将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

グループホーム

2014年01月13日 | 卒業後

以前、、市の福祉課から卒業後の居場所としてグループホームが2箇所あると紹介されたが、将人には到底無理だとあきらめていた。

今回の冬休みのこともあって、在宅では到底無理といまさらながらに再認識し、お尻に火がついた形で卒業後の居場所を探している最中だ。お金に糸目はつけないとまではいわないが、実際お金を気にするどころじゃない。将人の居場所が在宅しかないとなると、失職するのはほぼ確実だ。それ以上に病院にも迷惑をかけることになってしまう。最悪の場合は、職員をも路頭に迷わせることにもなりかねない。

あらためて、学校の方にも聞いてみた。そうすると、近くのグループホームを紹介していただいた。24時間介護の人がついてくれる施設だそうだ。早速問い合わせてみることにした。

いまさらながらに、どうして今までこれを最初から諦めていたのだろうか。灯台元暗しというか、人様の言うことを聞いていないなと我ながら思う。反省しきりだ。

近くに自衛隊空挺団の基地があるが、そこの新年初降下のイベントがあった。公開しているので、3年ぶりに行ってきた。まさに、清水の舞台から飛び降りるような覚悟で、今までやらなかったようなことにも突っ込んでいかないと、卒業後の将人を連れて、将来はないと思う新年である。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知的障害者雇用

2014年01月05日 | 就職

将人のことには思考停止してしまう私だが、他の子には比較的ドライ、かつ現実的に頭が回るのが、自分でも不思議だ。

おそらく他人だと、ある程度冷静に見限ることができるが、将人だと期待、チャレンジ、これまでの子育ての後悔などなど、いろんな思いが重なってしまい、あまりにも重く、単純な発想にならないからだろうと思う。将人の世話をしてくれる職員をみていて本当にそう思う。意外にあっさりと対応できている。親のような重いものがないからだろう。

知的障害のあるご自分のお子さんは光の村土佐に入れて、ご自分は秩父校で勤務されていた先生が以前おられた。自分の子を自分・自分の仲間はみない、というのはわかるような気がする。

先日、近くの特別支援学校から高校3年生A君の就労実習をさせてくれないかと依頼があったので、1週間ずつ3回来てもらったが、今度は、うちの施設で来春から就業させてくれないかという依頼まで来た。そんな話はもともとなかったので驚いた。

 

特別支援学校に経営者として出す回答として、以下の2案を検討している。

「第1案」

月給は月2万円。ペアを組む当施設職員に15万円手当てを出します。そして、二人でできた仕事に応じて、給料の比率を変えます。つまり、二人で1人前から1.5人前、2人前の仕事量になるにしたがって給与を上げるのです。ずっと同じの可能性もあります。これがうち式の平等です。半年たっても仕事量が2人前にならないなら、解雇です。他に行ってもらいます。

 

「第2案」

先日、引きこもりの人たちに仕事をくれないかと個別に訪問して下さった福祉関係の方も同じですが、A君の例を引くまでもなく、障害者、特に知的障害者をいったん雇うと、その人、時にはその家族の全人生もいきなり背負い込むことになって、企業は腰が引けて当たり前です。

仕事も沢山ある時期もない時期もあります。フェンス周りの剪定時期、会社内の大掃除の時期、たな卸しの時期、などなら人手ができるだけ欲しいでしょうし、一人だけではなく、数人ならジョブコーチも付けやすいでしょう。つまり、派遣会社を作り、そこから仕事に応じて、個別に契約するシルバーさんみたいな運営にすると、仕事を発注する側からはとても気が楽になります。

そういう派遣会社を私財を投じて作る事は、やぶさかではありません。その運営を補助する形で、専門家である養護学校の先生たちにもご協力いただけるといいと思います。そこから、A君だけではなく、まとまった仕事がある時に、数人、ジョブコーチ付きで派遣してもらうのです。これなら雇用自体には何の負担もないだろうと思います。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の冬休み

2014年01月04日 | 家庭学校

将人の最後の光の村・冬休みだというのに、帰ってくるや否や、文化祭の練習などデューティーはこなすものの、それを済ませると、さっさっとお散歩に出かけてしまう。

学校の寮生活では全然起きないのに、帰ると睡眠不足となるので、出先でてんかん発作を起こしてしまう。自然に治まったものの、救急隊で保護したと品川駅から連絡が来た。次の日は成田空港第2ビルで走り回っていたとお叱りの電話をいただいた。その次の日は、電車に乗るや否やアベックの横に座り、気味悪がられて通報されたりと、連日の電話で、勤務中もとてもじゃないが落ち着かない。散々な前半1週間だった。

出ないように24時間見張っていようかとも思ったが、思うだけで体が言うことをきかない。ドアに鍵して閉じ込めようとも思ったが、それは親でも監禁罪になるのだそうだ。一緒に部屋の中にいればいいのだろうが、それでは仕事にならない。堂々巡りだ。

さすがに根を上げて、横浜の先生にまたお願いすることになった。まるで自閉症のレスキューのように、いざという時に鎌ヶ谷まで駆けつけてくれる、とてもありがたい先生だ。命からがら救急車で助けてもらった時の気持ちというのはこういうのを言うのだろう。

結局10日間預かったもらった。あちらではちゃんとしていたらしい。親子関係を再構築すれば、何とかならなくもないような気がするが、どちらにしても並大抵のことではないし、仕事にならない。

自閉症者を施設に入れておくというのはしなくなったし、施設解体の方向だとは言うが、他の人は一体どうしているのだろう。将人は比較的話もできるし、重度とはいえ、光の村で生活する限り、そんなにひどい状況でもない。こういう状況で、地域でみる、在宅で過ごす、というのは絵空事だ。

将人に罪はない。しかし、知的障害、認知症、精神疾患には身体疾患とはまったく違った社会的な問題が内在する。普通の人が生きていくのさえ困難な時代には、むしろこういう問題は露見しなかった。命が軽かったからだろう。一方、現代の開発途上国、社会主義国での状況は放置という混在が多いようで、やはりはっきりした解決はないようだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする