映画「筆子その愛」(http://www.gendaipro.com/fudeko/story.html)を栃木市文化会館で見て来た。
栃木県知的障害者育成会が中心となって、栃木県全域で上映されるが、その手始めと言う事もあり、栃木市の市長さんも挨拶に来られていた。1200名収容の大ホールが6~7割ほどは埋まっていただろうか、この手のものとしては大盛況だった。
現代ぷろだくしょん製作、山田火砂子監督の作品は昨年見た、「石井のお父さんありがとう」に続いて2作目だが、教育福祉関係の方の常なのだろうか、まさに歴史物よろしく、石井筆子自身の人生を実直に、誇張も脚色もまじえず、実に淡々と描いており、その豪華キャストの割りに、見た後、やや物足りなく、消化不良気味だったのは、前作と同じだった。
実話に起承転結やプロローグ・クライマックス・ハッピーエンドを求める方がおかしいのかも知れないが、何かへそのないまま、不遇なエンディングとなったのが寂しかった。
ただ、ややのどかで牧歌的にさえ見えた前作とは違い、今回は筆子の本当の人生が既に十分波瀾万丈で、まるで脚色されたかと思える程、山あり谷ありのせいか、一歩も二歩も心に迫ってくるものはあった。
現代社会の刺激に満ちた消費生活に慣れているせいか、見る時は波瀾万丈のドラマをつい期待してしまうが、筆子の人生はドラマでも何でもなく、生身の人間がこの日本で障害児と実際に暮らした実話である。
ひるがえって、自分の人生は筆子の人生に比べれば、実に恵まれている。仮に映画にしても誰も感動しないだろうし、いろんな人に甘えてばかりの人生かも知れない。
映画「硫黄島からの手紙」が好評のように聞くが、あの栗林さんにしても、この筆子さんにしても、そんなに昔の人たちではない。つい数十年前まで実際に日本で生きていた方々だ。そんな先輩たちが実にたくましく、そして立派な生き様を残しておいて下さる事は本当に有り難い事だ。
毎日いろんな事があって、くじけそうになる時がままあるが、あの偉大な先輩たちの事に思いをはせる時、そんな苦労はその足元にも及ばない事に気づく。
独り言 :
山田監督の作品はよく言えば上品で清楚。悪く言えば、とても地味。表は質素な木綿だが、裏地は絹の、粋な和服のような印象。わかる人にはわかるが、一般向けにはアピール度が少し弱いような・・・。
決して嘘を描いて頂いても困るが、対比させたり、強調したり、もっと強く印象づける手段が何かあるんじゃないかと思うのは私だけだろうか。
話は変わるが、教育福祉関係と言えば、様々な授産所、作業所で作られ販売されている木工細工などの作品もそうだ。とても地味で、みんなが頑張って作りましたという事だけを強調して売られている感じ・・。
ヤマト福祉財団の故・小倉昌男さんがその著書の中で似た事をおっしゃっていたように思うが、たとえ障害者あるいはその親と言えども、少なくとも一般社会を相手にし、それに与(くみ)していかなければならない宿命を背負っている以上、観客を動員できる映画、売れる木工細工にしなくてはならない。
それには、障害の関係者ばかりではなく、一般客こそが対象になるはずだ。それに、確率論的に言っても、いつその「一般客」が「関係者」になるやも知れないのだ。 アピールする対象は常に広く、一般の人をも視野に入れるべきだと思う。
映画として強調すべき所は強調し、対比すべき所はくっきり違いを見せつけメリハリ付けて、比較的単純で強い印象作りをした方が一般受けするような気がした。決めぜりふの一つや二つはあってもいいのではないか。
そういう意味では、筆子の再婚を厳に戒めた、もと大村藩主で筆子の父、加藤剛扮する渡邊清に対し、筆子の世話係の身分でありながら、身を挺して再婚の許可を迫ったサトの迫真の演技とその台詞は光った。
また、それに対し結局折れて再婚を許し、最後に清が漏らした言葉、「また更に艱難の道を選ぶというのか?」と二手も三手も先を見越した上で重い言葉を発している父親の気持ちも心を打った。ここらは前作に見られなかった所である。(それぞれ1回見ただけなので、うろ覚えだったり、不正確であったりするかも知れませんが、その場合はどうかお許し下さい。)
作業所の作品でいえば、一に実用性、二に色彩や図柄の美しさ、という所か。
特にカラフルにする事は一番簡単にできる事だ。一つの作品でも、それを赤、青、黄色、緑と別々の色で彩色すれば、それだけでも4つの別々の作品ができる。
観客動員数や売上高を競う必要はないのかも知れない。
しかし、せっいかくいい物ができているのだから、もう少し工夫して商業的要素を持たせれば、もっともっと多くの人に自然に受け入れられるはずだ。
障害者、あるいは障害者の親が作った物だから見て下さい、買って下さい、という要素は決して多いとは言わないが、少なからずあると思う。
それを完全に排除して、作品・商品としての自立した価値を創出し、独り立ちできればこんないい事はない。
光の村のパンの味は十分その域に達している。クリスマスに購入し初めて口にさせて頂いたシュトーレンの味には本当に驚いた。
5月に秩父の八尾デパートで出張販売した際、他の店は大きな看板でその出自を明確にしているのに、光の村のパン屋さんは特に大きな看板も出さず、とても変な感じがした。
よく見ると、店の隅の方に申し訳なさそうにごく小さく、「光の村養護学校秩父自然学園」という張り紙を見つけたが、その理由が今頃になってよくわかった気がする。
「養護学校のパン」だからと買って欲しくはなく、あくまで「味のいいパン」として買って欲しいからなんだろう。
はたして、多くのリピーターが買いに来られて、大盛況であった。
栃木県知的障害者育成会が中心となって、栃木県全域で上映されるが、その手始めと言う事もあり、栃木市の市長さんも挨拶に来られていた。1200名収容の大ホールが6~7割ほどは埋まっていただろうか、この手のものとしては大盛況だった。
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現代ぷろだくしょん製作、山田火砂子監督の作品は昨年見た、「石井のお父さんありがとう」に続いて2作目だが、教育福祉関係の方の常なのだろうか、まさに歴史物よろしく、石井筆子自身の人生を実直に、誇張も脚色もまじえず、実に淡々と描いており、その豪華キャストの割りに、見た後、やや物足りなく、消化不良気味だったのは、前作と同じだった。
実話に起承転結やプロローグ・クライマックス・ハッピーエンドを求める方がおかしいのかも知れないが、何かへそのないまま、不遇なエンディングとなったのが寂しかった。
ただ、ややのどかで牧歌的にさえ見えた前作とは違い、今回は筆子の本当の人生が既に十分波瀾万丈で、まるで脚色されたかと思える程、山あり谷ありのせいか、一歩も二歩も心に迫ってくるものはあった。
現代社会の刺激に満ちた消費生活に慣れているせいか、見る時は波瀾万丈のドラマをつい期待してしまうが、筆子の人生はドラマでも何でもなく、生身の人間がこの日本で障害児と実際に暮らした実話である。
ひるがえって、自分の人生は筆子の人生に比べれば、実に恵まれている。仮に映画にしても誰も感動しないだろうし、いろんな人に甘えてばかりの人生かも知れない。
映画「硫黄島からの手紙」が好評のように聞くが、あの栗林さんにしても、この筆子さんにしても、そんなに昔の人たちではない。つい数十年前まで実際に日本で生きていた方々だ。そんな先輩たちが実にたくましく、そして立派な生き様を残しておいて下さる事は本当に有り難い事だ。
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毎日いろんな事があって、くじけそうになる時がままあるが、あの偉大な先輩たちの事に思いをはせる時、そんな苦労はその足元にも及ばない事に気づく。
独り言 :
山田監督の作品はよく言えば上品で清楚。悪く言えば、とても地味。表は質素な木綿だが、裏地は絹の、粋な和服のような印象。わかる人にはわかるが、一般向けにはアピール度が少し弱いような・・・。
決して嘘を描いて頂いても困るが、対比させたり、強調したり、もっと強く印象づける手段が何かあるんじゃないかと思うのは私だけだろうか。
話は変わるが、教育福祉関係と言えば、様々な授産所、作業所で作られ販売されている木工細工などの作品もそうだ。とても地味で、みんなが頑張って作りましたという事だけを強調して売られている感じ・・。
ヤマト福祉財団の故・小倉昌男さんがその著書の中で似た事をおっしゃっていたように思うが、たとえ障害者あるいはその親と言えども、少なくとも一般社会を相手にし、それに与(くみ)していかなければならない宿命を背負っている以上、観客を動員できる映画、売れる木工細工にしなくてはならない。
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それには、障害の関係者ばかりではなく、一般客こそが対象になるはずだ。それに、確率論的に言っても、いつその「一般客」が「関係者」になるやも知れないのだ。 アピールする対象は常に広く、一般の人をも視野に入れるべきだと思う。
映画として強調すべき所は強調し、対比すべき所はくっきり違いを見せつけメリハリ付けて、比較的単純で強い印象作りをした方が一般受けするような気がした。決めぜりふの一つや二つはあってもいいのではないか。
そういう意味では、筆子の再婚を厳に戒めた、もと大村藩主で筆子の父、加藤剛扮する渡邊清に対し、筆子の世話係の身分でありながら、身を挺して再婚の許可を迫ったサトの迫真の演技とその台詞は光った。
また、それに対し結局折れて再婚を許し、最後に清が漏らした言葉、「また更に艱難の道を選ぶというのか?」と二手も三手も先を見越した上で重い言葉を発している父親の気持ちも心を打った。ここらは前作に見られなかった所である。(それぞれ1回見ただけなので、うろ覚えだったり、不正確であったりするかも知れませんが、その場合はどうかお許し下さい。)
作業所の作品でいえば、一に実用性、二に色彩や図柄の美しさ、という所か。
特にカラフルにする事は一番簡単にできる事だ。一つの作品でも、それを赤、青、黄色、緑と別々の色で彩色すれば、それだけでも4つの別々の作品ができる。
観客動員数や売上高を競う必要はないのかも知れない。
しかし、せっいかくいい物ができているのだから、もう少し工夫して商業的要素を持たせれば、もっともっと多くの人に自然に受け入れられるはずだ。
障害者、あるいは障害者の親が作った物だから見て下さい、買って下さい、という要素は決して多いとは言わないが、少なからずあると思う。
それを完全に排除して、作品・商品としての自立した価値を創出し、独り立ちできればこんないい事はない。
光の村のパンの味は十分その域に達している。クリスマスに購入し初めて口にさせて頂いたシュトーレンの味には本当に驚いた。
5月に秩父の八尾デパートで出張販売した際、他の店は大きな看板でその出自を明確にしているのに、光の村のパン屋さんは特に大きな看板も出さず、とても変な感じがした。
よく見ると、店の隅の方に申し訳なさそうにごく小さく、「光の村養護学校秩父自然学園」という張り紙を見つけたが、その理由が今頃になってよくわかった気がする。
「養護学校のパン」だからと買って欲しくはなく、あくまで「味のいいパン」として買って欲しいからなんだろう。
はたして、多くのリピーターが買いに来られて、大盛況であった。