葛城古道の名柄集落を歩いていて、高木神社でしばし休憩となりました。
奈良まほろばソムリエのガイドさんの話を聞いていると、
突然私の頭に何か落ちて、コツンとあたりました。
それが、コレ↓
葉っぱに黄色い実がついています。
よく見るとこの実がたくさん落ちています。
中には踏み潰されてるのも多々。
葉っぱの形はイチョウだけれど、こうした実は見たことなかった。
確かにイチョウゆえ臭い!
しかし何かメッセージ性を感じ、ビニール袋に入れて持ち帰りました。
家に帰り、あまりの臭さに一度は捨てた。
けれど、調べてみると お葉つきイチョウ
と知ってゴミ箱から拾ってきて撮影したのが最初の画像です。
お葉付きイチョウとは、イチョウの変種で葉の上に実を結ぶ、
または葉上に葯を付けるイチョウのこと。
めずらしいでしょう。
高木神社
御所市井戸字下垣内
創祀由緒など不詳、春日四神を祀ります。
祭神:天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売大神
しかし、社名からすると元は高木神だった?
高木神=高皇産霊神(たかみむすびの神)です。
高天彦神社に祀られています。
高天彦神社と一言主神社は後ろが山で西向いて拝みます。
この高木神社も道に沿って祠が平行して建てられ、山に向かって拝む向きでした。
以前からどちらの方位に向かって拝むようになっているか、
社殿正面がどちらをむいているかが気になっていました。
一言主神社一の鳥居、後ろの山は葛城山
高天彦神社
杉参道
後ろの山が白峰、もっと後ろが金剛山
しかし、高鴨神社や鴨都波神社では北向きに拝みます。
信仰の中心に北極星があるのでしょうか?
普通家を建てる時、玄関をどの向きにするか考えるでしょう。
道や隣の家屋を気にしなくてよければなおさらのこと。
部族の祖廟となる神社なら、もっと向きは気にしたはずです。
何を崇めるか、ものすごく大事でしょう。
同じ葛城にあっても本殿の向きが異なるということは…
葛城氏と鴨族の賀茂氏で違うってこと?
時代背景までかかわってきそうで、なにか匂う。
日本の古代史のヒミツが隠れてそうな感じ。
臭い匂いのお葉付きイチョウで、何か感じろという啓示かも…。
さて、大和の葛城は古くは葛木と書いたらしい。
「高木一族は全国に展開していく過程で、名前を変えていった。
そのひとつが『高木・高田』ー『桂木』ー『葛木』であったと思われる」
と、天照大神と高木神は実在したというサイトに書かれてありました。
「タカミムスビは、別名、高木神と言う。
神様を『柱』と数えることから、タカミムスビは、
日本の中でも古くから祀られていた神様だったんじゃないかな?」
これは、やまとものがたり 天火明命のひみつに書かれてます。
そもそもタカミムスビは、アマテラスより先に高天原に現れた神であり、
大国主に、地上の国譲りを迫ったのもタカミムスビ。
タカミムスビのほうが初めて日本を統治した大王の祖神としてふさわしい。
神武の頃は、タカミムスビを最高神とし、太陽神を格下にしていた
↓
その後、鏡が伝わり、太陽神の権威が高まる
↓
人々が鏡を崇拝するのを見て、太陽神を利用してマツリゴトをしようとした
↓
太陽神アマテラスをマツリゴトに取り入れた
九州古史譚2 高木神氏族と狗人。
というサイトも難しくてほとんど分からなかったけど、興味深い。
高良玉垂命を祀る高良山においても、地主神の高木神がもとは山上に在り、本来の祭神であったとされる。
という話に始まり、高良山は、古名を「高牟礼(鷹群山)」で「鷹」の神祇が九州北半を縦断する、などなど。
よくわからないけど、興味津々。。。
伊勢神宮のお引越は着々と進められ、いよいよ最終段階。
第62回神宮式年遷宮 遷御の儀 は、内宮が10月2日、外宮が5日です。
9月30日追記
もうひとつ気になっているのが海抜です。
縄文海進で今より温かく海の水が多かった時代は、海岸線が内陸部にありました。
この時代の貝塚とかがある場所が海岸線だったのです。
その後だんだん地球が寒冷化に向かった弥生時代は海岸線が後退します。
古墳時代の4世紀には、ゲルマン民族大移動がありました。
世界的に食料もとめて南下したのでしょう。
トコロテンつき状態で多くの民族が移動したと思います。
以前大阪平野が河内の海だった地図を載せたことがあります。
石清水八幡宮のことを書いた記事、キーワードは男山では、
かつて京都に巨椋池があり戦前に農地に干拓されたと書きました。
奈良も奈良湖があったとされています。
この想像図が何世紀のものか分かりませんが、
5世紀よりもずっと後のように思えます。
縄文海進の頃はもっと奈良湖が大きかったはずです。
Flood Maps というサイトでは、
今の海水面より○m高くなると海岸線がどうなるかを見れます。
しかし内陸部の湖や池の状態は見れません。
マピオンの地図は海抜が表記されます。
これによれば、御所市の神社の海抜は
高天彦神社 453m
橋元院 403
高木神社 172
長柄神社 148
一言主神社 156
九品寺 175
高鴨神社 286
御歳神社 168
鴨都波神社 96
そして桜井の大神神社は97mでした。
奈良まほろばソムリエのガイドさんの話を聞いていると、
突然私の頭に何か落ちて、コツンとあたりました。
それが、コレ↓
葉っぱに黄色い実がついています。
よく見るとこの実がたくさん落ちています。
中には踏み潰されてるのも多々。
葉っぱの形はイチョウだけれど、こうした実は見たことなかった。
確かにイチョウゆえ臭い!
しかし何かメッセージ性を感じ、ビニール袋に入れて持ち帰りました。
家に帰り、あまりの臭さに一度は捨てた。
けれど、調べてみると お葉つきイチョウ
と知ってゴミ箱から拾ってきて撮影したのが最初の画像です。
お葉付きイチョウとは、イチョウの変種で葉の上に実を結ぶ、
または葉上に葯を付けるイチョウのこと。
めずらしいでしょう。
高木神社
御所市井戸字下垣内
創祀由緒など不詳、春日四神を祀ります。
祭神:天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売大神
しかし、社名からすると元は高木神だった?
高木神=高皇産霊神(たかみむすびの神)です。
高天彦神社に祀られています。
高天彦神社と一言主神社は後ろが山で西向いて拝みます。
この高木神社も道に沿って祠が平行して建てられ、山に向かって拝む向きでした。
以前からどちらの方位に向かって拝むようになっているか、
社殿正面がどちらをむいているかが気になっていました。
一言主神社一の鳥居、後ろの山は葛城山
高天彦神社
杉参道
後ろの山が白峰、もっと後ろが金剛山
しかし、高鴨神社や鴨都波神社では北向きに拝みます。
信仰の中心に北極星があるのでしょうか?
普通家を建てる時、玄関をどの向きにするか考えるでしょう。
道や隣の家屋を気にしなくてよければなおさらのこと。
部族の祖廟となる神社なら、もっと向きは気にしたはずです。
何を崇めるか、ものすごく大事でしょう。
同じ葛城にあっても本殿の向きが異なるということは…
葛城氏と鴨族の賀茂氏で違うってこと?
時代背景までかかわってきそうで、なにか匂う。
日本の古代史のヒミツが隠れてそうな感じ。
臭い匂いのお葉付きイチョウで、何か感じろという啓示かも…。
さて、大和の葛城は古くは葛木と書いたらしい。
「高木一族は全国に展開していく過程で、名前を変えていった。
そのひとつが『高木・高田』ー『桂木』ー『葛木』であったと思われる」
と、天照大神と高木神は実在したというサイトに書かれてありました。
「タカミムスビは、別名、高木神と言う。
神様を『柱』と数えることから、タカミムスビは、
日本の中でも古くから祀られていた神様だったんじゃないかな?」
これは、やまとものがたり 天火明命のひみつに書かれてます。
そもそもタカミムスビは、アマテラスより先に高天原に現れた神であり、
大国主に、地上の国譲りを迫ったのもタカミムスビ。
タカミムスビのほうが初めて日本を統治した大王の祖神としてふさわしい。
神武の頃は、タカミムスビを最高神とし、太陽神を格下にしていた
↓
その後、鏡が伝わり、太陽神の権威が高まる
↓
人々が鏡を崇拝するのを見て、太陽神を利用してマツリゴトをしようとした
↓
太陽神アマテラスをマツリゴトに取り入れた
九州古史譚2 高木神氏族と狗人。
というサイトも難しくてほとんど分からなかったけど、興味深い。
高良玉垂命を祀る高良山においても、地主神の高木神がもとは山上に在り、本来の祭神であったとされる。
という話に始まり、高良山は、古名を「高牟礼(鷹群山)」で「鷹」の神祇が九州北半を縦断する、などなど。
よくわからないけど、興味津々。。。
伊勢神宮のお引越は着々と進められ、いよいよ最終段階。
第62回神宮式年遷宮 遷御の儀 は、内宮が10月2日、外宮が5日です。
9月30日追記
もうひとつ気になっているのが海抜です。
縄文海進で今より温かく海の水が多かった時代は、海岸線が内陸部にありました。
この時代の貝塚とかがある場所が海岸線だったのです。
その後だんだん地球が寒冷化に向かった弥生時代は海岸線が後退します。
古墳時代の4世紀には、ゲルマン民族大移動がありました。
世界的に食料もとめて南下したのでしょう。
トコロテンつき状態で多くの民族が移動したと思います。
以前大阪平野が河内の海だった地図を載せたことがあります。
石清水八幡宮のことを書いた記事、キーワードは男山では、
かつて京都に巨椋池があり戦前に農地に干拓されたと書きました。
奈良も奈良湖があったとされています。
この想像図が何世紀のものか分かりませんが、
5世紀よりもずっと後のように思えます。
縄文海進の頃はもっと奈良湖が大きかったはずです。
Flood Maps というサイトでは、
今の海水面より○m高くなると海岸線がどうなるかを見れます。
しかし内陸部の湖や池の状態は見れません。
マピオンの地図は海抜が表記されます。
これによれば、御所市の神社の海抜は
高天彦神社 453m
橋元院 403
高木神社 172
長柄神社 148
一言主神社 156
九品寺 175
高鴨神社 286
御歳神社 168
鴨都波神社 96
そして桜井の大神神社は97mでした。
高木神社のように西の山に向くものと
高鴨神社のように北に向くものと
なんだか とても 納得です。
カン(DNAの記憶?)だけが頼りですが
鴨神社エリアは遠くてあまり身近に感じない…
案外この遠近感は、古代の人々が抱いていた感覚と同じものかもわかりません。
鴨と葛木、どれを検索しても書物を読んでも答えが得られなかった二つの違い…神社の向きで分類する説を導き出されたので ulalaさま すごいです!
名柄の長老のおっしゃるには「ここは東から昇る太陽の日が、一番最初に射す所。一番良い場所なんですよ」と。二上山のように、西に太陽が沈むイメージが強かったのですが、発想が逆転しました。だからこそ、太古、栄えた土地だったのですね。
これらの西向いて拝む神社の山々の向こう側は海に開けた堺です。いよいよ、本日、選挙です。
ulalaさま 葛城の道の連載 ありがとうございました。
長くなるので本文最後に追記してますのでまたご覧ください。
社殿がどちら向きか、DIVAさんが書いて下さったように東の陽が正面にあたるって大事ですよね。
美具久留御魂神社も二上山からのぼる朝日が9月に見れるのですよね。
よく賜ったお札を東向きに貼ってくださいと指示されることありますよね。
この方位と海抜標高って大事ではないかと思います。
山の辺の道ってそんなに高くなかったのであらためてびっくり。
大神神社は標高97mで、三輪山は467mでした。
畝傍山199m、天の香具山152m、耳成山140m。
家に伝わる一番古いものは、江戸初期に書かれました。享保くらいからは徐々に古文書が増え出しますが、徳川綱吉の時代あたりは珍しいそうです。これは、遺言のようなもので、跡取りの無かった家に、妻の姉の家から養子を迎え、「親の言うことをよく聞き、家を守り…」と心得ごとを遺言で伝えた書面です。
この養子、つまり私のお祖父ちゃんのお祖父ちゃんの その又…とさかのぼる人物は、「井手」からもらったとありました。それで自分は何処から来たのか、知りたくて「井手」を調べていたことがあります。
京都府綴喜郡に井手町という地名を見つけましたが、遠すぎます。とてもこんな所につながりはないと思っていました。近場では御所に「井戸」という地名があるので、ここかもしれないと思っていました。
ところが、ulalaさまがリンクされたブログを読むと…
『高木ー高ー多賀…の変化が考えられます。高ー多賀は実例があります。 京都府綴喜郡井手町の山城多賀です。ここに高木神を祀る式内高神社がありますが、村名と神社名を何度か多賀ー高ー多賀と変えています。』とあります。
御所の高木神社と、京都府綴喜郡井手町の高木神を祀る式内高神社が つながりました。まさに御所の高木神社も井戸にあります。「井戸」と「井手」…いど と いで…名まえも似ています。ウチの古文書のご先祖は高木神の井手からもらわれてきたのでした。
土地と土地のつながり、氏族の移動、婚姻や親戚関係など、古文書によって論証できると思いました。
よく傍を通りかかる高木神社が、天照大御神とも関係あるとは知りませんでした。おじいちゃんのおじいちゃんの…と実感できるので、さらにさかのぼると高木神も実際にいた人物だと思えます。葛城歴史博物館の先生は、神社の神様は、ご先祖さんなんですよとおっしゃっていました。私もまったく同感です。パワスポやスピ系よりリアルです。
高木神社は、奈良湖の水が引き稲作が始まり、高い所の高天彦神社が低い所へ運ばれてきたのかもしれません。海抜によって、時代区分を時系列で並べることができますよね。いろいろな説が絡まり過ぎて頭の中が混とんとして整理できてませんが…。
この井手からもらった養子は、言いつけを守り、後の古文書に家を栄えさせたってあるんです。ご先祖さん、がんばって嬉しいです。
ulalaさまのリンクされたページからさらに
伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神)のページにゆくと
こんな記事を見つけました↓
天皇家が伊勢神宮に参拝しない訳
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1509.html
今日は私事でごめんなさい。そして、ホントにありがとう。オペラドメーヌや還暦パーティ、そして最新記事、楽しく読ませて頂きました。
高木神社のある地域がなんで井戸という地名なんかなぁ~と思ってました。
「井戸」と「井手」コレもなんか意味ありそうですね。
さてリンク貼ってくださったブログは何度かアクセスしてます。
あまりの情報量についていけてなくて、
正しいのかそうでないのかも判断できないのですけどね。
はてさて今日の新月の遷御の儀が過ぎてどう動き始めるのでしょう。
楽しみでもありますね。