場末の雑文置き場

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「美女と男子」 第16話~第18話感想

2015年08月12日 | 映画・ドラマ

第16話は、単体ではとても面白かった。芝居にちゃんと向き合う遼の姿が見られたし。
藤堂さんは嫌な奴じゃなくてちゃんと狙いがあってあんな態度をとっている、っていうのは最初から読めた。だから意外性はなかったけど、スッキリまとまっていていい話だった。
大門によるオフィスイシノ乗っ取りから、ひのでプロ再生でみんな戻ってくるまでの流れが強引すぎて、あれ以来ちょっと素直に楽しめないんだけどね。

第17話・第18話は、遼パートは良かった。遼も成長したよな。昔は無愛想だったのに好青年になってきて。音痴っぷりも微笑ましかった。

ただね。ひのでプロパートがね。高橋ジョージの出番と顔のアップが多すぎて、ところどころ目を背けたくなった。特に第18話。ストーリーなんかどうでもよくなるレベルで嫌悪感が勝ってしまった。
やっぱり苦手だ、高橋ジョージ。脇役でいてくれるぶんには気にならないんだけど、メインにされるとキツい。
たどころメインの話は第一部にもあったんだから、それより声優さんや手タレさんを少しはクローズアップしてあげればいいのに。ひのでの面々の中ではたどころばっかり贔屓していてなんか不公平感がある。
第18話は露骨なステマの話だったけど、「美女と男子」の第三部も高橋ジョージの壮大なステマのように思えてきて、少し気持ち悪くなった。

このドラマの影響で高橋ジョージが好きになってしまう人は結構いるみたいだけど、私の場合は全くそんなことはなかった。奴がロリコンモラハラクソ野郎だという私の評価は1ミリも動いていない。
外面だけは良くて家族の前では豹変したりするモラ男は多いらしい。だから「こんないい人がそんなことするわけない」って周りが擁護して、被害を訴えた側が責められるってことがよく起こる。
高橋ジョージもきっとある面では「いい人」なんだと思う。友人として付き合う分にはいい人、夫としては最悪、ってところなんじゃないかな。もしかしたらたどころ晋也もそんな感じかもね。

あと、気になるところといえばちょっと世界の狭さを感じるところ。ひのでプロの人たちは朝から晩までずっと一緒にいるけど、みんな他に仲のいい人いないんだろうか。遼と同年代のライバル俳優も一人じゃなくて複数いたらよかったのにな。比較の対象がないので遼の今の立ち位置がどの程度なのか、いまひとつわかりにくいんだよね。若手俳優をたくさん出すと遼が相対的に霞んでしまうからできないのかもしれないけど。

第18話のラストで三角関係を匂わせていたけど、恋愛の話は邪魔かな、私には。
石野さんが嫌いっていうわけでは全然なくて、むしろいい人だと思うんだけど、石野さんと一子さんが結ばれるENDは勘弁してほしい。一子さんは誰とも結ばれず、が私にとってはベストだけど遼ならまあいいかなと思う。番宣の時点でそういう雰囲気はあったし、そこは織り込み済みで見てるから。(謎の高橋ジョージ押しは全く織り込み済みじゃなかったので、ただただ不快。)


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