と結婚した。私からするとメンタル弱い娘を支えてくれるので、ありがたい人だと思っていた。しかし頼もしさが足りなかった。娘は夫に正社員になってくれることを願っていたが、その努力を十分しているとも思われない、頼んでおいた家事もやってくれない、夫婦としての将来への展望も失せてしまい、夫に対する愛情もなくなってしまった。娘は将来を心配していてきちんと資格を取りたそうだったので、祖父が学費と生活費をだして孫である娘を今度は美容師の資格の取れる専門学校に入学させてくれた。その契機で,娘夫婦は別居することとなった。資格を取った後も、そのまま東京で職場を探したが、中々いいと思える職場も見つからなかったが、コロナが始まった頃、やっと池袋のメトロポリタンホテルの結婚式場に併設する美容室に就職して、自分の理想の職場と言っていたのに、鬱病から職場復帰してきた先輩からのパワハラで自殺しそうになるところまで追い詰められて、私にSOSを出してきたのだ。それに対して夫は一緒に心配してくれるわけでもなく、「もう嫁にやった娘だ。夫が居るから関係ない。」という言動、別居してることも知ってたのか知らないのかは、私も言ってなかったか知らなかったと思うが、あまりにも冷たい親ではないかと私は呆れ果てた。その頃知人のすすめもあってコロナ下ではあったが、初めて娘に会いに行った。娘はその当時交際していた人に、せっかく来てくれるんだから母親に会うように言われて、私と会った。私は新宿で宿を探して泊まった。コロナ下だったからか、都庁の隣のホテルに安く泊まれ次の日に娘に会えた。私は娘のために自分では言えなかった実情を娘の上司に伝え、シフトを配慮してもらうなどして、その先輩と一緒には働かなくて済むようにしてもらった。そのために不足した生活費なども補ってあげたりした。しかし、その美容室はコロナ下のための経営難で撤退することとなり、娘はまた就活する羽目になった。次に見つけてきたのは港区のグランドハイアット東京の中にあるサッシュアルモニアというサロンだった。でも、そこも長く続けられなかった、そこは色々技術の資格試験のようなものがあり、それに合格していかないと本採用というような立場にはなれないのだが、娘は前職での後遺症があり、本番になってしまうと手が震えて十分実力を発揮しきれないという困難を抱えてしまっていたのだ。結局その職場も離れることとなった。次は、ミス日本の審査の時に和服提供などで知られる会社の美容部門に勤めた。

 そこではパワハラに会うことなく順調に仕事をしているかと思ったが、コロナにかかってしまった。そしてその前後の職場のグループラインの先輩のあまりに思いやりのない体育会系の物言いに我慢が出来ず、また辞めてしまったが、意外とすぐに次の就職先が見つかったが、最初はまだ常勤できるところは決まってなくて、一ヶ月近く都区内その周辺地域の結婚式場にあちこち行ってはヘアメイクの仕事をしていた。黒のパンツスーツに大きなキャリーバックを曳いて歩いてる人見たら、それは私と同業の人だな。と思うと娘が言っていた。その大変な一ヶ月を過ぎて、娘が常勤する所が、一番職場の人間関係がよくて仕事がやりやすいと言っていた大宮の結婚式場に決まった。そして、一ヶ月いろんな式場の手伝いをしたことが、「あの一ヶ月あなたを雇用してなかったら、仕事がまわらなかったよ。」と言われ、今まで凹まされてきた娘の自己肯定感が回復したようでよかった。娘は自分の自己肯定感が低いのは私のせいと思っている部分も大きかった、私も多少身に覚えがあったりするので、何回も娘が転職したりしている頃タロットを使って相談にのったりして、娘を支えてきた。やはり機能不全家庭で育つってハンデをしょっていると思うが、私から見るとそれだけでなく、娘はちょっと気の弱そうに感じられるところもある。そのせいか、話しかけても拒まれない雰囲気があるのか、よく変な男の人に声を掛けられやすいと言っていた。私も娘を駅に迎えに行ったら、横にいる中年男性に話しかけられていたのを見かけたことがある。後でなんて声かけられたの?って聞いたらここにタクシー来るの?みたいな見れば分かるわざわざ聞かなくても良さそうなことを聞かれたと言っていた。

 娘の二度目の夫は、北池袋駅を挟んで徒歩10分の距離の所に住んでいた。マッチングアプリで知り合ったが、お互い×1、猫好き、子どもは持たない派と色々共通点も多く、猫友達から始まって結婚に至った。娘としては医療職だったこともポイントだったようだ。鬱病や適応障害にも理解が大きいと思ったのだろう。

 せっかく結婚して1年。少し前までは2匹目の猫を飼うために猫のケージは捨てないで欲しいとか言っていたし、仕事のポストも少し重要なところに変わったなどといっていたが、そのストレスのせいだろうか?それともまたパワハラされて?

 なかなか、人生心配事は次から次へと訪れるものだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿