3.深夜零時近くになってようやく辿り着いたのがこの「ミッドイン赤羽駅前」というビジネスホテルである。ホテル自体は可も無く不可も無い普通の高層ビジネスホテルだろうが、立地が悪かった。私はホームからの印象で見当をつけて、東口から200m位歩いてそこへ行ったのだが、翌朝になって反対側へ行けば「東横イン」があることに気づいた。待遇は似たようなものだがそっちの方が(鳥取ではインターネットは無料だったし)幾らか安かったかも知れないのである。(ちなみに私が泊まったのは一泊7,500円の禁煙シングルルームである。)
それはいいとして、道中ぞろぞろ並んだ中国女たちの客引きに、
「飲み放題3,000円よ♪」(←「嘘ですよ!」とホテルのフロントマンは大きく手を振って否定した。)とか
「外がいい?」(はあ?テイクアウトかよ!?)だとか
口々に代わる代わる「熱烈歓迎」されたのにはおじさん参った。あちゃ。
「ばかやろう、俺がそんな金持ちに見えるか!?」
「そんな金があったら何が悲しくて夜中まで宿を探すか!?」
・・と言いたかったが、中国語ではこれをどう言ったらいいのかわからなかったので止めておいた。ぁそ。
代わりに、ホテルのフロントに「ここは凄いねえ!」と言ったら即座に、
「そうなんですよ。都内でもここは風紀が悪いんです。昼間は普通のビジネス街なんですけどね・・」という答えが返って来た。朝食の席には若い女性客の姿も散見されたが、彼女らは恐らく風紀が怪しくなる前の早い時間帯にチェックインしていたのだろう。
客引きのジャパ行きさんたちの写真を撮っておけば良かったなと後になって思ったが、陰から怖いお兄さんたちが出て来るかも知れないからそんなことはしないで良かったのである。人生まさに「触らぬ神に祟りなし」「無難が一番」なのである。宗旨替えかってか、ぁそ。
モーニングは無料で6:00-10:00までだが、これが10月からは有料になるとHPには書いてあった。私は深夜の入室だったのでチェックインの時間は知らないが、チェックアウトは10:00である。
キーはカードキーで洗面セットや飲茶セットが揃っているのは当然か。電気ポットもあったがそういう季節ではないので私は使わなかった。冷蔵庫もあった(あったりまい?)のでこれは使った。
テレビは・・よくわからなかったけど(あちゃ)各局が見られたし、アダルト映画もあってちょっと見たらヌードのダンサーが踊っていた。ポッ。
「話題の映画見放題」というサービスがあったがこれは有料で、千円のカードをフロント横の自販機で買って来なければならなかった。
PCはレンタルでこれも一泊千円である。「HAPPY PC」とかいう業者が入っている。鳥取駅前の「東横イン」ではロビー(食堂?)に数台ノートPCがあって無料だったから私も少し使ったが、今回はもし無料機があったとしても使っている時間はなかっただろう。
私は就寝が21日(土)の1時過ぎ、起床は4:40頃、ホテルを出たのは8:35頃だった。かなりの強行軍である。だいたいがビジネスホテルに泊まるのも稀な人間なので、暇を見てはあちこち写真を撮った。
如何に「お上りさん」とは言え朝からちょっと撮り過ぎで、金曜日は全部で200枚くらいだったが、土曜日はカードを交換の上その倍は撮ったのである。汗。
部屋からは駅の高架がよく見えた。在来線の向こうを新幹線がしばしば通っていたのでなんとか1枚カメラに収めたかったが試みは全て失敗した。レンズがガラスに入っている網目に反応してしまってなかなかピントが来なかったのである。窓は開かないしおじさん弱った。何にでも弱るオヤジである。ぁそ。
cf.ミッドイン赤羽駅前。
08:35 ホテルを出る。
09:25 赤羽駅6番線発小金井行。
私は小金井と言えば中央線の武蔵小金井しか知らなかった。
09:40 とろ(大宮の次の駅)1番線で突如下車。
駅前はのどかなもので、何もなさそうだったので(?)改札の外へは出なかった。
09:49 2番線から(普通)上野行。
宇都宮線である。この9分の間に上りの特急通過2本をビデオに撮った。
09:58 大宮4番線ホーム。
10:01 さいたま新都心。下りのときは停車しなかった駅だ。
10:06 浦和3番線。ここも。
10:25 上野14番ホーム着。
上野から浅草まで昔は歩いたように思うのだが、前夜駅案内所で訊いたら地下鉄で駅3つということなので銀座線で行くことにした。地下鉄に乗るのに一旦上の広大なコンコースに上がって、そこから2段も3段もエスカレーターで降りて行くのだから東京は凄い。ぁそ。東京メトロ銀座線で浅草まで160円である。銀座線は旧い路線で、このあたり電車はコトコトゆらゆら進んで昔の雰囲気をよく残していた。
10:44 浅草2番線着。
この時点で「東京を正午頃(東海道線下りで)出る」という当初の予定は怪しくなった。私は「まあ、いいか」と思って地下鉄出口にいた人力車のお姉ちゃんを撮り、雷門ー仲見世ー小舟町ー観音堂の定番コースを大勢の観光客に揉まれながらゆっくり往復した。しかし修学旅行の学生たちは中にいただろうか?写真に写っていないようだからいなかったのかも知れない。アメリカ人、ブラジル人、そして何よりもここでも中国人(台湾人)の観光客が目立った。テレビによれば彼らは格安ツアーを組んで「東京ー富士山ー京都ー大阪」を一気に縦断して行くらしい。そして彼らが日本全国に落として行ってくれる金が日本経済の頼みの綱なのである。
4.そしていよいよ帰途である。
12:24 銀座線1番から。
12:49 神田下車。JR神田駅へ。
12:58 東京駅6番線(京浜東北線)から快速大船行。
予定を少し遅れたがまだ許容範囲だった。ただこの選択がそもそもの躓きの第一歩となった。「快速」の言葉に惹かれてつい乗ってしまったのだが「快速」区間など浜松町までで、あとはご丁寧に全ての駅に停まる各駅停車だったのである。この「大都会のローカル線」にいつまでもダラダラ付合ってしまったため、私は一挙に時間切迫に追われることになった。
cf.京浜東北線というのは正式の名前ではないということは私は今まで知らなかった。しかもその区間は大宮から横浜までだというのである。ではその先はどうなるのだろうか。
ウィキペディアにはこうある。⇒
京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から、東京都千代田区の東京駅を経由して神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する電車線の運転系統の通称である。大宮駅 - 東京駅間は東北本線の、東京駅 - 横浜駅間は東海道本線の一部である。
運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅間の根岸線と一体であり、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれる場合もある。
14:04 終点大船着。
14:05 大船4番線発熱海行。これに乗れたのはラッキーだったと思う。
14:26 平塚。ここで乗換えた。
14:29 3番線から同じく熱海行(但し快速)。
15:05 熱海2番線到着。
この駅で私は実に不思議な一種超常現象を体験した。それはデジャヴというかパラレルワールドというか、或いは芥川の『歯車』的体験とでも言うべきものでぶっちゃけた話私は瞬間「時をかける老人」になってしまったわけであるが、ここで書いてみても誰も信用してくれないだろうし、せいぜいのところ
「このオヤジもとうとうオカルトに走ったか」
と冷笑されるだけだろうから今は詳述を控えておく。
ちなみに私の「一種超常現象体験」は19歳だったときの経験に続いてこれが2回目のことである。デジャヴは幼少の頃何度も経験したが成長してからそれはぱったり止まった。
cf.伊東線。
15:40 熱海3番線発(普通)浜松行。
熱海は列車が切換わる駅なので、3番線からは逆方向の東京行も出ていた。ともあれ、ここで一気に浜松まで行けるのは有難かった。途中どう計算しても大阪着は11時半くらいになりそうだったからである。日付が変わると18切符は無効になる。やばいっ!
この日も私は時刻表を持たなかった。あれはあった方が便利だが目が悪いので止めたのである。
16:37 興津。
16:53-17:02 静岡。ここで連結作業をした。
17:34 金谷。
18:14 浜松2番線着。
18:28 浜松3番線発(普通)豊橋行。
19:04 豊橋8番線着。
19:10 豊橋4番線発(普通)岐阜行。
19:28 蒲郡。ここで37分まで停車するから特快に乗換えろとのアナウンス。
19:32 蒲郡3番線発特別快速大垣行。
19:42 岡崎。
20:12-15 名古屋。
20:36 岐阜。
20:48 終点大垣2番線着。
21:03 同じく2番線発特別快速米原行。6輌編成。
21:31 醒ヶ井
21:36 終点米原2番線到着。
21:40 米原3番線から(普通)姫路行。
野洲発の新快速に草津で乗換えろとの奇妙なアナウンスがあった。
22:16 野洲。確かにこの駅で別ホームから22:21始発の新快速と連絡していたが指示通りスルーした。
22:25 草津4番線着。
同じホームの3番線に、野洲でスルーした新快速姫路行が入線したので乗換えた。先程の案内は「草津で乗換えれば跨線橋を渡る必要はありませんよ」という意味だったのだ。でもそれを無視して敢て野洲で乗換えた人たちもいて彼らとまた合流した。もし満員だったら彼らの方が正しかったことになる。
ともあれここへ来てようやく12時までに天王寺に降立つことが出来そうだとの確証が持てた。あと1時間半しかないが、大津から大阪まで1時間で行けるからである。ぁそ。
22:34 石山。
22:38 大津。
22:42 山科。
22:49 京都5番線。無論降りている余裕はない。w
帰りは東海道線で帰って来るだけだったのにバタバタしてしまった。単純なことがいつもすんなり消化出来るとは限らない。人生そういうものである。ぁそ。
「8/27-29とかけて上京し浅草カーニバルと高円寺阿波踊りの両方を見る」との野望は今回の暴発で自然消滅してしまったが、体力・金力等を考えればこれで良かったのかも知れない。
今回私にとっては二十年以上時を隔てての浅草訪問だったが、雷門から小舟町の提灯をくぐって浅草寺観音堂までの参道はいつ行ってもこんなものだろうと、私には意外性も新鮮さもまるで感じられなかった。以前と違うところは中国人の多さと「東京人力車」が浅草界隈を案内してくれるようになったことくらいである。
私は最初京都嵐山の人力車しか知らなかった。ところがこの春同じく京都東山に行ったときも人力車があってその「車夫」のお兄さんの一人に嘘か真か「日本中どこにもありますよ」と言われてびっくりした。そして今回の浅草である。
時代はますます車社会を邁進しているが、反面人と人とが直接生身で応接する一見時代錯誤のようなレトロな新商売も発生しているのである。人力車は明治以来で、その前の乗り物はと言えば馬や駕籠で、大半の人間は歩いて旅行したのである。
cf.人力車のえびす屋。
23:03 高槻。
23:13 新大阪。
23:17 大阪5番線到着。
23:22 1番線から快速日根野行。(はあ?そんなとこ知らない。)
23:26 西九条。
23:30 弁天町。
23:36 新今宮2番線。
23:39 天王寺15番線に無事帰着。次は「堺市」だと言われて最後にまたびっくりした。(了)
============
cf.浅草寺公式サイト。
============
日韓併合条約「合法的に締結」=外相、従来解釈堅持を強調
8月25日16時22分配信 時事通信
岡田克也外相は25日午後、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、韓国政府が日韓併合条約は1910年の締結時点から無効と主張していることについて、「日本政府としては、当時は合法的に締結されたという考え方を持っている」と述べた。
政府は今月10日に閣議決定した日韓併合100年に関する菅直人首相談話に、「韓国の人々の意に反して行われた植民地支配」と明記。このため韓国内には、日本が併合条約締結の有効性をめぐる解釈を変更するよう求める意見があるが、外相の発言は、条約締結自体は合法だったとする従来の日本政府の立場を堅持する方針を示したものだ。
============
もう大昔のことのようだが、私が「石に齧りついてでも四年間は民主政権を守り抜け!」と叱咤激励したのはあくまで選挙公約に立脚した政権の話で、今のように「政策なんてオラ知らねえ」とばかりに国策は霞ヶ関に丸投げし、「沖縄なんてオラ知らねえ」とばかりに本土エゴ丸出しでアメリカに売り飛ばすような「第二自民党」そのものの政権なんていつ滅びたってかまやしないと思っているのである。
本屋を覗くと「小沢関連本」満開である。「小沢で革命だ」と叫ぶ本もあれば元全学連の西部某のように「小沢は背広を着たゴロツキである」と切って捨てる本もある。ゴロツキというなら明治維新の元勲たちなど諸藩から見ればゴロツキそのものだったのである。凡そ旧体制からちやほやされた革命家・改革派などは史上存在した試しはない。そう、メディアも「体制」そのものなのである。
私は小沢さんは立った方がいいと思う。小沢抹殺を望んでいるのは検察を含む霞ヶ関守旧派と腐れメディア、及び何も考えず彼らに盲従するだけの夢遊病者の如き「自称一般国民」だけである。管みたいな権力欲だけの「元市民運動家」や何も出来ず何もわからぬトッポイだけの「お子様ランチ」勢力などは百害あって一利(一理)もない連中であるからいつ駆逐してもいいのだ。闘って時に利あらず管に敗れたなら、そのときはあっさり党を割って「新・自自公」でも樹立した方が賢いだろう。その方が政権は安定するし官僚にもつぶしが効くというものである。
・・と書いていたら小沢出馬の速報が入った。(8/26am8:35)
俳優大滝秀治が「コント山口君と竹田君」の竹田を赤ちょうちんに誘って、
「芸人には自信と謙虚さが必要だが、自信の上には驕りがあり、謙虚さの下には卑屈がある」と諭したという。けだし名言である。
新人議員には「小沢の功績」を讃え、鳩山には参院選敗北の結果責任を取ることを峻拒した管など中間の「自信」も「謙虚さ」もなく、あるのは両端の「驕りと卑屈」だけである。
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それはいいとして、道中ぞろぞろ並んだ中国女たちの客引きに、
「飲み放題3,000円よ♪」(←「嘘ですよ!」とホテルのフロントマンは大きく手を振って否定した。)とか
「外がいい?」(はあ?テイクアウトかよ!?)だとか
口々に代わる代わる「熱烈歓迎」されたのにはおじさん参った。あちゃ。
「ばかやろう、俺がそんな金持ちに見えるか!?」
「そんな金があったら何が悲しくて夜中まで宿を探すか!?」
・・と言いたかったが、中国語ではこれをどう言ったらいいのかわからなかったので止めておいた。ぁそ。
代わりに、ホテルのフロントに「ここは凄いねえ!」と言ったら即座に、
「そうなんですよ。都内でもここは風紀が悪いんです。昼間は普通のビジネス街なんですけどね・・」という答えが返って来た。朝食の席には若い女性客の姿も散見されたが、彼女らは恐らく風紀が怪しくなる前の早い時間帯にチェックインしていたのだろう。
客引きのジャパ行きさんたちの写真を撮っておけば良かったなと後になって思ったが、陰から怖いお兄さんたちが出て来るかも知れないからそんなことはしないで良かったのである。人生まさに「触らぬ神に祟りなし」「無難が一番」なのである。宗旨替えかってか、ぁそ。
モーニングは無料で6:00-10:00までだが、これが10月からは有料になるとHPには書いてあった。私は深夜の入室だったのでチェックインの時間は知らないが、チェックアウトは10:00である。
キーはカードキーで洗面セットや飲茶セットが揃っているのは当然か。電気ポットもあったがそういう季節ではないので私は使わなかった。冷蔵庫もあった(あったりまい?)のでこれは使った。
テレビは・・よくわからなかったけど(あちゃ)各局が見られたし、アダルト映画もあってちょっと見たらヌードのダンサーが踊っていた。ポッ。
「話題の映画見放題」というサービスがあったがこれは有料で、千円のカードをフロント横の自販機で買って来なければならなかった。
PCはレンタルでこれも一泊千円である。「HAPPY PC」とかいう業者が入っている。鳥取駅前の「東横イン」ではロビー(食堂?)に数台ノートPCがあって無料だったから私も少し使ったが、今回はもし無料機があったとしても使っている時間はなかっただろう。
私は就寝が21日(土)の1時過ぎ、起床は4:40頃、ホテルを出たのは8:35頃だった。かなりの強行軍である。だいたいがビジネスホテルに泊まるのも稀な人間なので、暇を見てはあちこち写真を撮った。
如何に「お上りさん」とは言え朝からちょっと撮り過ぎで、金曜日は全部で200枚くらいだったが、土曜日はカードを交換の上その倍は撮ったのである。汗。
部屋からは駅の高架がよく見えた。在来線の向こうを新幹線がしばしば通っていたのでなんとか1枚カメラに収めたかったが試みは全て失敗した。レンズがガラスに入っている網目に反応してしまってなかなかピントが来なかったのである。窓は開かないしおじさん弱った。何にでも弱るオヤジである。ぁそ。
cf.ミッドイン赤羽駅前。
08:35 ホテルを出る。
09:25 赤羽駅6番線発小金井行。
私は小金井と言えば中央線の武蔵小金井しか知らなかった。
09:40 とろ(大宮の次の駅)1番線で突如下車。
駅前はのどかなもので、何もなさそうだったので(?)改札の外へは出なかった。
09:49 2番線から(普通)上野行。
宇都宮線である。この9分の間に上りの特急通過2本をビデオに撮った。
09:58 大宮4番線ホーム。
10:01 さいたま新都心。下りのときは停車しなかった駅だ。
10:06 浦和3番線。ここも。
10:25 上野14番ホーム着。
上野から浅草まで昔は歩いたように思うのだが、前夜駅案内所で訊いたら地下鉄で駅3つということなので銀座線で行くことにした。地下鉄に乗るのに一旦上の広大なコンコースに上がって、そこから2段も3段もエスカレーターで降りて行くのだから東京は凄い。ぁそ。東京メトロ銀座線で浅草まで160円である。銀座線は旧い路線で、このあたり電車はコトコトゆらゆら進んで昔の雰囲気をよく残していた。
10:44 浅草2番線着。
この時点で「東京を正午頃(東海道線下りで)出る」という当初の予定は怪しくなった。私は「まあ、いいか」と思って地下鉄出口にいた人力車のお姉ちゃんを撮り、雷門ー仲見世ー小舟町ー観音堂の定番コースを大勢の観光客に揉まれながらゆっくり往復した。しかし修学旅行の学生たちは中にいただろうか?写真に写っていないようだからいなかったのかも知れない。アメリカ人、ブラジル人、そして何よりもここでも中国人(台湾人)の観光客が目立った。テレビによれば彼らは格安ツアーを組んで「東京ー富士山ー京都ー大阪」を一気に縦断して行くらしい。そして彼らが日本全国に落として行ってくれる金が日本経済の頼みの綱なのである。
4.そしていよいよ帰途である。
12:24 銀座線1番から。
12:49 神田下車。JR神田駅へ。
12:58 東京駅6番線(京浜東北線)から快速大船行。
予定を少し遅れたがまだ許容範囲だった。ただこの選択がそもそもの躓きの第一歩となった。「快速」の言葉に惹かれてつい乗ってしまったのだが「快速」区間など浜松町までで、あとはご丁寧に全ての駅に停まる各駅停車だったのである。この「大都会のローカル線」にいつまでもダラダラ付合ってしまったため、私は一挙に時間切迫に追われることになった。
cf.京浜東北線というのは正式の名前ではないということは私は今まで知らなかった。しかもその区間は大宮から横浜までだというのである。ではその先はどうなるのだろうか。
ウィキペディアにはこうある。⇒
京浜東北線(けいひんとうほくせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から、東京都千代田区の東京駅を経由して神奈川県横浜市西区の横浜駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)が運行する電車線の運転系統の通称である。大宮駅 - 東京駅間は東北本線の、東京駅 - 横浜駅間は東海道本線の一部である。
運行形態は横浜駅 - 磯子駅 - 大船駅間の根岸線と一体であり、合わせて京浜東北・根岸線と呼ばれる場合もある。
14:04 終点大船着。
14:05 大船4番線発熱海行。これに乗れたのはラッキーだったと思う。
14:26 平塚。ここで乗換えた。
14:29 3番線から同じく熱海行(但し快速)。
15:05 熱海2番線到着。
この駅で私は実に不思議な一種超常現象を体験した。それはデジャヴというかパラレルワールドというか、或いは芥川の『歯車』的体験とでも言うべきものでぶっちゃけた話私は瞬間「時をかける老人」になってしまったわけであるが、ここで書いてみても誰も信用してくれないだろうし、せいぜいのところ
「このオヤジもとうとうオカルトに走ったか」
と冷笑されるだけだろうから今は詳述を控えておく。
ちなみに私の「一種超常現象体験」は19歳だったときの経験に続いてこれが2回目のことである。デジャヴは幼少の頃何度も経験したが成長してからそれはぱったり止まった。
cf.伊東線。
15:40 熱海3番線発(普通)浜松行。
熱海は列車が切換わる駅なので、3番線からは逆方向の東京行も出ていた。ともあれ、ここで一気に浜松まで行けるのは有難かった。途中どう計算しても大阪着は11時半くらいになりそうだったからである。日付が変わると18切符は無効になる。やばいっ!
この日も私は時刻表を持たなかった。あれはあった方が便利だが目が悪いので止めたのである。
16:37 興津。
16:53-17:02 静岡。ここで連結作業をした。
17:34 金谷。
18:14 浜松2番線着。
18:28 浜松3番線発(普通)豊橋行。
19:04 豊橋8番線着。
19:10 豊橋4番線発(普通)岐阜行。
19:28 蒲郡。ここで37分まで停車するから特快に乗換えろとのアナウンス。
19:32 蒲郡3番線発特別快速大垣行。
19:42 岡崎。
20:12-15 名古屋。
20:36 岐阜。
20:48 終点大垣2番線着。
21:03 同じく2番線発特別快速米原行。6輌編成。
21:31 醒ヶ井
21:36 終点米原2番線到着。
21:40 米原3番線から(普通)姫路行。
野洲発の新快速に草津で乗換えろとの奇妙なアナウンスがあった。
22:16 野洲。確かにこの駅で別ホームから22:21始発の新快速と連絡していたが指示通りスルーした。
22:25 草津4番線着。
同じホームの3番線に、野洲でスルーした新快速姫路行が入線したので乗換えた。先程の案内は「草津で乗換えれば跨線橋を渡る必要はありませんよ」という意味だったのだ。でもそれを無視して敢て野洲で乗換えた人たちもいて彼らとまた合流した。もし満員だったら彼らの方が正しかったことになる。
ともあれここへ来てようやく12時までに天王寺に降立つことが出来そうだとの確証が持てた。あと1時間半しかないが、大津から大阪まで1時間で行けるからである。ぁそ。
22:34 石山。
22:38 大津。
22:42 山科。
22:49 京都5番線。無論降りている余裕はない。w
帰りは東海道線で帰って来るだけだったのにバタバタしてしまった。単純なことがいつもすんなり消化出来るとは限らない。人生そういうものである。ぁそ。
「8/27-29とかけて上京し浅草カーニバルと高円寺阿波踊りの両方を見る」との野望は今回の暴発で自然消滅してしまったが、体力・金力等を考えればこれで良かったのかも知れない。
今回私にとっては二十年以上時を隔てての浅草訪問だったが、雷門から小舟町の提灯をくぐって浅草寺観音堂までの参道はいつ行ってもこんなものだろうと、私には意外性も新鮮さもまるで感じられなかった。以前と違うところは中国人の多さと「東京人力車」が浅草界隈を案内してくれるようになったことくらいである。
私は最初京都嵐山の人力車しか知らなかった。ところがこの春同じく京都東山に行ったときも人力車があってその「車夫」のお兄さんの一人に嘘か真か「日本中どこにもありますよ」と言われてびっくりした。そして今回の浅草である。
時代はますます車社会を邁進しているが、反面人と人とが直接生身で応接する一見時代錯誤のようなレトロな新商売も発生しているのである。人力車は明治以来で、その前の乗り物はと言えば馬や駕籠で、大半の人間は歩いて旅行したのである。
cf.人力車のえびす屋。
23:03 高槻。
23:13 新大阪。
23:17 大阪5番線到着。
23:22 1番線から快速日根野行。(はあ?そんなとこ知らない。)
23:26 西九条。
23:30 弁天町。
23:36 新今宮2番線。
23:39 天王寺15番線に無事帰着。次は「堺市」だと言われて最後にまたびっくりした。(了)
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cf.浅草寺公式サイト。
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日韓併合条約「合法的に締結」=外相、従来解釈堅持を強調
8月25日16時22分配信 時事通信
岡田克也外相は25日午後、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、韓国政府が日韓併合条約は1910年の締結時点から無効と主張していることについて、「日本政府としては、当時は合法的に締結されたという考え方を持っている」と述べた。
政府は今月10日に閣議決定した日韓併合100年に関する菅直人首相談話に、「韓国の人々の意に反して行われた植民地支配」と明記。このため韓国内には、日本が併合条約締結の有効性をめぐる解釈を変更するよう求める意見があるが、外相の発言は、条約締結自体は合法だったとする従来の日本政府の立場を堅持する方針を示したものだ。
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もう大昔のことのようだが、私が「石に齧りついてでも四年間は民主政権を守り抜け!」と叱咤激励したのはあくまで選挙公約に立脚した政権の話で、今のように「政策なんてオラ知らねえ」とばかりに国策は霞ヶ関に丸投げし、「沖縄なんてオラ知らねえ」とばかりに本土エゴ丸出しでアメリカに売り飛ばすような「第二自民党」そのものの政権なんていつ滅びたってかまやしないと思っているのである。
本屋を覗くと「小沢関連本」満開である。「小沢で革命だ」と叫ぶ本もあれば元全学連の西部某のように「小沢は背広を着たゴロツキである」と切って捨てる本もある。ゴロツキというなら明治維新の元勲たちなど諸藩から見ればゴロツキそのものだったのである。凡そ旧体制からちやほやされた革命家・改革派などは史上存在した試しはない。そう、メディアも「体制」そのものなのである。
私は小沢さんは立った方がいいと思う。小沢抹殺を望んでいるのは検察を含む霞ヶ関守旧派と腐れメディア、及び何も考えず彼らに盲従するだけの夢遊病者の如き「自称一般国民」だけである。管みたいな権力欲だけの「元市民運動家」や何も出来ず何もわからぬトッポイだけの「お子様ランチ」勢力などは百害あって一利(一理)もない連中であるからいつ駆逐してもいいのだ。闘って時に利あらず管に敗れたなら、そのときはあっさり党を割って「新・自自公」でも樹立した方が賢いだろう。その方が政権は安定するし官僚にもつぶしが効くというものである。
・・と書いていたら小沢出馬の速報が入った。(8/26am8:35)
俳優大滝秀治が「コント山口君と竹田君」の竹田を赤ちょうちんに誘って、
「芸人には自信と謙虚さが必要だが、自信の上には驕りがあり、謙虚さの下には卑屈がある」と諭したという。けだし名言である。
新人議員には「小沢の功績」を讃え、鳩山には参院選敗北の結果責任を取ることを峻拒した管など中間の「自信」も「謙虚さ」もなく、あるのは両端の「驕りと卑屈」だけである。
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