MATTのひとりごと

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歴史の証人 夏の家 (2013年1月22日)

2013年01月22日 | 歴史・地理

ハワイに来て入会した「ハワイ・シニアライフ協会(HISLEA)」のホノルル支部の新年会の案内が届いたのですが、会そのものより会場に興味が沸いたもので(笑)参加することにいたしました。
 
どうやらこの会場の「料亭夏の家」が真珠湾攻撃と深い関係があるとわかったので、事前にネットの波乗りをしたところ主人公の森村正(本名 吉川猛夫)にまつわる話にはじまり、彼の(実際には喜多総領事の)打った暗号電報、そして暗号を解読しながら(まともに解読したかどうかは疑問)日本にわざわざ開戦に踏み切らせた当時の大統領の陰謀説に至るまで出るわ出るわ際限なく記事が現れました。

ちょっとだけ紹介しますと
 
まだまだ出てまいりますが、この中のいくつかの記事はあきらかに「コピペ」で書かれています。
もちろん上記の案内文もコピペでまとめたもののようです。

そしてこの一連の記事の主人公は「森村正」という偽名で日本領事館に勤務していた本名:吉川猛夫ですが、
 
長くなりますので興味をお持ちの向きはインターネットに掲載されているそれぞれの記事をお読みいただきたく思います。

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「ルーズベルト大統領は日本軍の暗号電報をすべて解読していたが日本に先に手を出させるように仕向けた」という説があり、かなりの人がこれを転記しています。でも日本軍がハワイを攻撃することが分かっていたのなら何故米海軍を避難させなかったのでしょうか、あまりにも犠牲が多すぎます。別な説によるとルーズベルトは日本軍が南アジアを攻撃すると思い込んでおり、ハワイに関する日本軍の暗号電報は重視しないばかりかほとんど解読していなかったので、真珠湾攻撃の報告を受けてショックを受けた、というものもあり、こちらのほうがマトモな解釈にも思えます。でも真相は不明ですが・・・・
日本軍のスパイである「森村正」が料亭の「春潮楼」に入り浸って連日宴会を催していたことを赤穂義士の大石内蔵介がカタキの目をごまかすためにお茶屋遊びをしたことになぞらえて、本人が「私は大石内蔵介なのだよ」と発言したという記事もありますが、たとえ相手が日本人の芸者さんだとしてもスパイである彼がそのような事を漏らすとは思えませんし、もし漏らしたとすると彼にはスパイの資質が無かったと思わざるをえません。でもこのエピソードも誰かが後日作り上げたものではないかと想像しています。そしてこの話もコピペであちこちに見受けられますが、わざわざコピペではなく打ち直した記事に「大石内臓介」とあったのは傑作ですね。それはないぞー!

コピペだからといって一概に悪いともいえませんし、テーマとなる記事を自分の記事の中で引用することで話題が広がるのであればそれなりの存在価値はあると思います。

かく申す私もこの案内文に興味を持ったことでこの催しに参加したわけですから、コピペの悪口を言える立場ではないですね。(大汗)

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さてこの会場の「夏の家(なつのや)」の所在地を地図で調べると「アレヴァ・ハイツ」と呼ばれる高地にあることが分かり、お得意の?ザ・バス路線でワイキキから行くには13番でmacさん宅の近くまで行き、そのあと本数の少ない10番に乗り換えるか、徒歩15分程度でたどり着くというルートがよさそうなので、当日は自宅近くのバス停で13番が来るのを待っていました。
バスを待つあいだ、念のためiPhoneにインストールしてあるザ・バスのGPS連動リアルタイム時刻表で調べてみたところなんと 13番のスケジュールが載っていない のです。
 
上記のようにリアルタイム時刻表では何時間経っても13番の予定がないので、次々にやってくるバスの運転手に「13番は運行していないの?」と訊ねると、みな「動いているよ!」との返事。
そうこうするうちに時間ばかり経過するので急遽ルートを変更して2番で近くまで行き、坂を登って会場に向かうことにしました。

その後、ザ・バスのウェブサイトにこのような掲示が掲載されましたが、それによると3月まで(一ヶ月以上もの間!)13番の表示が出ないとのこと。さすがハワイらしいのんびりさですね。

結局、下図の(13)という場所のかわりに(2)という場所で下車し、ラナキラ・アベニューをひたすら登って目的地Aに向かいました。


この通り沿いにはいろいろと変わった外見の建物が見受けられたので、結構楽しみながら歩きました。たとえばこんな建物とか、

パラボラはともかくとしてラケットらしきものをアンテナのように立てている家などもありました。 

その後、目的の「夏の家」の横を通ると建物からこんなものが張り出していました。

これも先ほどのラケット?同様になにか上空に向かって電波でも出しているのかと思ったのですが、
実はこの建物に以前設置されていたネオンサインの枠の残骸とのことでした。 

iPhoneに入れた地図ソフトのおかげでスイスイと歩いていたのですが、ラナキラからノース・ジャドと道の名前が変わるあたりの交差点を左折すると現地への近道であることが分かり、念のため通りの名前の表示を確かめていたところ、バス通りでもあるノース・ジャドを下ってきたタクシーが停まって運転手が降りてきました。てっきり「タクシーに乗らないか?」とでも言われるのかと思ったら「お前たちどこへ行くのか?」と訊くので目的地を言うと、「そっちじゃない、この道だよ」とジャドの方を指すので、止む無く(!)遠回りになってしまうその道を辿ることにした我々をしっかりと見届けてくれる親切さでした。
一日に数本しか通らない10番のバス停はこのような電柱を利用した標識になっているという素朴なものでしたが、バスには出会わないまま目的地に到着しました。

「夏の家」の外観はこのようなもので、戦前からあった料亭を戦後になって手直ししたもののようです。

パノラマ写真で周辺をごらんください。(写真をクリックすると拡大します)

夏の家の前には墓地があり、

記念碑が設置されていました。

ワイキキ方面をみるとダイアモンド・ヘッドに良く似た横顔を持つパンチボウルの全景が飛び込んできます。

玄関を入るとすでに受け付けが進んでいましたので私たちも手続きを終えました。

玄関ロビーには有名力士の手形などが飾られていてハワイ出身の力士はもちろんのこと日本から巡業にきた力士たちもここを利用したことが良くわかります。なんでも小錦の結婚披露宴もこちらの2階にある大広間でおこなわれたとのこと。

大広間からは隣接するカメハメハ・スクールの膨大な土地と校舎群が一望できます。上記の地図の上方にある部分全体がそれです。今回2番のバスを下車したところの通りが「スクール・ストリート」と呼ばれていますが、もちろん「スクール」とはカメハメハ・スクールのことでしょう。

大広間にはいつごろのものかは不明ですが、昔の宴会後の記念写真が飾って有りました。浴衣の方々に混じって背広にレイを掛けたかたも見受けられるハワイらしい写真でした。

大広間の海側には展望窓があり、戦争中はここから真珠湾が良く見えたとの事ですが、現在ではたくさんの家が立ち並んでしまい、あまり良く見えないのが残念でした。

この展望窓の横からバルコニーに出ることができるという作りはやはりハワイらしい作品に思えます。

この日のゲストである在ホノルル総領事の重枝夫妻に夏の家の大女将、藤原さん(中央)がこの大広間でのいろいろなエピソードを紹介して居られました。

この建物にはスシ・バーもありましたが、なんとそのバーの看板としてこんなものが掛かっていました。ン?風呂場?

さらにその奥には小さな日本庭園があり

人懐っこい?鶏がポーズを取ってくれました。


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さて本題のHISLEAホノルル支部設立記念新年会の式次第はこのようになっています。

でも撮影疲れ?のためあまり写真を撮らなかったのでちょっとあせっています。
まずは重枝総領事のご挨拶。

坂井HISLEA会長の「短い」ご挨拶。 

食後に荒了寛大僧正の基調講演があり

各種余興が披露された後、全員による「花は咲く」と「HISLEA賛歌」で幕となりました。

余興が続く間、ちょっと失礼してオモテに出てみました。
目の前にはホノルルの海が広がっていましたので、これもパノラマで(写真をクリックすると拡大します)パチリ!、左の柵内が墓地です。

2階の展望室からは良く見えなかった真珠湾もはっきりと望めます。手前の水面ではなく前方ホノルル空港のコントロールタワーより向こうにある水面が真珠湾で、コントロールタワーの右側がヒッカム空軍基地のある場所です。

湾の入り口付近を拡大するとこんな具合です。


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日本軍のスパイ「森村正」はこの料亭の展望室に置かれていた望遠鏡で真珠湾とヒッカム基地の動向を連日うかがっていたとのことですが、地図で測定してみると両方のターゲット共にこの料亭から10キロメーターも離れているのです。

偵察に使用した望遠鏡は彼が持ち込んだのかこの料亭に備えられていたのかは分かりませんが、大して高性能の望遠鏡でもないと思われますので良くこれで情報収集ができたものと感心します。現在この望遠鏡は「使えない」と言うことになっていてスシ・バーに置かれています。その前で藤原大女将と記念撮影。

ついでに(汗)我々のツー・ショットです。


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今回の催しは真珠湾攻撃という歴史の断片に触れることができた有意義なものでした。

皆様も(年齢に関係なく、しかも旅行者でもOK)HISLEAにご参加ください。いろいろと楽しい催しがありますので。 

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