ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

北海道遠藤家の教育骨子は

2015年01月20日 15時33分03秒 | 釣夜話
親父は遠藤家の長男として誕生しているが、親の目から見た父には異端児に見えていたのか家督は次男にしてしまつた、女親の強い意思が働いたと聞き及んでいた、それが切っ掛けで生まれ故郷を出る決心をした、その項で子供は4人になっていたので上の長男と長女を祖父に預け水盃を交わし北海道の士を踏んだ、その後親父は親が死んでも故郷に帰る事はなかった、本音は錦を飾って故郷にが親父の秘めたる心と推察している。

父のバツクボーンは、ー子相伝長子相伝が組まれていたようで教育方針、昔から踏襲されて来た男尊女婢で生まれてきた長男を家の跡継ぎとして生まれた時から別扱いに、実際その様に子供を育て鍛え上げている、兄は幼児期に目の上をハチに刺されて失明している、そのハンデーを克服しながら小学校を卒業すると、ここで父母のグループに合流する、第二次大戦が始った頃に中学生になっている学校は5年間で最後の年は終戦を迎えている、兄は文武両道で片目の独眼竜政宗だったが剣道を続けていて選手にもなっている。
大事に育てていたのか当時珍しく写真が残されている。
それに引き換え、次男坊の私には勉強を強要された事もなく、元気に朝から晩まで遊びまくっているのが私の日課だった、親父は時折商業実践の様に泊まり込みで一人で商用の手使いをさせられていた、其れなりの考えのあってこそと想像つく。

戦後釣具卸商から転換した、漁網会社の運営は大変な時代に会社を立ち上げてしまったみたいで、漁師に売った網の代金が回収出来ない事態に、自然相手の漁師は魚が捕れなけれ
ば支払う事は出来ない、大漁が続けば何の事もないのに、この時代の商法に打ち負けた、それでも生き残るのに闇で綿糸の横流しが残されていたが、父の潔癖症はそれを許さなかった、後耐え切れずに会社は倒産する最初から一緒に携わって来ていた兄の長男が責任を取る様に間もなく失踪してしまう、その後足取りは途絶えたまま、たぶん何処で命を絶ってしまったと想像するだけです。
親父も長男には大きな期待を掛けていたと想像出来ます、親父の人生の中で一番悲しい出来事と思います、その後の人生観も変わって行ったと思っています。

親父の教育方針は自然に私にも引き継がれた。

今日の釣り談義は
後年、店の前へタクシーを呼び込み豊平川の下流の堰堤まで行きヤッメウナギの引っかけに通っていた、背おろしし串に刺して焼き上げ蒲焼きの様にして美味しそうに食べていた。
兎に角釣った魚は供養と粗末にする事はなかった。






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