ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

トランスポーター(ルイ・レテリエ/コーリー・ユン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;フランスのニースを舞台に契約遵守の「運送人」がいた。プロフェショナル意識が強い彼は時間厳守と荷物の大きさを気にする。ある日頼まれた仕事で自らに課した仕事の契約を破るが…
出演;ジェイソン・ステイサム、スー・チー、フランソワ・ベルロワン
コメント;とにかく面白い。「ダニー・ザ・ボーイ」もなかなかだったがアクション映画としては、見せてくれる。油まみれの乱闘やバス駐車場の乱闘シーンなどにもアイデアがさえわたり、また余計な「血」がでてこないという設定にも好感がもてる。黒のBMWが最後にはライトバンに変化して、そして最後には肉弾戦になるというこの究極の「ありえない」をとことん細部にまでこだわって「ありえるかも」とおもわせる設定が見事。フランスの光景も美しいし逆光の中を走る黒のBMWはまた美しい。

稀人(清水崇監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;カメラマンの増岡は、自宅に数台もの映像機器をもちこみ、もっぱら外で撮影した画像を再生することによって自宅の外とのコミュニケーションをとっていた。彼の願いは「恐怖を味わうこと」。あるスクープ映像で、自殺映像を撮影した増岡は、その男の視線の先に「恐怖」があると直感。さしたる目的もなく、まずその撮影現場にいってみるが‥
出演 ;塚本晋也、蜷川ゆき、宮下ともみ
コメント;撮影することによってのみ外界との接触を保つ増岡を塚本晋也が好演。この人「鉄男Ⅱ」の舞台挨拶にきたところを池袋でみたことがあるのだが、あんまりお客さんが入っていない映画館で私の2~3列まえで自らの作品がかかるのをボーっとみていた。変わった人だとは思ったのだが、ファンへのサービス精神が非常に真摯で、映画館の外でサインを求められていたが快く応じられていた。なんといっても「顔」と「目」がいいので、監督としてよりも役者として非常に魅力がある。「鉄男」のオリジナルは当時みたがそれよりも役者の怪しい淡々とした感じがいいなあ。
 さて、この映画で「恐怖とは未知のもの」と定義づける増岡がラストにみたものは当然増岡にとっては「未知」でありナレーションが本人であればこそ、ある程度最初から予測可能なラストとはなる。ただし「凡庸」と「非凡」を「恐怖」によって区分けする増岡はすでに自身やんでおり、新宿にて、薬品をゴミ箱に捨てるがそれは気分が自閉症気味だったことを暗に観客にしらせているのだろう。ロケはあからさまに新宿西口周辺に固まっており、地層のシーンは城ヶ島あたりかなあ‥といった東京・神奈川あたりで作った映像にしては非常に面白い出来。謎の女性を演じる宮下ともみも非常に頑張っているが、これはあまりにも色物だけに、今後地道な展開をどこで演じていくかがポイントかも。さて肝心の恐怖というものは観客は味わえず、おそらくは増岡本人のみが味わい、そしてそれを観客はただ呆然とみるという展開になる。粗筋は一応あるのだが、それがどういう粗筋とかいうのはあまり本質ではないのかもしれない。ホラーとエロとの奇妙な結合は新宿西口の安いアパートメントで結実する。あまりにもリアルな現実の描写と奇想天外な映像とのアンバランスが魅力か。映画終了後に語れる仲間がいたほうがよりいっそう楽しめる作品かもしれないが‥。


隣のヒットマンズ 全弾発射(ハワード・デュッチ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;前作から何年かした後、暗殺者だった男はカリスマ主夫として、家事にいそしんでいたが、ふとしたことからまた銃をその手にのせる‥
出演;ブルース・ウィリス、マシュー・ペリー、アマンダ・ピート
コメント;前作はカナダが舞台でどちらかといえばブルース・ウィリスの出演はあんまりなかったのだが今回はメキシコ、ロスアンゼルスとわりとロケを行い、しかも火薬爆破のシーンまで用意されている。確かに全弾発射というのか。吉本興業張りのベタなギャグのキレは前回の方が上で今回は狙いすぎてはずしているようでもある。ただし俳優がわりと熱をいれて演じてくれているのでギャグのつまらなさがそれほど響かない。むしろ前作のベタな感じが評判が良すぎて第2作となったのか。正直いって第2作目ができるとは想像もしていなかったが、観客の少ない映画館ではわりと笑っている人は確かに多かった。
 アマンダ・ピートが出演しているが、前作ではきわものだったが、その後、ジャック・ニコルソンの若い恋人として「結婚適齢期」に出演(母親役がダイアン・キートン)、「チェンジングレーン」では若い新妻役でシドニー・ポラックの娘として出演し、そして前作の続きであるこの映画である。演技力が相当あることは間違いなく、今後成長が楽しみな女優だと思う。コメディ以外でもいろいろ器用にこなせる人みたいだ。マシュー・ペリーの大げさな演技にはついていけないが、ブルース・ウィリスがなかなかみせる。本来こういう映画で笑いをとるタイプではないのだが、じっくりコメディを研究している様子も見えて今後新たな境地を繰り広げようとしているのかもしれない。狙いすぎているという批判も出そうだが、衣装など小技にこった演技作りや「よだれ」など役者魂を感じさせる一策になったと思う。


愛の勝利(クレア・ペプロー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;18世紀父親から王位継承権を譲り受けた皇女レオニードは、反王権を標榜している哲学者に教育されているアジスをある場所でみかける。
アリストテレスの彫像を飾り、理性と科学で情念を否定する哲学者とその妹。そして王位奪還をめざすアジスは女性との関係を認めずひたすら理性「のみ」を重視する青年に育っていたが…。
出演;ミラ・ソルヴィーノ、ベン・キングスレー、フィオナ・ショー
コメント;112 分にわたりフランスとおぼしき庭園を部隊に繰り広げられる18世紀の物語。「暗殺の森」「ラストエンペラー」の監督をつとめたベルトリッチが脚本を書いているがそうとはおもえない能天気な明るさで物語は進行していく。ばかばかしいといってしまえばばかばかしいし、おまけにタイトルも恥ずかしいのだが庭園がとにかくきれいで建物が美しい。また光と影の関係もみごとで、ここに「風」がみえなかったのは残念ではある。コルセットがはずれた瞬間に、背中にその「跡」が残っていたのがまた造りの細かさを感じさせる。役者陣もよくまたこんなばかばかしいストーリーなのに最後までつきあったものだと思う。とはいえ、そのぶん英国庭園や川のせせらぎ、日光などといったものを愛でることが可能な112分をすごすことができる。もともと庭園というもの自体が相当に不思議な空間装置といえる。庭園史などの学問分野も存在するが、この映画ではフランス式の「幾何学的」庭園が主題そのものといえそうだ。「庭園の詩学」など平凡社から出ている書籍が非常に詳細に庭園について説明をしてくれる。噴水を庭園にとりこんだのはローマ人というが、それをイタリアルネサンスでさらに造形美を加えて再現したと考えられる。かなり異色の彫像が効果的に画面に取り入れられているがそれもまたローマ的といえるだろう。舞台は18世紀と想定されるのでギリシア哲学が再発見された時期でもある。哲学者が「理性」を尊ぶという設定に無理はない。硫黄・水銀・鉛そしてアルコールといったルネサンス特有の産物がまた効果的に舞台装置として機能している。16世紀イタリアのメディチ家はプラトンの影響を受けて「対話」を重視して、「対話」しやすい庭園を製造したが、園亭など「対話」を重視する庭が会話主体のこの映画にむいている。果樹園などアルベルティなどのイタリア・ルネサンスの庭園の歴史をふまえて画面構成をしている。レオニードが「哲学者と話をしたいので宿泊したい」と申し出るのはメディチ家のプラトンアカデミーを反映した対話重視の姿勢で、しかもルネサンス時期のかなり高い地位にある貴族か大商人にしか許されないふるまいともいえる。庭園に設置されている彫像はルネサンス時期のユリウスⅡ世のようなギリシア時代への人間性復帰を感じさせるがときにそのまなざしがまた「皮肉」にも見えてくるから不可思議な印象を受ける。バロックの影響だろうが、これは16 世あたりからみられるようだ。理性面の会話はシンメトリックに、そして本音の会話はバロックでという演出ではなかろうか。シンメトリックな庭園とバロック的な彫刻との対比。これも監督や美術の腕なのかもしれない。庭園になにかしらのアレゴリックな「意味」をもたせたのもメディチ家とされるが、そうした歴史的な事情もあるのかもしれない。アリストテレスの彫像からビーナスの彫像(快楽主義)へと変貌を遂げる演出もまた「哲学的」かもしれない。ブドウを無断で採取するシーンから果樹園もこの庭園はかねていることがわかる。
1966年にダニエル・ペトリ監督、スーザン・ヘイワード主演の同名の映画がある。日本でも吉田日出子らによる舞台化もされた脚本なのだが、どうにもよくわからない…。というのは、さして面白くもなんともない…というのが本音で、なぜゆえにこう何度も映画化されたり舞台化されるのかが不明。庭園についてのみ考えたり太陽の光の美しさをみるには非常にいい映画だといえるだろうが。

ソウ(SAW)(ジェームズ・ワン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;突然目覚めるとそこは、汚い浴槽の中。しかも足は鎖でつながれていた。密室の中で男二人がヒントを頼りに脱出劇を試みるが、それは「死」か「脱出」かをかけるゲームの一つだった…。
出演;ケアリー・エルウィズ、ダニー・グローバー 、モニカ・ポッター
コメント ;ブルーの始まりから、ブラックの終わりまで色の使い方が見事な密室サスペンス・かつてイギリスの貴公子ともよばれたケアリー・エルウィズがエリート外科医を演じて、見事に見せる。「生きる喜び」をテーマに展開する一連の映画には伏線が山ほどはられており、いくつかの点を除けば脚本が完全に近い上、演出が難しい密室も照明と衣装で美しさを保つ。同じ明るさではなく状況に応じた照明の使い分けが監督の才能を感じさせる。
 「死」を目前とした人間が真の人生である…といった一種の病的な発想はおそらくハイデッガー哲学でいえば「実存」ということになる。タイトルのSAWはおそらく「見た」ということではなく「けずる」「切る」という意味合いかねているのだろう。ダニー・グローバーもまた「リーサルウェポン」でみせた刑事役とは異なるインテリ刑事の役割をつとめ、そして最後は凶器の世界にゆきつく。登場人物がすべてカット割でならべられた瞬間にゲームは完結ししかも予想外のラストを迎える。新感覚のミステリーとは多少出来具合に問題がある映画に使うセリフだがこの映画はまさしく新感覚の境地の映画でしかも完成度が高い。面白い。

ダニー・ザ・ドッグ(ルイ・レテリエ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;5歳のときに誘拐されそのままクビに鎖をつけられて育てられたダニー。10歳程度の知能しかもたない彼は英国グラスゴーで借金の取立てがこじれたときに、そのクビから鎖をはずされ、「殺せ」とだけ命じられる‥
出演;ジェット・リー 、モーガン・フリーマン 、ケリー・コンドン
コメント ;あまり期待しないでいったのに無茶苦茶面白かった。あざといまでのスローモーションの中でジェット・リーが空をまい、その直後にモーガン・フリーマンとピアノを弾いていたりする。アクションのアイデアも満載だし、ブルーの色調とブラウンの色調が渾然と入り混じりこの世のものとは思えない暴力シーンとピアノの演奏シーンを奏で、そして黒人のモーガン・フリーマン。アイルランド出身のケリー・コンドン、黄色人種のジェット・リーがピアノを媒介として異国の地グラスゴーで家族として機能し始める。脚本のリュック・ベッソンの心憎いいまでのハート・ウォーミングなラストと非人道的なプロセスがまた映画を盛り上げる。「ミリオンダラーベイビー」のモーガン・フリーマンよりこっちのモーガン・フリーマンの演技の方が納得できるのだが‥。

クローサー(コーリン・ユー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;セキュリティ会社のチョウ社長は、悪性のコンピュータウイルスがサーバーに侵入するとともに、それを駆逐するワクチンソフトを開発した「電脳天使」に注目した。会社にやってきた電脳天使が突然、ワクチンソフトの由来を話し始めるが‥
出演;カレン・モク、ヴィッキー・チャオ、スー・チー
コメント ;韓国からソン・スンホンとい男優が二枚目的な役割で、また日本からも倉田保明が参加したという。
 とにかく出だしから楽しいアクションシーンの連続で「マトリックス」「レオン」「ダイハード」「ワイルドバンチ」といった種々のアクションシーンへのオマージュが豊富。ネクタイが日本刀で切られるシーンは「マトリックスリローデド」からの引用だろうし、エレベーターも「ダイハード」。そしてビルの中の銃撃戦は「マトリクス」よりも長いシーンでしかも楽しい。意表をつくアクションにはアイデアが相当にねられたフシがあるのでは。カーチェイスもちょっとお目にかからないアイデアで、香港を舞台にハイテク機器とアナログな乱闘シーンが満載。またヴィッキー・チャオが無茶苦茶に可愛い。

 スローモーションの遣い方は人によって「あざとい」と思うかもしれない。ただテンポの速いストーリーの中でガラスの破片がゆっくり画面に飛び散る中を空中回転するスー・チーの身体感覚というとりあわせはなかなかのもの。ストーリーそのものはありえないほど非現実的だが、狭間に入るスローモーションやハイテク企業の中になる日本庭園などがまた面白くて楽しい‥。 

ゴッド・ディーバ(エンキ・ビラル監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;21世紀末2095年のニューヨーク。人間とミュータント(特別変異体)とが混住し、ミュータントは特にレベルによって区別される階層社会に住む。29年前に懲役30年の冷凍の拘留刑となったニコポルは偶然にも「外」へ救出されるが、それは太陽神ホルスの助けによるものだった。その一方でニューヨークでは連続殺人事件が8件連続して続いており、いずれも人工臓器を体内に埋め込んだ「人間」だった…。そして「侵入口」とよばれる宇宙人の入り口では温度が急激にさがり、ニューヨークの空には突然ピラミッドが出現した…。
出演;リンダ・アルディ、トーマス・クレッチマン 、シャーロット・ランプリング
コメント;フランス映画となっているが、ニコポルは東ドイツ出身で会話には英語が主に用いられている。またピラミッドや古代エジプト神などエジプトの影響も大きく、隠れた主役級として中国女性も登場するという無国籍映画になっている。もともとコミック・アーティストとして名高いエンキ・ビラル。ブルーをトーンとし、これまで公開されてきた「未来世紀ブラジル」「ブレードランナー」といった近未来映画の特徴をさらに発展させ、独自の「映像物語」をつむぐ。過去のそうした未来映画との近似はいくつかある。空を舞うシーンなどは「未来世紀ブラジル」を想起させるし、ビルからの落下は「甲殻機動隊」、無国籍性やレトロな扇風機などは「ブレードランナー」、空を走るタクシーやパトカーなどはリュック・ベッソンの「ヒフス・エレメント」。日本の怪獣映画なども相当にとりこまれているというのは考えすぎか。ただしフランスのコミックは日本のコミックの影響を相当に受けているだろうからコミックをたたき台にした映画で「サケ」などの言葉が登場してもあまり驚かない。空を走るタクシーの無骨なまでのアナログさがたまらなくスリリングで非常に楽しく、近未来とはアナログを限りなく取り込んだデジタルな社会なのだという認識を抱く。「隼」の雄大な飛行がたまらなく美しい。
(ホルス)
 頭がハヤブサの半鳥半人の古代エジプトの神。エジプトでは国王はホルスの化身と考えられていた。オシリスとイシスの子供とされる。
(アヌビス)
 死後の世界の神だが映画の中にもでてくる。頭はイヌの形をしている。「死者の書」では魂の心臓を計量する役割。聖書のケルベロスも想起される。
(バステト)
雌猫(あるいは雌ライオン?)の頭を持つ女神。セクメトのような攻撃的な女神として認知される場合と、守護神とされる場合もある。
(古代エジプトと未来都市)
 クレオパトラ7世がローマ帝国によって滅ぼされるまでが通常古代エジプトとされている。しかし途中でアレキサンダーの支配下にあり、クレオパトラ7世自体はおそらくマケドニア的な人種だったと推定される。紀元前3000年ごろから初期王朝時代が始まり、ヒエログラフが使用されて一つの文字体系を作り上げる。さらに太陽暦が使用されてくる。紀元前2000年ごろに古王朝時代が始まり、王はホルスの化身とされる。そしてそれと同じくしてピラミッドの建立が始まる。ギザの三大ピラミッドもこの古王朝時代ではないか。
おそらくはこの未来都市では、この古代エジプトの古王朝をイメージしたのだろう。国際化が進めば、各地域の地元の宗教はおそらく混合する。そうなれば唯一神をめぐる場合には種々の戦争になるが、多神教になれば、そうした争いは多少は少なくなる。キリスト教やユダヤ教、イスラム教といったものの影響が「ほとんど」みられないのも面白い。
ただし「反体制」であることの「体制」はこの場合、特定の営利企業であるようだ。「ロボコップ」のように警察が私有財産の対象として株式会社が経営しているということはなさそうだが、少なくとも特定の営利企業が独占に近い影響力を発揮しており、そしてその背後にはまた特定の政治家がいるといった二重構造の体制になっているようだ。種々のレーザーで種々のスローガンが3Dで空中に映し出されるが、それは反体制活動家のスローガンのようである。しかしそのいずれもが回顧主義的な内容にとどまり、未来都市でいう反体制というのも多神教システムへのアンチテーゼといったところか。それはつまり反科学主義ということでもあるのだが、営利企業=科学万能主義、反体制=アナログ主義といったすみわけか。
(古代エジプトではその後中王朝時代にアメンエマート1世による王朝が始まりアメン神を守護神とする。その後アジアからのヒクソスなどの侵攻を受けるが、紀元前1500年ごろアメンホップ1世やトトメス3世、ハトシャプスト女王などによりエジプトは隆盛をきわめ、その後唯一神アテンを主教とする宗教改革が行われるが失敗。もとの多神教に戻る。しかし紀元前747年にアケメネス朝ペルシアの支配を受け、もともとのエジプト人の支配は終了する。さらに紀元前305年ごろアレキサンダーの支配を受けプトレマイオス王朝→ローマ帝国、そして392年にキリスト教が国教となる。しかしその後この地域はさらに東西ローマ帝国の分割により東ローマ帝国に編入されるもさらにアラブイスラムの侵攻をうけてイスラム化する(641 年)。さらに16世紀にはオスマントルコに編入され、イギリス・フランスの植民地となる。)

黄金(ジョン・ヒューストン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;メキシコに渡ったものの仕事もなく、一日8ドルの仕事もだまされドブスは金の採掘にでかけるが‥。
出演;ハンフリー・ボガード、ウォルター・ヒューストン、ティム・ホルト
コメント;カリフォルニアで金が発見されたのは1848年。いわゆるゴールドラッシュの始まりだ。この映画ではゴールドラッシュとはまったく関係なくメキシコに渡った3人のアメリカ人(厳密には4人か)の物語。ハンフリー・ボガードが後の「ケイン号の叛乱」を思わせる狂気が入り混じった演技をみせる。
 風がラストには舞い、水面にハンフリー・ボガードは無知な悪魔の姿をみる。自然と神がおりなすユーモアを白黒画面がとてつもない演出力で1時間半という時間で描ききる。ジョン・ヒューストンの歴史的名作が今ではDVDで家庭でみられる時代というのも至福の時間といえるだろう。この時代が信じられない。1948年というまだ赤狩りでハリウッドが死ぬまで、生きた時代の映画がテレビで再生されている‥。
 「風とともに去りぬ」のマックス・スタイナーが音楽。撮影は「エデンの東」のテッド・マッコード。

黄色いリボン(ジョン・フォード監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;カスター大尉が率いる第七騎兵隊がシャイアン族に壊滅させられ、1878年居留地もまた、何年に一度かのバッファローの集結にともない不穏な空気に包まれていた‥
出演;ジョン・ウェイン、ビクター・マグラレレン、ジョーン・ドリュー
コメント;何年かぶりにみるジョン・フォードの西部劇。前に見た時もさほどとは思わなかったがやはり二度目も「う~ん‥」。「わが谷は緑なりき」といった作品ではさすがにハリウッド映画の根本を作り上げたジョン・フォードという気がしたが、この映画だけは本当にわからない。1948年の作品なのでジョン・フォードは実年齢よりかなり老けた退役6日前の騎兵隊大尉を演じていることになる。ハワード・ホークスの「リオ・ブラボー」などリオ3部作、「アパッチ砦」で無能な少佐に対して冷静な判断をくだす大尉役、そして1976年にローレン・バコールと共演した「ラスト・シューティスト」(ドン・シーゲル)といった西部劇の一連の作品をみてみるとこの作品でジョン・ウェインが演じた役はその後の作品に続くすべての原点があるようには思う。ただし1948年には予測もしないラストをラスト・シューティストとして演じて、最後の映画ではバーテンに背中から撃たれて死んでしまうことになる。このジョン・ウェインの「勇敢さ」はその後1970年代に至り、「右翼的」「帝国主義的」といった映画とは別のイデオロギーで裁かれて人気を失うが、それがまた再評価されつつあるのは喜ばしい。だがしかし映画として面白いかどうかはまた別の問題で、CGなどを遣わないバッファローのシーンなどは「ダンスウィズウルブス」ではみえることのできないシーンだし、大量の馬がインディアンの村を走りきる場面も、もうCGなしでみれるのはこの映画くらいだろう。このジョン・ウェインの役割は、その後クリント・イーストウッドがまた別の装いとして「ペイル・ライダー」「荒野のストレンジャー」として描く。しかしそれらの西部劇ではもはや大義名分は必要とはされていない。国とか大義名分とは無関係の西部劇がおそらく21世紀の映画の本質なのだし、インディアンをネイティブアメリカンとよばなければおそらく今では映画としては興行的には成功しない時代なのだろう。
 どうしても西部劇にはアメリカと居留民との争いがテーマとしてすわりそしてジョン・フォードは実体としての西部劇を冷ややかに見ていたフシもみえなくはない。1960年にジョン・ウェインはジョン・ヒューストンの作品に出演する。その名も「許されざる者」。クリント・イーストウッドがアカデミー賞を受賞したのも「許されざる者」。
 許されない者たちの哀しい存在が垣間見えると同時に、やたらに陽気な音楽がさらにせつなさも感じさせる。西部劇の歴史に名前を刻む歴史的作品ではあるが、しかしこれを3回見ることが果たしてあるのだろうか。「赤い河」を思わせる河を横切ると同時に、そこは故郷になるが、「黄色いリボン」でカリフォルニアへ渡ろうとしたジョン・ウェインは再び砦に呼び戻されるが「許されざる者」のクリント・イーストウッドはそのままカリフォルニアでクリーニング屋として成功する。20世紀後半から新たな物語を生み始めたイーストウッドのすごさとその前の歴史を刻んだこの作品。見直すとすればおそらくイーストウッドの西部劇だろうか。

堕天使のパスポート(スティーブン・フリアーズ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;ロンドンの不法入国者を中心に物語が展開。イスラム教徒である22歳の女性シュナイとナイジェリアからきた正体不明の男は居住費の節約と入国管理局の捜査を免れるため昼夜逆転の同居生活を送っている。ホテルで水があふれる器具を直していると底から赤く立ち上るものがある…。
出演;オドレイ・トトゥ、キウィテル・イジョホー、セルジ・ロペス
コメント;「危険な関係」「グリフターズ」のスティーブン・フリアーズ。シナリオにおそらくは忠実なものの画面の展開や演出で見事な冴えをみせる。
いわゆるサスペンスの属するのだろうが、セリフにほとんど頼らない展開がすごい。ラストの別れのシーンもきわめて大人の演出だ。コカの葉やトリュフの入った箱などの小物の演出もうまい。特に最後近くのシーンであえて言葉に出さず、唇の動きだけですべてを表現するというのもなかなかオシャレ。
(イギリスへのイスラム不法入国?)
 個人的にイスラム教徒が不法入国する先が英国というのは実は解せない。イスラエル問題とリンクすると、英国はバルフォア宣言でイスラエルと、フセイン・マクマホン宣言でアラブと同じ土地に独立国家を約束している。このときの戦闘の相手がトルコである。英国は第2次世界大戦前からユダヤ人の入植を制限するようになっていたが、どちらにとってもいい顔をするというあたりが、いろいろな不法入国の温床にもなりうるということなのか。ただ移民局に類する組織形態はどこの経済先進国にもあるのだろう。捜査の方法や労働の形態などは、案外どこでも似ているものかもしれない。画面には憎憎しいホテル経営者が顔を出すが主な主人公は日本人と同じ有色人種。なにやら好感が持てると同時に、ロンドンのあまりにもすごい有色人種化に「ラブ・アクチュアリー」の別のメッセージも受け取る。
 ある統計資料ではEU以外の不法入国者の数が約200万人となっていたがこれは過小計上かもしれない。
 最初の入国者はイスラム教徒でも2世はキリスト教文化圏という世代交代の動きもあるようだが、映画の中では家族の中で唯一英語がしゃべる少女がその状態を象徴している。
(トルコ共和国の政治?)
 外からみていると非常に内部事情がわかりにくい国ではある。親日派が多いとは聞いてはいるが。1980年にクーデターがあったという。現在は中道右派とイスラム教徒の連合による「公正発展党」と中道左派の「共和人民党」の2つが議会で大きな勢力を占める。そのほかにもクルド人などの権利を主張する政党などが乱立しているようだ。政教分離がきわめて厳格に適用され、世俗において「宗教の話題」はできないものとされている。建国のケマル・アテテルクの方針が生かされている。1960年と1980年にクーデターが発生しており、西欧主義とイスラム主義との使い分けに苦慮している、しかし成功しつつある国と考えていいのかもしれない。この西欧主義の最終目標は欧州連合にあるようだが、クルド人問題やキプロス問題などの解決が課題とされている。今年の秋にも加盟交渉の継続が報道されている。おそらくは年齢が22歳ということから、この1980年の軍部クーデターのおりに政治犯としてイギリスに亡命したという設定であろう。
(ナイジェリア)
 一方こちらについては有名なビアフラ事件がある。「ビアフラ」(朝日新聞社)という名作もあり、割とインテリが多くてしかも石油が発見されたイボ族の出身ではないかと推察される。この国はアフリカの中では非常に裕福な部類だと思われるが一時期主人公がアメリカにいたという設定は興味深い。
いわゆるインテリのアフリカ人、イスラム教徒の女性、そして「貧しい」(正確にはお金はもっているわけだが)英国人(つまり階級社会においてはサーバントの扱いになっているから、英国でも低い階層にはなる)の三人がからみあう。一人は女性としての大事なものを失い、男性はプライドを失い、そしてまた一人は身体的に何かを失う。しかし、三人ともそれがそれぞれの方法で「回復」できたりするから面白い。救いがあるのは再生できるところか。

赤目四十八瀧心中未遂(荒戸源次郎監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;尼崎市におりたった34~5歳の男。一流大学を中退後、全国を放浪し、尼崎市で臓物の串焼きを一本5円で作り続ける‥。
出演 ;大西滝次郎 、寺島しのぶ 、大楠道代
コメント ;蝶を捕まえようとする少年の姿がトップ。季節はおそらく夏だが、主人公が尼崎を訪れるのは、長袖の上着を着ていることから3月ごろ。そして4ヵ月後の夏までが描かれる。タイトルは心中未遂だが、実際にはどうなのだろうか。ラストには意外な展開が待っており、むしろタイトルこそが一種の「仕掛け」だったことが観客にはわかる。そして綿密にねられたプロット。粗筋に相当に「仕掛け」が施してあり、女の行く末はすでに映画の中で明らかにされている。そして、男の出自もまた物語が進むにつれて明らかとなり、その後も自然と明らかとなる。
 寺島しのぶがまさにはまり役で、正直、美人すぎず不美人すぎずといったあたりで、ときに「生島さん」ときに「あんた」と呼び、みている方もどっきりする。意外に見えるセリフの後ろには、意外でもなんでもない自然さを感じる。四十八朧のきれいな風景、ひぐらしの鳴き声はまさに日本を感じるし、そしておそらくは幾多の人間が流した涙のような夏の川のせせらぎが夕暮れの中を溶けて、そしてわびしい電車の中から地獄へといざなわれるという仕掛け。見事だ。


ミリオンダラー・ベイビー(クリント・イーストウッド監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;32歳の孤独なウエイトレスは、ある偏屈な、しかし腕の確かなトレーナーにボクシングを教えてくれと頼みに行く‥
出演;クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン
コメント;クリント・イーストウッドは大好きで第1作の「恐怖のメロディ」からほぼ全部みている。この映画もこれまでの多くの作品の一つにすぎないわけだが、正直いってがっかりした部類の作品になる。もっとも観客動員数でも成功した部類の作品だろうし、アカデミー賞の主要4部門を獲得した作品でもある。その意味でのケチをつけようというわけでもない。1992年に同じくアカデミー作品賞を取得した「許されざる者」にはかなり感動したのだが、その直後の「マヂソン郡の橋」をみて呆然とし、最近の作品では「スペース・カウボーイ」や「真夜中のサバナ」「ブラッド」とかなり好調な作品だっただけに、今回の作品は説教的でもあるし、別の意味でのメッセージ性も帯びている作品ではないか‥という疑惑も生まれる。ラストについても賛否両論だろうが、主役についてはかつて「名前のない男」がどうしてうまれてきたのかを推測させるエンディングとはいえるだろう。
 なぜか老境に入ってからのイーストウッドは娘との確執を描く作品が多くなる。「盗聴」でもそうだったが、実の娘とは「真夜中のサバナ」で共演しているから、さほど仲がわるいわけでもなかろう。また実の息子カイル・イーストウッドの名前もエンド・クレジットで確認することができる。
 俳優もうまいし、ドラマとしてもよくできている。演出もすばらしい。しかしもし自分が納得できないことがあるとすれば、アカデミー賞は取得できても、おそらく映画ファンの心は取得できない作品に属するという「疑惑」‥。

 孤独な主人公を描くイーストウッドはあるいは、自らの死をみすえたミッションのようなものを考え出したのかもしれない。宗教色がみられなかった作品の中では珍しくカソリック教会に23年間通う姿を描いている。とはいっても宗教とは一種隔離した距離は置いてはいるが。次回が楽しみではある。ただヒラリー・スワンクの姿は正直言ってイーストウッドの作品ではもう見たくない。

珈琲時光(ホオ・シャオシェン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;フリーライターの陽子は、ある日夢にうなされる。古書店の友人にその夢の問いかけをするが‥
出演;一青窈 、浅野忠信、余貴美子
コメント;「21世紀の東京物語」とコピーがうたれたこの作品は発生は小津安二郎へのオマージュだが、明らかに台湾の天才ホオ・シャオシェンの独特の映画作品であり、力をぬいているようにみえる実力派の俳優が画面全体にそのオーラを発している。台湾のピアニスト江文拗の歴史を追う陽子には、歌手の一青窈。正直歌はあまり好きではないが、演技は最高。そして古本屋の主人には「座頭市」で心に傷をもつ武士を演じた浅野忠信。そして小津作品へのオマージュということもあり元東京大学総長の蓮實重彦氏は誠文堂書店の客としてちらっと出演する撮影もしたそうだ。ただし実際にはカットされているようだが、エンディングにはその名前が流れる。
 この映画ではとにかく俳優が画面に背中をむけて背中で演技するという困難なワザをもとめられ、おそらくはリハーサルなどほとんどしないでその撮影に成功している。神田界隈の店や御茶ノ水駅での電車が交錯する場面など21世紀の東京の風景をいかんなくとらえ、日本人がなんたるかをホオ・シャオシェンが画面で、無言に伝えてくれている。「いもや」や「都丸書店」など個人的にもなじみが深い飲食店や古本屋が画面に姿をみせ、その歴史をまた伝えてくれる。猥雑なのだが美しい。そして画面ではまたストーリーがほとんど展開せず、おそらくはエキストラなども使っていないであろう電車の中の撮影が淡々と進行する。すごすぎる。
 もし画面から個人的に物語をつむぎだすのであれば、陽子にかける言葉がないように、陽子と古本屋の主人にもかける言葉はなく、家族愛がもし背中を並べて座っていることであれば、この二人の恋愛は片方が駅の音を録音している周囲を陽子がただ黙ってたってみているということでしか表現しきれない。しかしこの二人が愛し合っていることは画面では明らかであり、タイにいる恋人は言葉では伝わるが画面にはでてこない。京浜東北線と山手線ですれちがう二人のシーンは観客にはわかるが、このシーンこそお互いが探しているもの‥をラストで明らかにしてくれているように思えてならない。言葉には限界があるが映画の中では映像がすべてなのだ。そうするとヤボではあるが、この映画の「物語」のラストはもう決まっている。明らかにハッピーエンドだ。
 信じられないシーンがとてつもなく長く続き、しかもワンショットだったりする。スタッフとキャストの根気強い撮影と偶然すら演技にとりこむ気迫の演技。そしてエキストラではない実在の東京都民の日常が織り込まれた世界史に残る名作品であろう。

インファナル・アフェアⅡ(アンドリュー・ラウ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;1991年黒社会の大物クワンがサムの愛人の手によって暗殺される。実行犯が不明のまま、クワンの後をついだハウは復讐を始めた‥
出演;エディソン・チャン、ショーン・ユー、アンソニー・ウォン
コメント;インファナル・アフェアが面白かったので評判のいい続編もみてみるがこれがまた面白い。第1作よりも演出効果やストーリーの展開に妙味があって、俳優の演技の深みもまた味わいがなんとも。「ゴッド・ファーザー」シリーズの影響が色濃くでているようにもみえるし、北野武ばりのアクションシーン。そして音響効果もまたすごい。後半やや情緒的な演技や音楽が続くのを除けばかなり楽しめる映画で個人的には大満足。こうした過去の映画をふまえてさらに新たな地平線を開く映画が香港からうまれてくるというのもすごいし、これがまたハリウッドでリメイクされるとしたら、もしかするとリメイクのほうが大味となって面白みがなくなってしまう可能性もあるかも。Ⅲが公開されているが、これもまた非常に楽しみだ。