現在は何台ものウクレレを保有されているかたでも、最初に入手したウクレレには何らかの思い出があるのではないでしょうか。まずは入手したきっかけ、さらには購入したのかプレゼントされたのか、もっとさかのぼるとなぜウクレレに興味をもったのか?等々・・・とても一口では言い表せないような「物語」のあるかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
私の場合、初めてウクレレという楽器のあることを知ったのは高校生の頃でした。(ずいぶん晩生だったわけで・・・)。同学年の友人に山下博誉クンという才人がいて、彼がウクレレを学校に持ち込み軽やかに弾くのを見て「ちいさなギターのような楽器で、よくもこれだけの音が出せるものだ!」との印象を持ったのがウクレレとの出会いでした。当時の私はポピュラー音楽としてはもっぱらS盤アワー、L盤アワーそしてP盤アワーと、ラジオから流れてくる米国のポップスしか知りませんでしたが、日本のポップス界は「歌謡曲」以外はすべて「ハワイアン楽器による洋楽」と言ってもよいほどだったようです。さらには「歌謡曲」ですらハワイアン楽器が入り込む、というハワイアン・バンド全盛の時期で、ハワイアンだけでなくあらゆるジャンルの音楽をハワイアン・バンドが演奏しており、ウクレレはそのバンドに欠かすことのできない楽器であることを知ったのは大学に入ってからでした。
大学に入って「軽音楽部」というのに入部すると、ここにはハワイアン・バンドだけが存在したので、自然にスチール・ギター、ピック・ギター、ベース、ビブラフォンそしてウクレレとハワイアン・バンドの楽器をいろいろと弾くようになりましたが、学校で弾くだけでは練習ができないのでギターとウクレレは購入し、スチール・ギターは自作しました。ここにご紹介する2台のウクレレはその頃に購入したものなのです。(ちなみにビブラフォンは入社の年に数回ぶんの給料からの小遣いで購入し、ベースは最近やっとアシュボリーというオモチャのような楽器を購入したのです・・・。)
左のパイナップル形はルナのP2という製品で、もちろん現在キワヤで販売しているシリーズではなくもともとの鎌野楽器製品です。フレットがネックに直接埋め込まれているもので、ボディーやネックの材質はよくわかりませんが柾目でちょっと髄のおおい材木(単板の一枚板:すなわちブックマッチではないものです)を使用し、大変軽い楽器です。購入価格の記憶はありません。
右のスタンダード形は当時ヤマハが大変力を入れていたスプルース単板のもので80番と言うモデルでした。この80番というのは価格が800円(8千円ではなく!)のことであり、弟分には60番すなわち600円のウクレレもありました。
この2台を購入した順序も覚えていませんが大学卒業数年後までこの2台だけを愛用していました。もちろん両機種ともフリクションペグすなわちバイオリンのようなクサビ形のペグを使用していたのは当時としては極めて当然です。
社会人となってしばらくはこの2台で頑張っていたのですが、1970年代後半米国駐在になったころにマーティンは高価だったのでカマカを購入したのが3台目のウクレレでした。このころの価格は現在の価格の10分の1以下でしたが、すぐに上昇しはじめ、手が出せなくなったという記憶があります。
・・・ということでこの2台には本当に長いことお世話になりました。この2台をたまに弾くと、十分に乾燥したこともあって軽やかに鳴ってくれます。単板で割れやすく、何度もエポキシ接着剤でシロート修理をした跡も歴史を感じさせてくれます。この2台は「家宝のウクレレ」とは言えない、ごく普通の製品ですが、個人的には「家宝以上」のウクレレという位置づけをしております。
私もカマカやマーチンなどは夢のまた夢、遥かな存在でしたのでラワン材?のルナが宝物でした。
今年も宜しくお願いします。
同じような環境で。
昭和31年頃福島でした。
高校の文化祭にクラスメートのお兄さんのバンドが。
何とハワイアンでした。
何と素晴らしいのか感激。
上京して30年代吉祥寺で初めてウクレレ購入。
高価だったですね。
社食が40円 その時2000円くらいでしたかね。
懐かしい記憶がおぼろげながら。
日光に当て過ぎたのか、用紙が酸性紙だったのでしょうね。
SGはちゃんと最初からカテゴリーに加えてあるのですがトピックがないだけなのです。(涙)
リーダがその頃、連絡先を局に送った人の名簿を保存されてました。
表紙も色がかわっていましたが、名簿を拝見していると連絡先を職場にされていたMATTさんのお名前を発見!!
やはり、お名前があったかと、ほくそ笑みました。
SGの話も、たまには
私の勘違いでしたね。こちらこそお騒がせして申し訳ありませんでした。(^^;
ナットのすこし上にちょっとナナメに見えている線は、この吊り下げ用の紐が見えているだけなのです。吊り紐はルナのほうにもあるのですが、たまたまナットとくっついているため目立たなかっただけなのです。
お騒がせしました!
今、改めて画像を眺めてて気になりました。No.80の方ですが、これって0フレット使用に改造しているのですか?
いい加減な親子っすね。
こんど、良く聞いてみます。。。
実は私は「熱風」の作者村上一徳さんのウクレレ教室へ行ってウクレレではなくベースばかり弾いていましたが、そのあと「いつどこ」の著者である渡辺直則さんの教室へ入りました。その教室はヤマハの教室だったこともあり教室常備のウクレレはすべてモデル80でした。
Johnny、そうです、みなさんハワイアンでした。それから自作はスチールだった件、了解です。それなら分かります。私も上に書いたように、やはり自作しましたから。スチールでしたらフレットは単に紙に書けば済むはずで、わざわざ鉄の板を埋め込まなくても大丈夫とは思いますが・・・・
フレットは、どうしたの?と聞いたら、
帯鉄を工夫して埋め込んだそうです。
「ハワイアンやったてんだ!?」と聞くと、
「皆、やってた。」そうです。。。
御免なさい!続きですが、私も所有しております。高級なウクレレと比較するかなりの違いがありますが本当に真面目に作られた素晴らしいウクレレだと私も思います。良い音を奏でてくれますよ!(^^♪
自作は結構難しいのではないですか。今のように半完成品のキットがあるわけではなかったでしょうから。
もしかしてmasayaさんのように9ミリゲージの線路をフレット線としてつかったのですか?
もっとも当時Nゲージはまだ登場していなかったのかな?すくなくともHOゲージは有ったでしょうがフレット線として使うにはふとすぎますから・・・
iisanがヤマハをもっていたとは奇遇ですね。
ヤマハのウクレレは結構まじめに作られた製品で、今でもちゃんと鳴っています。
買ったのが弟分の60番でした。
ラーメンが40円の時代でしたから15杯分。
葉山の海やキャンプ地に教則本付きで
よく連れて行きました。
20年近く放置のあと、1980年家の新築の
ドサクサに紛れて居なくなりました。
今思うと残念なことをしました。
感慨深く、読ませて頂きました。
正に、青春時代=ハワイアン・バンド全盛だったんですね。
小職が、はじめてウクレレを購入した時、オヤジが、ちょっと貸せ!と言って、1曲ポロポロ弾いてしまった事を覚えています。
当時は、買えなくてウクレレを自作したそうです。。。