将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

学校紹介の終了

2007年04月29日 | 光の村
さて、多くの新入生・編入生を迎え、にぎやかに新年度がスタートしました。

幾多の困難を乗り越え、初めての公開授業を何度も実施された学校側のご努力と、光の村秩父校のすばらしさを友人知人に伝えて回られた在校生ご父兄のご尽力のなせる業だと思います。

小生はあまり動けないので、せめて情報提供だけでもと始めさせていただいたこのブログですが、もうその任は終えたと思います。

そのため、在校生父兄による光の村秩父校紹介サイトとしての、このブログは終了といたします。


昨今は情報過多の時代と言われますが、こと障害・福祉に関してはまだまだ情報不足の感が否めません。

埼玉県一つとっても選択肢がたくさんある以上、親としては「選ぶ」ことになります。選ぶ以上、情報が必要です。先生方は私どものために大変お忙しい毎日をお過ごしの事は重々存じ上げておりますが、それでもなお、誠に僭越ながら、学校の公式サイトの情報ではまだまだ足りません。あれは、全関東に対する学校の顔のはずです。

土佐校の方は最近ずいぶん詳しくなりましたが、費用の項目一つとっても、「これは土佐自然学園対象です。秩父自然学園は別になっています。」とさらりと流され、かつ秩父校の方には費用の開示がないなど、初めて見る人にとっては、秩父校はまるで盲腸のような、単なる付け足しみたいに見える扱いです。ひがみ根性だとお思いかもしれませんが・・・。

そして、できれば、このすばらしい秩父校の仲間を増やしたいから、口コミ的な補足情報をお出しした次第です。

土佐校がどうのこうのと言っているつもりは毛頭ございません。望みうるあらゆる施設が完備されたすばらしい所です。秩父校がかすんでいると申し上げたいだけです。

そう言う意味で、以前「土佐の保護者」さんがコメントされて来られたのは、トンチンカン、全くのお門違いです。西谷先生が生涯をかけて心血注がれた土佐校がいいのは十分わかっております。

秩父校も、いや、小生の性格だと、この「も」も釈然といたしません。よその事はどうのこうの言いません。秩父校「を」輝かせて戴きたいとお願いしているのです。

情報の切り口はまさに十人十色だと思います。いろんな方がいろんな情報を発信して下さってこそはじめて、ネットを通じた、国境も越えた新たな情報社会ができると信じます。

はじめは軽い気持ちで始めたブログでしたが、思いのほか多くの方に目を通して戴けるので、こちらの方が大変驚きました。そして、それゆえにこそ、本来の対象である新入生以外の、関係各方面さまざまな方までご覧になる事となり、一介の父兄が紹介を通り越して、とり方によっては論評みたいな事までしていると、大変生意気に思われたのではないかと危惧しております。

小生の文章は長く、一部だけ読んで戴くと誤解を招くような表現が多々ある事は熟知しております。文章を最後まで読んで戴き、なおかつ、おかしいとお思いの場合はどうぞ躊躇なくご連絡下さい。(guangsong@mail.goo.ne.jp) また、もし学校関係者の方の場合は、直接小生にお話しいただいて結構です。

小生は、このすばらしい光の村養護学校秩父自然学園を全関東に向け、声を大にしてお伝えしたい一心でペンをとりました。それが決しておべんちゃらでない事は、ここまでのレポートでお分かりいただけると信じます。

次年度以降もまた、別の方が後輩の方々のために発信して下さることを期待いたします。

今後は秩父校紹介の形はとりやめ、新たなタイトルで純粋な将人の発達日記として、再出発したいと思います。

それでは、皆様いつまでもお元気で。ごきげんよう。








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1年を終えて

2007年04月27日 | 学校生活

光の村秩父校に入学させていただき、1年間、何とか将人も頑張った。当初とても心配した脱走は結局1回もする事なく済んだ。また、さぞかし先生方のお手を煩わせているに違いないのに、親子共々、先生方にさほど叱られる事もなく、ここまでやって来られた。

少し遅くなったが、1つの年度の締めくくりとして、現段階で、端的に良かった点、困った点をまとめてみたい。

まず、良かった点を挙げてみる。
a) 将人がシャキッとした。(姿勢、行動の転換、運動、仕事、生活など)
b) 小学校でしていた朝夕の送迎がなくなり、仕事が1日フルでできるようになった。
c) 6年間一貫教育なので、腰を落ち着け、将来を見据える余裕ができた。
d) 私立なので、ある程度の寄付も覚悟していたが、その話は全くなかった。
e) 建物は公立小のお下がりで、中高生には決して広くはないものの、今どき珍しい、映画に出てくるような美しい木造校舎で、緑あふれる周辺環境とあいまって大変落ち着いた環境を構成している。
f) 四季折々の美しさであふれる関東の故郷・秩父路に、送り迎えで疲れた体が心身ともに癒される。
g) 10日毎の家庭学校で、どんどん変わる子供の様子が分かる。
h) 最後になったが、何をおいても一番有り難かった事は、生徒を思い、涙をこぼして泣いて下さった、そんな熱い先生に生まれて初めて出会えた事だ。しかも、そんな先生が何人も普通にいらっしゃる事だ。

次に、困った点は
A) 家庭学校が大変だ。
B) 学校が遠いので、何事にも時間がかかり、1日仕事になってしまう。ちょっと時間ができたので、将人の様子見がてら学校にご挨拶して来ようなどという事は全く不可能だ。(地元小学校ではよくしていた。)
C) 障害児教育の分野では、世間に少し異質な目で見られているような感じがする。


将人に感想を聞けないので、将人の気持ちを想像してみた。 

将人が喜んでいそうな点
 苦手な国語や算数がない。
 得意な体育や音楽をしっかり勉強できる。
 睡眠時間が十分とれる。
 友達のみならず、大滝にお父さん/お母さん/お兄さん/お姉さんがいっぱいできた。
 大好きな電車や自動車にいっぱい乗れる。

 将人が不満そうな点
 エレベーターもなく、車椅子用トイレもないので、面白くない。
 パソコンがないので、NHKのピタゴラスイッチもニャッキも見られない。
 散歩の時間がない。
 お茶を思う存分飲めない。
 おばあちゃんの手を握って寝ることができない。
 からし明太子が食べられない。

以上、それぞれ解説してもしょうがないくらいに感じ方は様々だろう。しかし、コストパフォーマンスというか、いい点÷困った点なるスコアーを想定できれば、どの御家族にも十分ハイスコアーに評価して頂いていいと思う。

少なくとも、我々親子にとっては、これ以上ないくらい有り難い学校となっている。


どうか、ご入学の参考にして下されば幸いです。

 





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小学校同級生とマラソン

2007年04月24日 | 家庭学校
中学2年生になって初めての家庭学校が終わった。

担任の先生が変わり、新入生、編入生が大幅に増え、学校も大変なのだろう。将人は精神的に、約10ヶ月程度逆戻りした感があった。いつもそわそわして、落ち着きがなく、「よその人、触っていいですか。」「よその人の服、脱がしていいですか。」と駄目と言われる事を楽しむかのように、こっちの顔を覗き込んでおかしな事を何度も何度もしつこく言う。

学校では21時に寝ると決まっているものの、家では私が仕事から帰るのが22時過ぎで、しかも将人は私を待っているので21時は到底無理としても、せめて22時半には寝かせようと思うのだが、それでも駄目で、特に今回は眠剤を飲ませても24時過ぎとなった。しかも、それでも朝の4時過ぎにはもう起き出して家中のテレビをつけ、自分でお茶を入れてがぶがぶ何杯も飲み、パソコンに入れた大好きなNHKアニメ「ニャッキ」を繰り返し繰り返し見ていた。怒るといったんベッドに戻るが、こっちがベッドに戻ってしばらくすると、また同じという事が朝まで延々と続くので、こっちも根負けして、そのうちそのままということになる・・・。

それでも、いわゆる「躁状態」で元気なのだから、取りあえず体のことを心配するまでもないんじゃないかと思い、6時半過ぎには定例のマラソンに出た。もちろん心拍数には特に注意し、ターゲット心拍数圏内(運動強度60~80% : http://www.geocities.jp/jitensha_tanken/pulse.html)をキープするようにした。ここではお茶の飲み過ぎがたたったか、最初はやはりきつそうにした。しかし、それならとやむなく強歩で1周(1.2㎞)歩いたら、自ら「マラソン」と言って、また走り始めたのには感心した。こういう調整ができるようになったんだとうれしくなった。大人でも、こういう場合はついついそのまま強歩で最後まで行ってしまいがちなものだ。

もちろん、いつも通り、4周強歩ならキャラメルなし、そのうち1周マラソンならキャラメル1個、4周みんなマラソンならキャラメル4個というルールを知っての態度変更なのだろうが・・・。

帰校日の朝はあまり時間がなく、2時間かかる朝トレは到底できないので、今度から朝ご飯を一緒に作ることにした。しかし、将人に聞くと、調理するよりマラソンの方がいいという。気分屋なので、あまり当てにはならないものの、まるっきり見当違いな返事もしないので、それくらいマラソンが得意になって来たという事だろう。


いつも行くマラソンコースのとなりには、出身小学校の卒業生の半数近くが行く中学校がある。最近はその子たちも同じ池の周回コースを走っているのに出くわすことが多くなってきた。もっとも土日の事なので、おそらくクラブ活動の一環で来ているのだろうか、将人が来るのは7時過ぎ、あの子たちが来るのは早くても8時過ぎだ。将人はもうマラソンも終わり腹筋をしている頃で、高見の見物状態なのだが、将人は4周走っても、息切れなし。あの子たちは2周しか走らないのに、ぜーぜー息切ればかりしている。遠巻きながらも、それを知ってか知らずか、将人も今では少し自信を持ってきているようだ。

もともと人と競争する気が全くない、完全無抵抗主義、完全平和主義の権化とも言える子なのに、小学校時代、あらゆる意味で学校中の最底辺にいたせいか、将人にしても少しうれしいみたいだ。

こういう事は一見全く気にしていないように見えるが、将人は意外にとても敏感だ。幼稚園年長組の頃、「将人は駄目、将人は駄目・・・」と言いながら、帰ってくるなり、ぼろぼろ泣きながら私の部屋に飛び込んで来た事があった。誰かにそんな事を言われたのだろう。ほとんど言葉が出ない頃の事なのに、よほど悔しかったのだろうと当時思った。

出くわす同級生も、アスリート用のスパッツで決め、これぞマラソン選手というような、すらりと伸びた体型の将人の変容ぶりに一瞬たじろぐ事が多く、「将人く~ん」と遠くからも声をかけてくれる事が多くなってきた。まるで醜いアヒルの子が白鳥になったみたいなものなのだろう。

その響きが小学校時代とは少し違う気がするのは親のひいき目だろうか・・・。僻者(ひねもの)だと言われそうだが、かわいそうな子に対する同情、そして「特殊学級の子にも優しくしようね」と先生に言われ、小学生らしく素直にそれに従い発してくれていた言葉の響き。それが、少し尊敬さえも伴った、アスリート同志が持つ共感の響きに変わった気がした・・・・。

ある意味で、男として、人間として認めてくれた! 誤解を恐れず、敢えて申し上げれば、世の中のお荷物から、道は違うけど,ひとかどの人間として認められたかのようだ。

西谷先生のおばあさまが西谷先生ご幼少の頃、諭されたという、「何でも一つちゃんとできたらバカじゃない。それをよう知らずに、バカというものがバカじゃ。」 少なくともその一つを、将人はたった1年で、もう既に光の村で授けて戴いたように思った。


そういえば、いつも家庭学校の度に持ち帰っていた、「平成18年度マラソン・自転車・水泳記録表」が1冊終わったので集計してみたら、マラソンは月間平均約100㎞、そして年間走行距離はなんと実に1092㎞であった。

ほとんど毎日休みなく5㎞ずつ走っているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、こうしてみると改めて、とてつもなく偉大なことを将人はやり通したんだなと深い感慨にふけった。

日々の積み重ねである、教育というものはこういうものなんだとつくづく思った。
その偉大なるご指導に、日夜忍耐強く御尽力下さっている先生方に重ねて深く感謝申し上げたい。





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将人パパの性格

2007年04月21日 | 想い
このブログにはコメントしづらいけれど、小生と話してみたいと言う方が最近何人も立て続けに自宅に電話して来られました。

辛口コメントを頂いたり、元気づけて下さったり、以前2チャンネルで障害者に関するテーマをやり合っていた時の事を思えば、どなたも大変暖かみのある、有り難いものでした。この場を借りて、本当に厚く御礼申し上げます。

ただ、いずれも大変有り難い事だし、また、こんな事を言うのも誠に申し訳ないのですが、小生、一人で何でもやっている関係上、家庭学校の行き帰りに確保した金曜日と月曜日以外は、昼夜を分かたず、大変多忙に過ごしております。

更に、性格的にも口べたで、人見知りで、対面での話は大の苦手ですので、出向いての会合等への参加もほとんど不可能です。

また、障害児を持ったからという訳でもありませんが、体型に似合わず、もともと心はガラスのようで、他人様と接するとどうなのか、私の方が不安でもあります。

もし、小生にお話があれば、このアドレス(guangsong@mail.goo.ne.jp)にメールを頂ければ、多少お時間を戴くかと思いますが、よほどの内容でない限り、お返事いたします。

また、何か会合等の必要があれば、ネット上での掲示板等を使った会議には参加させて戴く事もできるかと思います。

大変我がままだとは思いますが、50年間の人生の果てに結論した、自分を最大限生かし、他の方との誤解、軋轢を極力避けるやり方ですので、何卒どうかご理解下さい。よろしくお願いいたします。





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光の村的理想の親

2007年04月16日 | 父兄
春休みが終わり、将人が帰校し、そのまま大阪出張、そして入学式と大変忙しかったため、今頃になってやっと一息ついている。春休み中の写真もようやく整理する気になった。そのくらい、春休みの家庭学校は「大事(おおごと)」だった。精根尽き果てた・・・。何とかやり終えて、命からがら何とか生き延びて、光の村の学校の先生にバトンタッチしたという感じ・・・。

将人の成長カーブは右肩上がりだが、こっちはもう既に体力、気力ともに横ばい、もっと正直に言えば右下がりなのだ。全てが面倒くさい。

ホームセンターの駐車場に買ったばかりの車を停めておいて、帰ってみたら傷を付けられていた事があったが、もう事故の手続きも面倒くさいし、そのうちどうせ将人がその程度の傷は付けるだろうと放置してしまう位なのだ。若い時だったら大変だっただろうが・・・。

中2に進級した新しい学級会で、7月末の雲取山登山の話が出た。

去年30年ぶりに登山したはいいものの、速度を決めてどんどん登っていく生徒たちを尻目にやはり遅れて行った。そして、圧巻は、途中のお清(教)平から白岩山までだ。急に勾配がきつくなり、こんな急勾配の登山は生まれて初めてだったので、もうここでやめようと思ったのもつかの間、一緒に歩いてこられた70歳過ぎの女性はそれにもひるむ事なく、平然と登り始められるではないか。・・・。

本当に目が点になった。まるでロッククライミングでも必要そうな急勾配の崖がそびえ立っているというのに・・・。光の村のご家族はそんじょそこらの親ではないのだ。

70過ぎの方が登るのだ。50才前の、昔の体育会系にできない訳はないと、こっちもやおらやる気を奮い起こし登り始めた。数十メートル登るとさすがに先ほどの女性も息を切らして休んでおられ、もう下山しますとの事だった。

私も急に気が楽になって、後数十メートル上がった所で食事休憩した後、下山する事にした。そして、この休憩中に白岩山まで行った将人たちの一行が食事もとらないで、Uターンしてきたのに出くわした。みんな息も切らさず、颯爽と下山して行った・・・。その差はあまりにも歴然だった。


いつまでこの学校でやっていけるかなと正直なところ思う・・・。子供を体育専門学校のような所に預けて、親はのほほんと知らんぷりのというのもどうかとは、もちろん思う。しかし、できる事とできない事がやはりある。このままだと、発達真っただ中の中学生の体力と競争しなければならないみたいだ。どうするか。

仕事に影響の出るような事をしては、本末転倒、職にあぶれて親子心中という事にもなりかねない。よく皆さん、やっていると本当に思う・・・。

学生時代、12年間も体育会系でならしてきた私でもこの有様なのだ。運動をあまりしていなかった親御さんは一体どうしているのだろう。特に肥満体の、自分のような親には本当にこたえる・・・。太りたくて太った訳でもなく、やせようと頑張ってもみた。しかし、どんなに食べても太らない体質の人がいるのと同じで、かなり努力してもやせない人間もいるのだ。

・ ・・・。・・・・。自分の努力は、それを言う程にはまだまだ到達
しておらず、もっと頑張る余地があるのは重々知ってはいるが・・・。

世の中、不公平である。肥満体は格闘技をするには良かった。有利だった。しかし、年をとると腰痛、膝痛などろくな事にならない。挙げ句の果てに、この年でマラソンだ。

これが、やせ形の人だと、状況は大きく変わっていたはずだ。本当にうらやましい限りである!! 格闘技をしている時にはこんな事は一度も思った事がなかった。

このまま、はみ出しもの、できない親、という屈辱的なレッテルを負ったまま後5年間を過ごさないとならないのかと思うと、新学期早々またもや気が重くなった。

光の村理想の親コース、光の村通常親コース、光の村ハンディキャップ(最近外国では、障害にもめげずいろんな事に果敢に挑戦していく人たちという事で、Challengedと言い換えるらしいが・・。)の親コースなどと、親像をある程度作っていただけたら、この苦しみもないのだろうが・・・。

柔道もそうだった。3級にはここまで、1級にはここまで、初段、2段はここまでという明確な基準があって、精神的にメリハリ付けた生活が可能だった。もちろん、最終的に10段をみんな目指して頑張るという構図に違いはないのだが・・・。


このままだと、のんべんだらり、高き目標を目指しながらも、できない自分に妥協し、精神的に落ちこぼれのような、日陰で裏街道を歩む5年間をかつかつ過ごす事になってしまうのか・・。どこかで割り切って、自分のいい所を出しながら頑張って行ける親の道はないのだろうか。

夏休み、出身の小学校に、光の村の先生と将人の近況報告に行った際、開口一番、「お父さんも体を大事にしないとね。」とさりげなく校長先生が言われたのが今頃になって響いてきた。教育関係者の間では、そういう風に光の村は認識されているのだろう。

・・・・。しかし、老体に鞭打って頑張るしかないのだ。将人だって頑張っているのだ。既に人生そのものが、そういう風に追い込まれているのだ。今更、何だ。悪あがきというものだろう。

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日給千円の仕事その2

2007年04月14日 | 卒業後
土佐校にあるのにどうして秩父校には専攻科がないの、とばかりに上級生の親御さんが学校に強く掛け合っていらっしゃるようだ。卒業を目前にすると、当然のように卒後の事が気になる。卒業と同時に、うちの、この春休み中のような生活がずーーと家で始まる事を意味するからだ。もし就職できなかったら、仕事もなく、ずーーと家にいる!! 光の村の生徒は比較的自立しているとはいえ、やはり本当に大変である。

それで、以前書いたように、月給1万円の仕事でもあれば、それでもう充分幸せな事になるのだろう。

しかし、専攻科云々にせよ、授産所にせよ、結局はお金が儲けられる、安定した、障害者の仕事があればいいだけじゃないのか、と思う。そして、それがない事こそが問題なのだ。

なければ、仕事を作ればいいと、単純に思う。

見つけ出せばいいと思う。人の提供してくれる「仕事」を待っているだけではどうしようもないのだ。そこで、既成概念や色眼鏡をいったん全て排除し、純粋に「金儲け」を考えてみた。


目標である「日給千円の仕事」は、

1. どこにでもある仕事
2. 継続して必要になる仕事
3. 比較的簡単な仕事
4. 知らない人とのコミニュケーションをあまり必要としない仕事
5. 同業者(商売がたき)があまり出てこない仕事
6. 危なくない仕事
7. たとえ失敗しても、大きな失敗や事故には到らない仕事
8. 世の中の役になっていますと胸を張れる仕事

などが、一応その要素になると思う。

どこにでもあって、継続して生まれる仕事とは、やはり「食って寝て出す」という人間の基本的な生活パターンに根ざした部分に関するものだろう。

その次の「働いてお金を稼いで好きな事をする」、あるいは「泣いて笑って怒って喜んで」という段階は、個々人でかなり個性が出る所で、これに関する仕事は浮き沈みも多そうだ。

また、更に次の「生まれて老いて病んで死ぬ」というのは人間関係に苦しむので、避けた方が無難だ。

さて、よくある椎茸作りやパン作りは、「食う」に関する事で、継続して仕事が生ずるとはいうものの、同業者は既に多く、食べる人の好みにも敏感に対応しなければならない。これにまめに追従する事は自閉症者の最も苦手とするものだと思う。

皿洗い等のニーズはあろうが、作業はきつく、食洗器の普及で将来は暗い。

「寝る」に関して、旅館の布団敷きはペアですればできなくもないだろうが、そんなにニーズが多いとも思えない。

ところが、「出す」は比較的ありそうに思う。


まず、トイレ掃除に限れば、いろんなトイレがあるとはいえ、比較的作業内容を単純化しやすい。光の村方式で鍛えられた障害者なら、健常者とペアで事に当たれば、健常者同士のペアにも勝る仕事が十分できると思う。その証拠に、いつ行っても光の村のトイレは実にきれいで、整然としたものだ。親が行った時だけ、スリッパの置き方が多少乱れる程度だし、おそらくそれは子供たちのせいではなく、親がした事なのだと思う。

ビルのトイレを定期的に掃除していく保守契約が取れれば、ある程度テナントとコミニュケーションが必要とはいえ、その内容にあまり複雑な事が必要とも思えない。これも健常者とのペア、あるいはチームを組む事ですむ事だ。

ビル清掃会社は世の中にごまんとあるだろうが、もしかしたら、トイレ掃除だけは孫請けさせたいと思うかも知れない。特に日給千円の集団なら、その受注はそんなに難しくないような気がする。私が業界の実態を知らないだけなのかも知れないが・・・。

ペアを組む健常者は日給千円では厳しいので、リーダー手当はそれ相当付けないといけないだろうが、それでも健常者だけのチームと比べれば、トータルでは安く運営できるはずだ。親が交替でリーダーになってもいいではないか。

そして失敗する可能性もほとんどなく、もとより危ない仕事ではない。

そして、何より、どこでも必要な仕事で、人の役に立つ仕事なのだ。できれば、病院などで活躍できれば、よりその実感が湧きそうだ。

徹底的に数種類の便器の掃除を練習する、これはどんな重度の子でもトライアスロンよりは簡単そうに思うのだが・・・。後は持久力、それも1カ所1時間弱頑張れる根気が付けばいいだけだ。


日本の人口の実に4分の1、3400万人が集中する東京/千葉/埼玉/神奈川では、当然の事ながら障害者も集中している。うちも、障害がわかった当初、せちがらい都市部を離れ、いっそのこと地方でのんびり暮らした方がこの子のためにもなるんじゃないかと思った。

しかし、実際は違っていた。地方に行けば行くほど、将人のような奇行をする子は目立つ。

同じ、自動ドアを開けたり閉めたりする事一つとっても、都市部のコンビニではドアの横に立っているだけで、ひっきりなしにお客さんが出入りするので、将人が開け閉めするまでもなく、ドアの開閉を見られるのだ。

ところが、地方だといきなり、「この変な子が自動ドアを出たり入ったりしてうるさい。寒い。何とかしてくれ」と親が怒られる事となる・・・。

都市部だと将人の奇行も希釈されて、住みやすいのだ。それから、地方に転居する考えは捨てた。都会の狭間で生きていく覚悟を決めた。

都会ではパン屋も多いし、せんべいもどこのスーパーでも買えるのだ。ややもすると、人の敬遠しがちな「サービス業」は都市部だからこそ多い仕事ではないか。スワンベーカリーならぬ、スワンサニタリができてもいいと思う。

市場調査は当然必要だが、資金もそんなにいらず、とりあえずは自宅開業で、電話受注し、スタッフを集めてお揃いの作業着に着替え、モップと手袋、洗剤を持って現場に向かえばいい。掃除なので、そんなに時間にもうるさくないだろう。結構融通も利きそうだ。

信頼できるスタッフに恵まれれば、チェーン店もできそうだ。もちろん、障害者雇用の捻出が第一目標なので、フランチャイズ料も極力少なくする。そして、チェーン店を全国津々浦々に広げることができれば、イメージ作りもしやすくなる。

いわゆる灰色や緑の作業着ではなく、明るく元気な出で立ちで、いつもハキハキ挨拶をする、元気一杯の清掃会社だ。他の人もつい「頑張ってね」と声をかけたくなるような、そんなイメージ作りができたらもっといい。

50才を超えると、もう先が見えてきた。短い人生の中で一回くらい社長をやってもいい。それも、前代未聞の、全ての知的障害者の終身雇用を目指して。


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うたた寝していたら、ふとそんな夢を見ていた・・・・・。

とりあえず、将人と家のトイレ掃除を毎日して行こうと思う。



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春休みが終わった

2007年04月10日 | 家庭学校
春休み、いや春期家庭学校が終わり、将人が金曜日に帰校した。うちの場合は少し特殊な事情もあって、今期は家庭学校に3週間いただいたので、結構いろんな事ができた。

明日は新年度の入学式だ。今頃は、明日の入学式の練習でみんな忙しいのだろう。

私の方は、金曜日に将人を秩父に連れて行き帰校させ、そのまま大阪に出張となっていたので、今日からやっと普段の生活に戻った事になる。

いつもそうだが、気張っていた事が終わり、少し時間の余裕が出てくると、何でもできそうなものだが、逆に何もしなくなってしまう。する意欲がでないと言うか、休みたいというか・・。

やる気が出るまでしばらくこのプログも間隔が開く事をお許し頂きたい。

といっても、学校に行ったり、将人と会ったりすると、またいろんな事を感じるので、話題次第ではまた俄然時間感覚もなくなって、昼夜を分かたず、書き殴る事になるのかも知れないが・・・。

明日は午前5時起床、6時出発、10時から入学式だ。

辛いばかりの運動部生活も下級生が入ってきて、後輩ができると俄然余裕ができ、逃げ腰だったトレーニングも率先してするようになった。これが自分の学生時代だったが、将人にもその余裕が出てきて、次の段階に進めるように祈りたい。

中学2年生の担任も、1年生の時と同じようないい先生に恵まれる事を信じて、明日からの新学期が始まる。



追伸 :
いつも思う事だが、関西に行くとほっとする。30年住んでも、何か関東は違う所だという感じがいまだに抜けきらない。だからこそ、気が引き締まり、仕事をするには良かったが・・・。

本音と建前を適宜使い分け、本音で生きる、ざっくばらんでわかりやすい、商人文化の関西。
肩肘張った立場と建前で生きる、肩で風切る武士社会の関東。
またしても、そんな空気の違いを感じてしまった。

それにしても、どうして関東は左寄りにエスカレーターに乗り、関西は右寄りに乗るのだろう。同じにする必要もないというものだろうが、違うというのも不思議な気がするものだ。









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売り切れ表示の自販機

2007年04月06日 | 余暇
先日、将人と散歩に出ていたら、お茶を飲みたいと言う。確かに、ずいぶん何も飲まないで歩いて来た。そのため駅の自販機でお茶を買う事にした。

いくらと聞くと「120円」と答えるので、財布から小銭を全部出して手のひらに乗せ、必要な分だけ取らせた。10円が8枚、50円が1枚、100円が3枚、500円が1枚あっただろうか、最近はこういう時もちゃんと100円を1枚、10円を2枚取る事ができる。(もし、この枚数が無く、50円が2枚、10円が14枚だけだと少し怪しくなってしまうが・・・。)

お金を自販機に入れて買いたい物のボタンを押し、商品を取って、リングプルを上げて飲む事はできるので、後は任せておいた。しかし、お金を入れようとしたまま固まり、自販機の方を指さしている。

見ると、「売り切れ」の赤い文字が小さく光っているではないか。これを見て、お金を入れるのを踏みとどまる事が最近はできるのだ。恥ずかしながら、将人に指摘されるまで、目の前にあるのに私は気づかなかった。ハッとするような、こういう事が最近は時々ある。

それからどうするのかと思っていたら、「あっちあっち」と言いながらプラットフォームの端の方の、別の自販機に走って行って買おうとするが、どうもそっちの方も売り切れらしい。結局、また戻ってきて、最初の自販機で、意に反した、冷たいカルピスを買った。元々は、暖かいウーロン茶を買おうとあっちこっち探し回ったはずなのに・・・。

こういう場合、以前の将人なら、他の自販機に回るという回避策は取れず、その場で「無い、無い」と泣いているだけだっただろう。

また、自販機を2台回ってもあったかい烏龍茶がないとわかった時、それならと急きょ頭を切り換え、二番目に好きな「冷たいカルピス」で妥協する、などという高等な事をするとは思いもよらなかった。

知らず知らずのうちに、こんな事もできるように変わって来ている!!
本当にありがたいことだ。

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自閉症メーリングリスト

2007年04月04日 | 想い
最近、私の参加している自閉症のメーリングリストに韓国映画「マラソン」についての投稿があった。「子供に自信と誇りをどう教えて行くのか、考えさせられました。」とずいぶん感動しておいでのようだったので、それを学校全体で取り組んでいる所が日本にありますと光の村の事を書いて返信した。

はたして、全く何の反響もなかった。まるでブラックホールだ。他の話題は結構盛り上がるのに、光の村の話題は無反応という事は、どういう事か意味がわからなかった。

小生に当てはめれば、以前書いたように、土佐校の新しいサイトを初めて見た時のような印象を与えてしまったのかとも思う。(もちろん、私の話題の提供の仕方、表現の仕方自体が適切ではなかったのかもしれないが・・・。)

私の場合は、林間学校のような事をさせてみたいと常々思っていたので、たまたまそれに類した事をやってもらえる光の村に興味を持った訳だが、そういう発想が元々自分の方になかったら、「マラソンをして強い体を作る」、云々と学校側からアピールされてもどう感じていたか、今となっては返答に困る・・・。

「うちの子に果たしてできるかどうか。」
「そんな事までする必要性を感じない・・。他にもっとやる事がたくさんある。」
「危ない。もしもの事があったらどうするんだ。」
「マラソンして自閉症が良くなるなんて、どういう根拠で言ってるんだ。」
「本人が好んでするわけでもなく、かわいそうだ。」
「子供は、親の自己満足のための犠牲者だ。」
「赤の他人様に寮生活の面倒までみてもらうのは心苦しいし、安心できない。」
「障害は雨と同じだ。雨を止める事はできないのだから、雨でも生活できるように周りが変わって行くしかないのだ。そのうち雨がやむ事もあるし、それを気長に待つ事も大事なのだ。」

おそらく、こんな事を感じてしまうのではないだろうか。
そうした時、以前見たヘレンケラーの映画「奇跡の人」の一節をまた思い出す。


「どんな方法でヘレンの心をつかむ?」
「知ってます。しつけの悪い山猿ですわ。甘やかすのは哀れみの履き違いです。教えるより同情する方が楽ですものね。6年間も同情しか知らなかった子が哀れです。」
「ヘレンの障害は目や耳ではありません。家族の愛情と哀れみです。この家で言葉を教えても無駄ですわ。昼も夜もともに過ごし、私を頼らせるのです。道はこれしかありません。あなた方がいては駄目です。」
「そう言う弱気の姿勢が一番いけないのよ。降伏は何も生まないわ。」
「服を着たら食べさせます。本人は思案中です。」
「ヘレンは愛情や愛撫を求めていません。」
「あなたが彼女に教えたのは、ただ、『---するな!』という事だけ。理解のない服従は目が見えないのと同じです。」
「地下水が湧くまで忍耐強く待ちます。」

小学校卒業までに、いろんな意味で、当時の自分にできる事は全てやった。それでも、ああだったのだ。あのまま成人になってしまうのだろうと、先が見えた気がした。あの流れをいったん変えないと、将来、親子心中しかないと思った。進むも地獄、退くも地獄なのは百も承知の上で・・・。

そして、人様の手を借りた小学校の宿泊学習では意外にいい子だった、と聞いた。そうか、親が問題なのかも知れないと自ら悟った。そういえば、やたら厳しいか、甘いか、どっちかになってしまいがちだった。先生方のような、理性的な中庸がなかなかとれなかった。

だから、ヘレンケラーのご両親のように、まさにヘレンケラーのように子供を教えてくれる先生方を探した。

そして、秩父で巡り逢えた。そして、1年・・・。

お陰様で、幸いにもここまでは本当に良かった。







追伸(1): 
知的障害児の教育方法がどうしてマラソンなのか、トライアスロンなのか。その疑問はいまだに小生にもある。ただ、他にこれといった、いい方法がないのも事実だろう。あるいは、せめて10㎞マラソン程度にしておいてもいいのではないかとも思う。この教育方法を編み出された西谷先生の、教育方針の変遷自体を開示して戴く事こそがその一番いい回答になると思うのだが、いつか機会が許されればお聞きしたいと思う。

ただ、トライアスロンが目立つし、それを学校として目玉にしていらっしゃるところもあるが、親から見てそれ以上に魅力的なのは、規律正しい寮生活、形から入る生活指導、持久走を通じて培われた忍耐力と工夫する力で作業をやり切る能力を育てて下さる事だ。個性を育てるのは、次の段階でもいいと、将人に関しては思う。


追伸(2):
意味があるか、いい事かどうかは全く別として、親父の得意な腹筋運動、腕立て伏せを将人も一緒にやろうとする事に限りない頼もしさを覚える。また、親父が50回腹筋をやって、「将人はマラソンの後だから30回でいいよ」と言うと、まだ相当きついだろうに、それでもうれしそうにして頑張る。

これは決して強要でも何でもないのだ。こういうのは、男同士の波長だと思う。こういう気持ちの触れ合いを持てる事が限りなく有り難い。自分の体力的限界を極めるようなスポーツ以外で、これが果たして可能なのかどうか、自分には疑問だ。




コメント (3)
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春季家庭学校の課題

2007年04月03日 | 家庭学校
長い休みは、普段できないことをやろうと考えた。
今回は、
「アルファベットの小文字を書く」
「ローマ字で日記を書く」
「分数を理解する」
「エプロンのひもを後ろで結べるようにする」
「基礎的な腹筋をつける」
を目標にした。

元々記号や文字にはこだわりが強く、いい所を伸ばす意味でも何とかしたいと思っていた。

ローマ字はやはり、興味を持って取り組めた。1日しか勉強してないのに、その日の買い物でスーパーに行った際、明治のチョコレートをじっと見て、「Meiji」ともう読んでいた。以前は小文字は読めなかった。

将人のすごい所は、「kyo asa okite, marason simasita.  sinei chugakko no mawari o 10  shu hasirimasita. densha ni notte, soka ni ikimasita. 」などとローマ字表でいちいち確かめながら書いたものでも、読み返す時にはもう変換表を見ることなく、比較的さっさっと読めたことだ。表意文字にもう既に慣れている! 

戦後すぐ、これからの国語教育をどうするか検討された際、誰にでもとっつきやすく上達が早くなるように表意文字の漢字を廃止し、表音文字であるひらがなやカタカナ、あるいはローマ字だけで日本語を表記することが検討されたそうだが、確かに子供には良さそうで、上達は速いと思う。ただ、いったん漢字を会得したら、漢字かな混じり文の方が読みやすいのは明白だが・・・。

分数は日常生活の中で使うような、二分の一や三分の一の意味がわかって、それの足し算引き算がわかるだけで十分だと思うのだが、小学校の教科書はいきなり細かな計算問題に入ってしまう。しかたなく、自分で問題を作って勉強させることにした。その際、最近はドラえもんが分数を説明してくれる漫画があって、その教え方を参考にできたので助かった。言葉の意味はわかったようだ。

調理実習が本格的に始まるという訳で、この家庭学校の間にエプロンのひも結びを練習するように学校から言われた。2学期中に緩くではあるが、靴のひもは何とか結べるようになったので、後ろ手ではあるが、それほど難しくもないだろうとタカをくくっていた。

ところが、やはり甘かった。ひもを見ないで結ぶという事は殊のほか難しいようだ。毎日毎日格闘した結果、ある日ぽろっと、まるで急に開眼したかのようにできるようになった。あまり細かな事まで従わせようとすると、それだけで嫌になるようで、また元来、異様に指が不器用なので、こっちがしている方法だとあまりうまく行かない。

ある程度は強要したが、人差し指でするところを中指でしている分は良しとしてみた。それからは、変に見えるやり方ではあるが、結果的には普通に結べるようになった。将人なりに、やりやすいやり方を見つけたという事だと思う。

できなかった事ができるようになる。分からなかった事が分かるようになる。こんな素晴らしい事はない。それが将人にも期待できるようになってきた。お天道様に感謝。

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土佐校サイトと関東

2007年04月02日 | 光の村
最近ふと気づいたが、光の村土佐校のウェブサイトがずいぶん変わり、とても読みやすくなっていた。

今や大滝でもブロードバンドが使える時代なので、公開されている様々な紹介ビデオも、大変有用だ。日課や年間行事も事細かに説明されている。また、FAQも充実しており、たいていの疑問に回答が提示してある。また、土佐校を中心とした光の村の福祉施設についても細かな解説がある。

身近に光の村に通っている生徒がいる場合はいざ知らず、障害児は全国津々浦々、ある一定の確率で生まれるという現実があるのだから、その全国の障害児家庭にはあのウェブサイトこそがまず最初の窓口となる。だから、あそこまで書いていただいて初めて次の興味も出てくるというものだ。小生の場合はごく少ないウェブ上の情報で秩父まで見学に行く事にしたが、普通はあそこまで書いていただかないと、遠いところを見学に行こうという気になかなかならないのではないかと思う。

光の村には土佐校もあり、秩父校の様な事をしておいでだというのは知っていた。だが、秩父校が主に関東の家庭を対象としているのに対し、土佐校の場合はそれこそ全国から生徒が集まり、10日ごとの帰省/帰校というパターンがとれず、数ヶ月ごと2~3週間の家庭学校があるだけだというのをつい最近知った。そして、関東の家庭からもわざわざ土佐に入学する生徒さんが少なくないとも聞いた。

実は内容的には秩父校もほとんど同じなのだが、その前情報をいったん頭から消し去り、ウェブサイトの情報だけで改めて土佐校を「別の学校」みたいに、できるだけ客観的に見てみた。

すると、「すごい学校」「障害児の異次元空間」「スタンドプレー」という単語が脳裏をよぎった。華々しく、170㎞卒業徒歩旅行、トライアスロン、吉野川下りなどの文言が画面に踊るからだ。

どちらかというと、自分はあれを見て、「そうか、すごいな。将人は運動が得意だから、できたらやらせてみたいな。」と思う口だ。だが、「果たしてみんながそう思うだろうか?」とふと疑問も感じる。

あれに比べると、秩父校のサイトはおとなしく、比較的違和感が少なく、関東向きだと思う。

NHKのラジオ深夜便2007年4月号に掲載されている「江戸商人、知恵と心意気で時代を生き抜く」(白石孝)で、上方商人と江戸商人を比べ、その商売のツボの違いを解説してあったが、何かそれに似た違いを感じる。アピールの仕方が少し違う。

商人社会の上方に比べ、江戸は武家社会なので、気位が高く、ブランドを重んじ、安いとむしろ変に思い、高いと安心するような所さえある。身内の事を外に知られる事を好まず、隠したい傾向があるため、ご用聞きが活躍する事となり、勧めにも応じやすい。そんな比較がしてあった。

強調すべき所はとても強く、回転文字等も使って強調する土佐校サイトのアピールの仕方は何か関東向きではないように感じた。また、親も一緒に子供とトレーニングするというのも、よその人に知られてしまうのを嫌うとされる関東人の気質に反する所があるかも知れない。

とりわけ気になったのは、宮古島トライアスロンのビデオの終わりにNHKのアナウンサーが言った、「とかく甘やかされて育つ事の多い知的障害児を」の下りをそのまま公開していらっしゃる点だ。

その言葉が西谷先生のような、それこそ知的障害児と寝食を共にし、全生涯を捧げて親身に面倒を見て下さっている方のお口から発せられるならいざ知らず、20才や30才程度の、まだ育児したこともないんじゃないかと思うような女性アナウンサーが、原稿に書いてあるからとそのまま読んだのでは、気もめげるというものだ。

同じ事を表現するにしても、何か他に表現の仕方、発声の仕方がありそうなものである。また、仮に的を得た事を言うとしても、言っていい時と悪い時、言う資格のある人とそれ以前の段階の人がいるはずだ。

西谷先生のように、ゆったりした発声で、適切な間をとり、穏やかな目でこっちの目を直視しながら、さりげなく、かつ毅然とおっしゃるのなら、「確かにそういう所もございました。ある意味、おっしゃる通りです。」と童心に戻って聞ける。

聞く所によると、赤いきつね、緑のたぬき、のカップ麺でさえ東日本と西日本でスープの味を少し変えているらしい。ただ、上方と土佐を十把一絡げに論ずるのは多少問題があるかとも思うし、商売と教育を一緒くたにするのもどうかというご意見が当然あるかと思うが、「関東と違う」文化圏という意味では当たらずと言えども遠からずなのではないかと思う。

ちなみに小生自身は広島出身で、薄味うどん大好き、ぶっちゃけたストレート表現大好き人間ですが、30年も関東に住んでいると、濃い口うどんも同じように好きになりました。また、こっちが言う時はいまだにストレートになりがちですが、逆に、人からストレートに言われるのは閉口する事が最近とみに多くなってきました。ただ、それも不思議な事に、西日本に帰省した時には、言葉づかいとともにころっと変わるのですが・・・。

私からすれば、家庭学校で10日毎に子供と会え、学校と同時並行で子供を育てられる秩父校がうちにはとても合っている、とここまでは思う。いろんな選択肢を提供して下さっている光の村グループのふところの深さに改めて感謝させていただきたい。

ただ一つ気になるのは、土佐校の方にだけ高等部卒業後の専攻科や成人後の福祉施設があることだった。しかし、それさえ今度の光岩小学校跡地への移転を機にいろんなことが計画されていると聞く。

大いに期待させていただきたいと思う。そして、この時期に光の村にご縁があった事にまた感謝する。そして、これまでの先輩方のご苦労に心から御礼を申し上げたいと思う。





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土佐校の情報発信

2007年04月01日 | 光の村
最近ふと気づいたが、光の村土佐校のウェブサイトがずいぶん変わり、とても読みやすくなっていた。

また、それと時を同じくして、どういう理由かわからないが、はちきんおばさんのサイトが閉鎖されていた。土佐校の先生の奥様(?)が書かれたサイトで、とてもざっくばらんに土佐校の日常が表現されていた。女性らしく、感情表現がとても豊かで、紋付き袴、裃を付けた学校公式サイトとは違った味があり、大変参考になったのに、本当に残念だ。

ただ、公式サイトよりも目立つところがあったせいか、公式サイトが充実するにつれ、「本当の学校から、ずれた印象を世間に与えてしまう」という事で、遠慮しないといけなくなったのかも知れない。もしくは、体調を崩されたのかも知れない。あくまで、小生の推論だが・・・・。

このブログのような弱小サイトはまだあまり問題ないのだろうが、秩父校に関するサイトが今のところ学校の公式サイトとこのブログしかない以上、そういう意味で、そのうちここも遠慮しないといけなくなるかも知れない・・・。

それくらいネットによる情報公開を土佐校自身が重視し始めたという事だろう。

また、世間の「普通の障害児教育」とはやや方向性を異にする、「もうひとつの教育」(西谷先生の御著書のタイトル)をする光の村は、ネットで目立てば目立つほど、当然異論に晒される事を覚悟しなければならず、ある程度意見をまとめて発信しないと学校としての公式スタンスが保てないという事なのかもしれない。

コメントやトラックバックを一切認めないというのはある意味寂しいことだが、その事にこそ障害児教育界における光の村の立場がわかるような気がした。

フロンティアに挑む挑戦者とは、えてしてそういうものだ。

そして、光の村のすごい所は、挑戦するだけで終わらず、この困難な障害児教育という分野で「結果」が出ている事だ! 

ただ、惜しいかな、とても残念なのは、同じ子で、「普通の障害児教育」と光の村式「もうひとつの教育」を同時に試してみる事ができない事だ! まさに、そこに隔靴掻痒の感がある。

しかし、それは大病を患い、医者にかかる時とて同じ事だ。手術の後、「しまった!やっぱり、あっちの病院で手術すれば良かった。」と後悔しても、いったん切ってしまったものはもう元には戻せないのだ。コンピューターのようにリセットする事は不可能なのだ。

その時その時でよく悩んで、その時点で信ずる道を進むしかない。今まで自分が学んだあらゆる知識と経験を巡らせ、自分の納得できるものを選びながら。




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