本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

福知山へ行った。

2010-08-05 16:30:54 | 
1.最近18切符を買うときは概ね半端残りを金券ショップで仕入れていた。5回はなかなか使い切れないと判断したからだが、今回は「宗旨を改めて」5回分のフルセットをやはり金券ショップで買ってみた。定価の200円引だった。一応使い切れなかった場合を考えて「半端の買取」はいつまでやっているのか聞いてみたら、「1回分残り」については使用期限(9/10)ぎりぎりまで買い取るが、他は売れ具合を見てケースバイケースだという話だった。

 でどう「宗旨」を改めたかと言うと、これまで私は「一日でどれだけ遠くまで行けるか」に拘った乗り方をしていたがそれを第一日目の今回はかなぐり捨てたのである。午前中に用事を済ませて、天王寺駅を出発したのは昼過ぎになった。こんなことはかつてなかった。出発は大抵5時前後、遅くても6時台だった。それで東に向かって行けば夕方には東京に着いた。仕事等で大阪から東京へ行く人は新幹線なら3時間、飛行機ならもっと早く到着出来るが、それだと移動は単に移動で終わる。途中経過の駅のことなど思案の外になる。
 それに引換え18切符はあくまで「鈍行一日乗り放題」で「途中下車自由」が特徴だから、目的地・到着点もさることながら道中見聞きする種々の体験こそが貴重で重要なのである。ぁそ。
 正月三が日に東京から日中西へ向かったこともあるが、道中ではのべつまくなしに初詣客が乗降して車内は一種独特の華やいだ気分に包まれていた。

「普通列車一日乗り放題」とは言っても、時刻表と睨めっこで余程緻密に計画を練らないと列車の乗継・待ち合わせに多大な時間を消費する羽目に陥る。そういう「計画立案から実行まで」を完遂することが得意な人間もいるが、私は元々計画性とかは全然駄目な「行き当たりばったり」の人間だし、最近は視力の衰えがひどく時刻表の細かい文字が判読出来ない場合もあるので、お出掛けの際はいつも買うポケット版の時刻表は今回は見送って「出たとこ勝負」の一日(というか半日)となったのであった。

 それで朝から晩まで電車に乗っていると、いい加減うんざりして飽きが来るのである。体験上5~6時間が限度である。「乗り疲れ」「すわり疲れ」もあるが私の場合問題は精神的な嫌気の方で、例えば東海道線を乗っていると静岡県を通過する辺りで俄然厭きが来る。浜松で鰻、焼津の漁港、静岡のお茶、原駅では富士山眺望・・と楽しみはいろいろあるが、電車に乗っていること自体に辟易してしまうのである。あちゃ。
 全線を通して連絡がいいのは東海道線と山陽本線だけではないかと私は疑っているが、その東海道線が意外にも飽きてしまうのである。愛知県の区間は名鉄と競合するからJRも快速を連発するが静岡県内では競争相手がいなくなるのでサービスは目に見えて劣化する。神奈川県は今度は東京への通勤圏なのでまたサービスが復活する。総じてそんな印象である。

2.ちなみに18切符の価格設定はショップによって異なっているようである。私が確かめた2軒では5回分は定価11,500円の200円引(300円引)3回残りは7,300円(6,900円)2回残りは5,400円(5,600円)だった。(註:括弧内は別の店)

3.今回乗った電車と通過時間は以下の通りである。行きたい場所など特になく、ただ単に電車に乗って移動していたいだけの思いつきの旅にしては結構うまく立ち回れたと自分では思っている。基本は日帰りの予定だったが、展開によってはどこかに一泊しても構わないと考えていた。

12:12 天王寺17番線から快速大阪行。外回り環状線で新今宮~西九条などを経由する。天王寺は環状線では大阪と正反対の位置にあるので内、外どちらで行っても時間は似たようなものである。

12:32 大阪駅7番線から普通電車高槻行。一旦8番線の新快速に乗ってはみたが混雑していたのですぐ降りて普通に乗り換えたのである。

12:58 高槻1番線から普通電車野州(やす)行。こちら方面は京都まではよく行くし、大津・大津京までは6月に無理矢理連れて行かれたばかりなので、そこから先でないと私は旅に出た気はしないのである。ぁそ。

13:58 野洲3番線から米原経由新快速長浜行。新快速と言ってもこの辺りではどの駅を飛ばすということもないので実質各駅停車である。
 米原では隣のホームに「大垣行」が待っているのが見えたので一瞬迷ったが結局は動かなかった。あそこで乗り換えていたら、この旅は全く違った展開を見ただろう。
 長浜へは私はまだ行ったことがなくて、どうせ行くのなら『男はつらいよ』でもやっていたお祭りの日に行きたいものだが、あれは秋祭りだし、夏の祭りなら私は先日の京都でもう充分に満喫満腹しているのである。

 暑い盛りの時間帯で、車内の冷房は効きが悪かったが外よりはマシだった。
 2時半頃長浜に着いて私はまた迷った。①先へ進む②長浜を歩く③引き返す・・と選択肢は3つあったが、結局私は一番安直な第③の道を選んだ。理由は今乗って来た電車が30分程の待ち合わせで折り返し快速播州赤穂行になるという、殆ど理由にならないような消極的理由からだった。今来たばかりの路線を引き返すのは面白くなかったが、他の選択では今後の展開が予測不能だった。
 私は発車を待つ間一応形だけ駅の外に出て周囲を何枚か撮影した。改札の外はちょっとした高台になっていて、長浜城も上部だけはよく見えた。

15:05 長浜発新快速播州赤穂行。
 この播州赤穂行というのがちょっと曲者で(はあ?)途中から何気なくJR赤穂線という、山陽本線とは違う路線に入ってしまうのである。まあ、赤穂駅も駅前ロータリーに例の赤穂浪士たちの銅像がポツリポツリと立っていたりして一見に値するかも知れないが、山陽線を先に進むには時間的ロスがある。私はJR西日本の「鉄道の日」記念切符で鳥取砂丘に行ったときはうっかりこの赤穂経由で行ってしまったのである。この「鉄道の日記念切符」は秋に出るミニチュア付の切符で、JR西日本の管内だけで通用する青春18切符のようなもので確か2回分セットだった。ちょうど18切符の端境期に売り出されるので、便利と言えば便利である。というか、いっそ18切符を通年で売り出してくれた方が私なんかは重宝するのだが、それだと何かしら(例えば利用が行楽シーズンに集中するとかの)不都合な事態でも生じるのだろうか?
 どう転んでも結局は、我々金欠な暇人たちを年中ガラガラのローカル線に押し込むだけなのだから、一向に構わない筈だと思うのだが・・。

4.ところで長浜駅の記念スタンプ(←スタンプ台には「軽く押して下さい」と書かれていたが実際はかなり力を入れて押さないと印字がクリアにならないのだった)には「秀吉公の城下町がある駅」「北陸本線・長浜駅」というロゴが入っていた。私は忘れていたが、確かに米原から先はもう北陸本線に入っているのである。とにかく、あの「北陸本線」という文字を見て私は「随分遠くまで来たんだな」と妙に納得したものである。

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5.それでこの後、行く先々で考えていた西区の幼児監禁致死事件に関する走り書きが私のメモに挟まっている。

 マンションの前には菓子やジュースが供えられているそうである。警察・検察は「未必の故意」による殺人の立件に懸命である。それはそれとして私も「立件するな」などとは言わないまでも、仮に逮捕された母親が悪魔のような心根の極悪非道な人でなしであったとして、周囲や役人に「子供を無為に殺すな」「子供の命を大切にしろ」という極普通の共通意識があれば、あの方法で幼児たちをむざむざ殺させることはなかったのではないか。
 高齢者失踪続発もそうだ。役所の側には「ごたごたに首を突っ込んで事件に巻き込まれる」ことを極度に恐れる風潮がある。児童相談所がどういう法的位置にあるのか私は知らないが、「がきの使い」のように書類作りのためにだけ出掛けて行った5回の訪問のうち、一人で行ったという最初の家庭訪問が一番罪が重い。後に続く四回は「前例に倣った」だけだからである。
「一人では(ドアを開ける強制介入の)決断がつかなかった」という相談員の言い分にテレ朝の珠ちゃんは「二人なら出来たのか。そういう問題ではない」と即座に斬って捨てていた。まさにその通りで、私には「強制介入しても何事もなかった場合の自身への責任追及」を恐れての所業としか思えないのである。
「これは相談員の感性の問題だ」と鳥越さんは指摘していた。感性だとか感受性だとかいったそんな上等な話ではない。穀潰しのノータリンの話なのである。こういう役人を何百人何千人雇っても事態は少しも改善されないだろう。
 制度が通常「上意下達」の体制を取る以上、考えるにこれは上司が相当悪い。

「敵は制度、味方はすべての人間」(埴谷雄高)というが制度を体現しているのは個々生身の人間である。ムラ共同体の崩壊だとか家族・家庭の消失・瓦解だとか言葉は雑多に飛び交うが、制度(システム)に通うべき血潮が通っていないのである。大学で福祉を専攻した人間だけが児童相談所や生活保護の部門に配属されて来るわけではないだろうが、「上」は新人らに一体何を教育するのだろうか?

 やれ「学校で教える理念と現実とは別ものだ。早く《仕事》を覚えろ」とか「経費削減に努力しろ」だとか「これ以上仕事を増やしてくれるな」とか「住民の言うことをいちいち気にしていたらこの仕事は出来ない」だとか・・陰に陽に事務的効率化と大量迅速な事務処理・書類作成ばかりを強調し押し付ける「有能な」上司ばかりが上に連らなっていたのではないか。無論大阪市にあってはそのトップに祭り上げられているのが「有能なる行政官=平松市長」(←橋下知事の言葉)なのである。

 地方自治体の税収は地方交付税で国からワンクッション置いて入って来る。国は当然口を出す。監査か査察か知らないが、国が機を見て税の使用状況を抜き取り検査するわけである。汚染米の例もあるように、国の木っ端役人によるマンネリ化したチェックなどは、《形骸化》する可能性を常に孕み抱え込んでいる。末端の職員を摑まえて逐一口頭試問するわけではないからチェックは当然書類検査になる。
 こうして地方自治体役人の仕事は実に《書類作成》がメインになって行くのである。書式さえ整っていればオッケーなのである。彼らはなにせ《お忙しい》のだから。

 ところで、しかしながらメディアは何を怖れているのか、雇用側の責任を追求するどころか一向にその片鱗すらも報道する気配がない。水商売関連のCMが減ることを危惧しているのだろうか、つくづく無能で邪悪な視野の狭い報道である。
 変な話になるが、いっそ母親が育児だけでなく(新しい男と逃げるとかで)職場放棄もしてくれていた方が子供たちのためには良かった。彼女が遁走していたら、店側は即刻ドアを破って室内に入り、結果否が応でも子供たちを発見していただろう。ところが彼女はソープの仕事は休まず続けていたから、店側は要らぬ詮索をする理由がなかった。住民が「臭い」「喧しい」と役所に訴えてそれで終わりである。会社の寮であっても隣は無関係な他人でしかなかった。言ってしまえば我々の「自由」とは親が子を放置する「自由」をも含んでいるのである。
 願わくは「親がなくても子は育つ」社会であって欲しいと私も思うが、そんな理想郷のような共同体が今この国のどこかにあるとは到底信じられない。子供たちが死んだ後親を幾ら裁いても彼らはゾンビではないから生き返っては来ない。

6.さて、播州赤穂行が京都へ着く寸前になって、私にはあるプランが閃いた。
 大したことではないが、それは京都から山陰線に乗って行けるところまで行くというアイデアである。神戸方面は最近行っているから今一つ気乗りがしなかったのである。山陰線は保津峡より先は行ったことがなかったからちょうどいいと思った。

16:37 京都32番線発普通電車園部行。
17:26 園部3番線発福知山行。

 山陰本線は京都ー園部間は複線。園部ー綾部間が単線で、綾部ー福知山間は再び複線になる。上下線共本数の少ない路線ではないので、単線の区間ではしばしば対向線との入替待ちになる。それと私が驚いたのは「ワンマンカー」では乗降が最前方のドアに限定されるのはいいとして、ドアも自動開閉ではなくなる区間があるということである。ドアの脇には内外両方に「開」と「閉」の二つのボタンが並んでいて、乗降客が自分でボタンを押して開閉する仕組になっているのである。これは私には初めての経験だった。

18:44 福知山着。しっとり小雨が降っていて、ホームも濡れていた。

7.(長くなり過ぎた感があるので続きは稿を改めることにする)

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2児遺棄、下村容疑者を殺人容疑で再逮捕へ
8月5日13時20分配信 読売新聞

 大阪市西区のマンションで、幼いきょうだい2人の遺体が見つかった事件で、大阪府警は、母親の下村早苗容疑者(23)(逮捕)について、殺人容疑で再逮捕する方針を固めた。

 下村容疑者が1か月以上、2人を放置したまま家を空けていたことが判明した。2人に長期間食事や水を与えなければ死亡することを下村容疑者が認識していたと判断。府警は殺意の立証は可能との結論に達した。

 捜査関係者によると、捜査で下村容疑者が家を出た後、7月29日まで一度も帰宅していなかったことが裏付けられたという。

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 夕方のニュースで(これは一回目の通報ー訪問のことだろうか)朝5時過ぎに子供の泣き声がすると通報があって、職員が訪問したのはその10時間後だったというのである。その日はまだ子供は生きていたのである。

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cf.宇高連絡船

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