仕事で何回も転勤したので、これまで何度となく引越し屋さんにお世話になった。若いうちは荷物も少なく自分で荷造りしたが、年をとるにつれ荷物が多くなり、仕事も忙しく、生活も不規則、体も疲れがちとなってきたため、引越し屋さんに荷造りまでお願いするようになって行った。
自分で自分の荷物を整理すると、ちょっとした物でもさまざまな思い出があるのでなかなか捨てられない。箱にどんどん詰めていけばいいのに、ついつい思い出に耽ってしまう。半日かかっても、まだ半分も片づかないということがしばしばだった。
ところが、業者さんに頼むと、2~3人でやってきて、どんどん箱詰めして、あっという間に終わったので、びっくりした事がある。業者さんはもちろん思い出に耽ることもなく、荷物の大きさと壊れ易さ等を気にしながら、箱に詰めていくだけだからだ。
・・・・・・・。
光の村でお世話になるようになり、10日おきに4日しか将人とつき合わなくなった。小学校時代の大変さから、一転して開放されたわけだ。24時間の生活指導を込めた学校教育を期待して入学させていただいたが、結果的に施設の要素で楽させてもらっている。このしっぺ返しは卒業後に来るわけだ。人間は弱いものだ。いったん楽してしまうと、元には戻れない。
自動車がなかった時代は、みんな歩いて移動しただろう。しかし、今もし自動車が使えなくなったら、どうだろう。1週間と耐えられるだろうか。
障害児をいったん施設的なものに入れてしまうと、もう同居する事は不可能じゃないだろうか。世の中の大多数の学齢期・知的障害者は地元の養護学校に通っている。という事は、楽させてもらっているのは、日本中で光の村の親くらいだ。
(他にも数校、全寮制の学校はあるし、早々と小さいうちから施設入所になってそこから養護学校に通っている子もいるが・・。小学校低学年の時、何回か近くの児童施設に短期入所させてもらったが、将人よりはるかにコミニュケーションのとれる子たちが何人もいたのにとても驚いた・・・。また、楽していないという親御さんも中にはいらっしゃるかもしれないけれど・・。)
そこで、ふと思う。この春、大学を卒業された新任の先生方でさえ、手のかかる、うちの子たちを立派に面倒見て下さっているのだ。どうして親が、自分の子を大変に思うのだろうか。
意外に、よその障害児だと簡単につき合えそうに思える・・。自分の子だと、生まれてこのかたの歴史、そして行く末を全部その子の瞳に見てしまうから「重い」のではないだろうか。もしそうなら、子供交換とまではいかないまでも、お互いの子を世話し合うというのは困難だろうか。
もちろん、親同士の感性は実にさまざまなので、良かれと思ってした事、言った事でも、その子の親御さんから見たら不快だったりするかもしれないが・・・。家族のお見合いが必要だろう。しかし、親同士助け合うしかないんじゃないか。
国の方針から入所施設は解体の方向にある一方、家族だけで終日、子供を見るのは「大変な」体力と気力がいる・・・。障害者を持つ数家族が長屋に住み、プライバシーを保ちつつ助け合えば、たとえヘルパーさんを雇うにしても余裕が出るというものだ。施設やグループホームなど他力依存から、自力で相互扶助する方向に行けば、行政の判定に翻弄されることもなく、景気動向による予算削減にびくびくする必要もないのだ。
言うは易く、行うは難し、は百も承知だが、これは、たとえ後3年、あるいは5年お世話になろうと、いつかは決断しないといけない問題だ。早いか遅いかだけの違いのように思える。
自分で自分の荷物を整理すると、ちょっとした物でもさまざまな思い出があるのでなかなか捨てられない。箱にどんどん詰めていけばいいのに、ついつい思い出に耽ってしまう。半日かかっても、まだ半分も片づかないということがしばしばだった。
ところが、業者さんに頼むと、2~3人でやってきて、どんどん箱詰めして、あっという間に終わったので、びっくりした事がある。業者さんはもちろん思い出に耽ることもなく、荷物の大きさと壊れ易さ等を気にしながら、箱に詰めていくだけだからだ。
・・・・・・・。
光の村でお世話になるようになり、10日おきに4日しか将人とつき合わなくなった。小学校時代の大変さから、一転して開放されたわけだ。24時間の生活指導を込めた学校教育を期待して入学させていただいたが、結果的に施設の要素で楽させてもらっている。このしっぺ返しは卒業後に来るわけだ。人間は弱いものだ。いったん楽してしまうと、元には戻れない。
自動車がなかった時代は、みんな歩いて移動しただろう。しかし、今もし自動車が使えなくなったら、どうだろう。1週間と耐えられるだろうか。
障害児をいったん施設的なものに入れてしまうと、もう同居する事は不可能じゃないだろうか。世の中の大多数の学齢期・知的障害者は地元の養護学校に通っている。という事は、楽させてもらっているのは、日本中で光の村の親くらいだ。
(他にも数校、全寮制の学校はあるし、早々と小さいうちから施設入所になってそこから養護学校に通っている子もいるが・・。小学校低学年の時、何回か近くの児童施設に短期入所させてもらったが、将人よりはるかにコミニュケーションのとれる子たちが何人もいたのにとても驚いた・・・。また、楽していないという親御さんも中にはいらっしゃるかもしれないけれど・・。)
そこで、ふと思う。この春、大学を卒業された新任の先生方でさえ、手のかかる、うちの子たちを立派に面倒見て下さっているのだ。どうして親が、自分の子を大変に思うのだろうか。
意外に、よその障害児だと簡単につき合えそうに思える・・。自分の子だと、生まれてこのかたの歴史、そして行く末を全部その子の瞳に見てしまうから「重い」のではないだろうか。もしそうなら、子供交換とまではいかないまでも、お互いの子を世話し合うというのは困難だろうか。
もちろん、親同士の感性は実にさまざまなので、良かれと思ってした事、言った事でも、その子の親御さんから見たら不快だったりするかもしれないが・・・。家族のお見合いが必要だろう。しかし、親同士助け合うしかないんじゃないか。
国の方針から入所施設は解体の方向にある一方、家族だけで終日、子供を見るのは「大変な」体力と気力がいる・・・。障害者を持つ数家族が長屋に住み、プライバシーを保ちつつ助け合えば、たとえヘルパーさんを雇うにしても余裕が出るというものだ。施設やグループホームなど他力依存から、自力で相互扶助する方向に行けば、行政の判定に翻弄されることもなく、景気動向による予算削減にびくびくする必要もないのだ。
言うは易く、行うは難し、は百も承知だが、これは、たとえ後3年、あるいは5年お世話になろうと、いつかは決断しないといけない問題だ。早いか遅いかだけの違いのように思える。