卓袱台の脚

団塊世代の出発点は、狭いながらも楽しい我が家、家族が卓袱台を囲んでの食事から始まったと思います。気ままな随想を!

2022年 輪跡を偲んで・・・(戸田~大瀬崎)(2)

2022年09月23日 13時56分19秒 | 自転車

2022年 輪跡を偲んで・・・(戸田~大瀬崎)(2)

 

 

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道は岩肌を舐め、木立のなか陽になり陰になり縫っていきます。上りのヤッケの中は汗まみれ、下りはそれがため余計に冷え、体調を保つのに難儀します。落葉し素っ裸になった木々、最後の一つを必死に守り抜いている柿の実、寒風に身を任せながら残り少ない実を漁る野鳥、晴天の空に身を横たえるウロコ雲、雑木の中より湧き出る清水の一筋、地面には掴みかからんとする石塊、なお、道は緩やかな起伏を繰り返し、次の曲がりへと消えていきます。

幾つかつづら折りを曲がった時、紺地に白線を縫い込んだユニフォームが雑木の向こうに見えました。8人用テントを担っていかにも重そうな身体と自転車が、喘ぎながら左右に揺れていました。顔満面玉の汗が小さく笑いかけ声を出しました。「こんにちわ!」、後は二言三言交わし、私が先行し引っ張る形になりますが、長くは続かず、千切れて曲がりの隅に見え隠れしていましたが、消えてしまいました。しかし、間違いなく確実に前進している、柔道の根性が下地だけに強いやつだ、押し歩きしている彼を今まで見たことはありません。

10時20分、船体横に黄色線が一本の定期船が、豆粒大で見え始めました。MIを呼び二人して手を振るが、見えるはずもありません。5、6分後、船は白い航跡を名残惜しそうに、断崖下の木立に消えました。束の間の小休止も呆気なく幕切れとなり、また、サイクリストの特権・無心のペダリングに戻りました。

 

 

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「開通記念」碑出発は、ほぼ12時。30分ほどかかってビューポイントの ゛出逢い岬 ゛に着きますが、石銘板を撮した写真には、ほとほと疲れ果てたAがやけっぱち気味に写っていました。昼を過ぎ、ますます強くなる陽射しとうなぎ登りの気温、風も全くありません。ここまで交差点から2km余り、大瀬崎まではまだ4倍の道のりです。昼食の予定は、この時点で吹っ飛びました。起伏の繰り返し、歩速4km/hは甘い考えで、木陰毎に4、5分の休みと水飲み、あそこの曲がり角まで ゛あとちょっと ゛とカニの横歩き以下の速さで無心に坂をよじ登ります。カーブ毎に ゛ガッカリ ゛し、また次のカーブに託します。標識看板に一喜一憂、ほぼ一憂の連続ですが、ストリートビューで見た横道が現れました。何の標識もなく、事前にストリートビューで見ていないと分からない横道です。「井田(いた)」(集落)への南側入口です。目安になる目標物を見つけ、幾分心丈夫に気力が出ました。再びビューポイント、゛煌(きら)めきの丘 ゛ですが、20台近いバイクツーリスト族が群れており、自転車を止めることなく通過しました。下り坂、バイクペーサーにアシストされてロードレーサーが1台上がってきました。一気にすれ違い、レーサーの性別も分かりません。もう少し下った時、木立の影になった薄暗い場所に出ました。

 

 

( ゛出逢い岬 ゛押し疲れて疲労困憊の A )

 

 

(「井田」集落 南側入口に勇気づけられる)

 

 

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コンクリート橋の脇に塗装も色あせ忘れ去られたような道標がポツンとありました。「井田へ」20万の地図に名前が海辺にしがみつくように載り、道筋は海へ注いでいました。道が開通する以前の住民はどのように往来していたのだろう? 船に頼るか、断崖の道を草をかき分けよじ登って行ったのでしょう。雑誌で読んだ「六十里越え」のツーリング記を思い出しました。六里の道のりがその険しさの余り10倍の六十里に相当するという東北の山深い山間部の話でした。それにしても強さ素晴らしさは、大したものです。海が荒れれば船は出ない、風雨が強く荒天の時には山越えは無理でしょう。しかし、一本の道を開通させることにより、人・車の往来が容易く、果ては穴場を求めて観光客もやってくる、人智のなせる開発の術(すべ)には。

「ああ、ここまで来たか!」、車のタイヤに引っ掛けられ海に没しそうな小さな道標看板「←井田2km 大瀬崎6km→」があり、思わず吐息が一呼吸白くもれました。

 

 

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13時頃、左に緩やかに湾曲した道路脇の両側に、明らかに橋がありました。「ああ、在った!」、後は気持ちの声でした、゛あの時の橋かな? ゛。欄干と言わず、全てに苔むした様が気持ちの高まりを見せ、思わず立ち尽くしました。「昭和四十五年三月竣功」、打ち込まれた銘板はしっかり読み取れました。往来するものも無く、静かな一時の空間を思うがままに楽しみました。「井田」への三叉路に古い建屋が立ち、無人販売を思わすひな壇が2つありました。転びそうな道標はありませんが、頭上に標識が覆い被さるばかりです。

二つ目の検証は、無事終わりました。

 

 

(道を挟むようにコンクリート橋がありました  A )

 

 

(苔むした橋はあの時のコンクリート橋?)

 

 

(9月13日 静寂に包まれた井田への三叉路 A )

 

 

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急坂に腰を浮かし一気に上り詰めると、吹き上がる強い風を受けヤッケがバタバタと鳴り、フロント前ポケットの掛蓋がまくれ上がりました。「アッ!」、一際大きな富士が目の前一杯に、気品と雄大さをもって広がっていました。しばし、凝視しました。戸田で見たときの富士とは違って、取り巻きの雲は見当たらず、一時の時間が神々しい雪の絹衣をまとった山へと変貌させていました。

MIを待って10分ほど、先ほどの風の分水嶺に現れました。 ゛キャリヤのネジが飛んだ ゛と言う、「大休止」と言うが返ってきた言葉は「お先に!」、呆気にとられたこちらをそのままに、例の調子で大瀬崎まで続きそうな下りの砂利道を、注意する間もなく、プライベート・ランとドンドン下っていきました。人家がちらほら、外車を止めた別荘が…、下り傾斜がキツくなりハンドルが取られそうになりました。神経が前方の一点に集中される中、東北の砂利道が瞬間過ぎりました。いよいよハンドルグリップが強くブレーキレバーの握力が辛くなった時、前方彼方に大瀬崎の砂嘴がくっきりと望めました。そう言えば、戸田の砂嘴と全く似ていた。

 

(昭和46年12月11日発行の部誌の内容を一部編集しました)

 

 

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13時過ぎ三叉路を後に、炎天下ただひたすら自転車を押して上ります。緩やかなカーブに乗車を試みますが、50mと保ちません。「ああ、こんな体力の無い身体になったんだ!」、(「だから言ったじゃない、無謀なのよ!」)Kの言葉が聞こえてきました。だんだん時間の感覚が薄れ、幾つカーブを曲がったか分からない時、けたたましいエンジン音と共にバイクが1台下って来ました。いつものように一時の悔やみにとらわれます。゛オートバイの方が良かった! ゛、゛車の方が良かった! ゛、゛電車の方が良かった! ゛……と、しかし、すぐ自己嫌悪に変わります。

三叉路から1時間、まだ上りの途中チョットした木陰で水分補給ですが、2本のペットボトルをほとんど飲み尽くしました。上着はビッショリ汗まみれ、ベルト回りに汗が滲んで、見た目はほとんど濡れたぼろ雑巾状態です。車が何台か通り過ぎていきましたが、ただの一台も「お声掛け」されません。「好きなことやっている人!」と見られ、放って置かれるのでしょう。「大丈夫ですか?」の一言で、どんだけ力が湧き出るか……と、独り言も出始め、無性に腹が立ってきました。

情緒不安定の真っ盛り、下のカーブよりバイクペーサーを伴って先ほどのロードレーサーが上がってきました。大丈夫な素振りで見ているAの前を軽々と追い抜いて行きました。ユニフォームに ゛……大学 ゛とあり、ヘルメットからチョット長い髪が首筋に垂れていました。思わず「頑張れ!」と声が出ました。「ありがとうございます!」と瞬間短く返してくれました。ダンシングしながら先のカーブへ消えていきました。彼女に力をもらった思いで、また歩き出しました。

彼女に追い越されてから30分余り、14時を過ぎる頃、井田トンネル(1993年3月竣功 標高299m)に着きました。当時は、在りませんでしたのでその後にできたトンネルです。昼食を三津(みと)辺りと予定していましたので、スケジュールも「ほころび」や「裂け目」という生やさしい狂いでなく、11kmを甘く見過ぎて、自身の体力の過信による無謀な立案を悔やみ始めました。しかし、「このトンネルが最後の上りなら、まだスケジュールは取り戻せるかもしれない?」といちるの希望は、灯火として残っていました。゛トンネルは旧道際に建設、その名残がある ゛とのことでしたので見渡すと、トンネルの直ぐ脇にガードレールが雑木に紛れて覗いていました。それらしい道が延びているようですが、ハッキリとは見定められませんでした。「この先に、吹き上がる風があるのかもしれない?」。吹き抜ける風は、トンネル中で体験できました。一気に下り、途中の絶景ポイント「吟道之碑」に目をくれる余裕もなく、15時チョット前「大瀬崎分岐」に着きました。左の折り返しを道なりに行けば、下調べした大瀬神社の淡水神池に大きな鯉がいるのでしょう? しかし、宿にいつ入れるか分からないこの先の道路状況、余分な時間を費やすことは諦め、大瀬崎を望めないまま後にしました。

 

しかし、あの先あんなことになるとは……。

 

 

(9月13日 1993年3月竣功の井田トンネル A )

 

 

(9月13日 15時頃 大瀬崎分岐 )

 

 

(9月13日 戸田~大瀬崎 ルートマップ)