ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

20歳から働き初めて

2013年12月28日 20時05分36秒 | ペタンク爺さんの一日
20歳から働き始め最初の10年は結婚と子供の誕生だった、次の10年は舞台は札幌円山地域に変わり時代背景は東京オリンピック1968年にはGNP世界2位になり1ドル360円の固定相場が変動相場になったのは1971年だった、この年に札幌オリンピックが開催され親子3人でスキーチームを結成し、1974年親子で旭岳夏山キャンプを決行する、このあとアルペンスキー界にどっぷりと浸かってゆくことになった。
この後の10年は藻岩レーシングクラブ創設と12年間の歩みとなって行った、スタート時は我が子の為の環境作りが大きな目的だったがクラブが成長して行くにしたがって、もう一個人の組織ではなかった、振り返ってもみても人生で最高に充実した時期であったと感じている。
この後クラブは発展的に解散し、長年生業としていたタクシードランバーを辞めてプロのスポーツイベント会社創設に役員として参加していった。
50歳から定年60歳までの10年間は、今までと違った厳しい環境の中であったが沢山の勉強も出来違った意味での充実した期間だった、此の頃生涯スポーツとしてのペタンクに出会い組織の創設運営と、途中様々なアクシデントもあったがペタンクは25年も続いている。

60歳時には会社を退職していて年金もこの年から貰うことになる、病院の夜警を三年間くらい勤めた後仕事に付いたことは無かった、ただアルバイト的に春の山菜採りと秋のきのこ採りをして市場に出荷しペタンク大会の遠征費や組織運営費の補てんに充てていた。

今年はとうとう春の山菜採りは出来ないでしまったが、秋のきのこ採りのたった二日間だったが沢山のならたけの採取が出来た。

今年蕗の採取が出来なかったので、塩蔵蕗もないと思っていたら昨年の塩蔵蕗が出て来て早速蕗の煮つけを作る。
雪が降ると出てくる我が家の越冬食料で欠かせない山菜です。
もうリタイアしてからもう20年も経過している、計算通りとして90歳まであと10年しかない。

今日もダッチオーブン
野菜の方が多い鍋の中

男の料理・昆布の佃煮、味は?

妹の作品・蒸し饅頭は美味しい

ブレーパークて?










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