1.日本ウクレレ協会の「日本」は「ニホン」ではなく「ニッポン」だった?
ハワイに「日本文化センターJapanese Cultural Center of Hawaii (JCCH)」という組織があります。
日系人のハワイ移民時代から現在までの日系人のハワイにおける歴史を調査し、公開している組織です。
第二次世界大戦開始と同時に日系人を強制収容した「ホノウリウリ収容所」の在処(ありか)が長いこと不明であったのをJCCHの努力によって探し当て、当時の様子を解明した功績は大きいものです。
そのJCCHの2019年8月3日のフェイスブック記事に灰田有紀彦さんのご長男でNUAの名誉会員であるアランさんから提供されたと思われる資料のひとつとして灰田兄弟のグループ「モアナ・グリー・クラブ」の写真が紹介されていました。
この記事には英文と日本語の翻訳文の二つが書かれているのですが、英文では
「This is a photo of Moana Glee Club, which was founded in 1928 by Yukihiko and Katsuhiko Haida. They Popularized Hawaiian music in Japan and started the Nippon Ukulele Association (NUA).・・・・」
注:上記キャプチャーした記事も当初「Nihon」ではなく「Nippon」となっていました。
とあるのに対して、日本語翻訳文では
「これは、1928年に設立されたモアナグリークラブの写真です。日本でハワイ音楽を広め、日本ウクレレ協会(nua)を始めました。」
と「誰が」という主語がまったく存在しない文章になっています。
おそらく「灰田有紀彦(当時は灰田晴彦のはず)」と「灰田勝彦」という日本語がわからないのでそのまま「主語なし」にしてしまったのでしょう。
英文自体も当初は「Nippon」と書かれるとともに「They・・・・・・・started NUA」と灰田兄弟がNUAを創設したように読めていました。
このあたりをコメントで指摘したところ驚くべき答えが返ってきました。
いわく「(あなたは知らないだろうが・・・というニュアンスで・・・涙)現在Nihon Ukulele Associationと呼ばれている組織は創設当時はNippon Ukulele Associationと呼ばれていたのだよ。詳しくは「ここ」に書かれているのでよく読んでごらん。」
とのこと。
まさかNUAのNが創設当時は「ニッポン」だったことを外部から教えていただこうとは思いもよりませんでした。
創設当時のメンバーをたくさん存じ上げていますが、そのようなことを一度たりとも教えてもらったことはありませんでした。
その後何度かのやり取りでやっと「Nihon」にだけは修正してもらえましたが・・・・
2.日本のウクレレ事情を紹介した米国の「Ukulele Magazine」第15号
上記のJCCHから「ここを良く読むように」といわれたサイトは米国の「Ukulele Magazine」の2016年11月17日発行の第15号の特集「Japan: The Colorful History of the Ukulele's Second Home」でした。
表紙の写真はもちろんキヨシ小林さんです。
確かにこの記事は現代の日本におけるウクレレ事情を詳しく紹介しています。
著者はシカゴ在住のKevin C. Crowellという方、かなり日本のウクレレ事情に詳しい方のようで、灰田さんのこともしっかりと?紹介しているのですが、ここに「Nippon」と書かれていたのです。
3.UKULELE japanのサイトで灰田さんとNUAが紹介されました。
この記事の著者は「ukulelejapan」という英文サイトを主宰しているので覗いてみると、そこでも10名ほどの奏者とともに灰田さんにも触れていました。
NUAの英語ページから写真や情報を入手しているようですが、その割には間違いが結構目立ちます。上記の右下の文章を拡大するとこのようになります。
ここに「Nippon」とはっきり書かれているのです。
NUAのサイトを参照しながらなぜ間違ったのか不思議です。
それから月例会を「東京の外側で」開催しているという紹介も不思議です。
最大の間違いは「NUAのテーマソングForest Pathを書いた」というところです。
「森の小径」を「Forest Path」と英訳したセンスは悪くないと思います。少なくともオータサンのデビューシングルの「Bonsai」(写真右でB面、左のA面は「Sushi」:鈴懸の径)よりははるかにマシでしょう。
でも「NUAのテーマソングとして森の小径を書いた」というのはまったくの間違いです。
このまま英文が残ってしまうとそのことが事実となってしまいますが、日本人ならこの曲が彼の名作のひとつでNUA創設の1959年よりはるかに前の1940年に作られたことを知っているので何かの手段で修正してもらう必要がありますね。
NUAのために「書いた」、のではなくこの曲をNUAのテーマとして「選んだ」のが正解ですから。
下記はNUAのサイトの記事を転載したものです。
4.灰田さんからNUA会員全員で演奏できるようにと「森の小径」のアレンジ譜を託されました
灰田さんは1986年に逝去されましたが、幸運なことに灰田さんの生前にいろいろとご指導をいただくことができました。
そのなかで、灰田さんから何枚にもわたって書かれたアンサンブル用にアレンジされた「森の小径」の楽譜を渡されました。
おそらく当時の灰田さんはこれだけの大規模なアンサンブルを指導するだけの体力をお持ちではなかったのでしょう、「是非NUA会員全体でこのアレンジの演奏を実現してもらいたい」というご意思とともに託されたのです。
灰田さんの教えというか主義として「楽譜でも情報でも、まずすべてを自分が理解してから自分の手で書き直す」というものがあります。
その「主義」にもとづいた灰田さんは、楽譜を出版物から丸コピーするのではなく、ひとつひとつ丁寧に五線紙に手書きをしていました。私もこの「主義」を忠実に守り、既成の楽譜をそのままコピー機で丸コピーするようなことはせず、(さすがに手書きではないのですが)楽譜ソフトでいちいち書き直しております。
・・・・・ということで私もお預かりした手書きのアレンジ楽譜をすべて楽譜ソフトで書き直して保存することといたしました。
私の使用したソフトは「パワー・タブ・エディター(PTE)」という無料のタブ作成ソフトか「フィナーレ・ノート・パッド(FNP)」というこれまた無料の五線譜作成ソフトだけなのですが、結構使えるのでいまだに有料ソフトは使わずに済ませています。
そしてこの「タブ譜作成ソフト」と「五線譜作成ソフト」ですべて書き直した灰田さんのアレンジ譜を使う機会が遂に現れたのです。
5.「第25回ウクレレ・フェスティバル」にNUAとして初参加し、「森の小径」を演奏しました。
1971年にロイとキャシーのサクマ夫妻がスタートさせた「ウクレレ・フェスティバル」には五十嵐有爾(ゆうじ)さんと今村讃(たたえ)さんがが毎年参加しておられ、そのバックとして私も1990年ごろから毎年スチール・ギターやギターで参加させていただいていたことでロイ夫妻と仲良しになり、NUAとして参加させてもらう約束ができ、1995年の第25回ウクレレ・フェスティバルにNUAの初参加が実現したのです。
初参加で演奏する曲としては、当然ながらNUAの協会歌として制定されているこの「森の小径」をまず選定いたしました。
毎月のNUA例会では単純に「1番の歌、2番の歌、バンド演奏、3番の歌」という順で全員がユニゾンで歌いながら演奏していて、これは現在でも同じパターンを続けています。
ウクレレ・フェスティバルでもこのパターンで演奏してもよかったのですが、せっかく灰田さんから託されたアレンジ譜があるのですから、それをできるだけ実現したいと考え、短期間でも覚えられるようにと内容を簡略化して練習し、それを引っさげてフェスティバルに参加いたしました。
なにしろNUAとしても初めてのウクレレ・フェスティバルでの演奏だったことでかなり緊張しましたが、ステージを降りたところに日系人のご婦人たちが駆け寄って来て「良かった!」「嬉しかった!」と口々に言われたことで私たちも嬉しくなりました。
灰田さんの作品を灰田さんの生まれ故郷であるハワイで演奏できたことで、ウクレレ・フェスティバル初参加の目的を達成できた、と皆で喜び合いました。
ただ、このときの演奏は灰田さんのアレンジを簡略化させたものでしたので、やはりアレンジどおりの演奏をして灰田さんのご意思に応えたいと思い続けていました。
そしてその機会がやってきたのです。が・・・・
6.NUAの50周年記念行事で「アレンジ完全版」を演奏。ところが思わぬハプニングが!
2009年のNUA50周年記念行事で「完全版」を演奏すべく、事前に演奏のパート分け、歌のパート分けをおこなうとともに毎月練習を重ねて本番に備えました。
そしていよいよ本番の日が参りました。
会も順調に進み、いよいよ「アレンジの完全版」をこの日に向けて練習してきた会員によって演奏する時間となりました。
・・・・・ところが、なんと事前の練習にまったく参加していなかったたくさんの会員が「この曲なら演奏できる」とぞろぞろとステージに上がってきたのです。
彼らは毎月の例会で演奏しているパターンと思って歌い、演奏してしまったので、せっかく灰田さんがアレンジした間奏やスチールの演奏部分を自分たちの思い込んだ演奏で演奏したためにメチャクチャなステージとなってしまいました。
そこで60周年記念会ではこれのリベンジを目指したのです、が・・・・
7.NUAの永久保存版作成と、それを用いて60周年の会での演奏を提案
2019年にNUA創立60周年を迎えるにあたり、その1年以上前に私はNUAに提案をいたしました。
すなわち私を含めて会員の高齢化が進んでいくので、せっかくの灰田さんのアレンジがNUAに残らない惧れがあるので、まずその楽譜の「永久保存版」を作成して後世に残すとともにその楽譜に基づいた演奏を60周年で演奏しましょう、というものでした。
ところが「永久保存版作成」のお話がまったく進展しないばかりか、灰田さんのアレンジとは少し異なるアレンジによる練習が60周年に向けて進行していたので、せっかく保存していたファイルでしたが練習中の曲との混乱を避けるためにプリントアウトを1部だけ残してファイルをすべて破棄しました。
その後も「永久保存版」についての状況がまったく把握できなかったのですが、もしNUAで作成しなくても私が自費出版するつもりで、1部だけ残したプリントアウトを見ながら印刷用の版下をシコシコと2~3ヶ月かけて完成させました。
その後「永久保存版」を60年記念行事を目指して出版されることになったと伺ったので、完成した版下と見本冊子そしてデータのすべてを60周年記念印刷物の担当と発表されていたMegさんに「もしMegさんが永久保存版の担当でなかったら、その担当者に渡してください」とコメントをつけて送ったところ「私が担当なのでこれでとり進めます」とのお返事を頂き、ほっと肩の荷が下りた感じでした。
8.タブ譜は数字をひとつずつ貼り付けるという気の遠くなるような作業です。
前述のように私はタブ譜作成ソフトとして「パワー・タブ・エディター(PTE)」を愛用しているのですが、このソフトの五線譜部分の品質が悪いので、「永久保存版」には「フィナーレ・ノート・パッド(FNP)」だけを使うことにいたしました。
でもPTEでしたら五線譜とタブ譜が連動しているので、タブ数字を入れさえすれば自動的に五線譜が出来上がりますが、FNPにあるタブ譜機能は思うような出来栄えにならないので、思い切って五線譜だけをFNPで作成し、タブ数字は一つ一つ貼り込んでいくことにしました。
しかし言うは易く・・・・この作業は大変手間がかかるもので、2~3ヶ月の大半はこの作業に宛てることになったのです。
この作業は五線譜の音符ひとつひとつの位置に対応する場所と対応する四線にその数字を正確に「貼って」いかないといけないので、神経を使うとともに時間もかなりかかるのです。
完成したタブ譜はソフトウェアで自動的に配置されたかのような完璧さであると自負しています。
9.「保存委員会」の努力で冊子が完成しました。
NUAの「60周年記念行事実行委員会」の「冊子編集担当」であるMegさん(写真左)
はこの「永久保存版」を「アンサンブル保存委員会」として担当するのはもちろんのこと、60年記念行事当日に配布するトートバッグと
全12ページの「記念冊子」とプログラムも担当しているとのことでした。とくに「記念冊子」は大掛かりな内容で前回の冊子の編集を外注に出したのに対して、今回は1から10まで担当されたようで、そのご苦労は編集に携わったことのある身にはよくわかります。
その意味で、こちらの「永久保存版」は表紙の4面と本文のあとがきを用意していただくだけでしたので、多少でも省力のお役にたてたかな、とは思っています。
10.表紙写真は名カメラマンのきまさんが担当されました。
せっかく「森の小径」の冊子ですので、タイトルにふさわしい写真を、という希望?提案?があったようで、なんと高尾山までロケハン(撮影場所の調査)に行かれたと伺っていたのですが、実際の写真はきまさんのご自宅(新井薬師前駅付近)にほど近い「江古田の森公園」で撮影したとのことでした。
ネット情報によるとこの場所には以前「国立療養所中野病院」があったためなのか全国でも有数の「心霊スポット」になっているとのことでした。
なんでも、この森に迷い込んで戻ってこない人がたくさん居たというウワサもあったようです。
それはともかく、きまさん(写真左)
の撮影した写真が表紙の表と裏に使われたのです。
さりげなく、と言うかわざとらしく(笑)置かれているウクレレはきまさんが清水さんから修理に預かったウクレレとのことでした。
11.60周年記念式典でNUA娘誕生のいきさつを紹介された工藤画伯。
この冊子をはじめNUAのサイトや印刷物に当然のように使われている「NUA娘」は、1981年の「文芸春秋漫画賞」を受賞された工藤恒美画伯がNUAのために描いてくださったのですが、そのいきさつを今回のNUA60周年記念式典で工藤さんからご紹介いただきました。下記の写真はお話をされる工藤さん、手前のテーブルの後ろ姿で左がオータサン、右はジュニアです。
まだ灰田さんがご存命のころ、故・渡辺直則さん
のお父さんで、ウクレレやアコーディオン奏者として有名であった渡辺敏治さんから紹介された灰田さんから「NUAのマーク」の作成を依頼されたのだそうです。
たまたま工藤さんが奥様とハワイ旅行をしたときに、人魚の扮装をした女性を見たのでそれをヒントに「NUA娘」を描かれたとのこと。
ちなみにそのときが「初ハワイ」だった奥様はその女性が本物の人魚と信じておられた由。
注)工藤さんが描かれた「NUA娘」は単色でしたが、その後1990年代に元NUA会員のcobachan(小林博さん)が現在のように着色されました。
12.「永久保存版」内容の紹介。
実際には「表2」すなわち表紙裏だけに「NUA娘」が印刷されているのですが、著作権のある資料ですので丸ごとコピーされることを避ける目的で、それぞれの見開きページにNUA娘を入れました。
まず表2と1ページ目(目次)です。
2,3ページは全体の流れを示す楽譜です。
4,5ページは1番、2番、3番、それぞれの歌のパート譜です。
6,7,8,9ページはウクレレのパート1,2,3の全体のタブ譜を表示しています。
ここからはウクレレのそれぞれのパートのタブ譜で、10,11ページがまずパート1です。
12,13ページはパート2のタブ譜です。
14,15ページはパート3です。
16,17ページはベースのタブ譜です。
18ページはスチール・ギター譜で、19ページは共通のコードとリズムを書いた譜です。
最後の20ページの「あとがき」、そして表3です。
13.将来のNUA会員に向けての「永久保存版」
今回どれほどの部数を印刷されたのかは分かりませんが、今後入会される会員の皆さんにそのつどお渡しすることでこのアレンジをいつでも再演できるようになることを期待します。
14.小型版を作ってみました。
今回の「永久保存版」のサイズはA4なのでちょっと持ち歩くにはかさばるので、思い切ってその半分のサイズすなわちA5判での「海賊版!」を勝手に作成してみました。
もちろん手づくりのためほんの少数だけ作成し、60周年のときに何名かのNUA会員に差し上げただけで全部ハケました。
初代会長・灰田有紀彦氏、NUAの生い立ち等々良く理解が出来ました。有難うございました。
機会がありましたらぜひ月例会にお出かけくださいね。