先日、テレビで「奇跡の人」をやっていた。
この映画を最初に見たのは、将人の自閉症がわかってしばらくたった、7~8年前だっただろうか。小学校入学前の、巷にあまたある「就学前の療育施設」なるものに週1~2回ずつ通っていた頃の事だ。そこで将人をご指導頂きながら、自閉症がどういうものか、私自身いちから勉強させてもらっていた。
子供が自閉症と診断され、絶望の淵にいったん叩き込まれたものの、特に就学前までが勝負で、しっかり療育していけば何とかなると思っていた。一縷の望みを託し、天からおりた蜘蛛の糸とさえ感じて、生真面目に足繁く通う事に生き甲斐さえ感じていた頃だ。
「教育」というより、「治療」があるとまだ思っていた時代でもある。
だから、ヘレンケラーを見ても、「ああいう指導もあるんだな」と思った程度で、細かな言葉はほとんど記憶に残らなかった。唯一覚えているのは、ヘレンのお母さんが、まるで動かぬ山が動いたとばかりに、「ヘレンがナプキンを畳んだ・・!ヘレンがナプキンを畳んだ・・!」と心から感動して虚空を見上げ、ヘレンを抱きしめながら涙していた姿だ。
それ以来、うちにもきっとその日が来ると信じ、格闘してきた。
ただ、今度見返してみると、むしろ別の細々したところの方に心が惹かれた。
おそらく、また5年後くらいに見返すと、更にまた違ったところで感動するのだろう。
着任早々、両親の驚く顔を尻目に、幼いヘレンケラーをサリバン先生が厳しく指導する、例の夕食の場面では久々にこみ上げるものがあった。
更に今度は、あの場面はどこか別の所でも見た事があるような気がした・・・・。
そうだ、光の村だ! 入学式の後、父兄用のコーヒーを飲みたいと床に寝そべってわめいていた将人を、先生が叱って下さった時とそっくりだ。
本当によく聞けば聞くほど、サリバン先生の言葉はほとんど光の村の教育そのものだ。
「明日からお教えします。ヘレンと半分ずつ覚えて。」
「家族総掛かりで苦労している娘が、目の悪い素人の手に負えるか?」
「なぜ人を刺したのに、褒美を?」
「こうしないと、言う事を聞かないんです。」
「大目に見てくれ。大人が会話を楽しむためだ。」
「知ってます。しつけの悪い山猿ですわ。甘やかすのは哀れみの履き違いです。教えるより同情する方が楽ですものね。6年間も同情しか知らなかった子が哀れです。」(写真 : 左上)
「ヘレンがナプキンを畳んだ。」(写真 : 左下)
「数日中に帰ってもらうと本人に言っとけ。」
「彼女は正しい。ぼくが以前から言ってる意見と同じだ。」
「私たちを見捨てないで!」
「ヘレンの障害は目や耳ではありません。家族の愛情と哀れみです。この家で言葉を教えても無駄ですわ。昼も夜もともに過ごし、私を頼らせるのです。道はこれしかありません。あなた方がいては駄目です。」
「どんな方法でヘレンの心をつかむ?」
「そう言う弱気の姿勢が一番いけないのよ。降伏は何も生まないわ。」
「服を着たら食べさせます。本人は思案中です。」(写真 : 右上)
「あの子を愛しとるかね?」
「愛し始めてます。」
「どうすればあなたの魂に手が届くの?」
「ヘレンは愛情や愛撫を求めていません。」
「あなたが彼女に教えたのは、ただ、『---するな!』という事だけ。理解のない服従は目が見えないのと同じです。」
「地下水が湧くまで忍耐強く待ちます。」
「これに言葉があって、それが物を意味するのよ」(写真 : 右下)
「厳しい現実を生き抜くには服従だけでは不十分です。」
「奪い合いはお断りです。私か、あなたか決めて。」
「目が見えんのだ。少々の妥協はいいだろう。」
「親の反応を試しているのです。許してはいけません。」
「手を離れたら最後です。」
本当にバラバラにセリフを抜き出しただけだ。
しかし、たとえ「奇跡の人」を一回も見た事がない人でも、おそらくその一つ一つの状況が頭に浮かぶのではないだろうか。
それくらい、知的障害児(ヘレンケラーは正確には知的障害者とは言えないのかも知れないが・・・。)を持つ家庭には良くありがちな言い合いで、また、こういう事を是非言って欲しいし、こういう指導を是非して欲しい理想の先生こそがサリバン先生だと思う。
そして、その理想の先生方が光の村に実在していらっしゃる!!
公立のように恵まれた施設や道具はないが、公立のようなしがらみのない、自由で、厳しい中にも温かみのある、私立だからこそできる教育がそこにはあるのだ。
(光の村の先生方も時々これを見て下さっているようだが、過度の期待であまり負担に思われても申し訳ないので、敢えて言い換えるとすれば、「あるように極力努力して下さっている」「あって欲しい」!)
ヘレンが生まれて初めてナプキンを畳み、ヘレンのお母さんが思わず、「ヘレンがナプキンを畳んだ・・!」と、夕暮れの空を見上げ、膝をつきながら涙した。
我が家にも必ずや、その日がきっと来る事を信じている。
この映画を最初に見たのは、将人の自閉症がわかってしばらくたった、7~8年前だっただろうか。小学校入学前の、巷にあまたある「就学前の療育施設」なるものに週1~2回ずつ通っていた頃の事だ。そこで将人をご指導頂きながら、自閉症がどういうものか、私自身いちから勉強させてもらっていた。
子供が自閉症と診断され、絶望の淵にいったん叩き込まれたものの、特に就学前までが勝負で、しっかり療育していけば何とかなると思っていた。一縷の望みを託し、天からおりた蜘蛛の糸とさえ感じて、生真面目に足繁く通う事に生き甲斐さえ感じていた頃だ。
「教育」というより、「治療」があるとまだ思っていた時代でもある。
だから、ヘレンケラーを見ても、「ああいう指導もあるんだな」と思った程度で、細かな言葉はほとんど記憶に残らなかった。唯一覚えているのは、ヘレンのお母さんが、まるで動かぬ山が動いたとばかりに、「ヘレンがナプキンを畳んだ・・!ヘレンがナプキンを畳んだ・・!」と心から感動して虚空を見上げ、ヘレンを抱きしめながら涙していた姿だ。
それ以来、うちにもきっとその日が来ると信じ、格闘してきた。
ただ、今度見返してみると、むしろ別の細々したところの方に心が惹かれた。
おそらく、また5年後くらいに見返すと、更にまた違ったところで感動するのだろう。
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着任早々、両親の驚く顔を尻目に、幼いヘレンケラーをサリバン先生が厳しく指導する、例の夕食の場面では久々にこみ上げるものがあった。
更に今度は、あの場面はどこか別の所でも見た事があるような気がした・・・・。
そうだ、光の村だ! 入学式の後、父兄用のコーヒーを飲みたいと床に寝そべってわめいていた将人を、先生が叱って下さった時とそっくりだ。
本当によく聞けば聞くほど、サリバン先生の言葉はほとんど光の村の教育そのものだ。
「明日からお教えします。ヘレンと半分ずつ覚えて。」
「家族総掛かりで苦労している娘が、目の悪い素人の手に負えるか?」
「なぜ人を刺したのに、褒美を?」
「こうしないと、言う事を聞かないんです。」
「大目に見てくれ。大人が会話を楽しむためだ。」
「知ってます。しつけの悪い山猿ですわ。甘やかすのは哀れみの履き違いです。教えるより同情する方が楽ですものね。6年間も同情しか知らなかった子が哀れです。」(写真 : 左上)
「ヘレンがナプキンを畳んだ。」(写真 : 左下)
「数日中に帰ってもらうと本人に言っとけ。」
「彼女は正しい。ぼくが以前から言ってる意見と同じだ。」
「私たちを見捨てないで!」
「ヘレンの障害は目や耳ではありません。家族の愛情と哀れみです。この家で言葉を教えても無駄ですわ。昼も夜もともに過ごし、私を頼らせるのです。道はこれしかありません。あなた方がいては駄目です。」
「どんな方法でヘレンの心をつかむ?」
「そう言う弱気の姿勢が一番いけないのよ。降伏は何も生まないわ。」
「服を着たら食べさせます。本人は思案中です。」(写真 : 右上)
「あの子を愛しとるかね?」
「愛し始めてます。」
「どうすればあなたの魂に手が届くの?」
「ヘレンは愛情や愛撫を求めていません。」
「あなたが彼女に教えたのは、ただ、『---するな!』という事だけ。理解のない服従は目が見えないのと同じです。」
「地下水が湧くまで忍耐強く待ちます。」
「これに言葉があって、それが物を意味するのよ」(写真 : 右下)
「厳しい現実を生き抜くには服従だけでは不十分です。」
「奪い合いはお断りです。私か、あなたか決めて。」
「目が見えんのだ。少々の妥協はいいだろう。」
「親の反応を試しているのです。許してはいけません。」
「手を離れたら最後です。」
本当にバラバラにセリフを抜き出しただけだ。
しかし、たとえ「奇跡の人」を一回も見た事がない人でも、おそらくその一つ一つの状況が頭に浮かぶのではないだろうか。
それくらい、知的障害児(ヘレンケラーは正確には知的障害者とは言えないのかも知れないが・・・。)を持つ家庭には良くありがちな言い合いで、また、こういう事を是非言って欲しいし、こういう指導を是非して欲しい理想の先生こそがサリバン先生だと思う。
そして、その理想の先生方が光の村に実在していらっしゃる!!
公立のように恵まれた施設や道具はないが、公立のようなしがらみのない、自由で、厳しい中にも温かみのある、私立だからこそできる教育がそこにはあるのだ。
(光の村の先生方も時々これを見て下さっているようだが、過度の期待であまり負担に思われても申し訳ないので、敢えて言い換えるとすれば、「あるように極力努力して下さっている」「あって欲しい」!)
ヘレンが生まれて初めてナプキンを畳み、ヘレンのお母さんが思わず、「ヘレンがナプキンを畳んだ・・!」と、夕暮れの空を見上げ、膝をつきながら涙した。
我が家にも必ずや、その日がきっと来る事を信じている。