ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸・羅漢寺のゆかり

2020-07-27 20:30:55 | 水戸

 現・城里町塩子にある仏国寺の住職だった観海という僧が、かつて水戸の田谷に羅漢寺(らかんじ)という大寺を建立したそうです。穀物を絶つ修業をした木食(もくじき)の観海は、ねずみ色の麻衣をまとい、遠く陸奥まで勧化(かんげ)の旅をして、2万両などを集めて建築を進めたそうですが、完成直前の宝暦12年(1762)に失火で焼失してしまったそうです。再び勧化を行い、明和7年(1770)に下野国から五百羅漢を運んで入仏供養を行ったそうです。観海は、その5年後(安永4年(1775) 仏国寺墓誌)に死去したそうです。寺域は約1.7万坪あり、寺は高さ10丈8尺(33m 以下の数字は「水府綺談」です。 「水戸市史」には9丈2尺とあります)があり、階下の間口19間(約34m)、奥行き14間(約25m)あり、水戸城がよく見えたそうです。観海は、木喰仏を彫って全国を巡った木喰五行に木食戒を施した僧でもあるそうです。藩から134石の土地が寄進されていたそうですが、徳川斉昭の改革で、天保9年(1838)に破却されたそうです。

 

 

大六天(酒門町2607)、羅漢公民館
 このあたりに本堂があったそうです。写真左側にある建物は羅漢公民館で、羅漢の名前が残っています。御三階のあった二の丸は、標高約28mですので、大六天の標高5m+建物の高さ33mとすると、二の丸よりは高かったようです。

 

 

菊池神社(谷田町)
 東門がこのあたりにあったそうです。大六天と菊池神社の距離は約280mです(東西)。総面積が1.7万坪(約5.6万㎡)だそうですので、寺域が方形だったとすると、南北は約200mあったということになります。

 

 

羅漢橋バス停(酒門町国道51号線渋井信号近く)
 備前堀が水源の新川にかかる橋の名前がバス停になったようです。このあたりの道路工事の際に、骨が出てきたそうで、羅漢寺の墓地があったのだろうと聞いたことがあります。

 

 

観海、観順の墓(宝蔵寺 谷田町633)
 五輪塔が観海の墓で、その背後にある卵塔は羅漢寺二世観順の墓だそうです。

 

 

手水鉢(宝蔵寺 谷田町633)
 五百羅漢と彫られた、今は宝蔵寺にある手水鉢です。羅漢寺竣工の明和7年(1770)に新張郡の人が奉納したようで、信仰圏の広さが感じられます。宝蔵寺には、この他に、羅漢寺の礎石がいくつかあるそうです。

 

 

蝦蟇石(がまいし 好文亭 常磐町1-3-3)
 沓脱ぎ石(くつぬぎいし)です。羅漢寺から運ばれた石だそうで、蝦蟇の背に似た斑紋があるということで、蝦蟇石と言われているそうです。


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