和弥のノンアルコールライフ

酒の無い日常をここで語りましょう。

伯母さんに

2015年10月19日 18時49分53秒 | 日記
今日は危篤を脱した伯母さんに会いに行った。

伯母さんは93歳、先週に介護施設でお茶を飲ませてもらったら、気管に入って一時は危篤状態だったそうな。息子さんからの連絡で故郷の母に連絡し、万一を想定していたのだった。縁起でもないが、実際仕方がないものなぁ・・・

そんで、回復したからとの連絡を受け、安堵したのだったが、母が様子を伺ってきてほしい旨だったので、久しぶりにJRに乗って行ってきた。病院まではJR宝塚線「中山寺駅」で大阪方面行きに乗車、尼崎で東西線経由の片町線の「長尾駅」で下車、片道1時間ちょいだった。駅から病院まではTAXで1メーター、地図では遠い西から東だが、案外近かった。

伯母さんはまだ母が学生だった頃、兄の嫁として山村の、大家族である家に嫁いで来てくださって、母にしてみれば料理やなんやかやetc・・・教えてもらい、一緒に暮らし、母が嫁いでも仲良く過ごし、おいらも幼少の頃から記憶がある。お年玉は毎年もらっていたから、恩義もある。。。
で、人生健康で病気もせず暮らされて、途中大阪へ息子さんを頼りに引っ越して来たが、その後も元気で、母に会いに紀州の山村に(おいらの実家)行かれたり、母が大阪に来たりで交流があった。おいらの結婚式にも出席してもらったのだった。が、さすがに病気こそ無かれ齢93では誰でもなぁ・・・それに母も80歳!そりゃ~和歌山と大阪でも会うのは難しいだろう。
そんで、病院に許可を得て、ベットの伯母さんと実家の母に携帯電話で会話をしてもらった!名案だった。伯母さんも母も泣いて喜んで通話をしてもらったのだった。

母も伯母さんも「再会したい」と言う。そりゃそうだろう、当時は戦時中の世の中だったのだからなぁ、それから数十年過ぎても、一緒に過ごした時間や苦労話など懐かしくってたまらないだろう。おいらができるのは、現実としてこうした事だけだが、いっそ母を無理やりN-ONEターボに乗せて連れて来ようかな?「再開」させてあげたいものだと思った。