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流通王 中内功とは何者だったのか(大塚英樹)

2008年02月08日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本は、2005年9月19日に亡くなった大手スーパー ダイエー創業者の中内功氏の一代記です。

 筆者は、中内への取材のほか、中内功の3人の兄弟、中内と取引や仕事で関わってきた関係者、当時のダイエーの現役役員や社員、大学創設者としての中内を見てきた流通科学大学の関係者など200人を超える取材データを集め、この本を完成させました。

 創業時からの流通革命、スーパー初の食肉自前販売、松下電器との戦い、阪神・淡路大震災での獅子奮迅の働きなどダイエー帝国の栄光と、そして崩壊について書かれていて、とても充実した内容となっています。

 とてもオススメな本です!

 以下は、その中で特に興味深かった内容です。

・中内は2002年2月にファウンダーの肩書も返上し、ダイエーグループ企業の全役職から退き、2003年4月かつて自らが創設した流通科学大学理事長の仕事に専念するようになってからもはや文無し同然だった。芦屋市内にあった2つの邸宅も、東京・田園調布の豪邸も、2005年8月末で銀行に明け渡すことになっていた。中内はその寸前に倒れたのだ。家屋敷のほかにも、ダイエー株や軽井沢の別荘など、中内名義の数百億円の財産は、ことごとく大手銀行に取り上げられていた。銀行の取立ては容赦なく、少しでも収入があると督促がくる。その頃、中内の唯一の収入は、流通科学大学から月々支給される30万~40万円の給料だけだった。その最後の生活費でさえ、銀行ではなく、小さな信用金庫に隠れるようにして口座を設けなければ、満足に受け取れないという状況だった。

・中内は、好奇心の旺盛な男だった。アラスカでキングサーモンを追う青年の生き方に興味を覚えれば、自らアラスカに飛び、キングサーモンを狙って何時間も竿を振ってみる。東京の下町の新しい息吹に好奇心を触発されれば、浅草のデキシーランドジャズのコンサートに足を運ぶ。はたまた、シルクロード4000キロの冒険旅行に旅立ち、ランドクルーザーで寒暖差40度のタクラマカン砂漠を敦煌からウルムチまで走り抜く。また、アメリカの「ルート66」を車で疾走してみたいと思うや80歳にして車の免許を取得する・・・・。まるで、子供のような純粋な好奇心だった。中内の好奇心は、あるときは旺盛な事業マインドに結びついた。中内が無頼の読書家だったのも、そのためだった。新しい情報に敏感で、大量の書物を斜め読みのようにして読み、そこから得た情報をいかに事業に結びつけるかを絶えず考えていた。移動中の車中から目にする街の風景でさえ、事業のアイデアを喚起する情報源となった。そして、思い込んだら一途に突き進む、強い意志の持ち主であった。

・中内は、世間から、市井の人々にまで、なぜか「中内さん」と敬称をつけて呼ばれた。中内が親しみのこもった敬称で呼ばれたのは、「主婦の店ダイエー」「よい品をどんどん安く」「流通革命」などのスローガンを掲げて大衆運動的な経営を展開し、消費者大衆、消費者団体や主婦連を味方につけていたからだ。流通革命を目指す中内の視点には、最後まで「主婦」と「一般大衆」というものがあった。

・中内功は太平洋戦争中、フィリピンのジャングルで飢餓状態に陥り、死の淵をさまよった。食べ物もない、弾薬もない。あるのは、眠ればいつ味方に殺され、屍肉をあさられるかわからない、という人間の極限状態だった。日本軍に兵站は存在していなかった。耳慣れた言葉で言えば「流通」である。中内は、その重要性を満州の関東軍や南方フィリピンの戦地で、嫌というほど思い知らされたわけだ。

・人間が幸せに暮らすためには、まず物質的に飢えのない生活を実現していくことだ。物質的な豊かさこそ”豊かな社会”の象徴だ。そのためには、モノを大量に提供する仕組みをつくらなければいけない。そして、たくさんのモノを消費者大衆に提供するには、それを買ってもらえるような価格設定を実現する必要がある。つまり、国家や企業に決められ、押しつけられるのではなく、消費者が自分で選び取る、すなわち消費者主権の「流通革命」が必要だというのである。中内は、流通革命論を掲げて「価格決定権を取り戻す」と主張し、メーカーと激しく闘い、自ら定価破壊を実践することで、消費者大衆に支持された。

・中内功は1922年8月、父・秀雄、母・リエの長男として大阪府西成郡で生まれた。名付け親は祖父の中内栄である。功には3人の弟がおり、3つ下の博、7つ下の守、9つ下の力と、みな漢字1字である。これは、「名前は簡単で書きやすいほうがいい」という祖父の考えに基づいていた。

・そもそも中内家は、戦国大名の長曾我部氏の流れを汲む土佐の郷士で、江戸時代には土佐藩主・山内家の典医だったそうだ。祖父の栄は、現在の高知県にあった小さな漁村を出て、大阪の医学校を卒業後、一家をあげて発展著しい神戸に移って眼科医となった。

・母のリエは、大阪の元与力の娘だったが、幼い頃から厳しい躾を受けた。そのため、幼い息子たちにとっては、きわめて厳格な母親だったようだ。リエが子どもたちに口やかましく言っていたのは、1に食事、2に勉強、3に礼儀作法であった。父・秀雄も教育熱心で、子どもたちが勉強もせず、しようもない本を読んでいるようなときなどは、容赦なく拳骨を見舞った。こうして幼少期の中内功は、経済的には豊かではなかったものの、教養の高い両親のもとで、厳しい躾を受けながら育ったのである。

・1945年6月6日未明、中内は軍曹として部下を指揮し、山上の敵塹壕への切り込みを決行した。敵の投げた手榴弾が目の前にコロコロと転がってくる。爆発までおよそ3秒。中内は拾って投げ返そうしたが、体が金縛りにあったように動かない。鼓動が高鳴り、思考は止まる。その瞬間、手榴弾が炸裂した。バットで全身を殴られたようだった。背中の飯ごうは穴だらけ。突撃の動作で背中の軍刀を抜く姿勢を取っていた。もう10センチ体を起こしていたら、全身に破片が突き刺さっていた。傷は大腿部と腕の2ヵ所。ドクドクと血が噴き出し、出血多量で眠くなる。「手榴弾が爆発して2秒ぐらいの間かな、子供の時分からのことが、本当に走馬灯のように浮かんで、その最後のところでパッと、裸電球の下に家族が集まって、すき焼きの鍋がグツグツ煮えていてうまそうやなと・・・・。夢やね。倒れたところがちょうど斜面やったんで、そのまま下へ転げ落ちて、沢の水にはまって、それで意識が回復したんやろね。一瞬でもすき焼きの夢で気が戻っていなかったら、そのまま気持ちよう心でいたかもしれん。僕が生きて帰って来られたのは、あの夢のおかげやと思う」苦しい家計の中で牛肉や卵を食卓に載せ、息子たちの体を気遣ってくれた母・・・・・。その母の想いが夢という形となって現れ、中内を死の淵から呼び戻してくれたのであろうか。

・復員後、中内功が真っ先に考えたのは、これからは食べ物の心配がない時代をつくっていかなければ、ということだった。極限状態の中で見たすき焼きの夢、そして「すき焼きを腹いっぱい食いたい」との一念が、やがて「主婦が生活の糧を手に入れるのに困らないような日本にしたい」というダイエーの原点につながっていくのである。

・終戦直後、神戸・三宮の闇市に行けば、豪華な着物、家具、砂糖、酒など、戦争中はどこかに姿を消していた物資から、見慣れない外国製品まで、なんでもあった。そんな無法地帯の様相を呈していた三宮のガード下に、功はいた。サカエ薬局での商売は博にまかせ、父・秀雄の知人、井生春夫と共同で「友愛薬局」という小さな露店を経営し、ズルチン、サッカリンなどを売りまくった。さらに駐留軍から流出する結核に効用のあるペニシリンやストレプトマイシンをうまく仕入れると、これが飛ぶように売れた。1948年のことだった。

・3つのどれをやっとっても、金は儲かったと思うね。パチンコ王とか、ソープランド王とか、サラ金王になっていただろう。しかし、僕はいちばん儲からんスーパーマーケットを選んだ。心がまったく動かなかったと言えばウソになるが、でも、それではあまりにロマンがないやろ。それと、死んだ戦友に対して、なにか後ろめたさがあってね。

・ダイエーグループが、ほかのチェーンや百貨店といろんな意味で違っているのは、”主婦の店”という理念の下に、ひとつの運動としてこの仕事を起こし、継続してきたからや。よそはどうかしらんが、僕らは「主婦のための、主婦による、主婦に喜んでいただける店」づくりをしようと努力を続けてきた。その結果、消費者の支持をいただき、売上高日本一のダイエーグループができたんや」

・また中内は、夜10時まで店を開けておくことにもこだわった。客足が早いうちに途絶える雨の日でも、「薬を置いているんやから、どうしても10時までは開けておかんといかん。急病人があったとき、ダイエーなら10時まで必ず開いていると安心してもらえる。それが信頼につながるんや」と、むやみに閉店時間を繰り上げることを許さなかった。この頃から、中内はお客の都合を優先させる店づくりを心がけていた。

・三宮で店を始める前、実際に神戸で主婦に聞いてみたんや。子どもに何を買ってやりたいか、と。アンケートの答えでいちばん多かったのは、牛肉とバナナだった。当時、牛肉は100グラム60円だったから、僕はそれを39円で売ろうと思った。39円で売れば、いまの倍は子どもに食べてもらえるだろうと考えたんや。

・消費者は安いものを求めている。それも、安かろう悪かろうでは駄目だ。名のあるメーカーのよいものを、いかに安く売るかが大事なんだ。それは誰でもわかっていることだが、わかっていても、それまで誰も実行できなかった。メーカーという大きな権威に盾突くことになるからである。しかし中内は、権威と闘うことにこだわり、誰もやろうとしなかったことを実行した。そこに、中内功の凄さがある。松下電器では、定価破壊をするならダイエーに商品は卸さないという姿勢を取り続けた。両社の取引が正式に再開したのは、松下電器がブラックナンバーでダイエーに対抗してからじつに30年後の1994年3月のことである。ダイエーだけで年間何百億円と家電製品を売り上げていた時代に、松下電器はそれに乗る機会を逸し、巨額の損失を出した。そのうえ、最後は松下電器のほうが折れたのである。

・1995年1月20日、中内は震災3日後の神戸に入った。被害状況は中内の想像をはるかに超えていた。神戸市内だけでも、倒壊した店舗11店、半壊2店、兵庫県下49店舗中に13店舗が営業不能の事態に陥っていた。今日まで育ててくれた神戸市民の信頼を失ったらあかん。被災者のため、なんとしても店を開けなければーーー。中内はその一念で店を回り、中央区、灘区の店に対し、品揃えから値段、人員配置、オープンする時間帯、テントの張り場所、商品の陳列法まで、細かく指示を与えて歩いた。人手が足りず商品を山積みしたままの店舗では、「なんで店の前で売らへんねん!」と激怒して店長を蹴飛ばした。声は力に満ち、足取りは72歳とは思えないほど機敏なものだった。

<目次>
序章 巨星墜つ
 突然の訃報
 寂しき葬儀
 人間・中内功
 生きる屍
 なぜ今、中内功なのか
 カオスの時代の経営
 流通革命は敗れたか
第1章 狂気
 2兆6000億円の業火
 未曾有の売り上げ1兆円
 名付け親は祖父
 厳格な母
 弟への複雑な思い
 勇ましく死ぬことはやさしい
 金儲けだけでは、おもろうない
 新婚旅行なんかしてられない
 兄弟の確執
 ものづくりへの挑戦
 軍国主義への反発
 憧れの商社から厳寒の満州へ
 すき焼きの夢に救われる
 地獄からの生還
 ズルチンの闇販売
 闇稼業はボロ儲け
 「主婦の店ダイエー」誕生
 「客に学ぶ」という商売の原点
 閉店時間は変えたらあかん
第2章 革命文化
 新しい「秩序」をつくれ!
 「育てる文化」とスーパーの限界
 ビジネスを手段にした思想家
 チェーン化への第一歩
 100グラム39円の牛肉
 安い牛肉を求めて
 「安くてなにが悪い」
 スーパー初、食肉の自前販売
 牛肉大移動作戦
 安い牛をつくる牧場
 農協なにするものぞ
 主権は消費者にあり
 消費者の4つの権利
 学歴は商売の邪魔をする
 巨大メーカーとの闘い
 10パーセント理論
 主婦を味方につけろ!
 一日遅れの開店
 地元流通資本との闘い
 力ずくの工事阻止
 反対の旗を振った黒幕
 消費者は同志
 国家を超えた日
第3章 商人と商売人
 商人と商売人は似て非なるもの
 すべては社会を変えるため
 自前の大規模流通センター完成
 ナショナルチェーン化
 流通元年
 寡黙な経営者
 住友銀行と取引開始
 「儲かる」と「儲ける」は違う
 誹謗中傷
 汲めども尽きぬ意欲
 入社1ヵ月の新人を社長秘書に
 意外な義理人情
 「君の時給はいくらや」
 創業20周年の涙
 安さへの飽くなき挑戦
 独創的な「ノーブランド」
 原理・原則を忘れるな
 店の魅力は一目でわかる
 見て、感じて、考えろ
 24時間働き抜く
第4章 好奇心といかがわしさと
 人間の欲の原点
 子どもみたいな好奇心
 浅草のおかみと出会い
 ジャズから始まった浅草開発
 「わからん者が口を出すな」
 一生懸命働いて一生懸命遊ぶ
 夜をクリエイトするホテル経営
 新神戸駅前の”眠らない街”
 プロ野球への参入
 中内功と堤義明
 郷に入っては郷に従え
 客を虜にする仕組み
 マドンナのコンサート
 「人」か、「システム」か
 シーホークホテルの不安
 初めて洩らしたため息
 システムが欠如したホテル
 走りながら「ソフト」を考える
 裏切られた期待
 ファンをつくる経営
 文化の母体は「いかがわしさ」
第5章 事業家というもの
 経営者、思想家、革命事業家
 中内功の最大の失敗
 生きていることへの後ろめたさ
 公憤に基づく事業マインド
 寄生虫扱いされた流通業
 経団連副会長に就任
 経済界の体質に失望
 小林一三と大衆文化
 寝るのは向こう、遊びはこちら
 活きた街づくりがしたい
 神戸市民を元気づけた屋台村
 本当の豊かさとはなにか
第6章 栄光と転落
 天国と地獄
 事業家のミッション
 ダイエー創業以来の難局
 エリート集団の「V革作戦」
 奇跡のV字回復
 バブル経済の追い風
 「女と麻薬以外はなんでも」
 崩壊への序曲
 運にも見放される
 カリスマの落日
 迷走する帝国
 生え抜き組と中途採用組の断絶
 中央集権体制の弊害
 過剰なまでの社員教育
 教えを説いて人を育てず
終章 「中内功」とは何者だったのか
 「戦後」が生んだ寵児
 セントヘレナのナポレオン
 システムに殉じた男
 ライバル、鈴木敏文
 自らの理論を後世に残したい
 中内功の遺言
おわりに

面白かった本まとめ(2007年)
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)


<<今日の独り言>
 久し振りにBOOKOFFへ行くと、「ホリエモンの想定外のうまい店」という欲しかった本があり、200円で買いました^_^;)本の中身はとても面白いのですが、その中で、ある店主からの一言で「前向きに正直に生きることを応援します。」とありました^_^;)

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