将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(7)

2011年11月19日 | 体育
この感動はトライアスロンができたから、という単純なことでは決してない。

人にはなかなか伝えきれない種類の感動だ。だからこそ、去年の高3の父兄の話も今一つしっくり響いてこなかった。

将人誕生から、自閉症発症、就学前療育、小学校教育、そして、その後の光の村の6年間が走馬灯のように脳裏を駆けめぐり、あんなにどうしようもなかった子がこんな事までできるようになったんだ、して戴いたんだと、その幸せなギャップに驚いた感動なのだ。

エメラルドグリーンの海に浮かぶボートでUターンの際タッチするたびに一喜一憂した将人の遠泳、1時間半ごとに先回りしてお尻を気づかったバイク、2kmごとにエイドをしつつ、スターに群がるパパラッチのように写真を撮りまくったラン、どれをとっても思い出深く、極彩色の映画のような光景が、我が親子の一生の思い出になることは間違いない。

遠い宮古の地で見た、つかの間の夢に終わらせず、この元気を将人と歩む、これからの力としたい。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(6)

2011年11月16日 | 体育
そして、みなさんに「おめでとうございます」と言って戴いた。

「すごいですね」ではないので、当初キョトンとしてしまった。

そうか、将人がこういう事までできるようになった事は有難い事なんだと、後になって初めて気づいた。

昔、スキーノルディック複合の荻原健司さんが言っていた。地元の大会で優勝した時にはみんなから「おめでとう」と言われたけど、オリンピックで優勝した時は「ありがとう」って言われ、やはりオリンピックは違うなと思ったそうだ。

私は将人に「ありがとう」とお礼を言いたい。将人がいてくれたおかげで、普通では経験できない、深い人生を送らせてもらっています、と。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(5)

2011年11月14日 | 体育
そして、それを障害者としてではなく、一人の人間として皆さんが支え、賞賛して下さった。

マラソンのゴールの際、無感動な将人たちの手を、先生が何とか挙げさせて、満面の笑みを、実に自信深く、また大変誇らしげにしておいでだったのを見て、思わず、ほろっと来てしまった。

こんな大変なことまで付き合い、将人たちとコミニュケーションをとってくれる先生たちがこの世の中におられるのだ、と。人生、まだ見捨てたものじゃない、と。

あの大きくて立派な陸上競技場をわずか15名の生徒たちのために宮古島市がオープンし、保育園の園児が大勢踊って出迎えてくれた。

ボランティアさんが待ち構えてマッサージを施して下さった。

宮古島はもちろん、遠く東京からも朝まだ暗いうちからボランティアで伴走して下さった宮古島トライアスロンクラブの方々のお気持ちも感動的だった。

もちろん、光の村の土佐と秩父の先生方にはどんなに感謝してもし切れないものがある。

いろんな方々に支えられ励まされて、あの5日間があった。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(4)

2011年11月10日 | 体育
そうして、何にも出来なかった将人が初日の3kmスイム、9時間近くのバイク、そしてエイドを除けば4時間も切ろうかという42.195kmのフルマラソンをこなし切った。実に淡々と、ちょっとお散歩して来たよ、とでもいうかのように。

その時、ふと感じた。尊敬・・・。

そう、生まれて初めて将人を尊敬のまなざしで見ていることに気づいた。

これまで、「よく頑張った」と褒めてやっても、それはあくまで上から目線だった。「偉いね」と言っても、言われても、知的障害者にしては・・、というまくら言葉が必ず陰にあった。

それが、今回に関しては圧倒的な威圧感をもって、あのエメラルドクリーンの島で水を得た魚のように、将人が実に生き生きと神々しく輝いて見えた。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(3)

2011年11月08日 | 体育
ただ、去年の高3の方々に感想を聞いて、みんな感動して帰って来ておられることはよくわかったが、それでもまだ、トライアスロンへの思い入れは湧いて来なかった。

だが、今回、宮古島にお邪魔して、将人たちと思い出深い5日間を過ごさせてもらった事は、まさに夢のような貴重な体験だった。

生徒たちはみんな誰一人として苦しそうな顔をしていなかった。

疲れた顔は時折見られたが、概して淡々とこなしていた。

普段の地道なトレーニングのなせる業だろうし、先生方の綿密で適切な計画のためだろう。将人など、42.195km走ってきたのに鼻歌交じりにふざけていた時さえあった。

本人たちが望んで始めたトライアスロンではない。

だが、本人たちが嫌々やったトライアスロンでもなかった。

エレベーターに乗れないから嫌だが、トライアスロン自体が嫌なわけではなかったようだ。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(2)

2011年11月04日 | 体育
一方、入学後、自我が芽生え、扱いにくくなっていくに連れ、言葉が十分使えない将人とどうしてコミニュケーションするのかと暗澹たる気持ちになっていた時、光の村のある先生が教えて下さった。

運動を通じて交流するんだ、と。

そうか、普通の子なら言葉でのやり取りで笑ったり怒ったりして、お互いが分かり合えるのだが、自閉症の子はそれが困難なので、運動する際に突き当たる様々なことをきっかけにコミニュケーションをとって行くわけか…。

単にスピードや数を追うのが運動指導の目標ではなく、交流を図った後の結果として、それらが第2の目標となっていくだけなのだ。

そう気づいてから、家庭学校で一緒に運動することも楽しくなって行った。将人もそれに応えた。5kmのマラソンがあたり前になり、光の村マラソンでは順当に、中学で20km、高校で30kmと距離を伸ばした。しかも、ずいぶん余裕を残して・・。

これなら、もう親の心配は不要だった。トライアスロンがかわいそうだから、学校を辞めさせようとはもう思わなくなっていた。

運動を通じたコミニュケーションの頂点、忍耐力を要する作業学習の究極の姿がトライアスロンだろうと思った。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(1)

2011年11月01日 | 体育
約6年前、光の村中等部に入れていただき、トライアスロンが光の村教育集大成の高校卒業旅行と位置付けられていることを知り、少し戸惑った。

寮生活を通した生活指導の他に、運動と作業がその教育の2本柱だと認識はしていたが、何もスポーツ選手に育てる気はなかったからだ。

小学校のままではどうしようもないと、どちらかというと自由放任教育が主流に見える公立養護学校を離れ、私立の光の村教育を選択し、寮生活でせめて「生活」「協調性のある行動」をその中学・高校6年間の最小限の目標にしようと思ったのだ。

多くは望まず、せめて世間様に後ろ指をさされないようにだけはしてやりたいと、手堅く考えた結果だった。
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