一生

人生観と死生観

直江兼継と志田氏ゆかりの会

2007-05-07 09:32:14 | 歴史
5月7日 
 09年NHK大河ドラマの決定。「天地人」で火坂雅志原作の直江兼継の物語である。直江は上杉謙信の養子景勝の家老として仕え、豊臣秀吉にも高く評価され、石田三成とともに徳川家康に叛旗をひるがえした硬骨の武将であった。三成が関が原の合戦で敗れた後、上杉家は所領百二十万石を四分の一の三十万石に減らされて米沢の地に移った。ここで彼はどん底の上杉の経済を建て直した。まことに立派な宰相であった。この直江家は今は絶えているが、夏戸城主志田(志駄)氏の親戚である。私は志田の末裔として、夏戸城志田氏ゆかりの会の会長を勤めた。「夏戸城のロマン」(吉原賢二著、真菜書房、1999)の中に直江、志田の活躍が記されている。直江の後継者としての志駄義秀の宰相としての働きはこの本の目玉である。

連休最後の日

2007-05-06 21:02:58 | 生活
5月6日 ゴールデン・ウィーク最後の日
一日中雨。今週末の行事ーいのち像を囲む集いに準備が必要と思いながら、大した事もせず一日が終わってしまった。今年は講演依頼が3回。そのためにパソコンを使って液晶プロジェクターでの図表の発表が求められる時代だ。ぐずぐずとパソコンに向かい、画像の取り込みなど試行錯誤しているうちに時が過ぎてしまう。年寄りにはハードな仕事に思えるが仕方がない。IT時代だから愚痴は言わずに、前向きにとは思うが、いや予想もしないことになったものだ。

こどもの日

2007-05-05 08:04:44 | 生活
5月5日 こどもの日。 日本列島の東、先ずは晴れ。
 孫4人、健やかな成長を祈りたい。これからの日本は戦後の歴史を踏まえ賢く世界に羽ばたくのだ。日本人は日本人らしく、勤勉と工夫を積み重ね、ほかの国の人たちから認められるように。
 柏餅を食べたい。糖尿病でも、コントロールの範囲内なら、といって食べ過ぎる、子どものようになる特権も老年の恵み。90歳代で新老人を称する日野原先生は忙しくて食いすぎている暇もないらしい。食欲との戦いに勝利する秘訣は何か。人生の目標は老人になってもしっかりと定め、ぶれることがないように。
 一週間後のいのち像を囲む集いに備えるため今はいろいろと忙しい。適度な忙しさは人生の宝。

憲法9条の尊重

2007-05-03 22:12:51 | 哲学
5月3日 憲法記念日
朝日新聞の記事が印象的だった。地球貢献国家を目指し、平和安保基本法の提言である。憲法を軽々しく変えないで、この基本法で事に当たろうというのである。自衛隊の存在は国民の大多数に絶対反対されていない現実を見れば、朝日新聞も憲法9条との整合性に何らかの答えを見出す必要を感じたのであろう。9条は人類の理想として尊重せねばならぬ。日本国民はこの憲法に誇りを持ってよいのである。無法者が(かっては日本が無法者だった)攻めて来た場合の対応をまったく触れていない法体系に不安を感じる一般人が多いことは自然である。60年前の敗戦後、17歳の私にとって新憲法は素晴らしかった。貧しい生活の中での光明だった。高い理想が人を生かすことを忘れてはならない。理想だけでは不安だという人には理想に次ぐ指針を与えることでよいのではなかろうか。私は朝日新聞の記事に賛成である。

いのち像十周年によせて

2007-05-02 20:49:16 | 生活
5月2日 仙台で拾った風邪がやっとなおり、活動開始。
 いのち像設立十周年の行事を5月12日に行うことについて読売新聞の宮城版で取り上げてくれた。本来ローカルな行事でなく、全国的なものであるが、そこまでのPRはなかなか難しい。河北新報でも取り上げるつもりのようで、問い合わせがあった。主催者側として気が引き締まる。
 それにしても10年も続いている行事のかげに関係者の大変な労力が積み重なっている。感謝でいっぱいである。
 ここまで来れたのはやはり充をはじめとする被害児のいのちと生涯の犠牲があったからである。忘れられてはたまらない。どうか5月12日が祝福されますように。

ふたたび

2007-05-01 20:29:32 | 生活
5月1日 五月再びめぐり来る。生きている感謝を神に。
五月、詩人ハイネが
           奇跡のように麗しい五月
と歌ったこの五月。
 東京、仙台の旅を終わっていわきの地に戻る。
五月は今は亡き妹の誕生の月。戦後の苦しい生活の中で
栄養失調で、やがて結核に罹り、そしてひっそりと・・
生き残った私に彼女に対して何が出来ようか。
           「生きる」
彼女に捧げるものがこれしかない。
しかし『生きよ』とささやくみ言葉が聞こえる、その喜び。