また、その勉強会でサイコドラマ(心理劇)というものを教えて頂きました。
普段は親、父という目線しかないのですが、自分の子供や、我々親子を脇から長年眺めている猫、あるいは隣のおばさん、担任の先生、幼稚園時代の園長先生、はたまた自宅の電話、学校の電話に扮して、アドリブでお互いが会話していくのです。
しかも、配役を順繰りに変えていく!! さっきは障害児、今度はその親、次は担任の先生、猫、玄関のドア、最後は市役所の担当官・・・・。 とても面白いですが、非常に恐ろしくもあります。
しかし、これまでの見方考え方をいったん全て捨て去って振る舞うというのには、とても新鮮なものがありました。いいカタルシスになると思いました。同じ状況なのに、立ち位置だけでずいぶん考え方、発想自体が変わるもんだなと自分でも不思議な気がしました。
私だって、今は障害児の親していますが、ほんの10何年か前までは逆の立場でした。長い人生の間では、その境は永久的なものでもないし、相互に立場が変わる事さえあり得ます。
行き詰まった時には、心許せる人たちとやってみるといいかも知れません。なるようになるし、みんな結局は同じじゃないかという気がします。
普段は親、父という目線しかないのですが、自分の子供や、我々親子を脇から長年眺めている猫、あるいは隣のおばさん、担任の先生、幼稚園時代の園長先生、はたまた自宅の電話、学校の電話に扮して、アドリブでお互いが会話していくのです。
しかも、配役を順繰りに変えていく!! さっきは障害児、今度はその親、次は担任の先生、猫、玄関のドア、最後は市役所の担当官・・・・。 とても面白いですが、非常に恐ろしくもあります。
しかし、これまでの見方考え方をいったん全て捨て去って振る舞うというのには、とても新鮮なものがありました。いいカタルシスになると思いました。同じ状況なのに、立ち位置だけでずいぶん考え方、発想自体が変わるもんだなと自分でも不思議な気がしました。
私だって、今は障害児の親していますが、ほんの10何年か前までは逆の立場でした。長い人生の間では、その境は永久的なものでもないし、相互に立場が変わる事さえあり得ます。
行き詰まった時には、心許せる人たちとやってみるといいかも知れません。なるようになるし、みんな結局は同じじゃないかという気がします。