将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

奈良の大仏とインド

2007年01月30日 | 余暇
将人を連れて是非行ってみたい所が何カ所かある。

何とかいい刺激はないかと今までいろんな所に行った。

奈良・東大寺では大仏さんの大伽藍に入るやいなや、将人は大きく目を見開き大仏さんを見上げたきりしばらく動かなかった、というか動けなかったようだ。それまでちょろちょろ落ち着きなく動き回っていたのが嘘のように変わり、大仏殿の中の、太くてずっしりした黒光りする柱に抱きついてみたり、その柱に開いた穴をくぐってみたり、まるで大仏さんにじゃれついているかのようだった。

将人は、非常に大きいものや果てしなく広いもの等、畏れ多い、荘厳なものを見ると心に留まるようだ。いわゆる普通の観光地ではなく、圧倒して威圧するくらい荘重に見えることが大事だ。

その意味ではアメリカのグランドキャニオンを是非いつか見せたいが、少しまだ遠過ぎる・・・・。

それなら比較的近い、まるで人類数千年の歴史がまさに渾然一体となって同居しているインドをまず見せてやりたい。

25年前、10日間ほど行ったインドには本当に度肝を抜かれた・・・。

はるか見渡す限りの大勢の乞食が我々の乗った観光バスを取り囲むかと思えば、ほんの数人が巨万の富を牛耳り、たった一人の恋人のために世界有数の荘重な宮殿を残していた。
車や人で道が混めば、日本ではバスもなかなか進めないが、インドではバスに群がる乞食を車掌が殴り落として進んでいた。
ブランド物で着飾ったお金持ちがいるかと思えば、まるで映画「ガンジー」のように、粗末な布切れ一枚、腰に巻き、手製の土のかまどに乗せた空き缶で食事を作る人もいた。
母なるガンジス川では、火葬した灰を流すのも、歯を磨いて沐浴するのも、みんな同じ、その聖なるガンジス川の水だ。

その暑さも尋常ではないが、そこに住んでいる人々の生き様に驚いた。

保障される事に慣れきって、水と安全ばかりか、人の親切までいつの間にかつい期待してしまう日本の中の自分・・・。

それと正反対で、天候も社会も非常に厳しいインドだが、目が一つという奇形を持った人やその他様々な障害を持つ人が一般人の中にごく普通に混じって生活していたのが妙に心に残っていた・・・。

時間と距離・天候、身分と文化に実に広大な幅を持つインド。そんなインドで将人が何を感じるか。また、インド人が将人にどういう対応をしてくれるか、とても楽しみだ。

インドまで約8時間のフライトは、将人にとって並大抵の事ではないが、5時間半も自転車に連続して乗れる忍耐力ができたのだ。そう遠くない将来可能になると思っている。



追伸 :

中国とともに眠れる大国だったインドも、勃興する最近の中国に負けず劣らず大躍進しているらしい。聞けば、国を挙げてITに注力しているようだ。日本の九九(9x9まで)に相当する2桁(19x19まで)の掛け算表を暗記するなど、もともと数学に長けた民族だが、イスラエルと並んで、いまや世界有数のソフトウェア開発国なのだそうだ。

そのせいか、中東・湾岸諸国の若者も、以前は欧米に留学する人が圧倒的に多かったそうだが、今や近くて安上がり、そして世界中からヘッドハンティングされて来た優秀な教授が集まるインドの大学に留学するようになっているそうだ。


コメント
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