将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(7)

2011年11月19日 | 体育
この感動はトライアスロンができたから、という単純なことでは決してない。

人にはなかなか伝えきれない種類の感動だ。だからこそ、去年の高3の父兄の話も今一つしっくり響いてこなかった。

将人誕生から、自閉症発症、就学前療育、小学校教育、そして、その後の光の村の6年間が走馬灯のように脳裏を駆けめぐり、あんなにどうしようもなかった子がこんな事までできるようになったんだ、して戴いたんだと、その幸せなギャップに驚いた感動なのだ。

エメラルドグリーンの海に浮かぶボートでUターンの際タッチするたびに一喜一憂した将人の遠泳、1時間半ごとに先回りしてお尻を気づかったバイク、2kmごとにエイドをしつつ、スターに群がるパパラッチのように写真を撮りまくったラン、どれをとっても思い出深く、極彩色の映画のような光景が、我が親子の一生の思い出になることは間違いない。

遠い宮古の地で見た、つかの間の夢に終わらせず、この元気を将人と歩む、これからの力としたい。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(6)

2011年11月16日 | 体育
そして、みなさんに「おめでとうございます」と言って戴いた。

「すごいですね」ではないので、当初キョトンとしてしまった。

そうか、将人がこういう事までできるようになった事は有難い事なんだと、後になって初めて気づいた。

昔、スキーノルディック複合の荻原健司さんが言っていた。地元の大会で優勝した時にはみんなから「おめでとう」と言われたけど、オリンピックで優勝した時は「ありがとう」って言われ、やはりオリンピックは違うなと思ったそうだ。

私は将人に「ありがとう」とお礼を言いたい。将人がいてくれたおかげで、普通では経験できない、深い人生を送らせてもらっています、と。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(5)

2011年11月14日 | 体育
そして、それを障害者としてではなく、一人の人間として皆さんが支え、賞賛して下さった。

マラソンのゴールの際、無感動な将人たちの手を、先生が何とか挙げさせて、満面の笑みを、実に自信深く、また大変誇らしげにしておいでだったのを見て、思わず、ほろっと来てしまった。

こんな大変なことまで付き合い、将人たちとコミニュケーションをとってくれる先生たちがこの世の中におられるのだ、と。人生、まだ見捨てたものじゃない、と。

あの大きくて立派な陸上競技場をわずか15名の生徒たちのために宮古島市がオープンし、保育園の園児が大勢踊って出迎えてくれた。

ボランティアさんが待ち構えてマッサージを施して下さった。

宮古島はもちろん、遠く東京からも朝まだ暗いうちからボランティアで伴走して下さった宮古島トライアスロンクラブの方々のお気持ちも感動的だった。

もちろん、光の村の土佐と秩父の先生方にはどんなに感謝してもし切れないものがある。

いろんな方々に支えられ励まされて、あの5日間があった。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(4)

2011年11月10日 | 体育
そうして、何にも出来なかった将人が初日の3kmスイム、9時間近くのバイク、そしてエイドを除けば4時間も切ろうかという42.195kmのフルマラソンをこなし切った。実に淡々と、ちょっとお散歩して来たよ、とでもいうかのように。

その時、ふと感じた。尊敬・・・。

そう、生まれて初めて将人を尊敬のまなざしで見ていることに気づいた。

これまで、「よく頑張った」と褒めてやっても、それはあくまで上から目線だった。「偉いね」と言っても、言われても、知的障害者にしては・・、というまくら言葉が必ず陰にあった。

それが、今回に関しては圧倒的な威圧感をもって、あのエメラルドクリーンの島で水を得た魚のように、将人が実に生き生きと神々しく輝いて見えた。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(3)

2011年11月08日 | 体育
ただ、去年の高3の方々に感想を聞いて、みんな感動して帰って来ておられることはよくわかったが、それでもまだ、トライアスロンへの思い入れは湧いて来なかった。

だが、今回、宮古島にお邪魔して、将人たちと思い出深い5日間を過ごさせてもらった事は、まさに夢のような貴重な体験だった。

生徒たちはみんな誰一人として苦しそうな顔をしていなかった。

疲れた顔は時折見られたが、概して淡々とこなしていた。

普段の地道なトレーニングのなせる業だろうし、先生方の綿密で適切な計画のためだろう。将人など、42.195km走ってきたのに鼻歌交じりにふざけていた時さえあった。

本人たちが望んで始めたトライアスロンではない。

だが、本人たちが嫌々やったトライアスロンでもなかった。

エレベーターに乗れないから嫌だが、トライアスロン自体が嫌なわけではなかったようだ。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(2)

2011年11月04日 | 体育
一方、入学後、自我が芽生え、扱いにくくなっていくに連れ、言葉が十分使えない将人とどうしてコミニュケーションするのかと暗澹たる気持ちになっていた時、光の村のある先生が教えて下さった。

運動を通じて交流するんだ、と。

そうか、普通の子なら言葉でのやり取りで笑ったり怒ったりして、お互いが分かり合えるのだが、自閉症の子はそれが困難なので、運動する際に突き当たる様々なことをきっかけにコミニュケーションをとって行くわけか…。

単にスピードや数を追うのが運動指導の目標ではなく、交流を図った後の結果として、それらが第2の目標となっていくだけなのだ。

そう気づいてから、家庭学校で一緒に運動することも楽しくなって行った。将人もそれに応えた。5kmのマラソンがあたり前になり、光の村マラソンでは順当に、中学で20km、高校で30kmと距離を伸ばした。しかも、ずいぶん余裕を残して・・。

これなら、もう親の心配は不要だった。トライアスロンがかわいそうだから、学校を辞めさせようとはもう思わなくなっていた。

運動を通じたコミニュケーションの頂点、忍耐力を要する作業学習の究極の姿がトライアスロンだろうと思った。
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高校卒業旅行が宮古島トライアスロン(1)

2011年11月01日 | 体育
約6年前、光の村中等部に入れていただき、トライアスロンが光の村教育集大成の高校卒業旅行と位置付けられていることを知り、少し戸惑った。

寮生活を通した生活指導の他に、運動と作業がその教育の2本柱だと認識はしていたが、何もスポーツ選手に育てる気はなかったからだ。

小学校のままではどうしようもないと、どちらかというと自由放任教育が主流に見える公立養護学校を離れ、私立の光の村教育を選択し、寮生活でせめて「生活」「協調性のある行動」をその中学・高校6年間の最小限の目標にしようと思ったのだ。

多くは望まず、せめて世間様に後ろ指をさされないようにだけはしてやりたいと、手堅く考えた結果だった。
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将人が必死の形相で走った体育祭

2011年10月10日 | 体育
はや高校最後の体育祭となった。つい先日、先輩ご父兄が「6年間って短いですよ。」と言いながら卒業していかれたような気がする。実際短かったし、ある意味、とても長かった。

 光岩に移って2回連続で雨が降った。その前3年間がすべて晴天だったため、屋内の体育祭もなかなか味のあるものだったが、やはり、あの広い光岩での屋外競技にはとても期待するところがあった。昨年かなり練習したと聞いた、将人の自転車クロス走行はとても楽しみだった。ま新しい砂がまかれ、万国旗が高々と掲げられて、秋晴れの真っ青な空と周囲を覆う緑の屏風を背景に、次から次と全種目全員参加の光の村体育祭が始まった。

 今回、特に驚いたのは徒競走だった。スタートで出遅れ、4人中4番目だったのに、目をひん剥いて頑張り、ゴールでは1位とほぼ同着となった。あんなに闘争心むき出しの将人は初めてだった。小学校時代はヨーイドンで逆向きに走り出した将人だった。周りがどんなに急かしても、意に介せずという風で、マイペースをつらぬき通した。そんな将人が6年間ですっかり変わっていた。

竹登りでは学校随一の綺麗な登り方だとお褒めの言葉を頂いた。なんにも出来なかったのに、中1の入学時から竹登りだけは不思議に出来た。

自転車のクロス走行も決まった。中1の時、とても驚いた、あの走行を将人が実際にやった。先生方のご苦労が目に映る様だった。すごい!

ただ、全員集合の時,一人だけ身体を揺すったり、キョロキョロするのは将人だけで、それは相変わらずだった。でも、駄目な所を矯正するのも大事だが、伸びる所を伸ばす方が期待できる。そんな当たり前のことも知的障害児では、学校以前の段階で親も諦めてしまいがちだ。あらためて、西谷先生をはじめ、光の村の先生方の愛に深い感動を感じた。

この学校は特殊である。何年経っても満員にはならない。途中退学も時々ある一方、いつのまにか、中途編入で人数が増えている。親子共々退学を考えたことも1度や2度ではない。でも、いろんな人に助けられ、支えていただき、この日を迎えた。そして、思うことは、やはり最後までこの学校にお世話になって良かった! ここまでにして頂いて、本当にありがとうございました。

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高校3年生になった。さあトライアスロンだ。

2011年04月10日 | 体育
将人も高校3年生になった。トライアスロンの年だ。

将人が四苦八苦していた数年前までは、高校3年生になる前に学校を辞めさせようと思っていた。将人には無理だと思っていたし、皆さんがおっしゃるほど意義を感じていなかったからだ。

ところが、先生方の数年に及ぶ順序だったトレーニングメニューと家庭学校での欠かさぬ5kmマラソンによって、将人も12月の光の村マラソンでは普通に(←これがとても大事。まるで4階まで駆け上がる程度に。)30キロを走るようになった。自転車も約5時間連続走行できるようになった。水泳でさえ、クロールで1時間泳ぎきれるようになっていた。これなら、トライアスロンといわれても、親は無理だが、将人ならできると思えてしまう。

それなら、親は引いてしまう偉業をぜひやらせてみたい。駄目だ駄目だと思い続けてきた「厄介者」の将人が、「親が引いてしまうようなすごいこと」をするのを是非見てみたいと思うようになった。それで、高校3年生を迎えた。

後は最終調整だ。先生方の意気込みも違う。他の父兄の意気込みにも並々ならぬものがある。ただ、自分は仕事を変えたこともあり、時間がなかなかとれず、以前のように将人オンリーに生きていけないもどかしさがある。また、学校後の職場作り、将人の居場所作りに奔走もしている。

トライアスロンに向けて親も努力するからこそ、感動も大きいのだと思う。自分も将人に恥じないように、将人に向き合い、トライアスロンに備えたい。先輩父兄が口をそろえて心からおっしゃる「感動」を宮古で10月に感じるために。
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新生光の村秩父の体育祭

2009年10月09日 | 体育
今年の体育祭はほぼ確実に雨という天気予報だったので、当日の朝は恐る恐るカーテンを開けた。すると、果たして、また奇跡が起こっていた。数年前がそうだったように、前日までの雨が嘘のように止み、秋の青空が空一杯に広がっていた。

将人の晴れ男には定評があるものの、こうも毎年晴れ続きだと、逆に、たまには室内の体育祭も見てみたいものだと思っていた。すると、いったん始まった体育祭だったが、保護者リレーの予選も済み、ほぼ半分の競技がすんだところで雨が降り始めた。

中止かなと思っていたら、実に適切で間髪を入れない判断が入り、速やかに体育館に移り、和太鼓演奏が始まった。雨のはずだったので、その準備はしてあったのだろうが、それにしても、実に済々とした場所替えだった。生徒も体育館の中で整然と行進した。組体操も加わり、内容の充実さは言わずもがなである。


人の真価は、上手く行っている時よりも、むしろトラブルが起きた時にこそ問われる。上中尾から光岩に移転という大作業も、今年の体育祭の雨も、将人には大いに勉強になったと思う。人生はそのトラブル、予想のできないことの連続なのだから。

自閉症児を授かったという人生のトラブル(?)、いや、大いなる宿題を神様から授かり、これを自分の中でどう咀嚼し,どう対処していくかは各人各様だろう。

だが、大変な時期を生き抜いて戦後を迎え、日本人全員が心身ともにぼろぼろの状態で、ただ生活するのさえままならない大変な時代に、更に知的障害児教育という途方もない難物に果敢にも挑戦され続けた西谷先生をはじめとした、今の日本の障害児教育の先駆者の方々を見るにつけ、我々、親が一体何をしてきたのか、何がこれからできるのか、自問自答するばかりである。

特殊学級、養護学校、養護施設、そのどれもがさまざまな試みを献身的に、かつ忍耐強く行って頂いている。子供が高校生となり、卒業後、就職、親亡き後まで思いを馳せる時、このままでいいのか、自分にできることは何なのか、できるところから始めたいと心から思う。

それが、この学校で西谷先生をはじめとした、今の時代にはとても珍しいくらい献身的な職員の皆様の背中を4年間見てきた親の気持ちです。

例年にもまして、感動的な体育祭を本当に有り難うございました。
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渋谷マッスルミュージカル

2009年03月25日 | 体育
将人も無事中学を卒業し、高等部進学を前につかの間の、春を味わっている。

年度途中に2人転校があったが、今年度卒業生は中学、高校とも全員進学なので、その人数は減らず、来年度は新入・転入生分だけ全校生徒が増え、今までで一番の大所帯となる。新しい先生がずいぶん増える事になりそうだ。この春は先生方の移動がかなりありそうで、光岩移転を前に、いろんな意味で落ち着かない。だが、もともと障害児とその親の人生は道なき道を行く宿命にある。下手にテキスト的な道があると思う方が、現実を知った時の落胆が大きい。この移転を契機とした波乱万丈を楽しむ事としたい。

周知の如く光の村教育は体育、作業を中心としたものなので、する側に回る事が多く、一般の人のように見る側に回る事が少ない。渋谷でマッスルミュージカルというものをやっていると聞いたので、たまにはいいだろうと一緒に見てきた。

究極の縄跳び、至高の跳び箱、あふれ出る筋肉の躍動美がそこにはあった。・・・。

だが、将人たちがやっている事の延長線にあるとてっきり思って来たのだが、将人にとってはあまり興味が湧かなかったようで、最初の30分こそじっと見ていたものの、だんだん眠くなってきたようで、私の膝に顔を伏せて眠り始めてしまった。演者が汗だくになって演技している真ん前で寝ているのだから多少ばつが悪かった。

だが、また思う。

3年前、小学校卒業の時には渋谷まで電車に乗ってくる事さえ簡単な事ではなかった。今回はじっと一緒に並んで座って来られた。多少立ってあっちの窓ガラス、こっちの窓ガラスのワッペンを触る事はあったが・・。最後尾に乗ったのに、少し混んだ車内を最前列まで歩いて行ってしまったが、最前列ではじっと座っていた。「最前列車両のこだわり」はまだ残るが、うろうろする癖、他の人に触ろうとする癖、他の人の眼鏡を取って回る悪態はまるで影を潜めた。

劇場内でもじっと座る事ができた。多少独語はあったが、パフォーマンスの大音響で全然目立たなかった。立ち上がったり、奇声を上げたりする事は全くなかった。一緒に公演を楽しむ事ができた。正確に言えば、将人がおとなしく寝ていてくれた事で、私が公演を楽しめた。この事だけでも、とても大きな事だ。

帰りにも東京電力のマークのある配電盤を多少触る事はあったが、以前のように何十分もそこにしがみつく事はなく、数分間、数カ所立ち止まった程度で、気にならなかった。お散歩の相手をしてもらった程度の感覚で帰ることができた。

電車の中は往路にも増していい子で、混んだ中、うろうろする事もなく、立ったまま1時間じっとして帰宅できた。しかも、復路は最前列車両に行くこともなかった!駐車場から家に帰る車の中でも、助手席にこだわることもなく、後部座席に甘んずることがすんなりできた。情緒が安定している時にはこうも変わるのだ。

当初の思惑ははずれたが、将人の大きな成長を感じた渋谷行となった。普通に一緒に外出して、普通に帰って来られた事の意義は果てしなく大きい。

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もう物足りない運動量 5/5

2009年01月13日 | 体育
中学1年生の入学時には、顔はだらしなく緩み、言う事もほとんど聞かず、完全なマイペース。姿勢も猫背で、立ち姿勢が保てない、ふにゃふにゃ人間でした。それが、この3年間で大きく変わり、シャキッとしました。

家では、パブリックとプライベートを使い分けさせていますが、一応パブリックではちゃんとできる事もあるようになりました。(ただ、このパブリックとプライベートの区別自体がまだまだ曖昧で、我がまま優先なのが今後の課題です。)

それが、腹筋200回やっても平ちゃらになってくると、また以前のような感じに戻る時が出て来たのです。

正直、マラソンは5㎞で十分だし、光の村マラソンでもハーフで十分じゃないかと思っていました。ところが、この冬期家庭学校中に、この子にはもうそれでも物足りないんじゃないかと感じるようになってきました。

10㎞走ったらさすがに「疲れたー」と言いますが、息もほとんど乱れておらず、最近こだわっている、お気に入りの「門」を見るために、その疲れた体で爆走して近くの家に飛んで行きます。

1周1㎞の周回コースを10周走った時のことです。はじめの1~3周は普通に走りますが、いつもよりかなり速めで、まるで100メートル競争です。後を見越したペースで走る気がありません。そのため、もっとゆっくり走るよう声かけします。

そうかと思えば、時々止まったり、ヤンキー座りしたりします。しかし、これも声かけすればまた走り始めます。走れるのに止まってしまうのです。

この時点で、「もう嫌だー」と、走るのを嫌がりますが、心拍数もあまり上がらず、息もほとんど乱れていません。表情にもまだまだ余裕があります。そのため、「駄目。残り5周走ります!!」と毅然とした口調で言うと、「わかったよ」とばかりに吹っ切れたように走り始めます。まるで、駆け引きを楽しんでいるかのようです。といっても、この子にはこういうことで人と交わるしか、その術(すべ)がないのですが・・・。

すると、どうでしょう。今までよりむしろ若干ペースが速くなり、しかも安定した走りで、休むことなく、いつもの「お仏壇に猫、入れていいですか」の独言も消え、最後の5周を走りきりました。「ただひたすらに何かをした」瞬間です。これこそが光の村教育の目標到達点じゃないかと思いました。

いつもそうですが、将人は後半の方がいいように思います。後半の走りが崩れてきた時こそ本当に疲れて危ない時期なのだろうと思いますが、今のところ、それに到るにはまだまだ余裕がありそうです。

それができたから何なんだ、というのはあります。バスの運転手さんになれるわけでもなく、コンビニの店員さんになることも難しいでしょう。しかし、何をするにしても、前半と違った後半の走りができて初めて次があるような気がしてきたから不思議です。私もいつの間にか、光の村信者になってきたのかもしれません。健常者なら、絵画に没頭してもいいだろうし、料理や数学、介護、はたまた農作業や建築作業に奔走することで同じような経験もできるのでしょうが、この子たちに関し他のアプローチが、今の私には見えません。

私から見ると、かなりきつい運動をやって今に到り、情緒的にもずいぶん変わってきた将人ですが、目標情緒までにはまだまだです。そして、これまでの運動は物足りなくなってきている様子・・。ならば、もう少し負荷を上げてみたらどうかと、私自身が思うようになりました。今のままの負荷を繰り返す事では、少なくともこれ以上の情緒的な変化は期待できない・・・。むしろ退行して行きそうだ、と。もちろん、先輩方の実例があるからこそそういう気持ちになれたのですが・・。

先生方がこれほどまでに献身的に指導して下さる所はなかなかありません。また、高校でもお世話になる事に決めました。どうかよろしくお願いいたします。


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全員参加じゃない卒業旅行

2008年10月17日 | 体育
もちろん、生徒さんの中にはまだ体力的、情緒的にこの徒歩旅行に参加できないと判定された子もおられたようで、一生に一度の事なのに全員参加がかなわなかったのはとても残念だった。

私立だからこそ期待した個別指導、個別対応は光の村でも難しいものがあると感じた。うちの近くの公立養護学校は9時から15時程度までの、昼間だけの限られた指導にもかかわらず、120人の生徒に対し、先生方が100人近くおられる。光の村は全寮制で、生徒44人に先生たちはわずか12人だ。仕方のないことなのかも知れない。

ただ、体育・作業を中心とした教育方法なので、遅い子も速い子もひたすらやらせる、追い立てるような事になりがちに見え、本当はここにこそ個別指導が入って欲しいのだが、集団行動を前提としているので、悲しいかな、かなわぬ夢のようだ。

動中静という言葉がある反面、静中動というのもあるような気がする。現にほとんどの子は運動で疲れるせいもあり、段々おっとりして行くが、うちの子に限っては当初1年間こそ目に見えて変わって行ったものの、2年目からはいつもせかせかと追い立てられているような、落ち着きのない傾向にどんどん拍車がかかってきたように思う。思春期というのも大きいだろう。それは130㎞歩いた直後とて同じだった。体力的にモンスターなのだ。慢性躁状態と言ってもいいのかも知れない。

将人の落ち着きは運動や作業など、体を動かす事だけでは得られないのではないか、そんな気がする。このままではいけない・・・。逆を言えば、光の村のご指導のおかげで、それくらい、普通の子に近づいてきたのだなと思う。

ただ、ランナーズハイまでは達したことがないように思うので、そこまでやらせてみたらどうかという気は残る・・・。しかし、それは実験に過ぎないとも思うし、ましてや自分から進んでやるならいざ知らず、療育のためにそこまでさせるべきかどうか・・・。押して駄目なら引いてみる、それも一計と思い始めた。

多動で困って困って困った果てに、光の村にお世話になることにした。要はじっとできるようにしたいのだ。

ならば、いっその事じっとする練習というのはどうか。たとえば座禅だ。これなら親も一緒にできる。特徴的な浅い呼吸も深い呼吸に変わるかもしれない。何より一緒に時間を共有するということが親子のコミニュケーションに何といいことか、この卒業旅行で実感させてもらった。

綺麗な女の人を見れば、いたずらっぽく「エッチしていいですか」と触るふりをするなら、「元気ですか」と言い直させてみよう。言葉の出なかった子が挨拶代わりに声がけしてるような一面もあるのだ。大人でも言葉の少ない人は決して珍しくない。気持ちは純粋でも、うまく言葉に出せず、失敗する人は将人だけではないだろう。

一緒に行動できず脱走するなら、児童虐待といわれかねないのをじっと忍んで、敢えて腰にロープを付けて、犬のように外出してみよう。




まだまだ出来ることはあると思った。諦めるのはまだ早い。

これまでの家庭学校は課題をこなす事に汲々としていただけだった。運動や作業を通じて、加減したり順番を変えたり、ある時は突っぱねたりしながら、将人の反応に反応するという、将人とコミニュケーションをとる事こそを第一義にすべきだった。それは甘やかす事でもないし、上意下達の命令受領機械を作ることでもないのだ。親も「教育」をしないといけなかった。当たり前のことだが、学校という「機械」を通せば、ところてんのように「まともな子」が出てくる事を漠然と期待してはいなかったか。

普通の子が非行に走るのは、家庭でのコミニュケーション不足が一因だとも聞く。まさに将人もそれではないかと思い到った。手をかけてやらないといけなかったのだ。今までは、課題さえこなしていけば光明が見えると盲信していたように思う。その真の意味を見違えていたと反省した。今度の家庭学校で早速やってみようと思う。

ここまで書いてきて、ふと気がついた。光の村でこれほどまでにお世話になりながら、どうして自分は一人で悩んでいるのだろう。まず先生にこそ相談すべきだ。一番身近で、少なくともこの3年間将人の事を一番よく知って下さっているのは親より何より先生の方じゃないかと気がついた。早速ご相談申し上げよう。

ややもすれば、130㎞歩き通したという事だけに気が行きやすいが、いつもはほんの1㎞散歩するだけでも、いろんなものに気を取られ、ふっといなくなったりしてしまうので、こだわりを抑えて、よくもがんばり通してくれた事に将人の大きな成長を感じた。

悲喜こもごも、3年間のいろんな思いを胸に秘めて、感謝と反省の気持ちを反芻した秋の日のウォーキングとなった。当初の計画を見た時、これは行軍だと思ったが、やはり立派な卒業旅行なのだ。


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中学卒業旅行

2008年10月13日 | 体育
普通の中学校の修学旅行は、平和教育を兼ねていたり、歴史的な観光地を回ったりするものだ。最近では海外に出かける学校もあるとか聞く。光の村秩父校の場合は数年前まで、北海道に春、植えたジャガイモを秋、掘り出しに行き、親子共々先生と一緒にみんなで共同して箱詰め・出荷するという作業旅行だったらしい。昨年からは少し変わって、関東平野の中心を流れる荒川沿いを3日間かけ、秩父市役所から東京湾(葛西臨海公園)まで130㎞歩く徒歩旅行になった。そして、その卒業旅行が体育祭の余韻も冷めやらぬ先週あった。特に熊谷あたりからは自転車道なので、天気が良かったこともあり、とても快適だった。

目標歩行速度を少し変えた、数名ずつの2グループに分かれ、それぞれ先生1人が一緒に歩いて下さった。校長先生は自動車でポイントポイントに移動し、いろんなアシストをして下さっていた。2泊は熊谷市、さいたま市それぞれのホテルで子供たちと先生が同宿して下さった。

親は何もすることがなかったが、時間のとれる時には合流してみようと思った。中日の午後、行ってみたが、なかなか合流できず、結局ほとんど別行動で20㎞近く歩いた結果となった。しかし、同じ青空のもとで一緒に歩いているんだなということだけでも意外に満足してしまった。というか、合流できてもどうせ速度的にお荷物になってしまうのではないかという不安があったため、敢えて合流すること自体にしゃかりきにならなかった。

しかし、後でわかったことだが、みんなに追いつこう追いつこうとしていたのに、実はみんなの前を歩いていたらしい。そして、最後まで子供たちに追いつかれなかったということは、歩行速度では決して負けていなかったということだ。一緒に歩けば良かったと後悔した。もう1日時間があれば、再チャレンジしたくなるような、親も十分参加できる旅行だと後で思った。



先々週は体育祭、次の週は長距離ウォーキングということで、先生たちには休まる時間もない。本当にお疲れ様ですと申し上げたい。だが、子供たちはそういう風に徐々に鍛え上げてもらっているせいか、何ということもなさそうに、普通に歩いていた。「歩く」事自体が大変というより、道すがら列(といっても、わずか数人の列だが。)をはみ出したくなったり、脇にあるサインに気を取られそうになったり、いつものこだわりが出る事の方が問題だったみたいだ。

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笑顔に満ちた体育祭

2008年10月08日 | 体育
今年は校庭がとても狭く感じられた。毎年どんどん狭くなって来る。

よく見ると、卒業生とその父兄が大勢いらっしゃっていた。全く見た事もない人は、来春入学を考えているご家族とそのご子息のようだった。今までだって数人はおられたが、今年の比ではないように思う。卒業生専用の会食場所さえ設定されていた。そして、昼食は和気あいあいと体育館の床に車座だ。どなたの発案だろう。

そして、その誰もが笑顔、笑顔だ。こんなにたくさんの笑顔は、普段の日常生活でもついぞ見た記憶がない。(テレビのお笑い番組の中だけだ。) 重度の知的障害児もものともせず、何とかしてやろうと、いつも切羽詰まった雰囲気の先生方も、今日という晴れ舞台では満面の笑みで「どうだ」と言わんばかりだ。

3年前、この体育祭に見学に来させてもらった時、こういう雰囲気があっただろうか・・・。緊張しっぱなしで、まるで地獄の軍隊に入営させるかのような感覚さえ持っていた。単に場の雰囲気を感じる感性に疎かっただけなのかもしれないが。

今年は親の会から写真係を仰せつかったこともあり、今まで遠慮がちに遠景でしか撮らなかった写真を、目一杯子供たちに寄って「表情」を撮った。

「動画」では行動におかしい時があるものの、動画から切り出した「写真」ではみんな惚れ惚れするくらい、いとおしい「精気に溢れた表情」をしてくれていた。

できる、できないは問題じゃない。この表情を見せてもらっただけで明日からまた当分生きて行ける。こんなに元気をもらえた、今年の体育祭に感謝。光の村秩父よ、永遠に!

(体育祭感想文集から)

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