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真珠の首飾りの少女(ピーター・ウェーバー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;1655年。カソリック宗徒の農家の娘が父親が失明したためカソリックの貴族の家に働きに出る。その家には娘の旦那としてフェルメールがキャンバスに向かっていた…
出演 ;スカーレット・ヨハンソン、コリン・ファース、キリアン・マーフィー
コメント;「フルモンティ」で部下に威張り散らす役を演じたトム・ウィルキンソンがフェルメールのパトロン役として出演。もちろん画家のパトロンだからバカではなく、芸術もそれなりに理解しているという役どころ。ラスト間際にはただ椅子に座っているだけで映画の流れを作り出す重要なワンシーンがでてくるのが印象的だ。

 キリアン・マーフィーもすごくかっこいいのだがいかんせん歩くテンポが「28日後…」にそっくりだ。まだあの映画の演技を引きずっているのか…。とはいえオランダの青年役にはふさわしいリンゴ顔。

 画に興味がない人間でもヨハン・フェルメールの名前はどこかで必ず耳にする。17世紀オランダ絵画は世界でみても最高レベルの画家が誕生した時代であり地域だが、その中でもフェルメールというのは贋作が多数生まれるなど、一種のなぞに満ちた天才ともいうべきか。「光」がキーワードだが映画の中でも「光」を材料にした演出が数多くちりばめられている。また主役の女性が「真珠の首飾りの少女」と瓜二つなのがまたすごい。舞台はオランダデルフトで、海(川?)の上を船で横行するシーンが美しい。世界に現存するのは36点。主題はもちろん「真珠の首飾りの少女」だが、絵画では「青いターバン」をまいているが映画の冒頭では白いターバンだ。いつこれが入れ替わるのだろうか。フェルメールの妻はカタリーナといい、1660年ごろに妻の家に移り住む。母親のマリア・ティンスは相当に経済的な援助を与えた模様。ただしフェルメール自身はプロテスタントだがこの母親はカソリックであった。カタリーナは合計で15人の子供を生む(うち4人が死亡)。1672年にオランダとフランスとの間で戦争が始まりその3年後に心臓発作で死亡。
(ネーデルランドという地域)
 もともとこうした海よりも低い地域のことを「ネーデルランド」とい、プロテスタントが多い地域。このネーデルランドがカソリックであるスペインからの支配脱却をはたしたばかりだった(一時期、1477年にハプスブルグ家フェリペ2世の支配下にもなったことがある)。プロテスタントの中でもカルバン派、特に「こじき」(ゴイセン)とよばれるプロテスタントが多かった。15世紀のフェリペ2世はカソリックだから相当に新教徒を弾圧した。宗教裁判もあれば重税もあった。これが後のネーデルランド独立戦争の下敷きとなる。1558年にオランダ独立戦争がオラニエ公ウイリアムの指導によってなされ、北部のカルバン派(造船、貿易業者中心ゲルマン人)南部のカソリック(毛織物、牧畜、ラテン系統)とにネーデルランドは分離され、北部がオランダ、南部がベルギーとして分離独立し、南部は引き続きスペイン系統のハプスブルグ家の支配下に入る。しかしオランダの独立が完全に承認されるのは1648年のウェストファリア条約(30年戦争)になってからだ。
 17世紀はフェルメールだけではなく、哲学者のスピノザ、法律学者のグロティウス、画家のレンブラントといったそうそうたるメンバーが輩出される。経済的にもアムステルダムが国際金融の場として機能しはじめ、北海やバルト海などの内海貿易から東洋との貿易も始めた。さらにベルギー領からプロテスタントの毛織物業者が移住してきて毛織物業も盛んになる。17世紀後半には英欄戦争が3回にわたり発生しそれが国力を衰退させる。
 おそらくこの少女と画家も早くに死んだのだろう。ただし画家をみつめるまなざしをそれを受けてキャンバスにかくフェルメールはこれから地球があるかぎり生きながらえる名作となった。17世紀オランダが世界の中でつかの間に輝いた時代に、楽な暮らしではない、しかし日常生活の中で見出した光。映画としてはいまひとつだが、やはりフェルメールはすごい。
(ハープシコード)
 チェンバロとも呼ばれる。チェンバロはイタリア語でハープシコードは英語。鍵盤をおして、弦をはじいて音を出す楽器で、非常に音が柔らかい。日本におけるピアノと同様に「威厳」をもたすための家具という見方もできるだろう。真珠と同様に芸術感覚を大事にする雰囲気が画面から伝わってくる。17世紀フェルメールが活躍した時期はちょうどベルギーのフランダース地域が主産地だった。フェルメールの絵画の中にでてくるのは「リュカースチェンバロ」。おそらくは映画のとおり自宅に竜カースの製造したチェンバロがおいてあったのだろう。14世紀ドイツには発明されていたので17世紀のオランダにハープシコードがあっても不思議ではないがおそらく価格は安いものではあるまい。また狭いリビングに不相応な大きさでハープシコードがおいてあるのも効果的な演出といえるかもしれない。ルネサンス時期にイタリアで量産されたものが北欧さらには英国へ運搬されたらしい。フランダース地域のあとはフランスのパリで量産された。
どうしてもバロック音楽はハープシコードとされるが古典派でもベートーベンやハイドンがチェンバロを弾いていたことがあったらしい。ただし17世紀にはまだバッハもヘンデルも曲を書いていない。このハープシコードがクラビコード、そして現在のピアノとなるのは18世紀末。いったいフェルメールはどんな音楽を聴いていたのだろうか?


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