本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

小津安二郎「秋刀魚の味」(1962)芸術祭参加作品。

2015-06-01 12:57:09 | 
 小津安二郎監督「秋刀魚の味」(1962年芸術祭参加作品)をYOUTUBEで見た。Youtubeはこのタブレットではよく映るときと全然駄目なときがあって両極端である。毎日よく入るのなら私も70年代ロックを観たり、映画を観たりで忙しいのだがそうではない。今日は珍しくよく入ったので、何気なく「秋刀魚の味」を付けてそのまま1時間52分超の大作を終いまで観てしまった。

 小津映画には娘の縁談を巡る確執をさり気なく描いた作品が多いがこれもその手の作品である。戦争中は駆逐艦の艦長だったという主人公は妻君に先立たれ、娘と次男の三人暮らしをしているところ、24歳の適齢期を迎えた娘をそろそろ嫁にやらねばならぬなと悩んでいる。娘も結婚したい気はあるが、自分が嫁いだ後の父親と弟の生活を案じている。・・・。この主調音に長男夫婦、学生時代の同窓生仲間と恩師らとの交流が混ぜ込まれていて、派手さはないがじっくり見させられてしまう映画である。私が好きなシーンはというと、初めて寄ったバーで偶然艦長だった時代の乗組員の一人と鉢合わせして、これに亡くなった女房と面影が似ているというママが加わって三人で軍艦マーチのレコードをバックに敬礼で戯けるところである。私は別に軍国主義者ではないが🙆、このシーンは好きである。😊😁😌🔱🎬🚢。

 事実関係を確かめたわけではないが、昔「吉本隆明は小津を嫌いだがそれはなぜだと思うか?」と、或るマニアックな吉本ファンに唐突に訊かれたことがある。咄嗟のことだったが、私は「戦争に協力したからじゃないの?」と即答した。小津は戦争中中国大陸に渡って従軍映画を撮影した過去がある。大日本帝国陸軍に協力しなかったら映画を撮ることなど不可能だった時代の話である。生きた年代が懸け離れていたら許すも許さないもなかっただろうが、吉本隆明と小津安二郎は充分に近い時代を生き抜いている。ゲーテがワイマール共和国の鼻持ちならない木っ端役人だったからと言って、それを理由にGoetheの全作品を否定し去る人間はいないだろうと、これは埴谷雄高がかつて指摘していたことである。
 小津安二郎作品が流行った頃私はまだ小学校低学年だったから、私は小津を許すとか許さないとかいった価値判断の俎上に乗せることなど思いもつかない、ただの小津作品ファンの一人に過ぎなかったわけである。

 しかし、何が契機になって小津映画のファンになったのか思い出そうとするのだが、これが一向にうまくいかない。思い出すのはある小津作品の終盤⇨「火葬場のシーン」(⇦多分モノクロ)である。笠智衆だったと思うが主人公が火葬場の紫煙を見上げながら「順繰り順繰りよお生まれて来るわ。よおでけとるわ」と述懐するシーンがあった。これなどは私としては相当初期に見た作品だったと記憶している。

 ☆$¥124.74(WSJ6/2《火》13:40)


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