ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

スケトウタラの三平汁はご馳走だった。

2015年01月18日 20時01分55秒 | 釣夜話
輪西時代の我が家の左隣は津軽弁丸出しの婆ちやんがらっ湾振るう八百屋だつた、親父は馬車追いをやっていて馬鉄も合わせてやるやり手の一家で子供時代大いに影響を受けている。
魚はガンガン部隊のおばさんが出入りしていた、季節の魚の中でスケトウタラは我が家の食卓を大いに賑わい充実していた、この魚値段が安いのが最大の魅力で捨てる所がない、レシピは頭から尻尾までぶつ切りコンブを曳いた大鍋に大根がどっさり入る味は塩味の三平汁で食卓を充実させていたと思っている、魚のメスと雄で白子なら鍋の中にタラコだったらコンニヤクで和えて鍋の他に一品増えていた、秋に大量に漬けた沢庵は何時も食卓に、丸いチャブ台を囲んで食事風景で親父はガラスの中が見える銚子に酒を入れ鉄瓶の蓋を取って燗をする所作は決まっていた、鍋の中から大きな魚の頭を取り出して美味しそうに綺麗に食べる仕草は決まっていた、遠藤の子供達はこの魚で育っている、レシピは味噌汁になったりちり鍋になったり、旬が終わると棒だらを戻して薄味醤油で煮っけになったりスケソウ様々でした。

親父が充電中、毎日の様に輪西の鶴中の前の坂を登り詰めゴルフ場跡を降りると右手にローソク岩、左遥か前方に鯨半島が見える砂場海岸に立つローソク岩まで所々岩場もあるが降りた辺りは一面鳴き砂だ、最初はカレーか油子狙いと思つているが、その内夕方まで粘った夜予想もしなかったスズキがヒットした、後での話しの中で、夕方になると沖の方で大型の魚が波だつのを見ていたと話していた。
獲物は大きい凱旋して帰って来る姿は魚のエラにタオルを通し釣竿にぶら下げひとやま越えて帰って来る、町中を通るので一辺に噂は広がった、それから親父も毎晩通い続けた釣果は一晩に三本も掛けてしまい持ち帰るのに大変苦労している、何せ魚は大きいのは1Mもある、大漁もほどほどと思う日もあつた、イタンキのスズキ釣りは親父が開拓者で、毎晩浜は賑わいを見せた。
今から50年以上も前の出来事です。

今日は院内喫茶店へ


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (G)
2015-01-18 22:20:38
退院したら何を一番食べたいですか?
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生き残る・ (ペタンク爺さん)
2015-01-19 03:58:04
生寿司が食べたいな~
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