前ブログでも書きましたように、先日標題の展覧会を見てきました。
本展覧会は、本格的な作品に至る前段階のデッサンやドローイングなどの“素描”が中心でした。
二人は余りにも偉大過ぎ、自分ごときに、その作品論や芸術論を述べる資格はありません。
ただ、今回の見学で、自分として最も印象に残ったことを。
上の写真、展示作品を紹介する解説本の表紙(写真)です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの作で、タイトルは『少女の頭部』(<岩窟の聖母>の天使のための習作)。
この世で一番美しい素描とも評言されているとのことです。
彫りの深い目鼻とか、顔全体の立体感、あるいは天使らしい内面的なもの・・・いろいろため息が出るものばかりではありますが、
自分として最も印象深く感じたのは、画面左側に描かれた“解(ほつ)れ髪”。
この絵の前に立ち、この部分を見て呆然、“とても自分には描けないなあ!”と。
さらりとさりげなく、しかも味わい深い数本の線・・・。
“輪郭線”を描いたものかもしれませんが、見事な解れ髪の表現にも。
浮世絵の美人画でも、この解れ髪(毛)数本が重要な役割を果たしていますが、
この絵のそれはちょっとニュアンスが違うように感じました。
このブログを書きながら、ものはついでと、“ダ・ヴィンチ”と“ほつれ髪”のことを更に知りたくなり、
この2つのキーワードで入力してみました。
何となんと、彼には『ほつれ髪の女』という、それこそ文字どおりの、別の作品があるではありませんか。
知らなかったことを恥じ入りました。
この作品では髪の毛が多く描きこまれ、さながら、みだれ髪といった風情で、髪全体を描くお手本のように見えます。
それに比べこの『少女の頭部』の解れ髪は、簡素で選び抜かれたエキスだけの、研ぎ澄まされたものを感じます。
それからもう一つ、このブログを書きながらの、こちらはささやかな発見。
それは「解」の字の読み方。
最近の拙ブログ(2017.5.15付)で「シャクナゲの蕾が解(ほぐ)れ・・・」というのをアップしています。
シャクナゲの蕾は解(ほぐ)れる。
女性の髪は解(ほつ)れる。
たまたま、「解」の字の読み方での偶然の発見。
何やら「解」の字そのものが、味わい深く見えてきました。
以上、いささか“髪”に、そしてちょっぴり“解”にもこだわってきました。
最後に、自分にとっての「解れ髪」
それは、描くことも叶わなければ、
自分(no hair)には、もともとが叶わぬ「夢のまた夢」
そんなことを、改めて解(さと)った次第でありました。
本展覧会は、本格的な作品に至る前段階のデッサンやドローイングなどの“素描”が中心でした。
二人は余りにも偉大過ぎ、自分ごときに、その作品論や芸術論を述べる資格はありません。
ただ、今回の見学で、自分として最も印象に残ったことを。
上の写真、展示作品を紹介する解説本の表紙(写真)です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの作で、タイトルは『少女の頭部』(<岩窟の聖母>の天使のための習作)。
この世で一番美しい素描とも評言されているとのことです。
彫りの深い目鼻とか、顔全体の立体感、あるいは天使らしい内面的なもの・・・いろいろため息が出るものばかりではありますが、
自分として最も印象深く感じたのは、画面左側に描かれた“解(ほつ)れ髪”。
この絵の前に立ち、この部分を見て呆然、“とても自分には描けないなあ!”と。
さらりとさりげなく、しかも味わい深い数本の線・・・。
“輪郭線”を描いたものかもしれませんが、見事な解れ髪の表現にも。
浮世絵の美人画でも、この解れ髪(毛)数本が重要な役割を果たしていますが、
この絵のそれはちょっとニュアンスが違うように感じました。
このブログを書きながら、ものはついでと、“ダ・ヴィンチ”と“ほつれ髪”のことを更に知りたくなり、
この2つのキーワードで入力してみました。
何となんと、彼には『ほつれ髪の女』という、それこそ文字どおりの、別の作品があるではありませんか。
知らなかったことを恥じ入りました。
この作品では髪の毛が多く描きこまれ、さながら、みだれ髪といった風情で、髪全体を描くお手本のように見えます。
それに比べこの『少女の頭部』の解れ髪は、簡素で選び抜かれたエキスだけの、研ぎ澄まされたものを感じます。
それからもう一つ、このブログを書きながらの、こちらはささやかな発見。
それは「解」の字の読み方。
最近の拙ブログ(2017.5.15付)で「シャクナゲの蕾が解(ほぐ)れ・・・」というのをアップしています。
シャクナゲの蕾は解(ほぐ)れる。
女性の髪は解(ほつ)れる。
たまたま、「解」の字の読み方での偶然の発見。
何やら「解」の字そのものが、味わい深く見えてきました。
以上、いささか“髪”に、そしてちょっぴり“解”にもこだわってきました。
最後に、自分にとっての「解れ髪」
それは、描くことも叶わなければ、
自分(no hair)には、もともとが叶わぬ「夢のまた夢」
そんなことを、改めて解(さと)った次第でありました。