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水戸の七面堂

2022-07-25 20:10:28 | 水戸

 七面大明神は、身延山地で一番高い(1989m)七面山にある敬慎院に祀られる鎮守神の龍女で、身延山久遠寺の守護神だそうです。吉祥天とも弁財天ともいわれ、母は鬼子母神、兄は毘沙門天などともいわれているそうです。日蓮は、七面山龍女の成仏は、女人の成仏であるということを説いたそうで、七面山大明神は、女性の信仰を集めたようです。

 

七面山(偕楽園のある高台 常盤町1-3-3)
 2代徳川光圀の妹・菊姫は夫の松平康兼の死後、芳園尼と号して、今の好文亭あたりに別荘を営み、79歳で死去したそうです。日蓮宗の信者だったので、3代綱條(つなえだ)は、その跡に、見川の稲荷神社にあった七面堂を移し、妙雲寺を別当にしたそうです。この七面堂は、9代斉昭による偕楽園建設のときに、妙雲寺境内へ移されたそうです。常磐神社の石段あたりで焼かれた七面焼きという名称も、その七面堂の名前を伝えているようです。写真は、南崖下に広がる偕楽園公園から見た、七面山と言われた高台の好文亭などがある偕楽園です。

 

妙雲寺七面大明神(見川1-103)
  妙雲寺が、七面堂の別当だった関係で、綱條の建てた七面堂は、斉昭によって妙雲寺境内に移されたそうです。堂内の社の中に、木造女人像が納められているようでした。

 

妙徳寺七面堂(加倉井町909)
 日蓮の弟子・日高が、加倉井へ来て日蓮宗を布教したそうですが、それをしたって、山梨県梅平の城主・波木井実長の3男・弥三郎が加倉井に来て、母・妙徳尼と共に住んだそうです。そして母の死後、その霊を弔うために妙徳寺を建てたそうです。たぶん七面堂も、妙徳尼に関係したものなのでしょう。

 

本行寺七面大明神(上水戸4-8-1)
 光圀の時、本行寺は、母の久子(久昌院)の生家である谷家の菩提寺になり、保護を受けたそうですが、光圀は常陸太田に久子を弔うために久昌寺を建てたそうです。この七面堂も久子と関係があるのでしょうか。七面堂には、鬼子母神や北辰妙見大菩薩なども祀られているそうです。賽銭箱や正面ガラス戸には、七面大明神の七曜の紋と、鬼子母神のザクロの紋があります。

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