将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

2年目のマンネリ

2007年05月31日 | 想い
将人が中学2年生となり、また2回目の年間サイクルが始まって、はや2カ月がたった。

普通の学校と違って養護学校なので、指導内容は学年というより、生徒の状態で決まる。そのため2年目からは1年生の時の繰り返しというか、より確実にできる様にする事が主となるようだ。特に生活、作業指導はそうらしい。ある意味、親も子も先が見えて楽になるが、気分的にマンネリ化して来る。

昨年の今頃は、将人のいない日でも毎日張り切って朝5時50分に起きて、ランニングしていた。ところが、マラソン明けの交通事故もあったし、膝痛という問題が出てきた経緯もあって、自分だけの朝トレはもう数カ月していない。家庭学校の時も、最近は自転車での伴走ばかりだ。また、それで将人が応じてくれるようになった事も大きい。昨年の今頃は一緒に走らないと、将人も走らなかったのだ。

今からいくら頑張っても、将人の体力的な発達には到底追いつけない事が分かってきたせいもある。また、なまじ、学生時代に体育会系で鳴らしていたプライドがそれを許さないという屈折した事情もある。

昨年は頑張って7月末の雲取山登山にも参加した。しかし、あまりに急峻な坂道が続くため途中で追いつけなくなった。そしたら、早く目的地に着いたからと、弁当も食べずに颯爽とUターンして来た将人たちのグループと休憩中に鉢合わせして、とてもバツの悪い思いをした。今年ははなから登山する気も起こらない。居残り組で、学校の清掃をする事にしようと思う。

登山にせよ、運動会の徒競走にせよ、どうして足、特に太ももを使う競技ばかり多いのだろうか。自分でも、あるいはもっと高齢の父兄でも自転車などで膝や太ももにかかる負担を軽減した、主に心肺系を鍛える運動ならいくらでもチャレンジできるのだ。また、テレビの筋肉番付などのような、本来の得意技である腕立て伏せや腹筋などの競技なら参加できるのだ。球技や格闘技が難しい事は分かるものの、本当にひたすら大腿四頭筋を使う運動ばかりで、困ってしまう・・・。

命を縮めるような、あるいは整形外科的な障害を惹起するような運動は中年以降、危険だと思うが、かといって今の何もしない状態も良くないのはわかっている。心拍数が120~140回/分位になるような運動を30~60分続けるような事はして行かないといけない。冬はトレーニングジムに通い、膝にかかる負担を軽減しつつジョギング相当の事ができる、座った姿勢のトレッドミルをしたが、今の時期は日が出るのも早いし、新緑でとても気持ちがいいので、ぜひウォーキングをしたい。特に自分のウォーキングは大腿の内側筋群を多用するやり方で、ジョギングより速いし、膝は痛くならないし、いい事づくめだ。

ただ、将人と調理する手前、こっちも料理の腕を磨かないといけないので、その方に時間を割きたい気もある。朝早く起きて、運動も調理もという事になると、欲張り過ぎてどっちつかずになってしまうので、それが最大の問題だ。

この歳になっても、やりたい事が一杯あるというのはとても有り難い事である。



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スカイプフォン

2007年05月28日 | その他
ここに書き込むのは実に久しぶりだ。以前から決まっていた6日間のイタリア出張を境に、筆がおろそかになった。

ちょうどミラノに向け出発の朝、マイコプラズマが光の村の寮で流行しているので全員検査する旨、情報が入り、心配しながら旅立った。はたして午後には休校が決まり、将人も帰省することになった。西武秩父から自宅まで電車でもゆうに3時間近くかかる道のりだが、お蔭様で昨年秋頃から、父親以外の迎えでも何とか脱走もせず、自宅までたどり着けるようになっていたので、今回は何とかなった。

将人自身はほとんど症状もないので、本来なら普段の家庭学校に準じて家での生活を送れば良かったのだが、さすがに運動を始め、散歩さえも父親以外では難しい。実際、ずっと家の中では将人もストレスが溜まってしまうだろうと、2度ほど連れ出してくれたようだが、結局我がままを通してしまい、自宅に帰って来たのは夜の9時頃になってしまったそうだ。

そういう意味では、帰省する時と帰省した後の散歩の時とで態度をがらっと変える、知能犯的なところがある。ある意味、安心できる面もあるが、しかし、それでも本人の自信に見合わず、事故はいつでも起きうるので心配も尽きない。

私が帰国する日に学校再開となったようだが、普通の学校じゃなく光の村に帰るのだ。なまじなまった体で帰校しても、その後の学校生活が自他共に大変だ。1週間の缶詰生活から、朝トレである程度体ならしして帰校させる事とした。結局帰校で送っていく都合もあって、更に1週間、都合2週間家にいる事になったが、将人の体力は順調に回復できたと思う。

20年ぶりのヨーロッパだったが、以前と旅行形態も大きく様変わりし、海外用の携帯電話を持って行ったのは大正解だった。もともとあまり使う予定もなかったのだが、将人の件で連日使う事となり、結局1分260円、帰国時の精算額は17000円になっていた。これをもし、ホテルの電話でかけていたら一体何万円になっていたのだろうか。しかも緊急時には間に合わない・・・。実に便利な世の中になったものだ。

ただ、ホテルには当たり前のように有線LANが引いてあったので、もしスカイプを持っていれば無料で自由に国際電話ができたはずだ。そこで、帰国したら早速スカイプを研究した。

この4月から始まったイーモバイルのEM・ONEを持っているので、出先に無線LANがあれば直接ネットにつながる。これにイヤホンマイクを接続して、スカイプソフトを立ち上げれば全世界どこでもスカイプ同士で、無料で何時間でも通話できるのだ。もちろん普通のパソコンでもいいのだが、EM・ONEはいわゆるPDA/携帯端末なのでとても小さく、出張にはもってこいだ。

SONY イヤホンマイク 平型プラグ DR-EX151F W

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今回の場合のように有線LANしかない場合は、無線LANアクセスポイントを自分で作らないといけない。そのため、プラネックスの通話王を購入した。ホテルのLANケーブルをこれにつなぎ、無線LANに変え、これをEM・ONEで受けるという訳だ。ちなみに、この通話王はとてもコンパクトで、もしネットブラウジングの必要がないのなら、これだけ持って行ってホテルの部屋の電話をつなげば、もうそれだけで格安のIP電話ができるようだ。

PLANEX 通話王 VoIP機能付無線ルータ&USB無線アダプタセット BLW-54VP-PKU

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ただ、いつもインターネットにつながる場所にいるとは限らず、今回のような場合、やはり海外用の携帯電話も持っておいた方が良さそうだ。

そして、家から私に電話をかける時は、いったんそれに携帯メールを入れるか、ごく短い会話、または呼び出しだけで終わらせてもらい、そのコールバックとして、近くのインターネットからスカイプフォンをかけるか、それが不可能ならその携帯でまたかけ直すというのが一番良かったのかと思う。

いずれにしても、国内でも話が長くなる用事なら今後はスカイプが多用できると思う。どのみち、そう遠くない将来、携帯端末もIP電話化して定額になるだろうが・・・。


Logitec Skype専用 無線LAN携帯端末

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先生が好き

2007年05月09日 | 学校生活
新学期2回目の家庭学校が終わった。

前回からわずか10日たっただけだというのに、まるで別人のように落ち着いていた。更に、新しい先生方のお名前を挙げて聞くと、即座に、「好きです。」と答える。昨年はこの答えが返ってくるようになるまで約3ヶ月くらいかかったように思う。厳しいご指導をして欲しくて行かせているのだし、厳しい毎日をみんな過ごしているのはわかっているのに、それでも子供たちがすぐ慕い始める・・・。

これこそ寄宿制で昼夜を分かたず、本当の愛情を持って接していただいているからこその事だと思う。

それどころか、最近は家で何か気に入らないことがあると、「光の村、帰る!」とさえ言う。聞くところによると、他の子もそうらしい。

去年のことだが、入学したてで環境は激変するし、よほど辛かったのだろう。その子は8月の家庭訪問の時、担任の先生がはるばる2時間以上もかけて自宅に来て下さったのに、先生を家に入れず、最後まで会おうとしなかったそうだ。先生もさぞかし辛かったことだろう。どんなにか本人のやりたいようにさせて、好かれる方が気が楽だとお思いになったことだろう。

だが、その子も1年が過ぎる頃には、その先生を受け入れ、今では将人と同じように、何かあると、「光の村、帰る」と言うそうだ。

やはり、預けて良かった。自分の経験からしても、それはわかり過ぎるくらいわかっていたはずだが、障害があるとその判断がかすんだ・・・。

寂しくないと言えば、嘘になる。だが、この寂しさはうれし涙のあふれる、誇り高い寂しさだ。




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前長崎市長の娘さん

2007年05月03日 | 人生哲学
長らく長崎市長を務めておられた伊藤一長前市長が射殺され、長崎市長選に娘婿の新聞記者が急遽立候補したが、惜しくも落選となった。

「力のいたらなさのせいで本当に申し訳ございませんでした」選挙事務所で深々と頭を下げる夫の敗戦の弁を聞き届けると、妻であり凶弾に倒れた伊藤市長の長女が、「父、伊藤一長はその程度の存在ですか? 残念です。浮かばれないと思います。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」と発言し、最後は絶叫に近い口調で、体をふらつかせ、数人に抱えられるようにして退出した、という。

父親が選挙中に凶弾に倒れ、急きょ弔い戦となった選挙での敗戦。誠に気の毒といえば気の毒だが、伊藤前市長の長年の功績を全て帳消しにし、水泡に帰させてしまったテレビ報道だったと思う。

もしもまた、周到に準備した後、次期市長選で娘婿さんが立候補したとしても、あの一言でもうその芽さえも消え去ったのではないだろうか。

男は何時も死に際、幕引きをどうするか考えているようなところが多少ともある、と思う。

そういう意味では、伊藤前市長の事をよく存じ上げない小生にも、その名声が聞こえてきているくらいだ。娘さんのおっしゃるように長崎市民には決して悪くとられていなかったのだろう。いや、再選確実と言われていたくらいだから、市民のほとんどの方が誇りに思っておいでだったのだろう。その証拠が、「もし、東京で記者をしている娘婿ではなく、娘さんが立候補していたら当選していただろうに。」という地元の声だ。

突然撃たれ、痛みもなく、苦しむ事さえなく、一瞬のうちに逝った・・・。
そして、長く献身的に尽くさせてもらった長崎市民に惜しんで戴いた。
それも、市長として在職中にだ。俳優で言えば、舞台で大往生したようなものである。

一生のうちで必ず1回、人生の幕引きがあるとしたら、男として、あんな幸せな幕引きがあるだろうか。

そんな男の花道を娘さんの、あの一言が台無しにした・・・。・・・。

あの程度の娘しか育てられなかった親父だったんだと、また別の意味でも男を下げた。
女性というものは、そういう事に全く気が向かないものなんだろうか。
今日の次に、また必ず明日が来るとは限らない。それはみんなよく知っているはずじゃないか。

生き方を考えるのも大事だが、死に方はもっと大事だ。必ず訪れる幕引きを視野に入れ、人生という劇を紡いでいくべきだと自分は思う。

つい先日、映画「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン」を何年かぶりに映画館で見た。男の幕引きならぬ、女の偉大な幕引きを見させていただいた。涙が止まらなかった。館内にいたみんなが泣いていた。

この世の中の矛盾を洗いざらい掃除するかのごとく、無言でその背中に背負って逝く男の幕引き、周囲を引き込み大菩薩のように逝く幕引き、いろんな幕引きがあると思った。

みんな誰もが、一度は子供と一緒に逝く事を考えたはずだ。今はそれが消え、自分の幕引きをちゃんと将人が見届けてくれるかも知れないと、少し期待できるようになった。

また、光の村に感謝。




今後は、小生のエッセー風のものも交え、書いていきたい。

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ブログ名変更

2007年05月01日 | その他

先般申し上げたように、ブログ名を変更して再出発いたします。

  1. プロフィール等にしっかりその旨書いているにもかかわらず、このサイトを学校の公式サイトのように誤解して訪れる方が時々いらっしゃるので、ブログ名を変更し、光の村で検索にかかりにくいようにいたしました。
  2.  また、学校紹介に重きを置かないこととし、公的性格を薄めますので、質問、コメント等を無作為に受け付けるのはやめました。
  3.  これまでは、できるだけ客観的に公平に書いてきたつもりですが、これからは独自色が強くなります。つまり、一般受けしないだろうが、自分はこうだという文章が目立つようになります。
  4. また、最大公約数的な、生徒数増加のためにいいと思われる提案をして来たつもりですが、そういう姿勢も薄くなり、自分がいいからいいんだ式にいたします。他の方に必ずしもいいとは思えない事でも、いいように表現する事があるかと思います。当然、その逆もあり得ます。不都合があれば、各自が発信されれば事足りると思います。
  5.  整合性にもあまり気を配らないことにいたします。前言った事と違うじゃないかということも多々出てくると思います。プライベートブログとはそういうものだと思っています。政治家ではありませんし、過去の発言に将来を縛られるつもりは全くございません。
  6.  ほとんどのブログがそうであるように、情報発信というより、私の名刺代わりの、個人的な公開日記に近い性格に変わります。
  7.  当面結構な数の読者がおられますので続けますが、1日平均読者数が今の半数になったら、閉鎖いたします。市場に受け入れられなくなったら、売り物を代えたり、売り方を変える、あるいは撤退するのは当たり前と言う自明の理に従います。

 

 

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