将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

もう30歳! まだ30歳!やっと30歳!

2023年03月17日 | 青年期
2月24日で将人も30歳になった。振り返れば、実にさまざまなことがあった30年だったが、あっという間でもあった。こっちも66歳となり、お互いにいい意味で落ち着いた。誕生祝いに東京スカイツリー のスカイレストランでフランス料理のフルコースを食べた。小学校6年生の時だったか、以前にも1回だけフランス料理を食べたことがあったが、その時は初めから最後まで床に寝転がって、会食にはまるで参加できなかった。今回はちゃんと最後まで奇声もあげなかった。ウエイターさんにも唾を吐いたり、タッチすることもなかった。トイレも会食前に自分から済ませた。生まれて初めてナイフとフォークを使うことになったが、使い方を教えてやれば、たどたどしいながらも最後まで箸を使うことなく食べることが出来た。とりわけ驚いたのは、「難しかったら、この箸を使ったら」と振っても、使おうとせず、何とか努力してやり通したのだ! ……。散々だった以前と比べ、実に隔世の感がある。よくぞここまで育ってくれた。本当にありがとう。そして、ここまで育ててくれた家族、親戚、学校、施設、福祉関係の方々、ご近所さんに深く感謝したい。そして、とりわけ、将人のことで怒らせてしまった方々にもお礼したい。親としても、この30年間でとても多くのことを教えられ、深く人生を学ばせてもらった。この人生は良かった、ありがたかった、と今は思う。

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コロナウィルス騒動

2020年03月22日 | 施設

コロナウィルス騒動のせいで、先週末から施設と外部との接触制限が始まった。つまり、将人が楽しみにしている毎週末の帰省、散歩ができなくなったのだ。さすがに、先週は先生の説得を聞かず、家に電話してきて、お散歩行く、お好み焼き食べる、と帰省をせがんだ。施設ではコロナウィルスはおろか、何の伝染病も流行っていないが、多くの療養病院と同じで、外部との接触を極力少なくすることで、この国難を乗り切ろうということなのだろうが、そんなことを言ってもなかなか理解にいたらないだろうから、ここはやむなく詭弁を弄し、「お父さんが病気になったから帰ってもお散歩に連れて行けない。だから、お父さんの病気画治るまで学園にいて!」というと無言だが、パニックになることもなく、先生に電話を代わってくれた。2週目の今も電話をかけてくるわけでもなく、無断外出したということもなく、学園で過ごせているようだ。そのため、3連休を自宅でのんびりしている。将人にもらった久々の自宅の休みだ。そう、将人が帰ると、とにかくいろいろな所に連れて行ってやろうとして、家にいる時間が少なくなるものだ。6年近く続けている毎週末の帰省は、もう隔週の帰省でもいいのかもしれない……。もう27歳になったのだから。

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洗濯物を畳んでくれる将人

2020年03月08日 | 自宅生活

本当に穏やかになってくれたものだ。長期入所となり、平日は施設、週末は二泊三日で自宅の生活パターンになって、はや3年近く経った。いつも目が三角で、抜け出そう、出しぬこうとしていた、かつての将人の雰囲気はとんとなくなり、一緒に買い物にも付き合ってくれるようになった。ただし、カートを持たせていればだが。毎週行く成田空港の散歩の時も、足の速い将人に父が遅れると、こっちを振り返り、さりげなく待ってくれるようになった。意識して、振り切ろうとしていたかつての将人とは雲泥の違いだ!幸せ…。色々あった。しかし、苦労あった果ての、ささやかな普通、これを幸せと人は言う……、と思う。

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将人がいると、仕事がはかどる?! Easier to wash with Masato?!

2017年02月11日 | 家庭生活

将人が帰省して来てくれると、洗車も簡単だ。一人でもできなくはないが、年をとったせいか、腰が重い。いまや労働力というより、私の行動のきっかけとして将人の存在が大きくなってきた。部屋の整理や書類整理も、将人の相手で忙しいはずの帰省時の方が、逆にはかどるのが不思議だ。

It is much easier to wash the car together when Masato comes back home. He helps me a lot to wash it, which is fantastic,of course, but he might give me a good motivation to do some errands, although I am very busy enough to accompany him. It is very strange!

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冬休み、一段落した我が家の人生. New year holidays. Hill-top of our family life.

2017年01月12日 | 施設

将人のお正月も終わった。転職したおかげで時間が自由になり、今年は6年ぶりに将人とじっくり過ごし、ほぼ2週間べったりできた。行きたくても行けなかった所を次々言うのでかたっぱしから行ってみた。ただし、時間はこっちの都合で我慢させた。すると、待てた。大体、朝は自宅で過ごし、15時くらいから出発した。出先ではよく抑制が効いていて、特にパニックになることもなかった。海ほたる、成田空港、昔住んでいた越谷、春日部の健康ランド、喫茶店、本屋、などなど。

Our new year week has finished. Owing to my work change, I have had enough time to be with Masato for whole of the 2 weeks, which I could not have for 6 years. We have visited many places that he wanted to go to, reflecting upon his patience at the staying facilities on ordinary weekdays. However I did not get controlled by him especially about the starting time. He did have the patience for that. On average we enjoyed the stay at home in the morning, starting about at 15:00. He did not make any particular panics or troubles on the visiting places. I am very happy he had good self-control. The firefly at Tokyo bay aqualine, Narita international airport, the family hot spring centers which are at Kasukabe or Koshigaya where we lived before.

自分にとってもいい子供帰りが出来た。将人は、先日の療育手帳再判定の際の知能検査では3歳児レベルなんだそうだ。子供を育てることで親も成長すると聞くが、うちの場合は2人揃って成長が止まっている? 他の親御さん方を見ていて本当にそう思う。よく言えば、ピュア、悪く言えば単純、素朴、愚直。

I enjoyed the infantile regression in a good meaning. At the revaluation of his rehabilitation certificate, he was diagnosed as 3 year-old boy in terms of Intellectual growth. I hear we grow as we raise our children. I think we are retarded, including me. I truly feel it, seeing other parents. Pure, and also simple, rough, foolishly honest.

手に入れるものは入れたし、獲得できなかったものは自分には縁がなかったのだと諦め切れる年齢になったと思う。次の人生、つまり、また生まれ変わってからやればいいのだと自分に言い聞かせることもできるようになった。将人にも、もう今以上、期待することもないし、入所施設で既にお世話して頂いている。私の身に何かあってもなんとかなる体制にはなった。他の親御さんのように、子供の結婚、先方のご両親との交流等で頭を痛める必要もないわけだ。自分も定年となり、バイトはしているものの、働く必要も本当はあまりない。年金が出るまでの、つなぎのお金くらいは蓄えがある。人生が一段落ついた感じだ。

I have got what I could get. About what I could not get, I have become ready to satisfy myself that they are beyond me. I can now convince myself that I will be able to get them in the next world if I could be born again. Masato has already grown enough for my satisfaction. He lives already at the facility where he can stay long even if I die. I don't have any worries about his marriage or how to communicate with our new relatives of daughter-in law, like the other fathers. Frankly speaking, I don't have to work anymore now after the retirement, although I work sometimes as a part-time job. I have some money before I get at the age when I can get pension. I feel that we have reached the hill-top of the life, where we can take a rest and make a plan for the future.

後は、将人のためになるべく長く生きることが最重要だ。健康と自由、コミニュケーションだろう。出来れば、これまでご支援頂いた世間様に何かいい事が出来ないかと思う。将人と以前した、道のごみ集めもいいと思う。

Now the most important thing is that I should survive or live long as long as I can for Masato. Health, freedom and communication are the keywords for us. I think I would like to do something for the world that we have been cherished by and supported by. It is a good volunteer working to pick up garbage on the road-sides, which we have done at his 1st junior high school student.
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君が僕の息子について教えてくれたこと

2014年08月18日 | テレビ書籍

 

2週間ごと21年間通い続けている、春日部市武里のひろしま天よしに行って、

将人と広島風お好み焼きを食べてきた。いつものように店長と世間話をしていると、

昨日NHKで自閉症の番組をやっていたと教えてくれた。

先日発売になったBSも含めて10チャンネルを全録画できるバードディスクレコーダー

10日分、関東で放送されている全チャンネルをとり貯めてあるので、早速昨日分を見てみた。

Panasonic DIGA ブルーレイディスクレコーダー 5TB

HDD搭載ハイビジョン 4Kアップコンバート出力対応

 DMR-BXT970

パナソニック
 

題名は「君が僕の息子について教えてくれたこと」。22歳の日本人の青年、

東田直樹さんが書いた「閉症の僕が跳びはねる理由」が全世界で翻訳されて、

むしろ外国で大変評判になっているという。実際自分もその本を持っていたが、

通覧しただけで、感じるところまで深くは読んでいなかった。

英語名は「The Reason I Jump」だそうだ。

自閉症の僕が跳びはねる理由

―会話のできない中学生がつづる内なる心

東田 直樹
エスコアール

本人は将人と実によく似た行動をされるが、キーボードを駆使した、その表現力は

実に繊細で奥深い。相田みつおさんの詩にも勝る自閉症児側からのメッセージだった。

 

 

自閉症のお子さんに、父親として何をしてあげればいいかと僕に質問されました。

僕はそのままで十分だとお答えしました。

子供が望んでいるのは、親の笑顔だからです。

僕のために誰も犠牲になっていないと、子供時代の僕に思わせてくれたのが、

僕の親のすごいところです。

僕はそのままで十分だと思います。

お子さんも、お父さんの事が大好きで、そのままで十分だと思っているはずだからです。

 

自分がつらいのは我慢できます。

しかし、自分がいる事で周りを不幸にしている事には、僕たちは耐えられないのです。

思いはみんなと同じなのに、それを伝える方法が見つからないのです。

 

The Reason I Jump: The Inner Voice of a Thirteen-Year-Old Boy with Autism
Ka Yoshida,David Mitchell

Random House Trade Paperbacks

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卒業生合宿

2014年08月12日 | 卒業後

光の村を卒業して早や、5ヶ月たった。毎年8月のはじめに、これまでの卒業生が一同に会して合宿するという催し物がある。早速、今年参加させてもらった。

8年もお世話になっていると、いまだに秩父が故郷のようで、親子ともども卒業した気がしない。また、私立学校のいいところで、先生方もほとんど同じだ。自分自身も中学高校は私立だったので、将人が市立小学校時代、先生方がころころ変わるのが嫌になっていた。帰ってきた時、同じ先生方があたり前のようにいて下さるというのは言葉に表せない深い安心感がある。

あいにく台風で予定されていた行事はこなせなかったが、そういうことに意味があるのではない。慣れ親しんだ人たちにお会いできることがいいのだ。先輩および先輩父兄も大勢来られていた。将人も久しぶりで昂揚していたようだ。

山あいの雨上がりの涼しい夜には、花火大会だ。とてもいい思い出になった。翌朝は、西谷先生のご葬儀の様子と、宮古島の2シーズンをビデオで拝見させてもらった。

次は10月の体育祭、3月の文化祭だ。たぶん、次回も将人は行きたいと言うだろう。

 

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同僚のお子さんが自閉症?

2014年08月03日 | その他

人生とはととても不思議なものだ。うちを手伝ってくれている非常勤のA先生の2才の子供さんがどうも知的障害らしいということで、先週は休みをとって専門医を受診したそうだ。

主治医から自閉症といわれ、奥様は泣き崩れ診察室の外に出て行き、A先生は静かに主治医の説明を聴いたそうだ。

私の場合は母親が泣き崩れるということもなく、何の病識もないかのごとく、のほほんとしていたのがとてもつらかったが、他の状況は全く同じだ。

癌の宣告と同じだ。自分の癌よりも、はるかにつらく、見通しが付かないといってもいいだろう。

そのことを聞いた瞬間、自分が送ってきた、この18年を、このA先生はこれから繰り返す?、いや新たにスタートするんだと感じた。走馬灯のようによみがえるこの18年間。

救急病院は辞めた。週2日で仕事はすませ、後の時間は子供と一緒に終日小学校についていた。出来るだけ脳を刺激しようと、時間さえあれば、日本中をおばあちゃんともども旅行して回った。多くの療育機関の門をたたき、助けていただいた。意外に、この人も知的障害者を子供にお持ちなんだということを知ったりした。船の中で新婚女性の胸を触って大怒られし、親はどういう教育をしてるんだと長々と警察で小言を聞いた。・・・・。・・・・・・・。

いいことも悪いことも沢山あった。

出来るだけ力になりたいと思うのは当然だが、ご本人はむしろ否定したい時期だろうと思う。

自閉症だということ自体がうそだ。主治医が薮医者だから誤診しているだけだ。いや、医学の進んだ今の時代なら直るはずだ。あんたの時代とは違う、といいたい時期だと思う。

あにはからんや、うちの仕事をやめて、子供のことに専念するそうだ。そう、後悔することのないように思う限りのことを子供さんにしてやって欲しい。

その時、もし協力できることがあれば、躊躇なく相談して欲しいと思った。

世の中で自分だけが不幸だと思った時、ふと振り返れば多くの同じ境遇の人、いや倍以上、不幸な人がいるのだということをわかって欲しい。そして、気づいて欲しい。

そう、自分はむしろ幸せなんだということを。

 

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短期入所

2014年05月09日 | 卒業後

車で30分くらいの所にある知的障害者の入所施設に預かってもらい始めて1ヶ月たった。

なかなか将人を入所させてもらえる所がないのだが、それも十分納得できる。他の入所生は短期、長期を問わず、将人から程遠いくらいに重い障害を抱えておられるのだ。そういう人でさえ在宅で頑張っているのだから、将人のように一応話せて、作業もできる知的障害者は家で生活し、働けということなのだろう。

なるほど、ごもっともだ。しかし、障害の度合いは人さまざまだが、こと仕事、となると障害の重い、軽いは問題じゃない。家庭や職場という共同生活が成り立たないのだ。

しかし、何とかなっている、この現実を心から感謝したい。もし預かってくれる所がないと、私の勤務は成立しなくなり、退職は必然的に避けられないだろう。もともと4月までだったのだが、8月まで何とかつながった。これは天から与えられた真珠として、大切に感じよう。

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短期入所を5日ずつ

2014年05月06日 | 施設

平日のみ短期入所させてもらい、昼間もそこで作業をさせていただいている。週末は、光の村の時と同じで、金曜日夕方に帰ってきて、月曜日朝に送っていくというパターンだ。

送迎も助けてもらっているので、仕事に没頭できるというものだ。週末も将人がいると、平日の溜まりに溜まった疲れで精神的、体力的に休まらないので、またヘルパーさんに助けてもらっている。

これがなければ、今の病院勤務は当の昔にできてくなっていただろう。今の病院業務はここらの安定が大前提で成り立っている。そして、4月後半預かっていただいた所で、何とか5月以降も暫くは継続短期入所できるようになったことは画期的だ。まさに特筆に価する。

九死に一生を得たというのはこのことだ。将人も重症の人が多い施設の中で、「将人君、,将人君」と呼ばれて悪い気はしないようだ。比較的すんなり行くし、機嫌も悪くない。ただ、やりたいことが山ほどあるらしく、家に帰ると昼夜を分かたずお茶飲み合戦がまた、始まってしまう。

我々がもしもっと若くて、仕事で22時過ぎに帰り、朝も7時過ぎに出て行くというハードな毎日を送らなければ、しつこい将人の言葉遊びに耐える毎日を持ちこたえられるなら在宅でもいいのであろう。ただ、本当にそれではこちらが発狂してしまいそうだ。ただ、帰省中も家から脱走しなくなったのには感心する。将人なりに家の一員になろうとして頑張っているのだ。

 

 

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