一生

人生観と死生観

日本人と宗教

2007-05-09 15:59:36 | 哲学
5月9日 はれ
 池田晶子著『14歳からの哲学』が評判なので買って読む。「宗教」の部分はきわめて弱いと言わざるを得ない。日本人もかっては本当に超越者を信じた。それは本気だった。親鸞は越後に流され、日蓮は佐渡へ流されたが、信仰を捨てなかった。科学が発達したから宗教がいらなくなったのでも、霞んでしまったのでもない。科学は「いかにして」ということに答えるけれども、「なぜ」ということには決して答えない。いや答えられないのだ。池田はそのことは分かっているが、宗教の本質的なところがほとんどまったく分かっていないのだ。
 現代でも科学者に信仰者はいる。霊魂の問題はもちろん科学では解けないが、内村鑑三ののような人はもっと内在的なやり方でこの問題に人生全体かけてぶつかった。かれは時としておおらかに全宇宙を肯定し、また時としてきびしく異端と対決した。その生涯全体が信仰の証となっている。単に頭の中の思索ではなかったのである。内村の影響は今日に及んでいるが、それは無教会派と呼ばれる直接的な師弟関係に限るものではない。
 私はこの宗教を成り立たせるものーいのちを信じる。二男充の予防接種事故は私の人生を変えた。永遠の赤ん坊のようになった彼に限りなく永遠なものーいのちを見たといってよいだろう。科学を超えた超越者の世界に近い、超越者の存在を強く示唆するものである。私の信仰はそこに立つ。そしてそれが私を思いもよらないところで助け導いてきたのだ。内村のように私はこの問題に全力でぶつかってきたのだ。感謝すべきかな、超越者なる神。

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