場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

加害者としての過去を認められない美しい国

2019年08月03日 | 政治・社会

日韓の貿易摩擦問題、ごく普通にシンプルに客観的に考えたら圧倒的に日本が悪くて、散々人を踏みつけてきた加害者が被害者面している醜悪極まりない図だ。でもそうは考えない人間がこの国では多数派のようなのが悲しい。

ニュースやら新聞やらがほとんど日本政府の味方だからな。まるで大本営発表みたい。リベラルと言われているメディアの多くも例外じゃなくて。どっちもどっち論でも相当マシな部類だったり。文書改竄問題で政府を責めることはできても韓国が絡むと途端にこれだもんな。だから最近はニュース番組を見るのがすごく苦痛だ。
戦前の日本がああなっていった理由がよく分かるな。今の状況ってあの頃とそう変わらないんじゃないだろうか。

韓国の「反日集会」と報じられていた集会が実は「反安倍集会」だった、ってネット記事を見かけたけど、だからなんだよ、って感じ。安倍が首相を続けていられるのは思想に共感する人間が多いからだ。「リベラル」と呼ばれている人間だって、植民地主義を克服できていないようなのがたくさんいる。切断処理なんかできないし、そもそも「反日」だったとして何が悪い。日本はそれだけのことをしてきただろ。

そんなことを書いていたら、あいちトリエンナーレで少女像の展示が圧力で中止になったというニュースが流れてきた。本当に反省のないクソな国だな。人権よりも国のチンケなプライドのほうが大事なんだから。
河村たかしによれば少女像は「日本人の心を踏みにじるもの」らしいのだが、あれで踏みにじられる心ってなんなんだろうな。「何も悪いことをしていない清廉潔白な日本」という虚像をなんでそんなに必死に守ろうとするんだ。


この記事についてブログを書く
« 映画「新聞記者」感想 | トップ | あいちトリエンナーレの件で... »

政治・社会」カテゴリの最新記事