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原発廃炉

2022-03-12 | 日記

東日本大震災の後、福島第一原発で爆発が起きたのは3月12日15時半ころだったようだ。11日の夕方、帰宅途中に福島第一原発の「電源喪失」というニュースを聞いたのを覚えている。自分の記憶では、それから2日くらい後の爆発だったような気がしていたが、事態の進行はもっと早かったことになる。震災発生翌日、12日は土曜日で、朝から地震・津波のニュースと原発のニュースに釘付けになっていた。離れた場所でテレビニュースで見守るしかない身にとっても、それだけ「長い一日」だったのだろう。

 朝から前日の津波の惨状が次々に放送されていて、それを見ている自分の身体が震えていることに気付いたのを覚えている。その後、原発の状況が、詳細な様子が分からないまま刻々と伝えられるようになり、専門家は「水素爆発」の危険性も指摘し始めたと記憶している。もしも大きな爆発で原子炉に被害が及べば、「関東・東京までもが、人の住めない土地になる」という恐怖が自分を支配していた。まさに、日本中が「日本はどうなってしまうのだろう?」と不安に怯えていたに違いない。

 今から思えば、そこまでに至らなかったことが「不幸中の幸い」と言うしかないが、その後の事故原発の処理に関しては「科学的事実と科学的予想だけに基づいて」明確な事実を正直に知らせて欲しかったと思う。原発の廃炉や放射性廃棄物の処理などについて「何となくそれらしい期限」を設定するのではなく、最低限「少なくとも○十年程度かかる」と言うべきでは無かったか。おそらくは100年近い時間を口にすべきでは無かったか。もちろん、福島の人々に与えるショックはさらに大きかったと思うが、それでも政府として実際的な予測を明確にする必要は有ったと考える。

 「原発の廃炉作業」は、これから増える「耐用年数を過ぎた原子炉」にとっても降りかかる。事故を起こした原発では、原子炉の底に溶け落ちた核燃料の回収後に「廃炉」というステップに進むのだろうから、今世紀中掛かるぐらいに思っておく必要があるのじゃないか。「原発が無くなれば、日本の核関連技術が失われる」などと未だに言ってないで、「廃炉こそ、これからの日本が必要とする先進的な核関連記述だ」と認識を変えて欲しいもの。正常に寿命を終えた原子炉にとっても「廃炉作業」は数年以上は掛かるだろう。今のところ、その「廃炉の手順・技術」すら手探り状態と想像する。

 今すぐ全ての原発を止めても、日本の原発全ての「廃炉」処分が終わるまでに随分の費用と時間が掛かるだろう。「廃炉」後は「廃炉作業」で出た「廃棄物」「使用済み核燃料」の処理・処分に時間が掛かる。プルトニウムの半減期は2万4千年だから、2万年以上経ってもその放射能は半分にも減ってないからだ。「原子炉のゴミ」の処理が単なる「貯蔵・埋蔵」を意味するとしても、その施設は今後250世紀を超えて放射能が半減してもまだ、高い放射能をきっちり遮蔽し続けなければならない。何と長い時間だろうか。

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