ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

サツカーと相撲で躍る遠藤家

2015年01月17日 14時37分15秒 | 釣夜話
親父は小学校を出ると村のしきたりか大工の修行時代に入っている、13歳から20歳迄の8年ほど親方について修行が続く、村に帰って来るのは盆と正月だけの世界だった。
母も小学校を出ると越後特有で巻町の毒消し販売組織に加わっている、組織は年配の女性を親方としてその下に子供と呼ばれる売り子をはいし一団を形成し行動し、旅館は使わず部屋や一軒家を借りて合宿生活に入って農村部へ散開している、商品は毒気しばかりてなく日用品全般を扱い歩く百貨店と呼ばれていた、越後カスリを着て「毒気しはいらんかね~」と歩く姿と母の映像が重なって来る。
親父は大工の年季明けが終わって間もなく隣の遠藤ハナと結婚する、父22歳母20歳1925の正月。

1927年に長男(照秀)の誕生、1929年長女(房子)、1931年次女(死産)、1934年次男(泰秀)私の誕生、1936年に直ぐ下の妹の芳子と続く、ここまでに生まれた子供達の生誕地は五ヶ浜で
このあとに生まれた子供達は道産子になって行く。

防波堤釣りは、本輪西駅で下車し北外防波堤(通称白ぼう1)まで歩いている、延々と続くケーソンの上'を行く灯台まで600Mほど途中幾つかのポイントはあるが昼間はカレー、油子、カジカ、ガヤ、夜釣りは黒そい、それに夏場のハモ釣りは親父からの直伝で夜のカーバイトランプが懐かしく思う映像として焼き付いている。

風が強い山瀬風が吹く日、防波堤は途中堤防の上を波が越えている箇所が数ヶ所見えていたが、構わず堤防のとっさきまで一気に走り灯台真下で釣りを強行したことも忘れられない思出のひとっです。
灯台真下は堤防より1M以上高く灯台の風下でしぶとく釣りを決行する技も父からの直伝と懐かしき。


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