ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の空気抜きのある蔵(3)

2022-07-21 19:47:13 | 水戸

 ベーハ小屋(タバコ葉の乾燥蔵)は、作業場といった感じでつくられた建物でしょうから、もともと本来の蔵のような、しっかりしたつくり方がされていないでしょうし、たぶん吹抜けのため2階には床がほとんどなく、他の用途には使いにくいということもあるのでしょう、その多くが放置されているようで、どこも劣化はそうとうなようです。水府煙草の産業遺跡として、茨城県内の状態の良い蔵を一つくらい、たてもの園のようなところで保存できないものでしょうか。

 

飯島町
 なかなかいい形をしているようですが、一階の土壁はすでにはげてしまっているようです。もしかすると、形から見て、もともとあった蔵を改造したのかもしれません。

 

五平町
 地震の被害があったのでしょうか、ブルーシートが屋根の一部にかけられています。

 

五平町
 ここは、道路側の壁が崩れたようで、トタンが貼られています。

 

酒門町
 ここは、ほとんど全面にトタンを貼っているので、倉庫ぐらいには使われているのかもしれません。

 

杉崎町
 隣奥にある下半分が石組みの蔵と比べて、ベーハ小屋がかんたんにつくられていることがわかります。

水戸の空気抜きのある蔵(2)

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水戸の大同2年(807)創建縁起がある寺社

2022-07-20 20:37:12 | 水戸

 水戸には、史実はともかくとして、大同2年(807)創建という由緒書を持つ寺社がいくつもあるようです。全国各地では、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)や空海、円仁との関係がいわれたりもするようですが、茨城県神社誌を見る限り水戸では、とくにそうした説明はなく、年号だけが書かれています。秋田県・阿仁鉱山や青森県・尾太(おっぷ)鉱山発見の年としてもいわれているようです。柳田國男は、そうした伝説はみな、山に深く関わっているといっているそうです。また、好文亭内の茶室・何陋庵(かろうあん)露地にあったという灯籠は、大同年製(もちろん「?」でしょうが)といわれていたそうです。これは終戦後なくなったそうで、今ある灯籠ではないようです。下にご紹介した寺社の他にも、大同1年(806)創建という、野木神社(元吉田町2574)や香取神社(木葉下(あぼっけ)町1)もあるようです。

 

伊勢神明社(柳河町411-1)
 大同2年11月に社殿を改築して伊勢神宮の分霊を祀るとあります。そうすると、その前から神社があったことになります。

 

稲荷神社(大串町2251) 
 大同2年に海の池(現在地)に創建という伝承があるそうです。 「この宮は大同二年にお建ちある。霊験きわめてあらたかなり。ああ、ありがたや、手をあげて拝め」と、祭事で行われる大串ささらでは歌われるそうです。

 

鹿島神社(上国井町2308-1)
  大同2年2月創建と社伝にあるそうです。もと八幡宮で、その後、八幡、春日、熊野神社を合祀して四社明神と言われていたそうですが、元禄年中に鹿島神社と改称したそうです。

 

春日神社(田谷町)
  大同2年の創建で、春日明神といっていたそうです。江戸氏の祖神で、水戸城内に祀られたそうですが、佐竹氏によって水戸城が落城したときに、遺臣が田谷に移したそうです。

 

立野神社(谷津町899)
  大同2年9月に谷津、大足、田島、牛伏、黒磯、三野輪、三カ野の7カ村の鎮守として創建されたそうです。

 

六地蔵寺(六反田町767)
    大同2年に創建されたと寺伝にあるそうです。古くは地蔵堂といわれていて、室町時代には六蔵寺といわれたそうです。室町後期、中興3世・恵範(えはん)により関東真言宗の教学の中心地になったそうです。

 

薬王院(元吉田町682)
  桓武天皇の勅願により、吉田神社の神宮寺として大同2年に最澄が創建したとされているそうです。

 

薬師寺(上国井町36°26'21.7"N 140°25'42.4"Eあたり)
  創建は大同2年で、入仏式は2月7日だったそうです。徳川光圀の宗教改革で、国田地区で唯一残った寺院だそうです。平成31年に薬師堂の民間信仰資料群として無形文化財に指定されたそうです。

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水戸の石造如意輪観音(6)

2022-07-19 20:32:42 | 水戸

 今回も18世紀にたてられた、女性のお墓に彫られた如意輪観音です。室町時代の御伽草子(おとぎぞうし)である小町草紙には、「(小野)小町(おののこまち)は、如意輪観音の化身なり。又(在原)業平(ありわらのなりひら)は、十一面観音の化身なり」とあるそうです。

 

八坂神社(高田町209-1)
 正徳2年(1712)のような気がしますが、違うかもしれません。もしあっていたら、3代綱條(つなえだ)の時代です。水戸紀年を見ると、この年、村を離れた人たちを戻させる、「正徳年中人返の法」が令されたとあります。

 

童子塚共同墓地(元石川町)
 享保(1716-1736)は見えますが、その下は墓石が割れたようでよく分かりません。享保年間は3代綱條、4代宗堯(むねたか)、5代宗翰(むねもと)の時代です。

 

小吹町の墓地(小吹町)
 宝暦6年(1756)とあります。また、7月望日(ぼうじつ)ともあります。望日は、陰暦の15日のことで、満月なのでそういうようです。水戸紀年によると、この年に、羅漢寺を建てた木喰僧(もくじきそう)・観海に、藩は134石余の地を与えたそうです。5代宗翰の時代です。

 

円通寺(千波町1227)
 宝暦11年(1761)とあります。円通寺境内にある身替わり地蔵のあたりにある石仏群の中の一つです。水戸紀年には、江戸小石川藩邸へ老中が能を鑑賞に来て、その際に出されたお膳の鯛は、1尾金二分と銭900文(今の感覚で2.5万円くらいでしょうか)だったそうです。それを100匹買ったそうです。「其(その)他費用推(お)して知るべし」と宝暦12年の項にあります。魚1匹で、お墓はできたのでしょうか。これも宗翰の時代です。

 

見和共同墓地(見和)
 これは宝暦12年(1762)です。水戸紀年では、この年、厨房から火が出て、藩邸が焼け、宗翰は、駒込の下屋敷へ待避したそうです。当たり前のことですが、江戸とは全く違った時間が水戸では流れていたようです。

水戸の石造如意輪観音(5)

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水戸の弁財天(3)

2022-07-18 20:11:17 | 水戸

 私の大好きな大言海には  梵語、薩羅娑縛底(サラバサテ)の訳語。略してべざいてん。又、略して、弁天の梵天王の妃(きさき)。(一説には男の神ともす)弁舌、智恵の神。福徳、音楽の利益(りやく)をも授く、因(よ)りて弁財天の字を用いて福の神とし、(七福神の一)妙音天とも称して、音楽の神ともす。多くは宝冠、青衣を着け、琵琶を弾ず、顔色麗はしき女像に画(えが)く。されば、美人の代表とす。  とあります。(辞書は片仮名書きです。ふりがなを入れたり、すこし略したりしています。)

 

内原町(36°22'09.4"N 140°21'07.3"Eあたり)
 社殿前には石の太鼓橋がありますが、下を流れる川は写真のようになっていました。かつては、周囲にも水があったように見えました。近くにある鹿島神社(内原町1085)が管理をしているようでした。

 


長福寺(塩崎町1135)
 本堂へ上がる階段向って左方の崖下にありました。たぶん以前は崖下から水が湧き出していたのでしょう。社前に石が積まれていましたが、地蔵などの前に積む、賽の河原を意識したのでしょうか。

 

桂岸寺(松本町13-19)
 桂岸寺の庭園・保和苑にある池の畔にあります。以前いたずらでやしろに入れられたらしい河童が中にいましたが、今は弁天の画像が納められています。

 

観音堂(五平町1002-1)
 境内にたくさんの石造物がある観音堂ですが、そのまうしろに弁財天の石祠があります。たぶん以前はそのあたりに池があったのでしょう。4月初巳の日に祭が行われると石碑にあります。

 

弁天池(河和田町 36°21'18.1"N 140°23'50.3"Eあたり)
 白鳥の飛来池でもある弁天池ですが、かんじんな弁天堂は見あたらないようです。かつては池のどこかにあったのでしょう。武蔵野市・吉祥寺に吉祥寺がないたぐいなのでしょうか。

水戸の弁財天(2)

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水戸の難読地名(14)

2022-07-17 19:14:20 | 水戸

 小字(こあざ)は、難読の宝庫だとつくづく思います。みな「改訂水戸の町名」にある小字名です。

 

岡内(おこううち) 旧・柳河村上河内  「おこううち」も難しいですが、上河内を「かみがち」と読むのも難しいです。

 

金洗沢(かねはらざぁ) 旧・山根村木葉下   金が採れた木葉下(あぼっけ)ならではの地名です。金を水底に沈殿させたことからきた地名なのでしょう。

 

塩之発句(しおのほった) 旧・山根村木葉下   発句は、開墾して田にするという意味だそうです。普通は「ほっく」とよむようです。

 

平八(ひいはち) 旧・上中妻村飯島   「ら」という字はいいにくいので、前の「ひ」を長音化したのでしょうか。

 

三学(みなぶ) 旧・緑岡村小吹   これも「みま」はいいにくいので、「ま」が省略されたということなのでしょうか。

水戸の難読地名(13)

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