将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

我が子の瞳と荷作り

2008年10月30日 | 卒業後
仕事で何回も転勤したので、これまで何度となく引越し屋さんにお世話になった。若いうちは荷物も少なく自分で荷造りしたが、年をとるにつれ荷物が多くなり、仕事も忙しく、生活も不規則、体も疲れがちとなってきたため、引越し屋さんに荷造りまでお願いするようになって行った。

自分で自分の荷物を整理すると、ちょっとした物でもさまざまな思い出があるのでなかなか捨てられない。箱にどんどん詰めていけばいいのに、ついつい思い出に耽ってしまう。半日かかっても、まだ半分も片づかないということがしばしばだった。

ところが、業者さんに頼むと、2~3人でやってきて、どんどん箱詰めして、あっという間に終わったので、びっくりした事がある。業者さんはもちろん思い出に耽ることもなく、荷物の大きさと壊れ易さ等を気にしながら、箱に詰めていくだけだからだ。

・・・・・・・。

光の村でお世話になるようになり、10日おきに4日しか将人とつき合わなくなった。小学校時代の大変さから、一転して開放されたわけだ。24時間の生活指導を込めた学校教育を期待して入学させていただいたが、結果的に施設の要素で楽させてもらっている。このしっぺ返しは卒業後に来るわけだ。人間は弱いものだ。いったん楽してしまうと、元には戻れない。

自動車がなかった時代は、みんな歩いて移動しただろう。しかし、今もし自動車が使えなくなったら、どうだろう。1週間と耐えられるだろうか。

障害児をいったん施設的なものに入れてしまうと、もう同居する事は不可能じゃないだろうか。世の中の大多数の学齢期・知的障害者は地元の養護学校に通っている。という事は、楽させてもらっているのは、日本中で光の村の親くらいだ。

(他にも数校、全寮制の学校はあるし、早々と小さいうちから施設入所になってそこから養護学校に通っている子もいるが・・。小学校低学年の時、何回か近くの児童施設に短期入所させてもらったが、将人よりはるかにコミニュケーションのとれる子たちが何人もいたのにとても驚いた・・・。また、楽していないという親御さんも中にはいらっしゃるかもしれないけれど・・。)

そこで、ふと思う。この春、大学を卒業された新任の先生方でさえ、手のかかる、うちの子たちを立派に面倒見て下さっているのだ。どうして親が、自分の子を大変に思うのだろうか。

意外に、よその障害児だと簡単につき合えそうに思える・・。自分の子だと、生まれてこのかたの歴史、そして行く末を全部その子の瞳に見てしまうから「重い」のではないだろうか。もしそうなら、子供交換とまではいかないまでも、お互いの子を世話し合うというのは困難だろうか。

もちろん、親同士の感性は実にさまざまなので、良かれと思ってした事、言った事でも、その子の親御さんから見たら不快だったりするかもしれないが・・・。家族のお見合いが必要だろう。しかし、親同士助け合うしかないんじゃないか。

国の方針から入所施設は解体の方向にある一方、家族だけで終日、子供を見るのは「大変な」体力と気力がいる・・・。障害者を持つ数家族が長屋に住み、プライバシーを保ちつつ助け合えば、たとえヘルパーさんを雇うにしても余裕が出るというものだ。施設やグループホームなど他力依存から、自力で相互扶助する方向に行けば、行政の判定に翻弄されることもなく、景気動向による予算削減にびくびくする必要もないのだ。

言うは易く、行うは難し、は百も承知だが、これは、たとえ後3年、あるいは5年お世話になろうと、いつかは決断しないといけない問題だ。早いか遅いかだけの違いのように思える。


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受け手から担い手へ

2008年10月24日 | 社会運動
【記事】福祉の担い手“ならでは”知的障害者の働き冊子に
(毎日新聞 2008年10月7日 地方版 から引用)


◇県の委託事業の成果
 受け手から担い手へ--。福祉サービスの受け手と見られがちな知的障害のある人を、逆に高齢者介護の担い手に育てようと、県社会就労事業振興センター(草津市大路2)が県の委託で00年から続ける事業の成果が冊子「その人の“ならでは”の働き」にまとめられた。障害があるからこそ、働きが成り立ったという実例を紹介。今後も県独自の「生活支援員」養成研修を行うよう提案している。

 ◇支援員養成も提案
 現行の研修事業は、参加者が講義や実習を受け、ホームヘルパー3級の資格を取る内容。昨年度までに121人が資格を取り、うち約30人が介護サービス分野で継続して就労。同様の取り組みは他県にも広がっている。
 冊子は、宅老所などで地域ケアに取り組む事業者でつくる「街かどケア滋賀ネット」(代表世話人、溝口弘・共生舎なんてん代表)が作成。「型にはめない」「ゆったり感のムードメーカー」などの項目で、知的障害のある人が働くからこそ、高齢者が安心感を覚えたり、宅老所などの場所そのものが家庭的で自然な雰囲気になった例を紹介している。
 国の制度変更で来年度から、ホームヘルパー3級の資格は介護報酬の対象から外れる予定。しかし、関係者でつくる研究委は「研修は知的障害のある人や周囲の人の能力を引き出すもので、資格取得ありきではない」として、県に対し、知的障害者の就労支援で、これまでの内容を発展させた独自の「生活支援員」養成研修を提案している。
 県内で、障害者雇用促進法の定める法定雇用率1・8%を満たす企業は55・6%(昨年6月現在)と約半数。作業所などから企業への就職も約1%にとどまるなど障害者雇用を巡る厳しい現状がある。それだけに事務局として冊子を取りまとめた同センターのコーディネーター、野村祐子さんは「(障害があるから)周囲が無理だと思っていても、実際に働く中で、できるようになることも多い」と強調。「関係機関が連携して、就労現場の他のスタッフといい関係をつくっていくことが大事」と取り組みの広がりを期待している。

(毎日新聞 2008年10月7日 地方版 から引用)
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中国障害者芸術団

2008年10月21日 | その他
北京パラリンピック開会式では、聴力障害の美女たちの踊りに魅せられ、盲目のピアニストの月光に耳を奪われた。しかし、まだまだ遠い国の人たちの事だと思って見ていた。

ところが、先日、千手観音のパフォーマンスで有名な中国障害者芸術団の日本公演を見ることができた。聴力障害の方達とは聞いていたが、視力障害の方や肢体不自由の方も特徴ある演目をこなしておられた。最後に、足の趾に持ったペンで写真集にサインまでしてもらった。

まず正直な第一印象。ただただ美しい・・・。圧倒される究極の美!

表明的な美しさもさることながら、その奥にある本人や家族、そしてあの人たちをあそこまでにして下さった多くの先生たちの血の滲むような、壮大で果てしない努力がありありと見て取れたからだ。

中国全土約6000万人の障害者の中から選ばれたアーティストたち、総勢約60人。中国3000年の奥深さは本物だ。間違いなく21世紀は中国の世紀になると確信した。
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妻追い込んだ私も加害者

2008年10月19日 | その他
【記事】「妻追い込んだ 私も加害者だ」 福岡小1殺害、父語る
(Asahi.com. 2008年10月19日3時0分 から引用)

「追いつめられていたことに、なぜ気づいてやれなかったのか」

福岡市西区の公園で小学1年の富石弘輝(こうき)君(6)を殺害したなどとして逮捕された母親の薫容疑者(35)の夫(33)が、朝日新聞の取材に断腸の思いを語った。18日で事件から1カ月。夫は、妻の心情にうとかった自分を責めてきた。

「妻に謝りたい」。薫容疑者に会える日を、待っている。勤務先で知り合った2人が結婚したのは00年。2年後に弘輝君が生まれた。弘輝君はよく女の子と間違えられた。「薫はずっと『ジャニーズに入れる』と、かわいがっていた」という。

3人で数カ月に1度は水族館や動物園に家族旅行に出かけた。昨年訪ねた沖縄の美(ちゅ)ら海(うみ)水族館。喜び、興奮した弘輝君が近くの海に入ろうとしたことを覚えている。

が、数年前から体調を崩していた薫容疑者は06年、全身に痛みが走る「線維筋痛症」と診断された。シャワーを浴びるのも痛がる。手に力が入らない、と台所に立つ時は包丁をタオルで手に固定するようになった。

一方、弘輝君は4、5歳のころ、福岡市内の大学病院などで発達障害があると指摘された。「面白くないと物を投げたり壁をけったりする。薫の手におえず、最後は自分が押さえ込んでいた」。うすうす気づいていたらしい薫容疑者は動揺したそぶりは見せなかったが、内心はどうだったのか。「障害に関する本を買って読んでいた。受け入れざるを得なかったんでしょう」

夫は障害がわかる前、いうことをきかない弘輝君に手を上げた。それが原因で一時、母子は夫と離れて過ごした。夫は二度と体罰はしないと誓い、昨夏から一家は福岡市内にある薫容疑者の実家で再び一緒になった。

ただ仕事が忙しく、土曜日も出勤することが多い。多忙で厳しい父と、やさしい母。弘輝君は自然と薫容疑者に甘えるようになっていった。

今年2月、弘輝君を特別支援学級がある同市西区の小学校に通わせるため、3人は近くに転居した。だが、薫容疑者は8月ごろから体調がさらに悪化。育児の負担も重なり、自殺を図った。夫は「死んだら弘輝も悲しむ」とさとし、入院させる話を進めた。

その矢先の9月18日、事件は起きた。夫は「(第三者の犯行を装った)薫の言葉を信じた」。が、4日後の朝、テレビに「母親を逮捕へ」と速報が流れる。実家で薫容疑者は泣きながら、体にできたアザの理由を母親(65)らに明かした。

「全部、弘輝にされたの。あの日は特にひどかったの」

薫容疑者は、首のコルセットの両端を引っ張って自殺しようとし、付き添っていた女性警察官に制止された。夫はその場にはいなかったが、「逮捕は信じられない、の一言だった。アザがあったことも初めて知った」と振り返る。

県警によると、薫容疑者は「弘輝を殺し自分も死のうと思った」と供述した。夫は「薫を追い込んだ自分も事件の加害者だ。接見できたら謝りたい」と唇をかむ。「何年かは1人で事件のことを考えてほしい。自分も反省しながら待っているから」


◇ 厚生労働省で線維筋痛症の研究班長を務める聖マリアンナ医大(川崎市)の西岡久寿樹・難病治療研究センター長によると、同症は「原因不明で全身が痛くなる病気」。患者は国内に200万人と推計される。「医師や周囲から十分に症状を理解してもらえず、うつ状態になる人は多い。ただ、薬の副作用を含め、異常行動は考えられない」と話す。

県警や地検は、薫容疑者が弘輝君の遺体を隠し周囲に捜索を頼んだとして、計画性があったかどうかを調べている。また、当時の心理状態を解明するため、専門家に精神鑑定を依頼した。

(Asahi.com. 2008年10月19日3時0分 から引用)

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全員参加じゃない卒業旅行

2008年10月17日 | 体育
もちろん、生徒さんの中にはまだ体力的、情緒的にこの徒歩旅行に参加できないと判定された子もおられたようで、一生に一度の事なのに全員参加がかなわなかったのはとても残念だった。

私立だからこそ期待した個別指導、個別対応は光の村でも難しいものがあると感じた。うちの近くの公立養護学校は9時から15時程度までの、昼間だけの限られた指導にもかかわらず、120人の生徒に対し、先生方が100人近くおられる。光の村は全寮制で、生徒44人に先生たちはわずか12人だ。仕方のないことなのかも知れない。

ただ、体育・作業を中心とした教育方法なので、遅い子も速い子もひたすらやらせる、追い立てるような事になりがちに見え、本当はここにこそ個別指導が入って欲しいのだが、集団行動を前提としているので、悲しいかな、かなわぬ夢のようだ。

動中静という言葉がある反面、静中動というのもあるような気がする。現にほとんどの子は運動で疲れるせいもあり、段々おっとりして行くが、うちの子に限っては当初1年間こそ目に見えて変わって行ったものの、2年目からはいつもせかせかと追い立てられているような、落ち着きのない傾向にどんどん拍車がかかってきたように思う。思春期というのも大きいだろう。それは130㎞歩いた直後とて同じだった。体力的にモンスターなのだ。慢性躁状態と言ってもいいのかも知れない。

将人の落ち着きは運動や作業など、体を動かす事だけでは得られないのではないか、そんな気がする。このままではいけない・・・。逆を言えば、光の村のご指導のおかげで、それくらい、普通の子に近づいてきたのだなと思う。

ただ、ランナーズハイまでは達したことがないように思うので、そこまでやらせてみたらどうかという気は残る・・・。しかし、それは実験に過ぎないとも思うし、ましてや自分から進んでやるならいざ知らず、療育のためにそこまでさせるべきかどうか・・・。押して駄目なら引いてみる、それも一計と思い始めた。

多動で困って困って困った果てに、光の村にお世話になることにした。要はじっとできるようにしたいのだ。

ならば、いっその事じっとする練習というのはどうか。たとえば座禅だ。これなら親も一緒にできる。特徴的な浅い呼吸も深い呼吸に変わるかもしれない。何より一緒に時間を共有するということが親子のコミニュケーションに何といいことか、この卒業旅行で実感させてもらった。

綺麗な女の人を見れば、いたずらっぽく「エッチしていいですか」と触るふりをするなら、「元気ですか」と言い直させてみよう。言葉の出なかった子が挨拶代わりに声がけしてるような一面もあるのだ。大人でも言葉の少ない人は決して珍しくない。気持ちは純粋でも、うまく言葉に出せず、失敗する人は将人だけではないだろう。

一緒に行動できず脱走するなら、児童虐待といわれかねないのをじっと忍んで、敢えて腰にロープを付けて、犬のように外出してみよう。




まだまだ出来ることはあると思った。諦めるのはまだ早い。

これまでの家庭学校は課題をこなす事に汲々としていただけだった。運動や作業を通じて、加減したり順番を変えたり、ある時は突っぱねたりしながら、将人の反応に反応するという、将人とコミニュケーションをとる事こそを第一義にすべきだった。それは甘やかす事でもないし、上意下達の命令受領機械を作ることでもないのだ。親も「教育」をしないといけなかった。当たり前のことだが、学校という「機械」を通せば、ところてんのように「まともな子」が出てくる事を漠然と期待してはいなかったか。

普通の子が非行に走るのは、家庭でのコミニュケーション不足が一因だとも聞く。まさに将人もそれではないかと思い到った。手をかけてやらないといけなかったのだ。今までは、課題さえこなしていけば光明が見えると盲信していたように思う。その真の意味を見違えていたと反省した。今度の家庭学校で早速やってみようと思う。

ここまで書いてきて、ふと気がついた。光の村でこれほどまでにお世話になりながら、どうして自分は一人で悩んでいるのだろう。まず先生にこそ相談すべきだ。一番身近で、少なくともこの3年間将人の事を一番よく知って下さっているのは親より何より先生の方じゃないかと気がついた。早速ご相談申し上げよう。

ややもすれば、130㎞歩き通したという事だけに気が行きやすいが、いつもはほんの1㎞散歩するだけでも、いろんなものに気を取られ、ふっといなくなったりしてしまうので、こだわりを抑えて、よくもがんばり通してくれた事に将人の大きな成長を感じた。

悲喜こもごも、3年間のいろんな思いを胸に秘めて、感謝と反省の気持ちを反芻した秋の日のウォーキングとなった。当初の計画を見た時、これは行軍だと思ったが、やはり立派な卒業旅行なのだ。


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中学卒業旅行

2008年10月13日 | 体育
普通の中学校の修学旅行は、平和教育を兼ねていたり、歴史的な観光地を回ったりするものだ。最近では海外に出かける学校もあるとか聞く。光の村秩父校の場合は数年前まで、北海道に春、植えたジャガイモを秋、掘り出しに行き、親子共々先生と一緒にみんなで共同して箱詰め・出荷するという作業旅行だったらしい。昨年からは少し変わって、関東平野の中心を流れる荒川沿いを3日間かけ、秩父市役所から東京湾(葛西臨海公園)まで130㎞歩く徒歩旅行になった。そして、その卒業旅行が体育祭の余韻も冷めやらぬ先週あった。特に熊谷あたりからは自転車道なので、天気が良かったこともあり、とても快適だった。

目標歩行速度を少し変えた、数名ずつの2グループに分かれ、それぞれ先生1人が一緒に歩いて下さった。校長先生は自動車でポイントポイントに移動し、いろんなアシストをして下さっていた。2泊は熊谷市、さいたま市それぞれのホテルで子供たちと先生が同宿して下さった。

親は何もすることがなかったが、時間のとれる時には合流してみようと思った。中日の午後、行ってみたが、なかなか合流できず、結局ほとんど別行動で20㎞近く歩いた結果となった。しかし、同じ青空のもとで一緒に歩いているんだなということだけでも意外に満足してしまった。というか、合流できてもどうせ速度的にお荷物になってしまうのではないかという不安があったため、敢えて合流すること自体にしゃかりきにならなかった。

しかし、後でわかったことだが、みんなに追いつこう追いつこうとしていたのに、実はみんなの前を歩いていたらしい。そして、最後まで子供たちに追いつかれなかったということは、歩行速度では決して負けていなかったということだ。一緒に歩けば良かったと後悔した。もう1日時間があれば、再チャレンジしたくなるような、親も十分参加できる旅行だと後で思った。



先々週は体育祭、次の週は長距離ウォーキングということで、先生たちには休まる時間もない。本当にお疲れ様ですと申し上げたい。だが、子供たちはそういう風に徐々に鍛え上げてもらっているせいか、何ということもなさそうに、普通に歩いていた。「歩く」事自体が大変というより、道すがら列(といっても、わずか数人の列だが。)をはみ出したくなったり、脇にあるサインに気を取られそうになったり、いつものこだわりが出る事の方が問題だったみたいだ。

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笑顔に満ちた体育祭

2008年10月08日 | 体育
今年は校庭がとても狭く感じられた。毎年どんどん狭くなって来る。

よく見ると、卒業生とその父兄が大勢いらっしゃっていた。全く見た事もない人は、来春入学を考えているご家族とそのご子息のようだった。今までだって数人はおられたが、今年の比ではないように思う。卒業生専用の会食場所さえ設定されていた。そして、昼食は和気あいあいと体育館の床に車座だ。どなたの発案だろう。

そして、その誰もが笑顔、笑顔だ。こんなにたくさんの笑顔は、普段の日常生活でもついぞ見た記憶がない。(テレビのお笑い番組の中だけだ。) 重度の知的障害児もものともせず、何とかしてやろうと、いつも切羽詰まった雰囲気の先生方も、今日という晴れ舞台では満面の笑みで「どうだ」と言わんばかりだ。

3年前、この体育祭に見学に来させてもらった時、こういう雰囲気があっただろうか・・・。緊張しっぱなしで、まるで地獄の軍隊に入営させるかのような感覚さえ持っていた。単に場の雰囲気を感じる感性に疎かっただけなのかもしれないが。

今年は親の会から写真係を仰せつかったこともあり、今まで遠慮がちに遠景でしか撮らなかった写真を、目一杯子供たちに寄って「表情」を撮った。

「動画」では行動におかしい時があるものの、動画から切り出した「写真」ではみんな惚れ惚れするくらい、いとおしい「精気に溢れた表情」をしてくれていた。

できる、できないは問題じゃない。この表情を見せてもらっただけで明日からまた当分生きて行ける。こんなに元気をもらえた、今年の体育祭に感謝。光の村秩父よ、永遠に!

(体育祭感想文集から)

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