ひろみの「PM9」

YAZAWAなライブとYAZAWAな言葉
永ちゃん最高~!!
マジな永ちゃんに、どこまでも付いて行きます♪

原爆の日と永ちゃんについて・・・

2006年08月06日 12時42分31秒 | 矢沢語録
暑い夏空が続いています

61年前の今日・・広島に原爆が投下された日です

永ちゃんの、お父さんも
大切な家族と全財産を原爆で失ったそうです・・・

そして戦後、永ちゃんのお母さんと再婚
永ちゃんが昭和24年に生まれる・・・
でも・・お父さんは酒びたりの生活になり
お母さんと離婚!その後、幼い永ちゃんを残し亡くなってしまう・・・

思うに・・・どんな強い男でも、酒びたりにするほど原爆は
地獄そのもの、だったんでしょうね・・・




私の選んだ矢沢語録



1978年   雑誌「女性自身」
”成り上がり”の軌跡 決着(おとしまえ)はまだ! より




「子どもってのは残酷さ。ズバリと言やァがる。
言われたほうは、なま皮をひんむかれる気持ちだ。

文部省のおエライさんは知ってるかよ、
貧乏人は、貧乏ってことだけで、ひどい差別をうけるんだ。
いつだって笑いものなんだ」


ある年のクリスマス。
友だちが、大きなケーキを自慢げに家から持ち出してきて、食らっていた。
永吉は、それを見ていた。いっぺんでいい、
あんなにクリームが厚くぬってあるケーキを食べてみたかった。

永吉は、「おくれよ」とは言わなかった。
ただ、まばたきもせず、見つめていた。

その灼(や)きつく視線が、ケーキを食う少年を圧迫し、
うとましい思いにさせたのか、少年は次第に落ちつきを失い、
やがて絶叫した。

「永吉、食え!」
同時に少年の手から、食いかけのケーキが投げつけられた。

それは永吉の頬に当たって、地べたに落ちた。
「なにを、この野郎って、オレが飛びかかって、
そいつを死ぬほど殴った・・・となればカッコいいさ。

だけど、それじゃマンガだよ。
絵そらごとよ。

現実は、そんなカッコよくないぜ。
そのとき、オレはどうしたと思う?
オレは立っていた。だまって棒みたいに立っていた。
相手がその場からいなくなるまでさ。

それから、人さし指でほっぺたのクリームをこそげとって、
そっとなめたよ。舌がとろけそうに甘かった。
ほっぺたに、もっとべったり、クリームがつけばよかったと思いながら、

オレはそれをなめたぜ。現実ってのは、そんなもんよ」

小学5年生のころから働いた。

お城みたいにでっかい、市会議員の邸宅の清掃だ。
1日働いて100円。その100円玉をにぎった瞬間のうれしかったこと。

かれは、どんなに苦しくても働こうと思った。
働けば、カネがもらえる!
中学生になると、学費も生活費も自分でかせごうと、
牛乳配達、新聞配達、なんでもやった




辛い子供時代を自力で這い上がった
永ちゃんの言葉・・・本当に衝撃的です

そして、永ちゃんの偉大さを誇りに思い・・勇気を貰っています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永ちゃんがロックの道を開いた!

2006年08月04日 12時14分46秒 | 矢沢語録
昨日は、とうとう30度を超え・・・
少し動くと汗だくで・・
今日も、蒸していますが雲が多い分、少し過ごしやすいようです



「YAZAWA’S DOOR」で
オールナイト・ニッポンのテーマソング聴いていたら・・
凄く、懐かしくて


はるか昔・・深夜放送聞きながら勉強(一応やるふりだけ
していた頃に、一気にワープしてしまいました
ちなみに・・当時のDJは亀渕さん(ホリエモンの時の社長)でした


その頃は、本当にフォーク全盛で・・・
ロックは完全に洋盤って時代でした

私も「ビートルズ」に始まり「エルトン・ジョン」「スティービー・ワンダー」
「オリビア・ニュートンジョン」とか好きでしたね


そんな中、永ちゃんは一人で道を切り開いていったんですね



私が選んだ矢沢語録

1999年 雑誌「Warp」 横山 健さんとの対談より


はっきり言って、僕らがバンドをやり始めた頃の日本では
ロックに対する「市民権」は全くなかったよね。

ロックだけでは、まだ生きていけない。
好きな人間が、まぁ、マスターベーションでやっていれば、といった感じ。

それで、面白がってマスコミがちょっと取り上げる。
テレビや何かが面白がって取り上げるんだけども、
決してそれでメシが食えるワケじゃない。

でも、今は違うでしょ。
もう完全なビジネスになっているから、
ビジネスだったら、どんな新人でも当たれば一気にもう
「ロックでメシ食って下さい」だもんね。

まぁ、でも考えてもみれば、僕が出てきたあの頃は、
全く道がなかったんだけど・・・面白かったよ。
それゆえに「面白かった」、とにかく何にも無いからね。

イベント・メーカーがロックのショーをやる、
会場をおさえて、チケット売って、それで逃げちゃうんだよ。
もう、そんなのしょっちゅう、会場は満杯なんだけど、主催者がいない。

ギャラ無しのステージ、どうしますか?って。
でも、会場に集まったお客は「永ちゃん、観に来たぜ!」って、
もうやるっきゃないじゃん。

それでね、1年半ぐらい経つと
ちょっと離れたところで、また同じヤツが同じ事をやっているんだから。
もう「市民権」だの何だのってことじゃなくなるんだよね。

でも、そんなことがジワジワと成長してって、
本当に「ジャパニーズ・ロック」って言うものは出来たんだよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永ちゃんと拓郎・・・

2006年08月02日 22時44分13秒 | 矢沢永吉
今日も予想に反して朝から晴天
凄く暑かったです

ここ2週間くらい雨、降って無いと思いますが・・・
それも、少し心配ですね



   
今からちょうど四半世紀前の1981年、
大人気ラジオ番組「オールナイト・ニッポン」の
パーソナルティを務めていた、フォーク界の大御所・吉田拓郎。

彼の番組に、単身アメリカに渡って制作した
世界発売第一弾アルバム「YAZAWA」を引っさげて、
矢沢永吉が登場!

ロックとフォークの頂上対談――!

実は旧知の間柄でもある、拓郎VS矢沢のトークが炸裂!
矢沢のラジオ出演番組の中でも、
伝説的とも言える出色の内容です。必聴!!(全7回)
   


と、いう訳で・・今日から「YAZAWA’S DOOR」で、
拓郎の「オールナイト・ニッポン」が、
リクエストに答えて再配信されました

前に配信された時は・・私のパソが古くって
聞くことが出来ずに・・・悔しさで、バタバタしてたのでした

「YAZAWA’S DOOR」では
過去のラジオ番組や雑誌のインタビューなどが
沢山、配信されています

ロックとフォークの頂上対談

まさに、その通りですよね
同じ時代を生きた、私達の世代ではホント夢の顔合わせですね

早速、初回を聴いてみましたぁ

二人共、リラックスした雰囲気ですが・・
永ちゃんは久しぶりのラジオ出演で少し上がってると言ってました



二人の出会いについて・・(キャロルの頃)飲み屋で初めて会って、
すぐ気が合った・・・

へえぇ~・・そんなに古くからの友達なんだ・・・
二人共、強気で物事をハッキリ言うし・・同じ広島だし・・
以外と仲良しだったんですね~

他にも・・
マッチが永ちゃんファンだって事とか・・・

とても興味深い会話が続きます

これから7回に分けて配信されるので
凄く楽しみです




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする