牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

神々の変容と牛頭天王

2010-10-06 09:25:00 | 日記

 縄文時代前期においては、自然物ひとつひとつに神様がいると考えていたと思います。その観念を持ち続けたのがアイヌ系の民でしょう。
 縄文時代中期になると、自然物には人格的神、または精霊が宿ると考えるようになったと思います。
 縄文時代後期になると、自然物を使っていろいろなものを生産して保存もし、階級制が現れるようになったと考えます。すると、有力者は自分のご先祖様を誇りに思い敬うようになり、それを配下の者にも強制するといった事態が生じたのではないでしょうか。自然信仰と氏神信仰の併存状態になったと思います。
 大陸から金属器が入ってきて、道具の改良が進み一層自然物支配も進みました。強力な武器の生産も行われ、階級制は一層激しくなりました。いわゆる「部落国家」の発生です。それと共に、支配者たちの中には、自分たちの力を鼓舞するために、自分たちの氏神こそが世界で最も強く偉大であるという者が現れるようになることは、当然と言えば当然と思われます。「自分たちの先祖は、他の部族の神とは違って天にいたのだ」それがヤマト族・ヤマト朝廷の先祖だったのでしょう。ヤマト族は自分たちを長とする統一国家を築くために「一神教」を目指したと思われます。しかし、多くの部族は、弥生時代になっても、自然信仰と氏神信仰との併存の道を選んだのでしょう。その代表格が「出雲」だったと思われます。
 いずれにしても、弥生時代は人格神の時代になり、山には人格をもった山の神が、海には人格をもった海の神が存在するということとなったと思わます。その神はある時は蛇・龍に変身したり、 猪や魚に変身するというわけです。こうした変容は日本に限ったことではなく、世界中共通でしょう。高級なビャクダンの産地にはそれを守り、育てる人格的神様がいる、それを大昔のインドの人たちが何と言っていたか分かりませんが、仏教の影響を受けた古代の中国人が「牛頭天」「牛頭明王」などと名付けたのでしょう。それが日本に伝来したというわけです。自然物=山に結びついていた牛頭天王は、人間の知恵によって「薬の神」になり、いつしか「山の神」のイメージは消えて「薬の神」が定着していきました。人間の知恵(科学力)が自然信仰を衰えさせていく過程を見るような気もします。しかし、牛頭天王は自然物に宿る人格神のひとりであったのであり、精神史の流れの中の神様と見ることもできます。
 工業技術の発達した現在、科学的知識をもって、「山・海・河川などに神が宿っている訳がない」と語ったとしても、神社・仏閣での結婚式・葬式・祝事は絶えず、正月などの参拝は増える傾向にあると言います。お賽銭の額は不況の影響により減っているようですが・・・・・。「困ったときの神頼み」の心はなくなっていないと言っていいでしょう。
 科学の発達した17世紀、日本では江戸時代でしたが、パスカルの原理で有名な、フランスの物理学者パスカルは、
「神が存在するということはわからないし、神が存在しないということもわからない。たましいが肉体とともにあるということもわからないし、わたしたちにはたましいがないということもわからない。この世界が創造されたものであるということもわからないし、この世界が創造されたものではないということもわからない。原罪があるとういうこともわからないし、原罪はないということもわからない。」と書き、さらに別に、
「世界一の偉大な哲学者が、身をおくに十分すぎるほどの広さのある板の上にのせられていて、その下に断崖が口をひらいていたとしよう。かれの理性が、どんなに安全と説きつけても、想像力の方が勝ってしまうであろう。そのことを考えてみるだけで、色蒼ざめたり・冷汗をかかずにいられない人がたくさんあるであろう。」書いています。(共に、角川文庫本『パンセ』より)
 科学が発達すればするだけ、想像力はふくらみ、それと共に、人は不安を多くしていくようにさえ思えます。神を信ずるかどうかは別にしても、宇宙原理や生命の存在根拠や生命の存在条件などは信じることになります。本来の牛頭天王の姿は生命の存在根拠や生命の存在条件を示していると思います。その復活こそが、熱波の今こそ必要なのではないでしょうか。

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