将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

奈良の大仏とインド

2007年01月30日 | 余暇
将人を連れて是非行ってみたい所が何カ所かある。

何とかいい刺激はないかと今までいろんな所に行った。

奈良・東大寺では大仏さんの大伽藍に入るやいなや、将人は大きく目を見開き大仏さんを見上げたきりしばらく動かなかった、というか動けなかったようだ。それまでちょろちょろ落ち着きなく動き回っていたのが嘘のように変わり、大仏殿の中の、太くてずっしりした黒光りする柱に抱きついてみたり、その柱に開いた穴をくぐってみたり、まるで大仏さんにじゃれついているかのようだった。

将人は、非常に大きいものや果てしなく広いもの等、畏れ多い、荘厳なものを見ると心に留まるようだ。いわゆる普通の観光地ではなく、圧倒して威圧するくらい荘重に見えることが大事だ。

その意味ではアメリカのグランドキャニオンを是非いつか見せたいが、少しまだ遠過ぎる・・・・。

それなら比較的近い、まるで人類数千年の歴史がまさに渾然一体となって同居しているインドをまず見せてやりたい。

25年前、10日間ほど行ったインドには本当に度肝を抜かれた・・・。

はるか見渡す限りの大勢の乞食が我々の乗った観光バスを取り囲むかと思えば、ほんの数人が巨万の富を牛耳り、たった一人の恋人のために世界有数の荘重な宮殿を残していた。
車や人で道が混めば、日本ではバスもなかなか進めないが、インドではバスに群がる乞食を車掌が殴り落として進んでいた。
ブランド物で着飾ったお金持ちがいるかと思えば、まるで映画「ガンジー」のように、粗末な布切れ一枚、腰に巻き、手製の土のかまどに乗せた空き缶で食事を作る人もいた。
母なるガンジス川では、火葬した灰を流すのも、歯を磨いて沐浴するのも、みんな同じ、その聖なるガンジス川の水だ。

その暑さも尋常ではないが、そこに住んでいる人々の生き様に驚いた。

保障される事に慣れきって、水と安全ばかりか、人の親切までいつの間にかつい期待してしまう日本の中の自分・・・。

それと正反対で、天候も社会も非常に厳しいインドだが、目が一つという奇形を持った人やその他様々な障害を持つ人が一般人の中にごく普通に混じって生活していたのが妙に心に残っていた・・・。

時間と距離・天候、身分と文化に実に広大な幅を持つインド。そんなインドで将人が何を感じるか。また、インド人が将人にどういう対応をしてくれるか、とても楽しみだ。

インドまで約8時間のフライトは、将人にとって並大抵の事ではないが、5時間半も自転車に連続して乗れる忍耐力ができたのだ。そう遠くない将来可能になると思っている。



追伸 :

中国とともに眠れる大国だったインドも、勃興する最近の中国に負けず劣らず大躍進しているらしい。聞けば、国を挙げてITに注力しているようだ。日本の九九(9x9まで)に相当する2桁(19x19まで)の掛け算表を暗記するなど、もともと数学に長けた民族だが、イスラエルと並んで、いまや世界有数のソフトウェア開発国なのだそうだ。

そのせいか、中東・湾岸諸国の若者も、以前は欧米に留学する人が圧倒的に多かったそうだが、今や近くて安上がり、そして世界中からヘッドハンティングされて来た優秀な教授が集まるインドの大学に留学するようになっているそうだ。


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映画「奇跡の人」

2007年01月28日 | 想い
先日、テレビで「奇跡の人」をやっていた。

この映画を最初に見たのは、将人の自閉症がわかってしばらくたった、7~8年前だっただろうか。小学校入学前の、巷にあまたある「就学前の療育施設」なるものに週1~2回ずつ通っていた頃の事だ。そこで将人をご指導頂きながら、自閉症がどういうものか、私自身いちから勉強させてもらっていた。

子供が自閉症と診断され、絶望の淵にいったん叩き込まれたものの、特に就学前までが勝負で、しっかり療育していけば何とかなると思っていた。一縷の望みを託し、天からおりた蜘蛛の糸とさえ感じて、生真面目に足繁く通う事に生き甲斐さえ感じていた頃だ。

「教育」というより、「治療」があるとまだ思っていた時代でもある。

だから、ヘレンケラーを見ても、「ああいう指導もあるんだな」と思った程度で、細かな言葉はほとんど記憶に残らなかった。唯一覚えているのは、ヘレンのお母さんが、まるで動かぬ山が動いたとばかりに、「ヘレンがナプキンを畳んだ・・!ヘレンがナプキンを畳んだ・・!」と心から感動して虚空を見上げ、ヘレンを抱きしめながら涙していた姿だ。

それ以来、うちにもきっとその日が来ると信じ、格闘してきた。


ただ、今度見返してみると、むしろ別の細々したところの方に心が惹かれた。
おそらく、また5年後くらいに見返すと、更にまた違ったところで感動するのだろう。

奇跡の人

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着任早々、両親の驚く顔を尻目に、幼いヘレンケラーをサリバン先生が厳しく指導する、例の夕食の場面では久々にこみ上げるものがあった。

更に今度は、あの場面はどこか別の所でも見た事があるような気がした・・・・。

そうだ、光の村だ! 入学式の後、父兄用のコーヒーを飲みたいと床に寝そべってわめいていた将人を、先生が叱って下さった時とそっくりだ。

本当によく聞けば聞くほど、サリバン先生の言葉はほとんど光の村の教育そのものだ。


「明日からお教えします。ヘレンと半分ずつ覚えて。」

「家族総掛かりで苦労している娘が、目の悪い素人の手に負えるか?」

「なぜ人を刺したのに、褒美を?」
「こうしないと、言う事を聞かないんです。」
「大目に見てくれ。大人が会話を楽しむためだ。」

「知ってます。しつけの悪い山猿ですわ。甘やかすのは哀れみの履き違いです。教えるより同情する方が楽ですものね。6年間も同情しか知らなかった子が哀れです。」(写真 : 左上)

「ヘレンがナプキンを畳んだ。」(写真 : 左下)

「数日中に帰ってもらうと本人に言っとけ。」
「彼女は正しい。ぼくが以前から言ってる意見と同じだ。」
「私たちを見捨てないで!」

「ヘレンの障害は目や耳ではありません。家族の愛情と哀れみです。この家で言葉を教えても無駄ですわ。昼も夜もともに過ごし、私を頼らせるのです。道はこれしかありません。あなた方がいては駄目です。」

「どんな方法でヘレンの心をつかむ?」

「そう言う弱気の姿勢が一番いけないのよ。降伏は何も生まないわ。」

「服を着たら食べさせます。本人は思案中です。」(写真 : 右上)

「あの子を愛しとるかね?」
「愛し始めてます。」

「どうすればあなたの魂に手が届くの?」

「ヘレンは愛情や愛撫を求めていません。」

「あなたが彼女に教えたのは、ただ、『---するな!』という事だけ。理解のない服従は目が見えないのと同じです。」

「地下水が湧くまで忍耐強く待ちます。」

「これに言葉があって、それが物を意味するのよ」(写真 : 右下)

「厳しい現実を生き抜くには服従だけでは不十分です。」

「奪い合いはお断りです。私か、あなたか決めて。」

「目が見えんのだ。少々の妥協はいいだろう。」
「親の反応を試しているのです。許してはいけません。」

「手を離れたら最後です。」


本当にバラバラにセリフを抜き出しただけだ。

しかし、たとえ「奇跡の人」を一回も見た事がない人でも、おそらくその一つ一つの状況が頭に浮かぶのではないだろうか。

それくらい、知的障害児(ヘレンケラーは正確には知的障害者とは言えないのかも知れないが・・・。)を持つ家庭には良くありがちな言い合いで、また、こういう事を是非言って欲しいし、こういう指導を是非して欲しい理想の先生こそがサリバン先生だと思う。

そして、その理想の先生方が光の村に実在していらっしゃる!!

公立のように恵まれた施設や道具はないが、公立のようなしがらみのない、自由で、厳しい中にも温かみのある、私立だからこそできる教育がそこにはあるのだ。

(光の村の先生方も時々これを見て下さっているようだが、過度の期待であまり負担に思われても申し訳ないので、敢えて言い換えるとすれば、「あるように極力努力して下さっている」「あって欲しい」!)

ヘレンが生まれて初めてナプキンを畳み、ヘレンのお母さんが思わず、「ヘレンがナプキンを畳んだ・・!」と、夕暮れの空を見上げ、膝をつきながら涙した。

我が家にも必ずや、その日がきっと来る事を信じている。




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秩父市大滝の冬

2007年01月25日 | 学校生活
今の時期、朝方になるとずい分冷え込む。奥秩父の大滝はさぞかし寒いに違いないと思いきや、昨年の冬は意外にそうでもなく、何度も学校に行ったが、ついに雪を見る事はなかった。ただ、昨年の冬が例外で、学校でもひと冬にたいてい数回は雪かきするのが通例だそうだ。

自家用車は4駆かFFで、冬はスタッドレスタイヤが必須だと思う。山道は、雪がないと思っても、コーナーを曲がったら雪が残っていたり、アイスバーンになっている事だってざらにある。越谷ではスタッドレスにしてもほとんど意味はないのだが、いつ突発的に学校に行く事があるかも知れず、また少なくとも2ヶ月に1回程度は行く用事がなんやかやであるので、12月末から3月一杯はスタッドレスを履く事にした

今回の家庭学校で聞いたが、先々週は路面凍結のため朝のランニングが全くできず、先週も雪のため2回しか走れなかったそうだ。

親の方は歳をとり、だんだん寒がりになって来たが、将人の方は寒くとも走ったり、せいぜい重ね着するくらいで何とかできているようだ。寒かろうと思い、つい多めに衣服を持たせても、学校に置く服の定数は決まっているので、戻されて来る。「子供は風の子」を地で行っているのだと実感する。

学校にも一応灯油ストーブが何台もあるが、集会室も食堂や寝室も、どれも広すぎるためお世辞にもぽかぽかするほどには暖房が効かない。それでも風邪や凍傷になると言う事もなく、元気に過ごしている。

それどころか、冬でも、湯と水の浴槽に交互に何回も入り直す「光の村方式の入浴」をしているのだそうだ。ちなみに健康ランドの冷水浴はサウナの後に入って肌を引き締めるというもので、入った時はきわめて冷たく感じるが、それでも温度計で20℃くらいはある。体験入学の際、生徒たちの入浴を見学させてもらったが、サウナの水風呂よりやや冷たく感じた。たしか浴槽に温度計はなかったと思う。おそらく目分量で温度管理がされているようだ。

入浴当初は水風呂もまだ冷たいが、大勢が何回も湯と水の浴槽に出入りするにつれ、だんだん水風呂もぬるくなって来る。どうせやるのなら、どちらかというと、逆の方がいいような気がした。

つまり、はじめは水風呂と言っても湯の方と10℃程度差を付けるだけにとどめ、回数をこなし体が慣れるにつれ、だんだん水風呂を冷たくして行って、最終的に20℃程度の差を付ける。

あるいは、はじめは水風呂の時間を1分とはせず、せいぜい15秒程度にするか、ぬるま湯シャワーにしておき、だんだん時間を長くして、最終的には1分にもって行く。

こんな事をうだうだ考えるのも、歳を取ったせいかも知れない。そう言えば、自分が中学生の頃、父の寒がりに唖然とした思い出がある。そして、父の長袖シャツとらくだの股引を尻目に、冬でも半袖シャツで十分だった。それは、今でも続き、まだ長袖シャツが必要とは思わないが、手足は別としても、体、特に頭とお腹の冷えが最近とみに応えるようになってきた。冬に帽子が欠かせなくなってきたのはこの数年の事だ。

何にせよ、将人はあの水風呂で元気にしているのだし、元気になっているのだ。
風変わりな教育はこれに始まった事でもなく、歴史のある、裏付けを伴ったやり方なのだ。
お任せしようと思っている。



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電車の成人障害者

2007年01月23日 | 登下校
今度の家庭学校も終わり、帰校のため、また将人を秩父に送って来た。

1学期2学期と慣れてきて、10日間の学校、4日間の家庭学校と言っても、3学期はそれぞれまるで1日のような感じがしてきた。もう帰ったか、もう帰るのか(帰校するのも「行く」というより、「帰る」感じになってきた。)といった感覚・・・。

当初は我々もかなり寂しかったが、今ではあまりそういう感覚もなくなってきた。なかんずく、将人自身が進んで「自分の学校」に帰校しようとするので、心の重荷がなくなってきたのだ。少しマンネリにさえなってきたかも知れない。

ところで、送って行った帰りの電車の中で、20代半ばくらいの知的障害の男性と乗り合わせた。

秩父鉄道は高校生の利用が多く、午後4時頃乗っていると高校生が大勢乗り込んでくる。いろんな高校生がいるが、アベックで座っていた、一見普通の男子高校生がその男性を見て隣の女子高生に、「あんなの、隣の奴が迷惑だよな。」と普通に聞こえる声で言っていた。

確かに、突然「秩父鉄道をご利用頂き、誠にありがとうございます。次は○○駅、○○駅」と車掌まがいに大声を上げていたのだ。ただ、それも10秒程度で終わり、後は比較的静かに座っているだけ。体を揺すったり、隣の人にちょっかい出したりする事もない・・・。

ただ、15分程度たつと、同じ場所にいるのに飽きるのか、別の場所に移動して、また同じような事をしていた。この時、将人がよくやるように、他にも空いている所はあるのに、敢えて人が並んでいる間の「空き席」に座ろうとしていた。

奇行は奇行だが、比較的抑制が効いているなと思うものの、やはりおかしいなと感じざるを得なかった。

ただ、それでもみんな特に何の反応も示さなかった。大人の反応だった。特に、自分の場合はその人の顔や体つきが将人とかなり似ていたせいもあって、人事とは思えず、全然面識もないのに、斜め前方に座っているその人の目を見て、「シー」と人差し指を立てると不思議にその人もこっちを見て黙った。同じような事を親にされてきたのだろう。

以前、帰校の際、将人と乗り合わせた高校生たちは、電車の床にあぐらを組んで座り込んだり、ズボンを股までずらしてはいているような子たちだったが、将人の近くに座り、将人の「手の振り」等を見ても、「お、ハンドパワーか」とまるで友達に話しかけるような事は言ったものの、いじめたり眉をひそめるような事は言わなかった。私も離れた席で見ていただけだった。

今回乗り合わせた高校生はあの時の高校生とどう違うというのだろう。

宮崎県知事に当選したそのまんま東さんが言っていたが、師匠であるビートたけしさんに「振り子の原理」を教わったそうだ。まじめな事とお笑いを両方やっていくのがいいのだそうで、そのため早稲田の政経で勉強すると同時に、お笑いも平行してやってきたそうだ。

何かわかるような気がした。人間とはそういうものだ。




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親子で体験入学

2007年01月18日 | 学校生活
来年度入学予定の方は、1月ともなると公立中学校の辞退届を役所に提出するのも終わり、もう進学についてふらふらと悩むこともなくなっている頃だ。

もう決めた事だと、さまざまな思いを断ち、4月から始まる光の村での生活を親子共々覚悟し、小学校最後の3学期を忙しく過ごされている事だろうと思う。

ただ、親元から遠く離れ、寒い中、秩父の山奥の学校で初めての寄宿舎生活、しかも今までしたこともない厳しいマラソン生活が4月から待っている・・・。

本当にうちの子にできるのだろうか?そんな事をさせていいのだろうか?と、内心、心休まる時がない・・・。まるで、世界一周のヨット一人旅に出る出航前夜のような気持ち・・・。

仮に脱走しても、近くのバス停にたどり着くだけでも相当の距離がある。そこに行くまでに山道から落ちたり、猿やイノシシに襲われたりはしないだろうか?はたまた、間違って山奥の方に行って、遭難してしまうんじゃないか?

偏食も強く、嫌いなものはとことん食べないので、栄養失調になってしまわないか?

つらくて悲しくて恋しくて、いつも泣き声が山中にこだますることになりはしないか?

思春期に入るので、女子生徒もいる寄宿舎生活では問題を起こしてしまうんじゃないか?

先生方を困らせてばかりで、毎日ひっぱたかれるような事にならないだろうか?

痛かったり苦しくても自分をうまく表現できず、周りの人に適当にあしらわれ、知らないうちに大事に到る事になりはしないだろうか?

家ではテレビやパソコン三昧だったのに、ほとんどテレビも見られない生活というと、今以上におかしくなるんじゃないだろうか?

心配事は尽きない・・・。

そんな不安が去年の今頃ずいぶんあった。

しかし、それらはひとえに、実際の学校を知らないから起こった全くの杞憂であった、と今だから言える。昨日今日できた学校ならその不安も当然だが、長い学校の歴史の中でつちかわれたハウツーがあり、少なくともうちの子に関しては、そのいずれもクリアーでき、しかもここまではいい結果が出ている。

そして、「学校を知らない」ことの解決のため、2月には学校で一泊二日の合宿をして、入浴、食事、清掃、体操、歯磨き、洗濯、整頓などを親子共々実際に体験する日が設けられている。そして、何とそれら全てに先生方がついて下さり、アバウトな世界で生きてきた子供たちを手取り足取りご指導下さるのを目の当たりに出来るのだ。

歯磨きも入浴も本来なら親が指導すべきものだと思うが、少なくともうちの場合は今まで出来ることは全てやったと一応自負はあるものの、結果として将人の身に付く事はなかった。親だと駄目で、他人様だといい、と言うか、他人様だからいいと言うことが教育には確かにあると思う。それを不肖の親に代わり24時間預かってくれ、親や兄弟のように親身になって朝早くから夜寝るまで指導してもらえるのだ。こんな有り難いことはない。

この合宿を光の村では「新入生体験入学」と称しているが、「一日駅長さん」や「一日消防署長さん」のような「おさわり」でしてみる「試し」ではなく、公式に子供の寮生活を体験できる数少ない機会なので、よく見て、なるたけ覚えておくようお勧めしたい。

ただ、あまりの手順の多さに、親といえども一度では覚えられないので、体で覚えるまで家でも反復学習すべく、メモなり写真なりを撮っておかれるといいと思う。

子供の方は入学後1学期で大体覚え、2学期で体に染み込ませ、以後は隅から隅まで確実にできるように熟成させていく感じだが、親も覚えていないと家庭学校の時にただボーと見ているだけになってしまい指導にならないので、やはり要所要所は覚えておかなくてはならないのだ。

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映画「筆子その愛」

2007年01月15日 | 想い
映画「筆子その愛」(http://www.gendaipro.com/fudeko/story.html)を栃木市文化会館で見て来た。

栃木県知的障害者育成会が中心となって、栃木県全域で上映されるが、その手始めと言う事もあり、栃木市の市長さんも挨拶に来られていた。1200名収容の大ホールが6~7割ほどは埋まっていただろうか、この手のものとしては大盛況だった。

筆子 その愛―世界で一番美しい涙の物語
山田 火砂子,車取 ウキヨ
ジャパンアート出版

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現代ぷろだくしょん製作、山田火砂子監督の作品は昨年見た、「石井のお父さんありがとう」に続いて2作目だが、教育福祉関係の方の常なのだろうか、まさに歴史物よろしく、石井筆子自身の人生を実直に、誇張も脚色もまじえず、実に淡々と描いており、その豪華キャストの割りに、見た後、やや物足りなく、消化不良気味だったのは、前作と同じだった。

実話に起承転結やプロローグ・クライマックス・ハッピーエンドを求める方がおかしいのかも知れないが、何かへそのないまま、不遇なエンディングとなったのが寂しかった。

ただ、ややのどかで牧歌的にさえ見えた前作とは違い、今回は筆子の本当の人生が既に十分波瀾万丈で、まるで脚色されたかと思える程、山あり谷ありのせいか、一歩も二歩も心に迫ってくるものはあった。

現代社会の刺激に満ちた消費生活に慣れているせいか、見る時は波瀾万丈のドラマをつい期待してしまうが、筆子の人生はドラマでも何でもなく、生身の人間がこの日本で障害児と実際に暮らした実話である。

ひるがえって、自分の人生は筆子の人生に比べれば、実に恵まれている。仮に映画にしても誰も感動しないだろうし、いろんな人に甘えてばかりの人生かも知れない。

映画「硫黄島からの手紙」が好評のように聞くが、あの栗林さんにしても、この筆子さんにしても、そんなに昔の人たちではない。つい数十年前まで実際に日本で生きていた方々だ。そんな先輩たちが実にたくましく、そして立派な生き様を残しておいて下さる事は本当に有り難い事だ。

硫黄島からの手紙

ワーナー・ホーム・ビデオ

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毎日いろんな事があって、くじけそうになる時がままあるが、あの偉大な先輩たちの事に思いをはせる時、そんな苦労はその足元にも及ばない事に気づく。



独り言 :

山田監督の作品はよく言えば上品で清楚。悪く言えば、とても地味。表は質素な木綿だが、裏地は絹の、粋な和服のような印象。わかる人にはわかるが、一般向けにはアピール度が少し弱いような・・・。

決して嘘を描いて頂いても困るが、対比させたり、強調したり、もっと強く印象づける手段が何かあるんじゃないかと思うのは私だけだろうか。

話は変わるが、教育福祉関係と言えば、様々な授産所、作業所で作られ販売されている木工細工などの作品もそうだ。とても地味で、みんなが頑張って作りましたという事だけを強調して売られている感じ・・。

ヤマト福祉財団の故・小倉昌男さんがその著書の中で似た事をおっしゃっていたように思うが、たとえ障害者あるいはその親と言えども、少なくとも一般社会を相手にし、それに与(くみ)していかなければならない宿命を背負っている以上、観客を動員できる映画、売れる木工細工にしなくてはならない。

小倉昌男の福祉革命―障害者「月給1万円」からの脱出 (小学館文庫)
建野 友保
小学館

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それには、障害の関係者ばかりではなく、一般客こそが対象になるはずだ。それに、確率論的に言っても、いつその「一般客」が「関係者」になるやも知れないのだ。 アピールする対象は常に広く、一般の人をも視野に入れるべきだと思う。

映画として強調すべき所は強調し、対比すべき所はくっきり違いを見せつけメリハリ付けて、比較的単純で強い印象作りをした方が一般受けするような気がした。決めぜりふの一つや二つはあってもいいのではないか。

そういう意味では、筆子の再婚を厳に戒めた、もと大村藩主で筆子の父、加藤剛扮する渡邊清に対し、筆子の世話係の身分でありながら、身を挺して再婚の許可を迫ったサトの迫真の演技とその台詞は光った。

また、それに対し結局折れて再婚を許し、最後に清が漏らした言葉、「また更に艱難の道を選ぶというのか?」と二手も三手も先を見越した上で重い言葉を発している父親の気持ちも心を打った。ここらは前作に見られなかった所である。(それぞれ1回見ただけなので、うろ覚えだったり、不正確であったりするかも知れませんが、その場合はどうかお許し下さい。)

作業所の作品でいえば、一に実用性、二に色彩や図柄の美しさ、という所か。
特にカラフルにする事は一番簡単にできる事だ。一つの作品でも、それを赤、青、黄色、緑と別々の色で彩色すれば、それだけでも4つの別々の作品ができる。

観客動員数や売上高を競う必要はないのかも知れない。

しかし、せっいかくいい物ができているのだから、もう少し工夫して商業的要素を持たせれば、もっともっと多くの人に自然に受け入れられるはずだ。

障害者、あるいは障害者の親が作った物だから見て下さい、買って下さい、という要素は決して多いとは言わないが、少なからずあると思う。

それを完全に排除して、作品・商品としての自立した価値を創出し、独り立ちできればこんないい事はない。

光の村のパンの味は十分その域に達している。クリスマスに購入し初めて口にさせて頂いたシュトーレンの味には本当に驚いた。

5月に秩父の八尾デパートで出張販売した際、他の店は大きな看板でその出自を明確にしているのに、光の村のパン屋さんは特に大きな看板も出さず、とても変な感じがした。

よく見ると、店の隅の方に申し訳なさそうにごく小さく、「光の村養護学校秩父自然学園」という張り紙を見つけたが、その理由が今頃になってよくわかった気がする。

「養護学校のパン」だからと買って欲しくはなく、あくまで「味のいいパン」として買って欲しいからなんだろう。

はたして、多くのリピーターが買いに来られて、大盛況であった。
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実を結ぶトレーニング

2007年01月11日 | 体育
長いようで短かかった将人の冬季家庭学校(冬休みというところを光の村ではこう呼ぶ。)も終わり、久々に通常の生活に戻った。将人の運動につきあった分、本来の自分の運動が少なくなり、私は若干太ってしまったようだ。

時々近くの市営体育館に行ってウェイトトレーニングをしているが、専用トレーニングマシンを扱うせいか、そこでは中学生以下の使用を禁止している。そのため、将人と連れだって行く事ができず、この冬季家庭学校の間の私のトレーニングは中止となってしまった。ある程度筋力がつき、遊び半分じゃないトレーニングができる年齢になってから来て下さいということなのだろう。

将人と行った旅行先のホテルでたまたまトレーニングジムがあったため、ウェイトトレーニングを一緒にした事があったが、将人はことトレーニングに関してはとてもまじめにする。これは普通の子供以上だと本当に思う。まじめにする以上はちゃんと結果に結びつく努力をさせたい。自分の経験から言うと、器具を使ったトレーニングは筋肉をムラなく鍛えることができ、バランスが良いように思うので、できればジムでトレーニングを一緒にさせたかった・・・。

腕立て伏せにしても膝屈伸にしても、つっぱるための伸筋系は鍛えられるが、引きつけるための屈筋系は鍛えにくい。若い頃、がむしゃらに腕立て伏せやスクワットばかりしていた私は、毎週、筋力トレーニングをする度に、伸筋系はまだまんざらでもないと思うのに、屈筋系が極端に弱いのに愕然とし、あの頃のきついトレーニングは一体何だったんだろうかと憮然としてしまう。

もっと正確に言えば、懸垂をすれば良かったのだろうが、それはきつ過ぎて、続かなかった。ウェイトを使った、負荷の調節できるトレーニングマシンをもしあの頃使っていたら・・・、と悔やまれる。また、もも(大腿部)の裏側の筋肉に到ってはマシンを使わなければ、トレーニングしようがない。必死にやった努力が実を結ばないのは本当に虚しいものだ。

うさぎ飛ぶもそうだ。あの頃は必死にずいぶんやった。ところがその努力が膝を痛める原因となり、努力が無どころか、仇で返されるような結末となった。
フルスクワットという深い膝屈伸運動もそうだ。それのやりすぎで、膝下を痛め、いまだに後遺症に苦しんでいる。聞くところによると、昭和53年頃、事故があったせいもあり、それらはやらないよう学校で指導され始めたという。運動方法も変遷するのだ。

自分のは競技のためのトレーニングだったが、将人たちのトレーニングは成長期の若者ということもあり、心肺系の発達、正しい姿勢、自分自身の体をもてあまさない体作り、作業に耐える体と心作り等が主眼になっていると思われる。

そのため、自分のような、競技のためのトレーニングばかりしてきたものにはやや奇異に映り、まさに走ってばかりの、マラソンクラブのそれに見える。

その関連のトレーニングに関しては小生、全く見識を持たないが、1年にも満たず、わずか8カ月でハーフマラソンが完走できるほど鍛えて下さった光の村方式はとてもシステマティックで理知整然としたものなのだろう。

今回、爪の下が内出血していたものの、20㎞走るための練習と本番を通じて足にマメが一つもできず、皮も全然剥けていないのはむしろ不思議だった。丁寧な指導と寮生活を通した、まめなお世話の努力がなせる技と改めて敬意を表したい。

先生は何とか努力させようとし、生徒はそれに必死に答え、その双方の努力がちゃんと実を結ぶ。こんな素晴らしい事が他にあるだろうか。自閉症で散々苦労してきた私たちから見れば、まさに奇跡的な事である。

とりわけ驚くのは、あんなに鍛えられてるのにも関わらず、今回の帰校の前に、「光の村、好きですか」と聞くと、「好きです。」とまんざらでもない様子で答えた事だ。西武秩父の集合場所で久しぶりに担任の先生に会った際、将人が先生に向かって「バイバイ」と言ったというが、それはもうほとんど父親かお兄さんに向かって発する、親しみを込めた戯れ言葉のように思えた。その後、仲良く(?)、先生方やみんなと一緒に大滝の学校に向かって行った、と言う。

大変お手数ですが、また3学期もどうかよろしくお願いいたします。




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冬季家庭学校終了

2007年01月10日 | 家庭学校
昨日は帰校日だった。12月23日に帰省して、クリスマスと大晦日、お正月を家で過ごし、成人式で連休が終了するのを待って、帰校となったわけだ。

学期中の家庭学校と同じで、この冬季家庭学校も早寝早起きして、毎朝5㎞のランニングに始まり、腹筋30回・背筋1分・斜め腕立て伏せ30回・腹筋20回・背筋1分・斜め腕立て伏せ20回・腹筋10回・背筋1分・斜め腕立て伏せ10回、自転車で1時間サイクリング、道路の落ち葉掃除の後、朝食となった。

その後、食後の皿洗い、刺し子、更には、主にお金の計算に役立つような3桁から4桁の下1桁が0の百マス計算、ドラえもんの反復音読などを午前中にこなした。

(ラジオ英語会話を長年勉強した経験から、比較的簡単な日常的表現を、それが自然に口をついて出てくるまで反復音読するのこそが外国語修得には欠かせないと思っているので、将人にとってほとんど「外国語」に等しい日本語もそれに準じてやっている。)

午後は文化祭の練習だ。ハーモニカで2曲演奏、歌は4曲合唱(先生方が大変お忙しい中お手製の音楽CDを作って下さったので,とても助かった。ただ、欲を言えば、カラオケ部分があるともっと良かったが・・・。)、更に劇の台本の読み合わせを反復して行った。

意外にできたし、特に根気が続くようになったので、こっちもつい頑張って、気がついたら休憩なしで2時間もやっていたという事がしばしばだった。毎日するのは難しく、週2~3回という学習もあったが、文化祭の練習だけはこの度の最大目標として毎日やった。また、将人もそれに答えた。最後の日は一緒に合唱したのがきれいにハモッたので、うれしくなってビデオに撮ったくらいだ。

夕方は少し近くを散歩して、大好きなケンタッキーフライドチキンに行ったり、ジャスコでエレベーターに乗ったりした。

夜は夕食の後、入浴、日記だ。入浴は光の村方式の洗い方だからとても時間がかかる。全身を部分部分に分け、各パートを10回ずつ洗うのだが、時間がない時など5回ずつに省略してもまだかかる。体と頭、顔を洗って、結局30分以上はゆうにかかっていると思う。5~10分で終わるのが当たり前の自分からするとイライラしてしょうがないのだが、こればかりはしょうがない。つきあう事にしている。


一人で入ってくれると有り難いのだが、まだ二人で入りたいようだ。たまに一人で入ると言うが、水を入れてひどくぬるい湯にしていたり、入浴剤を大量に入れ、潜水して遊んでいたりするだけで、体を洗って、しっかりあったまって出てくるという「普通の入浴」は一人ではまだできた試しがない。

結局二人の入浴が終わるのは1時間から1時間半後だ。ただ、洗い方の手順はほぼ覚えたので、後は、隅から隅まで洗い残しのないように、さっさっとメリハリつけて、できれば一人で入浴できるようにするのが今年の課題だ。体を洗った後は、裸のまま浴室で歯磨きをして、自分の靴下を手洗いで洗濯して、干した。

日記はまず今日1日の事を思いつく限り自由に話させる。てにをはは目茶苦茶だが、何とか単語はポンポン順繰りに出てくるようになったので、それをおかしくないように再構成してやり、復唱させ、ノートに書かせる。カタカナ、平がな、てにをはは間違いもせず、ちゃんと書くものの、漢字はまだまだ読めないし書けない。単語帳にその漢字を書いて読み仮名を振ってやると、それを見ながら自分でその漢字を書く。観察力はとても鋭いと思う。画数の多い漢字を見ただけで書くというのはそんなに簡単な事だとも思えない。要は関心が偏っていて、普通の事に注意が向かず、しかもその注意が散漫なのが将人の最大の問題だ。

リスパダールという安定剤でその散漫さが若干改善したとも思っているが、光の村方式の強力な運動、作業、生活指導はどこまで効果があるか、とても期待している。小学校でして頂いたような、ソフトタッチのやさしい、本人の自主性を重視するような、本来の教育では、少なくとも将人に関しては「我がまま」あるいは「我がままのように見える状態」を助長するだけに思えた。

それから、やっと寝る事になるわけだが、これだけ盛り沢山だと当然、時間がずれ込み、遅くなる事がしばしばあった。学校では9時に寝るというのに、家では12時を回る事もしばしばだった。あまりに遅くなった時は起床時間をずらして、夏休みみたいに睡眠不足で走らせるという事だけは避けた。

ただ、究極の選択として、学習項目完全実施か睡眠パターン遵守か、どっちだというところだが、今回は学習の方を取った。

光の村では、将人の学習能力を十分引き出すための時間が少ないと考えるからだ。それを補うのは、家に帰った時の家庭学校をおいて他にない。

学校は学校で、他では決してできない運動、作業、生活指導をしっかりやっていただいて情緒の安定、根気の育成を図り、家では言葉と数の学習をしっかり補いたいと思う。


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爪を痛めてハニービー

2007年01月05日 | 余暇
いつものように朝のランニングをしようとすると、いつになく将人がきつそうにして走ろうとしない。冬休みに入り、だんだん床につく時間が遅くなってはいたが、あまりに遅くなった時は敢えて起きる時間もずらして、最低でも何とか7時間以上は睡眠時間を確保しているので、夏休みのような失敗はないはずだ。

どうもおかしいなと思い体を見てみると、お尻を痛がる。見ると、自転車の乗り過ぎが原因か、お尻が一部擦り剥けて赤く腫れ、少し化膿しかけているようだ。早速、化膿止めの軟膏を塗った。

念のため、足も見てみた。果たして、両足親指の爪の下が内出血しているではないか。どうも足が大きくなって、更にこの前のマラソン大会も重なり、指先が悲鳴を上げていたらしい。本人はなかなか細かな事を自分では言わないので、こういうのは本当に困る。ただ、押しても痛がらないので、今回急になったというよりも、じわじわと長い経過でなった可能性もかなりある。3週間前、爪を切る際に見た時には、ごく少し内出血しかけているかなと思った程度だった。何にしても、急いで少し大きめの靴を買う事にした。今まで27.0センチだったので、今度は27.5センチだ。アスファルト道路を毎日走るので、クッション性を高めるため中敷きも入れた。

念のため、ランニングはしばらく休ませて、代わりに筋力トレーニングと自転車に重点を移した。それにしても、今時のスポーツサイクルはどうしてああも小さく、かつ堅いサドルなんだろうか。自分のはファミリーサイクル用の大きなサドルに代えたが、あまりに不格好なため、将人のは専用ジェル製クッションをサドルの上に載せるだけにしてある。将人に聞くと、あのサドルでも痛くない、と言うのだがどうも怪しい。ここらのコミニュケーションが本当に難しい・・・。

運動がしづらくなってしまったので、いきおい室内で遊ぶ事が多くなった。せっかくのお正月だからと、今はやりのハニービーというヘリコプターのおもちゃを買ってきた。ラジオコントロールならぬ、赤外線コントロールで、15センチ程度の発泡スチロールの機体がものの見事に浮き上がり、まるで蚊のように空中をさまよう。自分もそうだが、小さい頃、ラジコンにとても憧れたものの、あまりに高価だったため買ってもらえず、と言うか言い出せず、あれは大人の遊びだと諦めて来た。そんな中高年の男性がおもちゃ屋に次々訪れ、買っていくという。さもありなんと、本当に思った。実に面白い。こういう物にあまり興味を示した事もない将人が、ハニービーだけはとても面白がって一日中遊んでいる。ニコニコ生気溢れる表情で、視線をハニービーにしっかり合わせて遊んでいる・・・。

ハニービー シルバー

シー・シー・ピー

このアイテムの詳細を見る



普通の子ならごく当たり前の事だが、これが今までなかなかできなかった。ヘリコプターを買ってきたとしても、その箱の一部に書いてある三角の図柄をやたらなで回していたり、ヘリコプターを飛ばして遊ぶ物と思わず、ただ投げつけて遊んでしまっていたり・・・。

ハニービーを買ってきて本当に良かった。親子二人で遊んでいる。

こんなお正月がうちにもやっとやって来た。

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文化祭中心の家庭学校

2007年01月02日 | 言葉・感情
明けましておめでとうございます。

もとはと言えば、新規に光の村入学・転入を検討していらっしゃる御家族のための情報にと書き始めたこのブログだが、予想外に多方面の多くの方に読んで頂いているようで、いささかびっくりしている。あまり大所高所から見た、高等な事は書けないが、等身大の日常を書きつづっていきたいと思っている。

冬休みの家庭学校が始まって、早10日たった。後1週間いれば、また学校が始まる。いればいたで、うるさく思う時もあるが、いなくなったらなったで、また寂しくなる・・・。最近は、障害児だからこそいとおしく思うことがたびたびある。

家庭学校真っ最中で、今とても忙しい。2学期末のマラソン大会が終わり、1年間の大きな山場は超えたという事で、3学期は3月3日の文化祭に向けて集中するようだ。冬休み家庭学校の課題は毎日の5㎞のランニングもさることながら、様々な「文化的な事」が課題として出た。

まず歌。4曲歌うのだが、将人はリズムはすぐ覚えるものの、メロディーががたがただ。一緒に何度も大声を出す。

次が、劇の台詞だ。感情を出して読む事はだんだんできるようになったが、ト書きの部分と台詞の部分の区別がなかなかわからない。そのまま全部読もうとしてしまう! 昔、言葉を教えようと花を指さし「これは何?」と聞いたら、「これは何」とそのまま復唱した事を思い出した。今は、さすがにそれはなくなっているが、こと台本の台詞はまた別物のようだ。

それから、ハーモニカ。幼稚園、小学校の時は鍵盤ハーモニカを練習していたが、教えようとしてもなかなかそれを受け入れないのに、耳から聞いた音楽を参考に、後になって自分一人で音を探し出して弾く事はあった。今度のはいわゆる口で直接吹くハーモニカで、初めての楽器だ。吹き方を教えてやると、ちゃんとそれを試そうとするではないか。

また、今のように一緒に机に座ってさあ練習と、親子で「音楽の時間」が作れるのは生まれて初めての事だ。2~3時間も次から次にやっても全然ぐずらないで、何とかやろうとする。これが「粘り」というものだろうか。

障害児がマラソンして何になるという意見も少なからず巷にはあるだろうが、まさにこれが直近の効果だと実感する。

今まではこれができなかった。一緒に机に座って何時間も何かを勉強するなんて、考えられなかった。やったとしても、せいぜい30分か1時間弱だった。しかも、何かでつまずくとそこでパニックになって終わり・・・。今は困難にぶつかっても、小パニックですみ、気を取り直して続行できる!!本当に、頑張りがきくようになってきたと思う。

台本や歌の台詞をみんな覚えきるのはもっと時間がかかるとしても、もともと物覚え自体はそんなに悪くないので、おそらくこの冬休み中にハーモニカ、歌、台本に関しては「できる」見通しがつくように思う。後は、学校でちらちらとあんちょこを眺めながら、みんなと練習していけば何とかこなせるのではないか。

ただ、将人の最大の問題は、むしろその「みんなと一緒に何かをする」という事の方にあるのだが・・・。そして、まさにそれこそ先生方のご指導に頼らざるを得ない。

まだ2ヶ月あるが、文化祭でマラソン大会以上の感動があるかどうか・・・。昨年、見学に行った時には、会場に入る事さえせず、駐車場でみんなが乗ってきた自動車の中に文化祭の間中一人で閉じこもっていた・・・!!

少なくとも、1年前の小学校の卒業式で将人がしでかした、厳粛な式の最中に一人で大声を上げて「わーわーわーわー」と叫ぶような事だけは金輪際ごめんである。とても見ておられず、現場では顔が真っ赤になって、本当に心底恥じ入った。親自ら、将人を体育館の外に引きずり出したかった。

そんな将人を意に介さず、その騒音にもめげず、しずしずと式を進行して頂いた先生方、同級生とご父兄一同には本当に頭が下がったが、だからといって、親としてありがたいとは全然思わなかった。

騒ぐ将人を叱って、外に引きずり出すような古典的な対応も寂しいが、願わくは、そうならないような「教育」を事前にしておいて頂きたかったというのが切なる思いであった。

それが光の村ではわずか1年弱でできるかどうか? これまでの将人の変化を見れば、99%できると確信している。







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