将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

アナログな生活  5/5追伸

2009年01月15日 | 家庭学校
追伸1: 
「駄目。残り5周走ります!!」と気合いを入れる時、以前は本当にただ命令していました。

『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実』という本があります。恥ずかしながらつい最近、それが知的障害者絡みの事件だというのを知りましたが、暴力でマラソンを強要した事はないものの、気持ち的にはその父親に近い感覚があったかもしれません。

僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実
草薙 厚子
講談社

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もしかして、目もしっかり合わせていなかったかもしれません。本当は親もやらせることに躊躇しながらの指示でした。何故なら、自分自身はとうの昔にそれができる体ではなくなっており、自分ができないことを子供に強いることは潔しとしない後ろめたさがありました。かつての自称体育会系の名残です。また、その目的も「アキレスと亀」みたいな、「そういう学校に入れてしまったから」という、わかったようなわからないような、希薄な理解でしかなかったからです。

しかし最近は、ホームランを打った選手をベンチで迎えるジャイアンツの原監督のように、マラソンコースを周回して来る将人と1周毎に手を合わせるようにしています。そして、1周ごとに表情をよく見て、呼吸の仕方がおかしくないか、心拍数は目標を越えていないか、など将人に声かけしながらチェックします。

もしかして、この私の姿勢自体が将人にいい影響を及ぼしたのかもしれません。この数カ月は、以前の荒れが嘘のように静まり、一時は逃げ回っていた将人が近づいてくるようになりました。布団に入って来て一緒に寝てみたり、逆に私の方から一緒に風呂に入ろうかと誘うと「はいっ」と返事をしてくれます。

運動を通じてするコミニュケーションは、将人のとても大事で、貴重な自己表現だったんだと気づきました。

課題をこなすこと自体は目的とせず、とにかく丸一日、将人と一緒に同じ部屋の空気を共有し、コミニュケーションをとる事だけに集中していると、ふと気がついたら、あれほどうんざりするくらい重荷だった、「膨大な課題をいつのまにかこなしていた」という結果が残るようになりました。普通の子なら、話したり一緒にゲームしたり、勉強を見てやったりする事になるのでしょうが、それができないので、結局、課題をするという時間の使い方になる訳です。まるで、二人しかいないお見合いの席で、何も話すことがないため、時間稼ぎに手品を見せたり、着ている服のうんちくをたれるような感じです・・・。

腹筋200回、ゆりかご100回、逆立ち1分3セット、マラソン5㎞26分、ぶら下がり1分3セット、縄跳び200回、走り拭き30往復、手洗いの洗濯、皿洗い、調理、布団畳み、洗顔、服の着脱・折り畳み、劇の練習、歌の練習、などなど・・・。これらの項目を紙に書き連ね、すんだらチェックという、デジタル的なやり方にはほとほとうんざりしていました。

しかし、それらは本来、生活していく中で自然にこなしているものです。運動や歌は少し違いますが、それを趣味にしていると思えば、「普通の流れ」にもとれます。順序は必ずしも一定である必要はないのです。

特に学校と違い、集団行動をするわけでもなく、家庭学校ではアナログ的に、コミニュケーションの流れの中で、ごく自然な順番でいいと思いました。予定の走り拭きが終わったら、歌の練習、それが終わったら腹筋でいいじゃないですか。何も腹筋、背筋、ゆりかご、逆立ちと固めてする必要はないのです。学校では、体育授業の一環なので、固めてされるでしょうが・・。それに耐えることも大事です。しかし、特に家では、家族としてのやりとりを重視すべきだと考えました。

これで一気に楽になりました。

そして、結果的に以前より課題が速く多くこなせるようになりました。大人は「納得して事に当たる」「わからなければ聞く」「聞いてもわからなければ、原点に戻る」、これが一番大事だとあらためて思いました。理解し納得しているからこそ気合いも入るし、応用もきくというものです。それが、結局、子供にも伝わるのです。

そうです。私は将人と普通に接して、普通に一緒に生活できるようになるため、そのコミニュケーションができるようにとこの学校に入学させていただいたつもりです。

体育学校に入れたつもりはないのです。運動をするのはあくまで付けたしであって、それを通じて「コミニュケーションがとれた」ことこそを日々実感できた時、初めてその深い意義がわかったような気がしました。痒い足を、やむなく靴の上からかいていたのが、靴を脱ぎ放って直接足をかけるようになった、ともいうべき感覚です。

これからも将人との貴重なコミニュケーション手段を大事にしながら、やりとりして行きたいと思います。


追伸2:
糖尿病や腎不全の食事療法で、医師から1日の食事を1400カロリー、塩分7g、リン700mg、カリウム1500mg、タンパク質50gの範囲におさえて下さいなどと言われ、いちおう栄養士さんに絵入りの説明書で説明を受けても、実際にそれが自分でできる人はなかなかいません。面倒がらずに、毎食、単に電卓で小学生レベルの計算をすればいいだけなのですが、数字を見るだけで嫌になってしまう人が大半です。

数字は頭の片隅に置きつつ、それに圧倒されないようにしながら、別の生活目標で自分を励まし、いつのまにか同じゴールにたどり着く。それにとても近いと思いました。

数字を頭から排除せず、無視する。数字に押しつぶされないで、逆に数字を御する。腹筋200回なんか絶対するものか、と思いつつ、いつの間にかやってしまう。これです。



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もう物足りない運動量 5/5

2009年01月13日 | 体育
中学1年生の入学時には、顔はだらしなく緩み、言う事もほとんど聞かず、完全なマイペース。姿勢も猫背で、立ち姿勢が保てない、ふにゃふにゃ人間でした。それが、この3年間で大きく変わり、シャキッとしました。

家では、パブリックとプライベートを使い分けさせていますが、一応パブリックではちゃんとできる事もあるようになりました。(ただ、このパブリックとプライベートの区別自体がまだまだ曖昧で、我がまま優先なのが今後の課題です。)

それが、腹筋200回やっても平ちゃらになってくると、また以前のような感じに戻る時が出て来たのです。

正直、マラソンは5㎞で十分だし、光の村マラソンでもハーフで十分じゃないかと思っていました。ところが、この冬期家庭学校中に、この子にはもうそれでも物足りないんじゃないかと感じるようになってきました。

10㎞走ったらさすがに「疲れたー」と言いますが、息もほとんど乱れておらず、最近こだわっている、お気に入りの「門」を見るために、その疲れた体で爆走して近くの家に飛んで行きます。

1周1㎞の周回コースを10周走った時のことです。はじめの1~3周は普通に走りますが、いつもよりかなり速めで、まるで100メートル競争です。後を見越したペースで走る気がありません。そのため、もっとゆっくり走るよう声かけします。

そうかと思えば、時々止まったり、ヤンキー座りしたりします。しかし、これも声かけすればまた走り始めます。走れるのに止まってしまうのです。

この時点で、「もう嫌だー」と、走るのを嫌がりますが、心拍数もあまり上がらず、息もほとんど乱れていません。表情にもまだまだ余裕があります。そのため、「駄目。残り5周走ります!!」と毅然とした口調で言うと、「わかったよ」とばかりに吹っ切れたように走り始めます。まるで、駆け引きを楽しんでいるかのようです。といっても、この子にはこういうことで人と交わるしか、その術(すべ)がないのですが・・・。

すると、どうでしょう。今までよりむしろ若干ペースが速くなり、しかも安定した走りで、休むことなく、いつもの「お仏壇に猫、入れていいですか」の独言も消え、最後の5周を走りきりました。「ただひたすらに何かをした」瞬間です。これこそが光の村教育の目標到達点じゃないかと思いました。

いつもそうですが、将人は後半の方がいいように思います。後半の走りが崩れてきた時こそ本当に疲れて危ない時期なのだろうと思いますが、今のところ、それに到るにはまだまだ余裕がありそうです。

それができたから何なんだ、というのはあります。バスの運転手さんになれるわけでもなく、コンビニの店員さんになることも難しいでしょう。しかし、何をするにしても、前半と違った後半の走りができて初めて次があるような気がしてきたから不思議です。私もいつの間にか、光の村信者になってきたのかもしれません。健常者なら、絵画に没頭してもいいだろうし、料理や数学、介護、はたまた農作業や建築作業に奔走することで同じような経験もできるのでしょうが、この子たちに関し他のアプローチが、今の私には見えません。

私から見ると、かなりきつい運動をやって今に到り、情緒的にもずいぶん変わってきた将人ですが、目標情緒までにはまだまだです。そして、これまでの運動は物足りなくなってきている様子・・。ならば、もう少し負荷を上げてみたらどうかと、私自身が思うようになりました。今のままの負荷を繰り返す事では、少なくともこれ以上の情緒的な変化は期待できない・・・。むしろ退行して行きそうだ、と。もちろん、先輩方の実例があるからこそそういう気持ちになれたのですが・・。

先生方がこれほどまでに献身的に指導して下さる所はなかなかありません。また、高校でもお世話になる事に決めました。どうかよろしくお願いいたします。


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アキレスと亀 4/5

2009年01月10日 | 人生哲学
しかし、そんなこんなも、「将人と10日間も離れて暮らしているから思うことだ」と、この冬期家庭学校中に感じました。

上記のような悩みは、哲学の「アキレスと亀」のパラドックスと同じで、正面切った理屈ではなかなか納得しづらいものと思います。他にこれといった解決法もないのに、袋小路にはまるとは、まさにこのことです。

アキレスと亀が理解できないでも、それから派生した微分積分は実際の工場で日常的に使われている「真理」ですし、真理を前にして逆説の理解ができないと苦しんだとしても、それは真理がおかしいのではなく、視点を変えてみる必要があるということではないかと思い到りました。

「アキレスと亀」を解くカギの一つは「時間」でした。

知的障害児教育とトライアスロンでは何がそれに当たるでしょう。

それは、少年期を脱し青年期に入った将人の、急成長する体力と、また乱れ始めた生活でした。

アキレスと亀―時間の哲学と論理
千代島 雅
晃洋書房

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適切な運動量は? 3/5

2009年01月08日 | 学校生活
土佐校も含めれば40年の歴史のある光の村ですから、教育方針は固定し、これに疑問を抱く方がおかしいと、憲法のように言われるのかと思っていましたが、意外に気さくにお話しいただけました。その結果、多くの疑問が解決しました。本当に、思い切ってお聞きして良かったと思っています。

ただ、運動作業学習が将人の指導にいいのは誰しも合点のいくことですが、正直なところ、その「量的加減」についてはいまだにどうしてもわかりません。

「する」「しない」に関しては「する方がいい」という事は比較的良くわかりますが、「どのくらいが適当なのか」がわかりません。

マラソンが得意な人なら、ハーフができるのだから、次はフルマラソンに挑戦してみようというのはごく自然な流れだと思います。しかし、苦手な人にとっては地獄です。ハーフでも辟易しているのに、フルマラソン、況んやトライアスロンなんてとんでもない、といったところでしょうか。比較的華奢な人が多いマラソン選手に、腕立て伏せを毎日500回やらせるようなものです。

おまけに将人は自分の体調をあまり言えないのです。また、逆に、嫌だというのは良く言いますが、意外にすんなりできたりもします。息も乱さずに・・。このあたりが大変難しい所です! 表情を良く見て、コミニュケーションを逐一とっていれば、本当に調子が悪いのかどうかわかる、という事でしょうが・・。

情緒安定のために、運動させること自体は良くとも、トライアスロンが必須だ、という論拠は成り立たないと感じました。

では、逆に、トライアスロンをしたら情緒が安定するようになった、という実例がたくさんあるかといえば、これは卒業生のことなのでなかなかわかりませんし、長い経過を通じて相対的に判断すべきことなので、傍目にははっきりわかりません。担当の先生も6年間では代わりますから、おそらくその細かな変化は親しかわからないでしょう。特に、場所・相手によって人格を変えますから、とりあえずの一番の目標である家庭での態度は本当に親しかわからないと思います。

となると、帰納的にも演繹的にもその必然性がはっきりしないということになってしまいます。

ただし、積極的に否定する論拠もありません。

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光の村教育の限界? 2/5

2009年01月05日 | 光の村
トライアスロンに関してはいまだに合点が行きません。

得意な人が自ら挑むのならいざ知らず、自分の意思も明確に示せない将人のような子にさせるべきかどうか。

ひたすらにする運動が、「障害のためではなく、甘やかされた環境で粘りがないために出る」さまざまな異常行動の解決となる筈なのに、こと将人に関しては、3年近くたった今でもその効果がいまひとつで、むしろいつも追い立てられているかの如く、せわせわ、わさわさ落ち着きがなくなっているのではないかという気さえします。動かすことが逆効果を生んでるんじゃないか。

間合いを取ってじっと構え、逐次変わる状況を時々刻々とらえ、ここぞという時に一気呵成に攻撃する、武道のような面は全くない、ただ黙々とひたすらに自分と対決するが如きマラソンが自分のスポーツ観にそぐわないのも大きいと思います。

そういう疑念が中学2年後半くらいから湧いてきていました。このまま、高等部に進学させるのはどうかと思い到った所以です。

そこで、校是に疑問を呈するかのような事で、多少気がひけたのですが、思い切って正直にそのまま先生方に聞いてみました。すると、大変お忙しい中、お時間をとっていただき、さまざまなお話しを聞くことができました。
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中学卒業後進路 1/5

2009年01月01日 | 卒業後
おかげさまで、将人もずいぶん立派な体をした青年に成長し、この春、中学卒業となります。

普通はせっかく中高、専攻科とエスカレーター式に進学できるところに在学しているのだから、よほどのことがない限り、そのまま高校進学を考えるのでしょうが、へそ曲がりな親父はそうは考えません。「ふつうはそう」だからこそ、敢えて「他ではなく、この道しかない」という強い理由が欲しいと思いました。何故なら、制度的にも発達的にも、知的障害児にとって今後の3年間が最後の教育期間だからです。

だから、この1年間、他の選択肢はないものか。2009年1月の現時点ではこの道こそが、本当に世界中で最善の道なのかと模索しました。

治らない病気になった時、治らないながらも、あらゆる手段でいろいろ治療を探すのと同じようなものです。自分の病気だと意外にあっさり諦めて、まだ元気なうちに好きなことをする事の方に没頭するかもしれませんが、ごく身近な人間のことだと普通以上にシャカリキになってしまうのが男親の常です。

卒業後の事を考えると、地元の作業所等と関係の深い、地元の養護学校の方がいいかもしれません・・・。
親亡き後を考え、どのみち施設入所を考えるなら、(入学試験をまた受ける必要がありますが、) その先も完備しておいでの光の村土佐校という選択肢もあるでしょう。
中学でもう義務教育は終わりなのですから、いっそのこと学校はもう終わりにして、特色ある入所生活を工夫しておいでの施設もあるようですので、空きがあればそちらの方向というのもいいかもしれません。
精神病院入院というのは難しそうです。

もちろん長期同居可能なまでに、普通の家庭生活が営めるようになる事が一番いいのは、言うまでもないことです。それがためにこそ教育していただいているつもりです。

一方、土佐も秩父も、光の村高校の特徴として、トライアスロンに本格的に取り組む、という世界にもまれな異色の校是があります。これを受け入れられるかどうか。
そして、来年度というか、ここ数年間は、光岩移転という親も頑張らざるを得ない状況があります。これに、親子ともども心身的、経済的に耐え、いい環境が完成するまで頑張れるかどうか。

そして何より、今でさえ過酷な勤務に耐えて下さっている秩父校教職員の方々がこの先も頑張り通して、学校を維持していって下さるかどうか。

様々な観点から考えました。
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