将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

命を見つめて

2013年05月02日 | 人生哲学
「命を見つめて」

 みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。

 私は小学六年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約一年半に及ぶ闘病生活を送り...ました。この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。

 しかし、この闘病生活の間に一緒に病気と闘ってきた十五人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。小さな赤ちゃんから、おじちゃんおばちゃんまで年齢も病気もさまざまです。厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。
しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。

 それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。そして健康な体で学校に通ったり、家族や友達とあたり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。

 たとえ、どんなに困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命をかけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。
今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。

 私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。

 本当にその通りだと思います。どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。そこから悪がエスカレートしていくのです。今の現実がそれです。命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。

 みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。だからこそ、一日一日がとても大切なんです。病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。みなさんも、今生きていることに感謝して悔いのない人生を送ってください。

福岡県大牟田市
田隈中学二年
猿渡 瞳

【説明】

猿渡瞳さん
がんと闘い、昨年(2004年)9月に13歳で亡くなった福岡県大牟田市の田隈中学二年猿渡瞳さんが、死の約2カ月前につづった作文「命を見つめて」が家族や友人らを通して各地に伝えられ、感動と感謝の輪が広がっている。
瞳さんは小学六年の冬に、骨肉腫が見つかった。転移して肺がんにもなり「余命半年」と宣告をされた。1年9カ月に及ぶ闘病生活の中で「命の大切さ」をつづった作文は、その死後、全国作文コンクールの優秀賞を受けた。( 2005.01.15西日本新聞朝刊より )


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ノーベル平和賞

2009年10月12日 | 人生哲学
今年のノーベル平和賞は、就任してまだ10ヶ月にも満たないアメリカ合衆国・オバマ大統領に決まった。

これを読売新聞「編集手帳」では以下のように報道していた。

 描きたい風景は頭のなかにあり、絵筆も握ってはいるが、キャンバスはまだ真っ白のままである。そのキャンバスが名画として激賞され、権威ある美術賞に選ばれたとしたら、画家は喜ぶよりも先に悩み、苦しむだろう◆脳裏の構図を絵の具と筆でいかにして形にし、賞の重みに堪える絵に仕上げていくか…。今年のノーベル平和賞に選ばれた米国のオバマ大統領はいま、作品があまりに早く絶賛されてしまった画家の心境かも知れない◆大統領の打ち出した〈核兵器なき世界〉はまだ構想の手前、願望に近い手つかずの絵である。「称賛とは借金のようなもの」と、褒められることの重圧を語ったのは英国の詩人サミュエル・ジョンソンだが、その重圧を梃子にして「絵」の完成を迫るのがノーベル賞委員会の意思であったろう◆「核廃絶」の理想と「核の抑止力」という現実をどういう線で結ぶのか――賞をいわば“前借り”してしまった大統領の筆遣いを世界の目が見つめている◆唯一の被爆国である日本には、白いキャンバスの前で大統領と一緒に悩む使命があるだろう。悩むだけの価値がある「絵」である。
(2009年10月10日 読売新聞)

また、日本経済新聞「春秋」(10/10)ではこう伝えている。

 ノーベル賞ほど秘密に満ちた賞はない。候補者の名も審査の過程も極秘。受賞者への通知は発表当日までない。7年前に化学賞を受けた田中耕一さんは、ストックホルムからの電話に「どっきりカメラかと思った」と本気で驚いていた。
▼物理学賞と化学賞では学術機関のスウェーデン王立科学アカデミーが、世界中の科学者の仕事をひそかに観察している。やや性格が異なるのが平和賞である。「人類の幸福と平和に尽くした人物や団体」を決めるには、政治的な判断は避けられない。選考するのは、隣国ノルウェーの国会が任命した5人の委員だ。
▼今年その5人が選んだのは、核廃絶を唱えたオバマ米大統領だった。あっさり、きっぱり評価を下すのは、世界の風に敏感な小さな国だからこそできる業だろう。ノルウェーの人口は500万人足らず。米国や中国が平和賞を設けても、世界の人々は納得しまい。小国には、大国が真似(まね)できない潔い発信力がある。
▼平和賞をノルウェーに丸投げする奇抜な方式は創始者アルフレッド・ノーベルが、遺言に書き残していた。隣国同士が連携し、友好を保つための置き土産だったという説がある。現職の政治家を背中から押すようにして称(たた)えるのも、北欧の知恵なのだろうか。世界を驚かせた受賞に、平和へのメッセージを感じる。

理念からの見方が中心の読売の報道に比べ、日経は何と深い読み方だろうか。

人間はパンのみで生きるにあらずだが、パンがないと理念も空疎に終わる。とりわけ、パンが枯渇すると、理念を作り出す生命そのものの維持自体が困難となる可能性だってある。所詮生きててなんぼだ。福祉も自律できる政府、経営の安定した会社があって初めて可能となる。倒産しかけた政府に乗っかかるばかりの障害者家庭ではありたくない。

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アキレスと亀 4/5

2009年01月10日 | 人生哲学
しかし、そんなこんなも、「将人と10日間も離れて暮らしているから思うことだ」と、この冬期家庭学校中に感じました。

上記のような悩みは、哲学の「アキレスと亀」のパラドックスと同じで、正面切った理屈ではなかなか納得しづらいものと思います。他にこれといった解決法もないのに、袋小路にはまるとは、まさにこのことです。

アキレスと亀が理解できないでも、それから派生した微分積分は実際の工場で日常的に使われている「真理」ですし、真理を前にして逆説の理解ができないと苦しんだとしても、それは真理がおかしいのではなく、視点を変えてみる必要があるということではないかと思い到りました。

「アキレスと亀」を解くカギの一つは「時間」でした。

知的障害児教育とトライアスロンでは何がそれに当たるでしょう。

それは、少年期を脱し青年期に入った将人の、急成長する体力と、また乱れ始めた生活でした。

アキレスと亀―時間の哲学と論理
千代島 雅
晃洋書房

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富弘美術館

2008年11月13日 | 人生哲学
長く気になっていた群馬県の富弘美術館に行ってきました。

山奥の湖畔の美術館でしたが、とてもモダンな作りで、隣には道の駅も出来ているほど、地域の中核的な観光施設でした。今まで数多くの美術館に行きましたが、まるで都心の美術館が集中展示会をやっているかのように大盛況でした。観光バスも列をなして乗り付けるのが普通みたいでした。

シンプル、かつシャープで、ハートフル。若くして人生を絶望し、克服した人だけが持つ説得力に溢れた詩画がきら星のごとく展示されていました。特に、レコーダーを通して星野富弘さんご自身が詩を朗読して下さったのにはとても感動しました。

詩や歌は、噛めば噛むほど味わい深くなる酢昆布みたいな気がします。また、数年後、再度訪れた時、同じ詩をどう感じ取れるか楽しみです。

どれも本当にいい詩ばかりですが、今は次の詩が印象に残りました。


「はなしょうぶ」

黒い土に根を張り
どぶ水を吸って
なぜ、きれいに咲けるのだろう
私は
大勢の人の愛の中にいて
なぜ、みにくいことばかり
考えるのだろう

(星野富弘作)

星野富弘 ことばの雫
星野富弘
いのちのことば社

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「生き残った」石井慧選手

2008年09月04日 | 人生哲学
先日、柔道100㎏超級金メダリストの石井慧選手の事を書きましたが、それ以来何故かアクセスが集中し始め、私のブログの中ではいまだにアクセス数トップの記事のようです。

柔道関係の知り合いの方々が見てくださっているという事なんでしょうか。障害児育児、教育という先の見えないテーマで書いている関係上、コメント、トラックバック等はあまり受け付ける気がないのですが、こうなってくるともっと軽い話題を取り上げるブログなり、ウェブサイトを別に書いて、コメント、トラックバック等も気軽に受けて交流を図ってもいいかなと思い始めました。



さて、肝腎の石井選手ですが,昨日の読売新聞に下のような記事が出ていました。
本当に言葉の豊富な人です。「生き残った」石井選手に拍手。


柔道の北京五輪100キロ超級金メダリストの石井慧(国士大)が2日、都内の国士大を訪れ、大学関係者を前に「対戦相手は野獣のような選手ばかり。勝ったというより、生き残ったという気持ちが強い」などと報告。今後も「快進撃を続けたい」と抱負を語った。

 石井は五輪後も練習を続けていたといい、前日からは道場で本格的なけいこも再開。復帰戦は10月5日の世界団体選手権(東京武道館)になる見通しであることを明らかにした。

(2008. 09. 03 北京五輪「金」の石井、国士大を訪問/柔道/読売新聞東京朝刊 )


注 : 
たまたまGooブログでブログを始めましたが、動画をアップできるとはいうもののQuickTimeVRはアップ不能で、HTMLが使えるとはいうもののの、使えるタグにも制限があり、アフィリエートを出している会社全てに対応できるわけでもない事がわかりました。

一番困る事は、ブログを引っ越すに当たって、インポートはできるもののエクスポートが不可能な点です。バックアップファイルをいじって何とかする手もない事はないようですが、親切ではありません。

そこで時間ができたら、別の会社のブログに引っ越す事を模索しています。

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しゃあないなー

2008年08月25日 | 人生哲学

小児脳神経外科医の山崎麻美先生が、その著書「子供の脳を守る」の冒頭にこう書いていらっしゃるのが妙に頭に残っています。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「しゃあないなー」、私の患者さんのお母さん達が口にする、悟りの言葉です。

しゃあないやん、と言えるまでの長い時間に、ありとあらゆる饒舌と涙と怒り、挫折と成長が繰り返されるのです。

愛する自分の子供の病気や障害、死と向き合ってきた母親がその全てを受け入れた時の、全てを包み込む言葉なのです。


子どもの脳を守る―小児脳神経外科医の報告 (集英社新書 394I)
山崎 麻美
集英社

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上を見て生き、下を見て生活する

2008年08月23日 | 人生哲学

「ええか、男はナ、上を見て生き、下を見て暮らさないかんのヤ、そういうこっちゃ。」

『旅人 開高健』(高橋昇著)の帯にあった言葉です。

上、下思うのも疲れるものですが、人間、どうしても自分を人と比べてしまうもの。上を見ればきりがなく、ややもすれば自分がどん底にいると思いがちですが、そんな時、広く世の中を見渡してみましょう。

事情は大きく違うとは言うものの、自分がどん底だと思っていたのが恥ずかしくなるくらい、もっと頑張っている人が大勢おられる事に気付きます。


旅人 開高健
高橋 昇
つり人社

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愛情と愛の違い

2008年08月21日 | 人生哲学
出典は忘れてしまいましたが、書き留めていたメモに最近ふと目がとまりました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「愛」というと、私たちは男女の愛や、親子の愛というものをすぐ思い浮かべます。

しかし、これは、「愛情」というべきで、人間が作り出すものですから、自分が得をする時には大きく燃えますが、自分が損をする時にはしぼみ、あるいは消えてしまいます。

 しかし、「愛」は、自分の一番大切なものを人に分け与えるもので、自分が損をする時、大きな花が咲き、その中で他者も自分も潤されるものです。


追伸
上の一節は聖書の言葉の説明でよく出てくる文章で、止揚学園のサイトでも出ていました。○○学園という入所施設は、単に入所、隔離するだけではなく、それぞれがいろんなポリシーを持って運営されている所が多く、それぞれ特徴があります。千葉県の袖ヶ浦のびろ学園、栃木県のこころみ学園、滋賀県の止揚学園などです。


こころみ学園奇蹟のワイン
川本 敏郎
日本放送出版協会

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柔道の石井慧選手

2008年08月19日 | 人生哲学
朝青龍、亀田を尊敬…柔道男子・石井、自分貫き「金」(夕刊フジ) - goo ニュース

それにしても、今回の北京オリンピックの柔道は残念な結果になりました。しかし、世界の潮流に背を向け、本家本元としての意地をかけて一本勝ちにあくまでこだわる日本柔道界において、とにかくまず勝ってなんぼだと、執拗に、かつ醜いまでに「勝ち」にこだわる日本柔道界の異端児、石井慧選手の偉業には舌を巻きました。

大会前からビッグマウスで自分を追い込み、開会後は先輩方が次々敗退していく中、勝つしかない状況で迎えた最終日に、予告どおり「勝った」という事がどんなにか大変だったことか。

井上康生選手のような豪快さ、切れもなく、鈴木桂治選手のような意外性もなく、いつも鈍臭く、ねちねちと小さなポイントを重ねていき、それが相手の焦りを誘って、結局いつのまにか一本勝ちまでしてしまうという、予定された鈍重さ・・。

あの決勝戦の試合を見て、誰が彼こそチャンピオンだと認めるでしょうか。おそらく世界中で誰1人いません。おそらく「あれでチャンピオンかよ!」と舌打ちしながら思ったでしょう。しかし、少なくとも彼は負けていないし、予定された手堅い「僅差」で勝ったのでした。強いものがチャンピオンではなく、チャンピオンになったものが強いのだと言わんばかりです・・・。

そして、それを一番よく知っているのは、他ならぬ対戦相手自身でしょう。完全に石井選手の術中にはまってしまった・・・。勝ちようのない、超えられない壁だった・・、と。それが、あの憮然とした、しょうがないなー、という態度だったと思います。ボクシングの試合の最後によく見る、自分の方こそが勝ったんだというアピールとは似ても似つかないものでした。

解説の篠原さんをして、「石井、しゃべらん方がいいですね。」「 (彼のあの決勝の相手に)私は以前圧勝しましたよ。」と苦々しい思いまでさせてしまう・・・。
決勝で「自分の柔道」=石井、真骨頂の逃げ切り〔五輪・ハイライト〕(時事通信) - goo ニュース

100㎏超級の代表発表の時もそうでした。4月の全日本選手権で優勝したのは石井ですし、その前に棟田に勝っていたにもかかわらず、選ばれるのはもしかしたら棟田ではないかと誰もが思っていました。谷亮子に勝って優勝した選手が選に落ち、実績で勝る谷選手が選ばれたのも記憶に新しかったからです。優勝インタビューでも、泣きながら「情けない試合してしまってすみません・・・」と、まるで敗者のような弁でした。


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しかし、負けない、鈍臭くとも結局勝ちを重ねている、選考会で棟田に勝った石井を代表から外すわけにはいきませんでした・・・。「代表は石井」と言ってはみたものの、まるで言い訳でもするかのように「だって去年から負けてないんですよ。」と記者団に言っていた斉藤仁先生の顔が印象的でした。

それくらい、代表にしたくないけれど代表にせざるを得ない石井選手だったからこそ、あのプレッシャーで押しつぶされそうな状況の中でも勝つことができたんだと思います。

一本勝ちを重んじる風潮とは相反する道を歩み続ける「ヒール柔道」を自認し、朝青龍や亀田兄弟を「尊敬している」とはばからない異色のキャラクター。
“丸刈り王子”石井、金メダル締め!/柔道(サンケイスポーツ) - goo ニュース

表彰式の後、記者団に写真を撮られる際、他の人は決まって金メダルをかじるしぐさをして写りますが、彼は違うポーズでした。まるで尊敬する朝青龍のそれでした。

鮮やかに一本勝ちするか、桜のように潔くぱっと一本負けして散るかが尊ばれる日本柔道界ですが、所詮メダルが取れてはじめて意味のある事です。人生では井上康生や鈴木桂治よりも、はるかに石井選手の方に分があると思いました。そういえば、東京オリンピック柔道・重量級金メダリスト猪熊功さんが後年、事業の挫折からか63才の若さで自殺なさったのが思い出されます。あれほどの人が意外や意外、驚くほどもろい?!、とびっくりしたのを覚えています。

石井選手と他の選手との違いは、人生そのもののように思いました。石井さんにはとても大事なものを教わったと思います。

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前長崎市長の娘さん

2007年05月03日 | 人生哲学
長らく長崎市長を務めておられた伊藤一長前市長が射殺され、長崎市長選に娘婿の新聞記者が急遽立候補したが、惜しくも落選となった。

「力のいたらなさのせいで本当に申し訳ございませんでした」選挙事務所で深々と頭を下げる夫の敗戦の弁を聞き届けると、妻であり凶弾に倒れた伊藤市長の長女が、「父、伊藤一長はその程度の存在ですか? 残念です。浮かばれないと思います。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」と発言し、最後は絶叫に近い口調で、体をふらつかせ、数人に抱えられるようにして退出した、という。

父親が選挙中に凶弾に倒れ、急きょ弔い戦となった選挙での敗戦。誠に気の毒といえば気の毒だが、伊藤前市長の長年の功績を全て帳消しにし、水泡に帰させてしまったテレビ報道だったと思う。

もしもまた、周到に準備した後、次期市長選で娘婿さんが立候補したとしても、あの一言でもうその芽さえも消え去ったのではないだろうか。

男は何時も死に際、幕引きをどうするか考えているようなところが多少ともある、と思う。

そういう意味では、伊藤前市長の事をよく存じ上げない小生にも、その名声が聞こえてきているくらいだ。娘さんのおっしゃるように長崎市民には決して悪くとられていなかったのだろう。いや、再選確実と言われていたくらいだから、市民のほとんどの方が誇りに思っておいでだったのだろう。その証拠が、「もし、東京で記者をしている娘婿ではなく、娘さんが立候補していたら当選していただろうに。」という地元の声だ。

突然撃たれ、痛みもなく、苦しむ事さえなく、一瞬のうちに逝った・・・。
そして、長く献身的に尽くさせてもらった長崎市民に惜しんで戴いた。
それも、市長として在職中にだ。俳優で言えば、舞台で大往生したようなものである。

一生のうちで必ず1回、人生の幕引きがあるとしたら、男として、あんな幸せな幕引きがあるだろうか。

そんな男の花道を娘さんの、あの一言が台無しにした・・・。・・・。

あの程度の娘しか育てられなかった親父だったんだと、また別の意味でも男を下げた。
女性というものは、そういう事に全く気が向かないものなんだろうか。
今日の次に、また必ず明日が来るとは限らない。それはみんなよく知っているはずじゃないか。

生き方を考えるのも大事だが、死に方はもっと大事だ。必ず訪れる幕引きを視野に入れ、人生という劇を紡いでいくべきだと自分は思う。

つい先日、映画「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン」を何年かぶりに映画館で見た。男の幕引きならぬ、女の偉大な幕引きを見させていただいた。涙が止まらなかった。館内にいたみんなが泣いていた。

この世の中の矛盾を洗いざらい掃除するかのごとく、無言でその背中に背負って逝く男の幕引き、周囲を引き込み大菩薩のように逝く幕引き、いろんな幕引きがあると思った。

みんな誰もが、一度は子供と一緒に逝く事を考えたはずだ。今はそれが消え、自分の幕引きをちゃんと将人が見届けてくれるかも知れないと、少し期待できるようになった。

また、光の村に感謝。




今後は、小生のエッセー風のものも交え、書いていきたい。

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