水戸には、史実はともかくとして、大同2年(807)創建という由緒書を持つ寺社がいくつもあるようです。全国各地では、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)や空海、円仁との関係がいわれたりもするようですが、茨城県神社誌を見る限り水戸では、とくにそうした説明はなく、年号だけが書かれています。秋田県・阿仁鉱山や青森県・尾太(おっぷ)鉱山発見の年としてもいわれているようです。柳田國男は、そうした伝説はみな、山に深く関わっているといっているそうです。また、好文亭内の茶室・何陋庵(かろうあん)露地にあったという灯籠は、大同年製(もちろん「?」でしょうが)といわれていたそうです。これは終戦後なくなったそうで、今ある灯籠ではないようです。下にご紹介した寺社の他にも、大同1年(806)創建という、野木神社(元吉田町2574)や香取神社(木葉下(あぼっけ)町1)もあるようです。
伊勢神明社(柳河町411-1)
大同2年11月に社殿を改築して伊勢神宮の分霊を祀るとあります。そうすると、その前から神社があったことになります。
稲荷神社(大串町2251)
大同2年に海の池(現在地)に創建という伝承があるそうです。 「この宮は大同二年にお建ちある。霊験きわめてあらたかなり。ああ、ありがたや、手をあげて拝め」と、祭事で行われる大串ささらでは歌われるそうです。
鹿島神社(上国井町2308-1)
大同2年2月創建と社伝にあるそうです。もと八幡宮で、その後、八幡、春日、熊野神社を合祀して四社明神と言われていたそうですが、元禄年中に鹿島神社と改称したそうです。
春日神社(田谷町)
大同2年の創建で、春日明神といっていたそうです。江戸氏の祖神で、水戸城内に祀られたそうですが、佐竹氏によって水戸城が落城したときに、遺臣が田谷に移したそうです。
立野神社(谷津町899)
大同2年9月に谷津、大足、田島、牛伏、黒磯、三野輪、三カ野の7カ村の鎮守として創建されたそうです。
六地蔵寺(六反田町767)
大同2年に創建されたと寺伝にあるそうです。古くは地蔵堂といわれていて、室町時代には六蔵寺といわれたそうです。室町後期、中興3世・恵範(えはん)により関東真言宗の教学の中心地になったそうです。
薬王院(元吉田町682)
桓武天皇の勅願により、吉田神社の神宮寺として大同2年に最澄が創建したとされているそうです。
薬師寺(上国井町36°26'21.7"N 140°25'42.4"Eあたり)
創建は大同2年で、入仏式は2月7日だったそうです。徳川光圀の宗教改革で、国田地区で唯一残った寺院だそうです。平成31年に薬師堂の民間信仰資料群として無形文化財に指定されたそうです。