「させていただきます。」という言葉の誤用が多くなっているそうだ。本来は謙譲の意味と相手からの許可を「いただいた上で」という丁寧な表現が合わさった言葉遣いだという。丁寧な表現を外せば「させてもらう」ということになるので、その言葉遣いが当てはまる場面でのみそれを「丁寧に言い換えた表現」も成立つというわけだ。それが最近では、相手の許可を伴わない場面にも多用されるようになっているという。
例えば知り合いの家を訪ねた時、相手に「どうぞ上がってください」と言われて初めて「上がらせてもらいます」という言葉遣いが成立する。丁寧な表現の「上がらせていただきます」であっても、同じ場面、つまり相手に上がる許可を受けて初めて成り立つはずである。もし応対に出た相手が「上がってください」という前に「上がらせてもらいます」と言って上がろうとすれば、それは「・・・いただきます」と丁寧に表現したところで、「強引に、勝手に上がろうとした」と受け取られて当然だろう。それは「勝手に上がり込んでも、どうせ相手は嫌と言えない」との意識を表す態度でもある。
相手が受け入れを表明する前に、事によっては相手の拒絶や困惑を予測した上で「・・・と決めさせていただきます」と一方的に宣言することも、同様に「勝手な押し付け」の印象を持たれて仕方ない。さらには「表面上だけ丁寧な言葉を使っておけば良いのだ」という、かえって無礼で見下した態度ともなり得る。かつて尊敬語・謙譲語であったはずの「御前」や「貴様」が、今は相手を見下す表現となってしまったように、「させていただきます」という言葉も、多くの無見識な乱用を経て「相手を見下した無礼を承知の表現」へと意味が変わって行くのかも知れない。
しかし、それはそれで「言葉は使われるうちに意味が変わっていくものですから」と専門家は言う。確かにそうかも知れないが、一方では青森のように「おめ(御前)」という言葉が今も目上に尊敬を表す言葉遣いとして生きている地域もある。おおかたでは元々の意味が変化してしまった一方で、正しい使い方を守って来た人々もまた居るということだ。不幸にしてそのことで、東京に就職した青森出身者が目上に「おめは・・・」と話しかけ、「おめぇ、とは何事だ」と、礼儀知らずとの間違った印象を持たれてしまうこともあるという。問題の「させていただきます」は、今後、果たしてどの世界でどのように変化していくのだろう。