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牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭馬頭(ごずめず)と牛神と牛頭天王

2013-12-31 01:55:31 | 日記
 牛の産地や、古代・中世において牛の乳製品(蘇)などをつくっていた地域の中には、近世になって牛頭天王信仰がはやると、牛の守護神が牛頭天王と習合して、牛神を祀るとともに牛頭天王を祀るようになったところもあると思います。(以前紹介した神奈川の秦野市には旧牛頭天王社が多いのですが、朝廷に献上する蘇を生産していたとのこと)
 来年は午(うま)年。馬にも馬の守護神がいて、それが馬頭明王などと習合したと思われます。もっとも、古代中国の仏教では「牛頭馬頭」という閻魔大王の眷属がいたとのこと。地獄の役人です。地獄の役人が、民間の牛・馬の守護神と習合し、さらに「上級」の神様「天王」「明王」になったということで、牛馬の価値も高まったと思われます。

 わたしの生まれは東北ですが、子どもの頃、牛や馬は母屋に居ました。牛馬はすばらしい働き手でありましたし、財産だったから、人間と同じ場所で暮らしていたのです。隣が台所。牛馬に群がるハエが当然のことながら台所にやってきます。台所にはいくつもの「とりもち」のハエ取り紙が垂れていました。団塊世代以上の、農家出身の人には理解できる光景と思われます。
 東北では 朝食に納豆を食べることが多いのですが、その納豆のねばりけにハエが負け、羽をバタバタさせている、そのハエを一匹ずつ取って納豆を食べたものでした。
 深沢七郎と言う小説家は、子どもの頃の思い出として、牛馬よりも自分の価値のないことを知らされたことを記しています。地域によっては、子どもの死よりも牛馬の死を恐れたところもありましょう。財産を失うから。牛の守護神・馬の守護神は農民にとっては必要だったと思われます。

 牛神が牛頭天王と習合したり、馬神が馬頭明王や馬頭観音と習合したりして、牛馬そのものも大切にされたということはいいことだと思います。

 農民だったわたしの祖父は、わたしが子どもの頃、牛馬は殺されるとき涙を流すと話したこと がありました。「そういう牛馬をいただいているのだから感謝の念を忘れてはならない」と・・・・。感情の動物は人間だけではないのですし、原点、牛神・馬神への思いも忘れてはならないでしょう。

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